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湯瓦さま

 そこそこ有名な温泉の町で、俺がその話を聞いたのは、昨日の夜だった。
 観光客が、町の近くのつり橋から転落して死んだらしい。
 それだけなら、別にたいしたことでもないだろう。特に気にならなかったかもしれない。しかし、みやげ物屋のおばさんが、近所の年寄りと話していた噂に興味をそそられた。
「こりゃ、湯瓦さまの祟りかしんねぇ……」
 俺は、祟りなんて信じないし、怖いわけではない。むしろ、ちょっと面白いと思った。
 たまの休暇に友人連中と、この田舎の温泉地へ来たものの、温泉に入ってちょっと散策しただけで、飽きてしまっていた所である。
 どこの観光地でも売ってるような土産ものはつまらないし、なんの変哲も無い温泉饅頭も食い飽きた。年をとれば落ち着く場所なのかもしれないが、いかんせん俺はまだ若い。
 携帯電話でネット検索をしてみたが、湯瓦さま、なんてものは無かった。
 なんとなく、地元の神様のようなものだということはわかるが、地元の発行している観光案内にも書いていない。そんな神社も見当たらない。
 宿の女中さんに聞いてみたが、それはこの地方で、年寄りが子供をたしなめるときに良く使う、単なる迷信のたぐいという。
 まあ、そんなものかなと思ったが、帰るまでに地元の年寄りと話す機会があれば聞いてみようかと思った。
 夕刻。
 地元のゲームセンターで、ちょっと時間を潰した後、メインストリートからほんの少し離れた公園へと行ってみた。
 まだ明るいので、地元の子供が、元気に走り回って、サッカーに興じていた。
 公園のベンチは小奇麗にされており、一人の温和そうなおじいさんが腰をかけて子供たちを見ていた。
「こんにちは。お孫さんでも?」
 俺がそういうとおじいさんは、少しうなずいて笑った。
「子供があすんでるっと見てっと、あきねーべ。どっから来ましたか、やっぱし東京とかですか」
「……ええ、よくわかりますね」
「そりゃ、この町は、観光客で成り立ってっから、すぐわかんべ」
 俺は、いい機会だから、湯瓦さまについて聞いてみた。
「……ほう、変なこと気にするねぇ」
 おじいさんの言葉を、要約するとこうである。
 湯瓦さまとは、このあたりだけに昔から伝わる温泉の守り神であり、ここから西に見える小さな山の中腹に、ご神体の鬼瓦が祭られた、非常に小さな祠があるだけの、今では珍しい信仰らしい。
 祟りというのは、やっぱり昔からこの地方の母親が子供を叱るときに使うお決まりのセリフであるようだ。
「まあ、温泉ぐらいしか、この町は頼るものはないっからなぁ」
「ははは……」
「――でも、祟りは本当にあるとおもんべーよ」
「……本当ですか?」
「そう。本当。たいがいは、よそもんがやられるんだ。特に退屈そうにフラフラしてる観光客なんかが」
「ええー」
 おじいさんは俺の反応に、ひとしきり笑うと、温泉はどうだったかと聞いてきた。
「ええ、いい湯でしたよ」
「いや、ほんときんこと、どうだったかな。甥っ子が温泉で働いてるで、参考になるんべーから」
「……うーん、まぁ、期待ほど大した湯では。可もなし、不可もなしってとこですかね。そういえば、あの変な石畳になってるのは、俺の泊まった宿の温泉だけなんですかね?」
「……変な石畳? ああ。アレですか。アレは地元の瓦職人が精魂込めて焼いたもんでねー、言い伝えで温泉内に敷くと、御利益があるらしいでな。おっと、そろそろ暗くなんべーな」
「御利益? もしかして湯瓦さまのですか?」
 俺が笑いながらそういうと、なんとなく不機嫌そうに、おじいさんは立ち上がった。
 ――自分で本当のところを言えといったのに。
「あっ、そうだ。ところで、湯瓦さまって、なんで祟るんですかね、理由はあるんですか」
「……もちろん、温泉の守り神さ、祟るのは、ここの温泉を馬鹿にしたりする人限定だべーよ」
「へぇ、なるほど……」
 そういって俺は、タバコをポケットから取りだした。いっしょに入れておいたライターが地面に落ちる。
「それで、老人の姿で現れて、本音を直接聞くらしいべな」
「えっ?」
 ライターを拾ってから、となりをみると、おじいさんは姿を消していた。



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