2019年

児童女流棋士ゾクゾク現る
仲邑菫(ナカムラスミレ)さん(10歳小学4年)が囲碁棋士試験合格 史上最年少プロに 1月 Mニュース
囲碁の日本棋院は5日、小学4年でアマチュア強豪の仲(なか)邑(むら)菫(すみれ)さん(9)
=大阪市=を4月1日付でプロ棋士とすると発表した。プロ入り時の年齢は10歳0カ月で、史
上最年少となる。これまでの記録は藤沢里菜女流名人(20)の11歳6カ月だった。

12歳の上野梨紗さん 囲碁の女流プロに  2月 Nニュース
小学6年の12歳の少女が囲碁のプロ棋士になることが決まり、15日、会見した。
 新たに囲碁の女流棋士になることが決まったのは、12歳の上野梨紗さん。日本棋院による
と、上野さんは9人が挑戦した女流棋士採用試験で7勝1敗とトップの成績をおさめ、プロ入り
を決めた。
 上野さんは4月1日に12歳9か月でプロ棋士になる予定で、史上最年少の10歳でプロ棋士
になることが決まった仲邑菫さんらに次いで史上3番目の若さだという。
 会見には姉で女流棋聖として活躍している愛咲美さんも同席した。


宇宙に果てしなき挑戦
はやぶさ2、人工クレーター作る実験に成功 「宇宙探査の新しい手段を確立」4月 Iニュース
宇宙航空研究開発機構(JAXA)は5日、探査機「はやぶさ2」が小惑星に人工的なクレーター
を作る実験に世界で初めて成功したと発表しました。
はやぶさ2は同日午前11時ごろ、金属の塊を対象にぶつけて人工クレーターを作る衝突装
置、小型カメラを小惑星「リュウグウ」に向けて分離した。
衝突装置は約40分後に爆発し、重さ約2キロの金属の塊をリュウグウ表面に打ち込んだ。
爆発予定時間に、撮影した写真には、リュウグウの表面物質が砕け、飛び散っている様子が
写っている。 リュウグウの表面物質は、太陽風などの影響を受け、風化が進んでいるが、地
下の物質はそうした影響を受けていない。


驚きました、超人です。
世界初、全盲のセーラーが太平洋横断 遭難から再起 4月 A新聞
全盲のセーラー岩本光弘さん(52)=米国・サンディエゴ在住=がヨットで太平洋を横断し、2
0日朝、福島県いわき市のいわきサンマリーナに到着した。
6年前には遭難したが、今回は同乗した米国人のダグラス・スミスさん(55)と力を合わせ、55
日間で達成した。
全盲のセーラーがかじや帆を操る「ブラインドセーリング」での太平洋横断は世界初という。


“超小型”のあかちゃん。
「世界最小」258グラムで出生の男児が無事退院 4月Sニュース
長野県立こども病院(同県安曇野市)で昨年10月、体重わずか258グラムで誕生、その後順
調に成長していた関野竜佑ちゃんが20日、無事に退院した。
同病院によると、元気に退院した男児としては世界最小とみられる。
4月19日時点で3374グラムまで成長し、健康状態も良好という。
竜佑ちゃんは母、俊子さんに抱かれ、父、康平さん(45)、3人のきょうだいと一緒に、病院関
係者に見送られながら退院。
俊子さんは「家に帰ったら、きょうだいにダッコしてもらいたい」と笑顔だった。
康平さんも「こんなに早く外での姿を見られるとは」と感動した様子だった。
世界の超低出生体重児を記録する米アイオワ大のデータベースによると、これまで男児で世
界最小だったのは、慶応大病院で昨年、268グラムで生まれた東京都の赤ちゃんだった


本州より北海道が極暑とは・・・? 
北海道・佐呂間町で39.5度、5月の全国観測史上最高に  5月Nニュース
26日、全国で一番の暑さとなった北海道は各地で猛暑日を記録し、中でもオホーツクの佐呂
間町は全国の5月の最高気温を更新しました。
オホーツクの佐呂間町では、午後2時過ぎに最高気温が39.5度を観測、これまでの全国の
5月の最高気温を更新し、北海道の観測史上、最も高い気温となりました。
このほか、帯広市や池田町などで38.8度を観測するなど、道内の34地点でもこれまでの最
高気温の記録を更新しました。
また、旭川市では小学校の運動会で児童4人が体調不良を訴え、保護者1人が熱中症とみら
れる症状で病院に運ばれました


親の喜びは2の2乗倍?
双子でV!十両貴源治と幕下貴ノ富士が優勝  5月Nニュース
東十両2枚目貴源治(22=千賀ノ浦)が初の十両優勝を果たした。
自身の取組前に3敗だった東十両6枚目琴勇輝(28=佐渡ケ嶽)が敗れた時点で優勝が決ま
っていたが、西十両8枚目大翔丸(27=追手風)を寄り切り。
幕下優勝を果たした双子の兄、貴ノ富士とのアベック優勝となった。
  (成績は=双子で弟:十両の貴源治が13勝2敗。双子で兄:幕下の貴ノ富士が7勝0敗)


ニッポン選手「超一流」
渋野日向子Vで東京五輪大前進、世界ランク急浮上  Nスポーツ 8月
 渋野日向子(20=RSK山陽放送)が、日本勢では1977年の樋口久子以来男女通じて42年
ぶり2人目のメジャー優勝を達成し、20年東京オリンピック(五輪)出場に大前進した。
首位から出て7バーディー、1ボギー、1ダブルボギーの68で回り通算18アンダーの270。
リゼット・サラス(米国)と並んだ最終18番で、劇的な5メートルのバーディーパットを沈めて激
戦を制し、賞金67万5000ドル(約7200万円)を獲得した。
五輪出場は世界ランクに基づき、各国上位2人に与えられる。
大会前は同ランク46位だったが、今大会の躍進で日本勢では2位以内に入ることが確実にな
った。これは夢か、現実か。
男女を通じ日本勢42年ぶりのメジャー優勝が決まっても、渋野に涙はなかった。
そこには、いつもの「スマイル・シンデレラ」がいた。

ラグビー日本が大金星 アイルランドに19―12  A新聞 9月
ラグビーの第9回ワールドカップ(W杯)日本大会は28日、静岡・エコパスタジアム(袋井市)
で、日本が1次リーグA組の2試合目に臨み、優勝候補のアイルランドを19―12で破った。
通算10回目の対戦で初勝利で、前回大会で強豪の南アフリカに勝ったのに続く金星を挙げ
た。2連勝でA組首位に立ち、史上初の8強入りへ前進した。
前日までアイルランドの世界ランクは2位、日本は9位だったが、この勝利によって日本のラン
クは過去最高の8位になった。


神わざ手術?「見える・ミエル・みえる」
iPS由来の角膜細胞、阪大が患者に移植…世界初   M新聞 8月
大阪大は29日、他人の細胞をもとにしたiPS細胞(人工多能性幹細胞)から作った目の角膜
の細胞シートを、重い目の病気「角膜上皮幹細胞疲弊症」を患う40歳代の女性患者の左目に
移植する手術を行ったと発表した。手術は7月25日に実施。
女性は日常生活に支障がない程度まで視力が改善しているといい、今月23日に退院した。
iPS細胞から作った角膜の細胞を移植する手術は世界初。
西田幸二教授(眼科学)らのチームは、京都大が備蓄しているiPS細胞を角膜の細胞に変え、
拒絶反応が起きにくい円形の透明な角膜シート(直径3・5センチ、厚さ0・03〜0・05ミリ)に
加工。阪大病院で女性の左目から、傷ついて白く濁った角膜の表面部分を切除し、シートを移
植した。
女性は両眼が失明に近い状態だったが、左目は本や新聞が読める程度まで視力が回復して
いるという。


民間から第3号
吉野彰氏、ノーベル賞 化学賞 リチウムイオン電池開発 10月 T新聞
スウェーデン王立科学アカデミーは9日、2019年のノーベル化学賞を、リチウムイオン電池を
開発した吉野彰・旭化成名誉フェロー(71)、ジョン・グッドイナフ米テキサス大オースティン校
教授(97)、マイケル・スタンリー・ウィッティンガム米ニューヨーク州立大ビンガムトン校特別教
授(77)の三氏に授与すると発表した。
授賞理由は「リチウムイオン電池の開発」。同電池が携帯電話から電気自動車(EV)まで電源
として広く用いられ、情報化社会の広がりとクリーンエネルギーの普及に貢献したことが評価さ
れた。
リチウムイオン電池は、実用化されている充電可能な電池の中で最も力持ちだ。
吉野氏は、2000年にノーベル化学賞を受けた白川英樹氏が発見した電気を通すプラスチッ
ク「ポリアセチレン」を負の電極(負極)として使い、コバルト酸リチウムを正極として電池の原
型を製作した。
その後、負極を炭素繊維に変え、正負の電極が触れ合ってショートしないよう仕切るセパレー
ターなど、独自の構造を工夫し、実用的なリチウムイオン電池を開発した。
旭化成本社(東京都千代田区)で会見した吉野さんは「研究者には柔軟性と執着心の二つが
必要。カタイばかりではメゲル。壁にぶちあたっても『まあ、なんとかなるわね』という柔らかさが
いる」と開発の苦労を振り返った。

受賞者の多くが大学教授などの研究者である中、1937年(昭和48年)に民間企業 (IBM) の
技術者であった江崎玲於奈が物理学賞を受賞。
2002年(平成14年)に民間企業(島津製作所)の技術者であった田中耕一が化学賞を受
賞。
2019年(令和元年)には民間企業(旭化成)に在籍している吉野彰がリチウムイオンバッテリ
ーの開発で化学賞を受賞した。


「イ〜イぃ」話ですねエ
“ハンディと感じない”成人を迎え・・・     12月S新聞
体重289グラム。当時世界で3番目、日本で最も小さい赤ちゃんとして生まれたS(女)さん)の
体には人一倍の好奇心が詰まっていた。「本人がやりたいと言ったのは出来るだけやらせよ
う」という両親の養育方針のもと、小・中学・高校では自転車・テニス・バスケットボールと励ん
だ。子供の頃から今まで、身長と体重は小柄ではあるが「ハンディとは感じてなかった。世の中
大きい人もいれば、小さい人も居るのが当たり前」とあっけらかんと笑う。平成11年6月9日に
慶応大病院(東京)での誕生です。



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