2001年春季号

表紙の絵/大口さんの作品

第七回サンキュー会総会 /報告 

私と病気 / 会長 中村美智子

2000年春の行楽「酸素を吸いながら皆元気に三ヶ根山に1泊旅行に行って来ました」

2000年秋の行楽「真昼の堀川、屋形船クルージング」

呼吸器グループメンバー紹介コーナー3 外来看護婦 副島 真実 

ポエムのコーナー 「障害を持って」 まみ

大口さんの闘病記シリーズ「喉のメカニズムが破壊さた時」

酸吸炭呼(十)「呼吸器学会に行って来ました」---僕が書いたコラムのようなもの


 

表紙の絵

 今回の表紙の絵は、サンキュー会会員の大口秋義さんの作品です。皆さんご存知、地元道徳公園のスケッチです。 「ああ、あそこの風景だな」と思い当たる人も多いかもしれません。それにしても今まで身近にいたのに、 大口さんにこんな才能があったとは全く知りませんでした。知っていたらもっと早くお願いしていたのに・・… これからも宜しくお願いします。

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平成12年11月9日、例年通り熱田賀城園において
 
  第七回名南サンキュー総会開催


   

皆そろって「はいバター・・・じゃなくてチーズ!」

第7回名南サンキュー会総会報告

 11月9日午前11時にいつものように名南病院1階薬局前に集合し、 第2回総会のときから毎回利用している、熱田区にある賀城園でいつものように総会を執り行ないました。

 会長の中村さんが床に臥せ、あと松下さんと濱田さんが体調を崩し総会に参加できず、少し寂しい でしたが、それでも会員さん、家族の方、業者の方合わせて十八名の方が参加されました。

 式次第は例年どおり、活動報告、決算報告、予算案提案、役員選出を行い満場一致で承認されました。 ただいつもと違うのは、役員会がパワーダウンしている中、菊地さんが新しく役員に選出され、 役員会の中に新しい息吹が流れるのではないかと、菊地さんに縋ってしまうのは私だけでしょうか。 あとはほろ酔い気分に楽しくお酒に呑まれている方もいて、いつもと同じように楽しい総会、食事交流会でした。

 会員の方々には身体に十分気をつけて、来年も楽しい総会にいたしましょう。           

                     

名南病院事務 伊藤 雅人

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私と病気

        会長 中村美智子


2期連続で会長をつとめることになった中村さん

 名南病院にお世話になって六年あまり、初めて入院した時は救急車で運ばれ 2ヶ月間入院。私は退院したら普通の生活や仕事ができると思っておりました。 私が甘く考えていたのです。

 本当に一年半は退院してからなんともなく生活し ていたものですから、2年もつかなと思っていたら2回目の入院の時、今、京 都に行かれた木下先生がいろいろ調べて頂いた結果、この酸素がなくなるのは 私が脊椎カリエスという病気を持っておりましたので、私としては、この病気 は小学1年生でしたので、もう元気でしたし、だから自分の頭の中では全然病 気と思ってなかったのでショックでした。 

 先生から内臓は、どこも悪くないから、これしかないから、退院する時は医 療用酸素濃縮器を持って帰るようにと聞いた時、目の前が真っ白で、涙が出て 出て止まりませんでした。でも先生から酸素と仲良く付き合えばいいんだよと 言われ、始めはそうかと思って簡単に考えておりました。 人間が単純だから十一月中頃に退院してから今に至って、体調があまり良く ない、食事はおいしくないし、朝早く起きられなくなったのがとても悲しいで す。

  今は暗くなっており、こんな時こそ、死んでたまるかと大声で叫んで、品の 悪いことをしております。 うまく仲良く付き合えばと、頭でわかっていても、なかなか体がついていけ ません。今は、もがきもがき苦しんでおります。 カリエスの時のように考えればと、今思うとがんばっております。そして風 邪をひかないようにと、毎日、朝、目が覚めたら鏡を見ております。テレビで は、老いてきたら、毎日、起きた時鏡を見ることと、言っております。それは 元気が出るそうです。

  こんな私が会長なんて、がらではないと思っております。とりとめのない事 ばかり書いてしまってすみません。

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2000年春の行楽、酸素を吸いながら皆元気に
三ヶ根山に1泊旅行に行って来ました


 6月の三ヶ根山といえばやっぱりアジサイ


 六月十四日―十五日、恒例の春の行楽は、昨年に続いて一泊旅行を計画しました。送迎バスで一時間半以内で行けるところということで今年はちょうどこの季節アジサイで有名な三ヶ根山にしました。参加者は、患者さんと家族十二人、職員四人(医師1、看護婦2、事務1)、コイケメディカル(酸素業者)三人、計十九人でした。
ひとときでしたが、都会の雑踏を逃れ、雄大な景観の三ケ根山への小旅行に参加できて、とても良かったです。
空気は澄み、色彩鮮やかなあじさいに、思わず持って帰りたい衝動に刈られました。
夕食も、普段は一人で食べる事が多いので、大勢の人たちと一緒に食事ができて、とてもおいしかったです。
今後も、体調が良ければこの様な企画に、是非参加したいと思います。


                  濱田 房子 

   

料理にはなんと伊勢海老が!思わず写真を撮るのは貧乏人?宴会の始まり始まり・・・(職員も業者さんも顔がほころんでいます) まずは、会長の音頭で乾杯です。

  

恒例!鬼頭さんの手品オンステージです。看護婦さんも特別出演!
観客の反応は・・・・結構盛り上がっていたと記憶していますが・・・

 

今年はカラオケでも盛り上がってしまいました。リハビリになるかなあ・・・おっと一部では酸素業者さんと白熱の議論?




 何よりも体調を悪くする人も無く、(ポケベルで呼び出されることもなく)無事に帰ってくることができたのが何よりでした。実は入院中の患者さんもメンバーにいたものですから・・・   (大森)                           

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二〇〇〇十月三日(火)年秋の行楽
今回も酸素を吸いながら元気に行って来ました

真昼の堀川屋形船クルージング

 前日の天気予報では、午前中は雨。とても天候が危ぶまれたのですが、蓋を開けてみれば、 真夏を思わせるような快晴でした。しかし屋形船の中は、冷暖房完備。船の中では、快適な一時を過ごせたの ではないでしょうか。例年、この時期は総会が開かれるので、企画を立てていないのですが、今年は趣を変え て秋の行楽を敢行いたしました。
 屋形船は宮の渡しをスタート地点とし、上流へ向かい、熱田球場でUターンしました。 そして、名古屋港へと向かい、ポートビルで到着となりました。普段とは逆の、川から見る景観も、また一味 違って良いものではなかったかと思います。ふと何年か前の、金鯱号に乗ったことの記憶が蘇ってきました。
 実際に船の中に乗っていたのは、1時間もなかったと思いますが、会員の皆さん、職員、業者さん合わせて 十八名、きしめんと穴子の天ぷらに舌鼓を打ちながら、皆さんが交流できたのはとても良かったと思います。 また、個人的には、久方ぶりに浦田さん親子とお孫さんが見えたことをとても嬉しく思います。
               

 事務局 伊藤

 記念写真を撮ろうと並んでいたのですが、なにせ時間がかかってしまって・・・
「あ!船が出航してしまった。」かろうじて写真には写っていました。
浦田さん(写真前列車椅子)は久々の参加、娘さんとお孫さん三代で「ハイポーズ」

 行楽はこれまで年1回だったのですが、2000年は、秋の行楽として屋形船クルージングを計画しました。 「船は酔うのでちょっと自信が無い」という患者さんも多くて患者さんの参加はいまいちでしたが、 参加人数は、それでも患者さんと家族11人、職員・業者7人、計19人になって、楽しんできました。  それにしても病院のすぐ近くでこんな風流なツアーが楽しめたとは・・・ それも料理付きで意外に御値打ちな料金で(但し、休日や夜はやっぱり値段がかなり違うです。)。 料理も結構おいしかったです。本当はアルコールがあれば・・・でも職員はまた業務に戻らなくては いけないので我慢したのでした。


船の中は座敷で御膳には刺身やてんぷら、きしめんなどが次から次に。
カラオケもできたのだけど、今回はアルコールもなかったし希望者無し。
地元名古屋市南区付近をいつもと違った視点から眺めてご馳走を食べてくつろいで、たいへん楽しいクルージングでした。船の上なので、もしも緊急事態が起こったら・・・と、装備も準備しましたが幸い活躍のチャンスはありませんでした。今回は病棟婦長も参加(写真奥真中)。

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呼吸器グループメンバー紹介コーナー3
よろしくお願いします



内科外来看護婦   副島 真実

去年の5月から外来呼吸器担当になりました。副島(そえじま)です。
看護学生として名南病院に就職してから今年で十年目になります。
見たことのある看護婦だなぁという方も多いかと思います。
看護婦になってからの3年間は、外科病棟にいました。
外来勤務は初めてで皆さんにご迷惑をおかけする事もあるかと思います。
また、病気についても勉強不足なところが多いと思いますが、皆様にご指導頂きながらがんばっていきたいと思います。

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ポエムのコーナー

障害を持って

まみ


 障害を持って初めて解ることがある。 
自由に動けるありがたさ。 

当たり前に呼吸して当たり前に食べることができない。 
当たり前のことが当たり前にできない自分が腹立たしい。 

人工呼吸器をつなぐため気管切開してしゃべれないつらさ。 
自分で吸引もした。 
気管の管を2週間毎に入れ替える時の恐怖。 
気管孔を開けたままでMRSAにも感染した。 
医療関係者の顔色を窺いながら、 
こちらの言い分も伝えながらの毎日。 
リハビリにジグソーパズルをして気を紛らわせていた。 
1年にも及ぶ入院のあと、病院での前例がないため 
自宅に人工呼吸器を置くことに対して話し合いの続いた日々。 

結局在宅酸素療法だけで良くなって退院できた。 
幸い退院後1年経って跡がしっかり残ったが 
気管孔は手術で閉じた。 
肺活量もないので大好きなカラオケも高い声がきつくなった。 

車椅子に乗ったときの世界。 
座って移動する景色ってこんな風なのか。 
押してもらうととても怖い。 

感謝する心。 
今まで知らなかった仲間との交流。 
少しだけ素直になれる時がある。 
以前の自分に対する反省。 

何か自分にできることはないかと言う想い。 
途中から障害を持ってみて初めて解る傷ついた心。 
ちょっとしたことに神経質になってしまう自分。 
なんにも悩みのない世界なんてどこにもないさと言う想い。 
きれい事ばっかりじゃなく本音を言えたらいいなと言う想い。 
もう引き返せないんだという想い。 
まだ仕事をしていた頃に言われた 
「ずっとこの病とつきあっていかなければいけないんだよ」 
と言う医師の言葉を今になってかみしめる。 
悪いことばかり考えている自分がいる。 
そしてそれをうち消してみる自分もいる。 

街に出てみるとバリアフリーはまだまだ。 
(バリアとは高齢者や障害者にとっての壁となる障害のことを 
言うのだけれど、物的な物の他に精神的な壁もふくまれている) 
道は悪いし、駐車スペースも少ない。 
若いボランティアさんが少ない。 
子供達に障害者とふれる機会を増やして欲しい。 
もっともっと障害を持っていても出かけられる街になればいい。 
私は鼻も悪いので鼻のカニューラと酸素マスクを併用している。 
外出はほとんど酸素マスクだ。 
酸素マスクをしていると当然のことながら不思議な視線に会う。 
子供は正直だ。素直に視線を向けてくる。 
その時そばにいる大人が見てみない振りをするのが少し悔しい。 
自然に声をかけてくれたらいいのに。。。。。と思う。 
そんなときは強い心を持つ自分がいる。 

障害障害って言うのは嫌いだ。 
ふつーの人と同じに何でもやってみたい。外にも行きたい。 
ふつーってなんだかわからなくなるときがある。 
人と比べない。うらやましがらない。          
まだまだ人間未熟なんだから。 
できの悪い私はいつまで経っても仮面の人を装っている。 

お気楽な私だけど、苦労知らずの私だけど           
私の第二の人生がまたはじまった。 

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作者のまみさんとはインターネットを通じて知り合いになりました。若いですが皆さんと同じ在宅酸素療法患者さんです。
彼女のホームページでこの詩を見つけて会報に掲載させて頂くことになりました。ホームページには詩や短歌のコーナーがあったり交流もできるようになっています。
URL サルビアの詩 http://www.janis.or.jp/users/masasi51/

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以下まみさんの自己紹介です。

長野県北安曇郡(安曇野)在住の金子万寿美(まみ)と申します。
45歳です。
平成8年12月風邪をこじらせ、
持病のびまん性汎細気管支炎を悪化させ、
気管切開、人工呼吸器装着、
半年後酸素併用により、
1年の入院生活後在宅酸素療養となり現在に至る。
現在呼吸器障害1種3級。
酸素は労作時2リットル、安静時および就寝時0.5リットル。
田舎ですので、車の運転します。
家事は少々。障害者の集いなどに参加しています。
趣味はインターネットと短歌、カラオケ。
プリモプエルという喋る人形達と、
夫、実父と暮らしています。

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大口さんの闘病記シリーズ
喉のメカニズムが破壊した時



作者の大口秋義さん(三ヶ根山にて)

 例えば、私の喉を交通の繁しい交差点だとします。そしてこの三十年、四十年来の排痰方法として、一寸喉が変だと思えばすぐ「ガアガア」と力んで来た私の声を暴走族に例えてみました。

 その暴走族によって無惨にも交差点(喉)の四隅(繊毛?)が完全に破壊されて丸坊主になって仕舞ったのです。この事で私自身(暴走族)がはっきり喉の破壊を知ったのが今から一年前でした。そしてその日からの呼吸方法は完全に干上がった喉と、人間としてのよろこびを失ってミイラ化した五体が残っているだけでした。この事は全国HOT患者十万人分の一人の私だけの感応、感情だけかも知れないのです。それだけに皆様方もご理解願えないのではないのでしょうか。でもひょっとうなづいてい頂ける点でもと思い、まとめさせて頂きました。

 この呼吸方法は全く味わいのない、つまり、私なりの脳からの命令系統(咳払いによる呼吸調整)が不能になり、ただ且に息を吸う!息を吐く!と云う人間性を失った呼吸方法となったのです。


 ここで違った見方をしてまましょう。自転車のチューブに空気を入れようとしても、空気入れの先の弁が取れてしまっておれば何の手答え(咳払いによる呼吸調整)もなく、ただスウスウハアハアだけになるでしょう。こんな時は必ず物凄く喉が渇くのです。目前に冷水があっても体がエラくて動けず家内を呼んで迄もとってもらう程なんです。この破壊されて全く水分のなくなった喉は、人間を支える力の元になる骨組み迄も不能にして仕舞ったのです。云いかえればコンニャク人間になったのです。


 ところがです、これらの反面、面白い事に今迄静かだった暴走族が「今から痰を出すよ!」と喉の奥からシグナルを送ってくるのです。それからの排痰完了迄の数時間は、今シグナルを送って来た痰が水分を含んでいるので、カラカラ咳払いだったのが普通の咳払いに変わり多少呼吸も楽になるのです。

 思えばこんな有り難い様な、有り難くない様な悪魔と壮絶な死闘が始まるのです。そしてうまく「ガアガ」とタイミングが合って排痰出来た時、病院におれば身近な看護婦さん、自宅では家内に絶対見せるのです。いっときのよろこびなんですよ。

 以上カラ咳払いから苦しいながらもポッと排痰が終わった今が今、その間様々な泣き笑いの苦闘がありましたが、やっと一工程排痰行動が完了したのです。その他、右耳にいつも一本ホツレ毛が触れている様な不快感があるのです。

 また、夜の夜中でも五体がホテッてくれば枕元の扇風機を廻したり、トイレへいって窓を開けて冷たい空気に触れたりして、体をシャンとさせるのです。

 そう勿、これもきっとご理解願えない事とは思います。一寸ゴミや刺激物が喉についた時、健康な時は当然ながらクシャミや咳払いが出て、平常に戻すのですが、それが今では両方共うまく出ずにやたら咳き込んでは家内を呼ぶんです。こんな時は自業自得だからと、自分に云い聞かせながら、じっと身動きせず徐々に呼吸が出来るのを待っておるのです。

 その他、最近肋間神経痛が入り、その痛さは呼吸が止まる程の痛さを伴ってくるのです。とにかくにもこんな事の繰り返しで一日一日終わっていくのです。

 人間は感情の動物と云います。この喉のメカニズムの変化は、勿論私だけの感覚かも知れません。でも現在「ガアガア」とやってみえる方がみえるとしたら、是非ご注意なさって下さい。こんな思いをしながら、御判読もむずかいとは思いながらもここ迄来てしまいました。誠に得手勝手な一人よがりを、心よりお詫び申し上げる次第です。

 一週間の特診でも待ち遠しい皆様です。今後共よろしくお願い申し上げます。最後に大森先生には何のメリットもないこの稿なんですがよろしくご笑見願えれば幸甚に存じます。いつも御無理申し上げます。これに懲りずよろしくお願い申し上げて終わらせて頂きます。


大口 秋義

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 酸吸炭呼(十)
 

呼吸器学会に行って来ました

 日本では全年齢で4−5%の人が肺気腫などの閉塞性肺疾患に罹っているという数字もあるそうです。 高齢者ではかなりの頻度になるはずですが、診断されていない隠れた患者さんも多いのではないでしょうか? 肺気腫に関連した話題をいくつか紹介します。

(まず禁煙)
 いろいろな治療法がありますが、症状を軽くすることはできても肺気腫になってしまった肺を元に戻すことはできません。 肺気腫の原因はほとんどが喫煙ですから、最も確実な方法は、早期に発見して禁煙をすすめることであることが強調される ようになってきました。会場の喫煙所でタバコを吸う医者は(昔は僕もそうでした)年々少数派になって肩身が狭くなって きているようです。

(肺気量減少手術)
 大口さんが受けた手術です。手術後に症状が改善する人と改善しない人を術前に見極めることが 必要なこと、術後3から5年で肺機能が元に戻ってしまうことが問題点。現在ではある程度確立した治療法の一つになっています。

(非侵襲的人工呼吸療法)
 呼吸不全で人工呼吸するといえば、挿管チューブという管を口から気管まで入れて器械から 空気を送って呼吸することですが、チューブを入れずに鼻に密着するマスクをつけて人工呼吸する方法が広まってきています。 これなら自分で簡単に着脱できるので、はずした時にしゃべったり食事を食べたりすることができ、在宅での治療も可能です。

        大森久紀(内科医師)

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