1999年春季号より

○表紙の絵/景山さんの作品

○則武新会長さんのあいさつ

○第五回総会/中村美智子さんの報告・98年度活動報告

○「吾が闘病の半世紀」/大口秋義さんの体験記

○報告(電気代助成署名その後)/さつき会会長斎藤明さん

○積み重ねを大切に/総婦長佐藤龍子さん

○酸吸炭呼(僕が書いたコラムのようなもの)


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表紙の絵

 今回の表紙は、景山護さんの作品です。
 景山さんは、呼吸器の病気で名南病院に入院中の患者さんです。趣味で油絵などを描かれており、白日会の準会員だそうです。「絵が趣味」と聞いて気安く会報の表紙をお願いしたところ、快く引き受けて頂き、入院療養中にもかかわらず、わざわざ新たにこの絵を描いて下さいました(恐縮です)。絵は、忍野から見た赤富士の描写だそうです。



あいさつ

98SP_Noritake.GIF  平成10年10月20日、名南サンキュー会第五回総会を賀城園にて開催致し多数ご参加していただき本当に有り難うございました。
 私はこの度会長に選出されました。はじめは女の私が会長なんてとんでもないと度々お断りしてきたのですが、重ねてお話がありましたので、それでは皆さんに教えてもらいながらと云うことでこの重責をお引き受けした次第です。
 サンキュー会も早いもので五年目に入りました。これからも学習会やリハビリ等の講習会や春秋の行楽等も先生や関係の職員の皆々様のご指導とご協力によって無事重責を果たしたいと願っております。
 本当に何もかもわかりませんので是非あたたかい御理解と協力をお願いいたします。

               サンキュー会会長 則武清子


元気に交流
第5回サンキュー会総会
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 名南サンキュー会の第五回総会が平成10年10月20日に名古屋市熱田区の賀城園で行われました。
 在宅酸素療法を実施している患者さん達の親睦を深めるためにサンキュー会が創立されて五年目になりました。当日は大森医師を囲んで20名が参加し、にぎやかな総会になりました。活動報告、役員選出の後、食事交流会が行われ、新入会員さんも含めて話がはずみました。これからも楽しい企画を考え、会を発展させていきたいと思います。

              名南病院事務 神納哲司


総会に参加して ・・・・・・サンキュー会会計監査 中村美智子

99SP_Nakamura.GIF  みなさん御気分いかがですか。
 先日賀城園に於いて総会兼お食事会に出席させていただきました。はじめは、ちょっと不安でしたが行ってみてすぐにそのことは吹っ飛び、みなさんが気楽にお話下さったのでほっとしました。
 総会の後、自己紹介をしあって、食事にうつり、もう少し一人一人お話しする時間があってもよかったかなと思うぐらいでした。そのぐらい時間がたつのがはやいこと。
 どうぞ皆様も、お体の調子が良ければ是非参加して下さいね。私も又参加したいと思っています。気も晴れると思いますし、酸素を吸うものどうしいろいろ相談したり楽しいお話をしたりとがんばりましょう。
 皆様とお逢いできる日を先生や病院のスタッフの方々も待っていらっしゃいます。


九八年度活動報告

 平成10年3月16日 茶話会(18名参加)
           事務局員の歓送迎会を兼ねてお好み焼き

     3月下旬 会報発行

     5月20日 春の行楽(27名参加)
           上野間かんぽの宿で----料理とビールと温泉

     7月30日 学習会(17名参加)
           知って得する制度----講師は事務局の神納君

     9月下旬 会報発行

     10月20日 第五回定期総会


吾が闘病の半世紀・・・・・・・大口秋義
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 私は、終戦の年に信州の疎開先へ復員してきました。そこにはいつも背中を丸めてうつ伏せになっていた父親と、その背中をさすっていた母親の姿があったのです。その父親も配給のキザミ煙草を役場へもらいに行く時は、全く自分がセンソクである事もすっかり忘れてしまった様な、軽い足取りだったのです。ゴワゴワした古新聞を手もみしては流れる鼻水をかんでいました。つくづく思います。この時代にも在宅酸素療法があったら父親ももっと長生きしたであろうに。冬厳しかった信州で力一杯生きて来た父親の幻影と、私のシルエットが鮮明にオーバーラップして甦ってきます。それが現在(いま)の私の姿にみえてならないのです。独りよがりで済みません。
 それから半世紀!
 現在の名鉄豊田本町駅の一帯が昔は大きな溜池であって、豊田池と言っていました。その側にゴム長靴のよく似合って人望の厚かった評判の田渕医院がありました。そして一寸体がおかしいとすぐ「田渕さん、田渕さん」でした。その田淵医院を前身とする名南診療所の保田うた子先生の紹介で名南病院へお世話になったのが、平成四年四月四日、特筆すべき第一回の入院でした。それから十数回、人生泣き笑いの入退院が始まったのです。
 そして忘れる事の出来ない平成八年四月、肺炎をこじらせて入院中にもかかわらず酸素不足だったのか、急拠人工呼吸器着用が病院休診連休明けの五月七日でした。辛い、苦しい、声が出ないという人間諦めの死線をさまよう経験をしたのでした。そしてやっと退院したと思いきや、一ヶ月後の七月に今度は真夜中に呼吸困難になり即入院でした。思えば、ほの暗い四階エレベーター前で、あまりにも息苦しいばっかりに黒田先生の手を握って、家内や息子や看護婦さんの前もはばからず絶叫したことを覚えております。「肺に穴が?」全身から血の気が抜ける思いでした。「気胸」と云って初めての経験だったのです。
 九月二日迄の三十八日間の入院生活後、いよいよ岡崎市立病院です。手術可否の検査入院で九月十八日より十月三日迄の十六日間、思えば遠くへ来たもんだ!の後悔の念しきりでした。泣くにも泣けない一日おいた五日、自宅退院で精神の安定中またも気管支炎で名南病院へ即入院の十五日間でした。そして改めて手術準備入院として、第三回サンキュー会総会に参加して翌日の十月二十四日に岡崎へおもむきました。ところがまたも肺炎と気胸を患い、十一月五日の手術予定を延期したのです。
 本当に辛かった事は、市立病院の院内規則で消灯二十一時より翌朝六時迄はスチームがストップでしたので、ベッドから降りると足許の冷たさや廊下の寒さで私のような気管支の弱い者には耐えられませんでした。「名南会へ戻りたい!」と申し出たこともありました。やっと落ち着いた十二月四日期待と不安の大手術は終了致しました。執刀医の浅岡先生が「手術のハサミは天皇陛下のと同じハサミを使ったんだよ!」との他愛のない一言が何故かうれしかった事を思い出します。この様にかくも事程左様に種々な入退院を繰り返してきて尚、今日ある事の原動力とは、まさに外ならぬ「生命(いのち)の泉」の在宅酸素療法のお陰であった事に、父親には相済まぬ思いと同時に、この恩恵を一身に受けてこられた私の現実にこの上もない喜びと感謝の気持ちで一杯であります。
 平成五年七月五日、自宅に初めて設置していただいて以来、人生に生きる喜びと、希望と勇気を与えてくれました。振り返って手術後は三カ月毎に岡崎へ肺機能検査で通院してきましたが、機能検査もさる事ながら、浅岡先生や大森先生も云われます通り「数値よりも日常生活がいかに快適に過ごせるか精神的安定が一番大切です。」と、まさに私にとっては終生の養生訓です。たしかに手術した翌年の平成九年は一度も入院する事なく、日帰りで東京へ、一泊泊まりで京都大会へ参加することができました。子のような日常生活の中で、自分の好きな事となると、多少の苦痛もなんのその、通院は勿論、軽車を駆使して名古屋市内を走り回っております。その度毎に、うれしそうにキザミ煙草をもらいに行った父親のうしろ姿が思い出されるのです。奇しくも今年(平成十年)の十二月は父親の五十回忌で、簡単でも法要が出来ることを喜んでおります。
 改めて我が家のプライバシーの一端をご披露させて頂いた事を申し訳なく心苦しく思っております。併せて最後になりましたが、大森先生、黒田先生始め看護婦さんや関係の皆さんやサンキュー会の皆さんのあたたかい励ましのお声をいつもかけて頂いてきた御恩は決して忘れる事は出来ません。又素晴らしい精神的助っ人、生協さつき会の斉藤会長さんには心より感謝しておりますし、同じ手術を受けた者同士の絆を大切にと思っております。今後とも一層の御厚情を切にお願い申し上げる次第です。
合掌


報告(電気代助成署名その後) ・・・・ 南生協病院患者会 斎藤 明

99SP_Saito.GIF  今になって「新年明けましておめでとう」とはいささか時季外れかと思いますが、会報の新年号にちなんで「おめでとう」といっておきます。
 一九九九(平成一一)年は、猛威を奮う流感とともにスタートを切ったように思いますが皆様の体調は如何でしょうか?私も流行に遅れまいと肺炎を起こし、一月十九日から入院というスタートを切りました。
 昨年、名古屋市に対し、低肺患者が使用している在宅酸素濃縮器にかかる電気料金の助成を求め、署名活動など多くの方々の協力を得ながら申し込んでおりましたが、昨年十二月九日の審議で”不採択”の通知が届きました。理由については全く示されておらず、その真意を知らせるよう封書で申し込んでおりましたところ、一月十四日の夕方になって担当事務の方から電話が入り「当方では内容についての説明はできません」衛生行政委員過少会議院に聞いてくれと、味気ない返事を受けました。理由についても今のところ分かりません。
 今後の方針をどうするかということが課題として残りますが、病院のベッドの上で、発熱から二十時間ばかりのわずかな時間で肺炎にまで達したあまりにももろい自分の身体を改めてみつめなおし、現在の私の肩で背負えるのは、現在のままのさつき会が限界ではないかと思っています。
 かといっても、名古屋市議会の審議の様子も、今年の四月からは傍聴が許される運びとなりました。これは市議会と市民の距離が大幅に縮まったことになり、私達の運動も少なからず手助けをしたと確信しています。とは言っても私達の望みは電気代助成です。藪をつついてそのまま引き下がるのはいささか不満も残りますが、体力の限界は挑めません。この先、どのように取り組むべきか。皆さんのご意見をお聞かせ下さい。


積み重ねを大切に ・・・・名南病院総婦長 佐藤 龍子

 サンキュー会の皆様こんにちは。寒さもようやく和らぎ春風を肌に感じる季節になりました。皆様にとっても冬は大敵、これからホット一息つけそうですね。
 このサンキュー会が発足してもう五年もたつのですね。この機関誌を拝見しながら会員の皆様の奮闘ぶりや療養生活は大変ではあるがその中でしっかりと、生き甲斐を見出したり、仲間がいることで勇気づけられたり、この五年間の歩みで積み重ねてきたものは大きな力を持っているなあと感じました。今後の益々の発展を期待します。
 さて、名南病院の増改築工事もいよいよ終盤を迎え、四月のオープンを目前に控えています。工事中は何かと御迷惑をおかけ致しましたが、患者様・地域の皆様の御協力があってここまでたどりつくことができました。来年度名南病院がリフレッシュするとともに気持ちも新たにサンキュー会に見習い一つ一つの積み重ねを大切にし、地域に開かれた病院、皆様に愛される病院をめざして、患者様・地域の皆様と一緒に取り組んでいきたいと思っています。どうぞよろしくお願い致します。


酸吸炭呼(七) ・・・・大森久紀(内科医師)

 呼吸器の患者さんにとってはとてもきびしい冬ももうあと少し、暖かい春はもうすぐそこまで来ています。やれやれですね。
 それにしても今冬、インフルエンザの猛威はすごかったですね。テレビなどでもたくさん報道されましたが、三百人以上のお年寄りが亡くなられたようです。名南病院でも外来も病棟もインフルエンザや肺炎の患者さんで満員状態になりました。入院が必要でも入院できない患者さんが全国でもあふれました。そして一方ではワクチンの在庫切れです。
 インフルエンザワクチンは毎年流行するウイルスの型を予測して作ります。予測が外れた年のワクチンは効かない?ということもあり、日本では予防接種を受ける人が年々減っていました。今年はバッチリ予想が当たっていたので、予防接種が広く行われていればこんなに被害は大きくならなかったはず・・残念です。
 欧米ではワクチンの接種率は高率で一定の効果が確認されています。特に高齢者や心臓・呼吸器などの病気のある人は積極的に受けるように勧められています。在宅酸素の患者さんにとってはインフルエンザに罹るかどうかがまさに命の分かれ目になりかねない訳ですからワクチン接種は積極的に受けるべきでしょう。ただ、保険がきかないので数千円の自己負担を頂かなければならないのがちょっと・・・啓蒙活動とともに在宅酸素の患者さんには助成制度など何らかの経済的対策も望まれます。


短信

★春の行楽は四月下旬を予定
 今年は初めての一泊旅行を考えています。長島温泉?病院まで送迎のあるところを探しています。詳細が決まり次第会員の皆さんには連絡します。

★サンキュー会名簿作成中
 誰が会員で誰が会員でないか曖昧になってしまった部分もあるし、お互いに連絡取り合ったりできるようにと名簿を整理しています。御協力お願いします。完成したら会員の皆さんに配布します。

★機関誌の原稿を募集します
 せめて年四回の季刊にしたいのですが九十八年度も春夏の二回のみの発行で終わってしまいました。原稿あっての機関誌です。「私の趣味紹介」「私の旅行記」などの企画を考えています。ぜひ御協力下さい。


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