オーストラリア演奏旅行(4)
(1987.8.17〜8.24 )

                  

 帰りの、ブリスベン空港です。名残おしいです。右の写真では、ホスト・ファミリー(家庭訪問した家庭)と抱き合って、別れを惜しんでいます。


・8/24

 8時間半の飛行で、早朝6:05、無事成田空港着。多くの父母の皆さんの出迎えを受けた。校長、顧問の挨拶、父母からのねぎらいの言葉を受け、簡単なミーティング後、解散とした。


・演奏曲目

    
Aプログラム(文化センター) Bプログラム(ハイスクール) Cプログラム(ドリーム・ワールド)
 1. ウォルチング・マチルダ  1. ウォルチング・マチルダ  1. ウォルチング・マチルダ
 2. 風紋  2. 風紋  2. 八木節
 3. 交響組曲  3. 交響組曲  3. 大漁唄い込み
 4. ボレロ  4. ボレロ  4. オーバー・ザ・レインボー
 5. 南部牛追い唄   5.ベラビア   5. ディズニー・メドレー
 6. 大漁唄い込み  6. メモリー  6.コパカバーナ
 7. マンティカ  7.マンティカ


・成果

 以上の活動状況をふまえ、法政二高吹奏楽部のオーストラリア演奏旅行は大成功であったことを、まず確認したいと思います。
 4 回の演奏会では、どの演奏会場でも我々は常に大きな歓迎をもって迎えられ、満場の拍手を受けました。リハーサルの時間がそれほど取れなかったにもかかわらず、部員たちは一生懸命演奏し大きなミスもなく、十分に実力を発揮できたのではないかと思います。それぞれの会場の熱気あふれる雰囲気も手伝って、リラックスした演奏ができました。特に「ボレロ」の演奏では大きな反響があり、大感激した、という老婦人から、ぜひ録音テープをくれ、と何度もお願いされたことがありました。また、ポピュラー曲では、日本的な情緒を知らしめた「南部牛追い唄」、物静かな日本人をイメージしていた、という現地の人たちに、踊りを伴った活発な「大漁唄い込み」で、日本人に対する認識を変えさせたこと、オーストラリア人もよく知っているジャズの名曲「マンティカ」で、日本の高校生の高度な音楽的レベルを示せたこと等、立派に国際親善の一翼を担うことができた、と誇りに思っております。現地紙や、テレビ・ラジオでも大きく報道されました。

 部員たちが一番印象に残っていることとして挙げていることは、演奏会もさることながら、現地高校生との交流と家庭訪問です。現地高校生との交流では、英語力の不足を痛感しつつ何とか意志が通じ合えた喜びを感じ取ったようで、帰国後も文通の約束をしてきている生徒もいます。家庭訪問でも、部員たちに非常に大きな感激をもたらし、「別れ際には涙が出て止まらなかった」という感想もあります。これらの交流を通して、それぞれ部員一人ひとりが大きな成果を持ち帰ってきた、と思います。今回の旅行では自由時間も割と多くあったので、異国情緒を十分味わうことができました。食事を自分でとることも多く、これがために近くのスーパーに行っての材料の買い出し、レストランでの食事、マクドナルドなどのファースト・フードでの経験、そして、お土産のショッピングなど、これらも立派な国際交流になりました。

 ゴールド・コースト市は、いわゆる地方都市という印象を受けましたが、現地の人々はいずれも親切で、常に明るく接してくれました。我々はオーストラリアの、ほんの一部分を垣間見るだけであったかも知れないが、この遠征は部員たちにとって、目には見えないけれど人生において大切な何か大きなものをつかんだ、そういう本当にすばらしい経験であったと思います。帰国後の部員たちは、ぜひもう一度機会があったらオーストラリアを訪れたいと、しきりに言っていました。

 最後に、法政二高吹奏楽部の団体としての規律・品性、組織的行動はたいへん立派で、健康を害する者もなく、きちんとした生活態度でありました。普段からの厳しい訓練の賜であると思われます。成果の一つとして挙げておきたいと思います。


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