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0K<ZERO Kelvin>



「それじゃこれで失礼します」
オフィスの灯が次々と消され、自分の机だけに明るさが残される。
温子はちらりと俺の方を見やったが、こちらがそれに気付くと即座にエレベーターの方へと消えていった。

俺達がこんな調子になったのはいつの頃からだろう。
2年前、うちの支社へと転属してきた彼女と呑み会で喋るうちに、お互いの趣味が合うことが分り意気投合し、次第に「おつきあい」という間柄となった。別に大きなトラブルなんて自分達には無かったし、温子は俺が今までにあってきた女性の中でも魅力的な部類に入る方だと思っている。
それでも、今俺達には初めの頃の熱さというものは無くなっていた。
「それはもう恋愛温度0℃だな。いや、お前にはマイナス評価すらついているかも」
友人からもそう指摘されて、俺は自信を無くしていた。まさか0より下なんてことは無いだろうが、このままではそうなる可能性は高いだろう。

「・・・あ、忘れてた」
今朝駅で慌てて買った朝刊を読んでいなかった。このところ新聞をチェックする時間もうちの課には無い。ましてや、温子にかまってやる余裕など―――。
2,3面かそこらだったろうか、どこかの大学が「絶対零度である−273.16度に迫る−273.1599度という温度条件を生み出すことに成功した」と、小さく記事に取り上げられていた。 普段なら見向きもしない科学方面のトピックだが、絶対零度というその単語の響きに、俺は思わず顔をしかめた。記事の脇に載せられている解説文には、
"絶対零度:原子中に存在する+の電荷を持つ粒子の陽子と、−の電荷を持つ電子の互いの運動が周囲の温度低下によって小さくなり、最終的にその運動を完全に停止するといわれている理論上の温度のこと。絶対零度に達した原子は、陽子と電子が運動を停止することで互いが電気的な力で結合し、電荷を持たない中性子に変化してその原子は消滅すると考えられている"
と載っていた。
つまりだ、温度を徹底的に冷やしてやれば物質はみんな消えてしまうということらしい。

・・・・・・きえる

俺は全部読み終わっていない新聞を畳んでゴミ箱に突っ込んだ。まだ残っているバグのチェックを片付けようとキーを打つが、先程の単語が頭の中でループを描き続けた。
いい加減煮詰まってきたので、給湯室に行き珈琲を淹れる。粉を少しだけ入れる積りが誤ってマグカップ山盛りになる位にぶちまけそうになり、慌てて粉を元に戻す。瞬間、高校の化学の実験操作でよく雑だと叱られていたのを思い出し、情けない気持ちになった。俺って、こんなずぼらな性格だから愛想尽かされるんだろうか・・・。机に戻ろうとしたその時、俺はもう一つのことを思い出した。

その頃受けていた化学の授業、未だ理論化学の序盤という部分で、原子の構造を学んでいたときのことだ。ふとしたことが切欠で絶対温度のことが話題になった。それまで「無から有は生まれず、有から無になることはない」と学んできたのに、そこにあった物資が消えるという話は矛盾しているのではないかと生徒の一人から質問が出た。そしたらその教師は
「んな温度は実際のところ存在しないと俺は思うね。だって、物がもし本当に消えたとしても、それを測定する機械だって消滅してそれを証明する方法だってないだろ。」
成程、要するに俺達は都合の良い嘘を教わっている訳だ、と当時の俺は思った。別に対して興味も湧かなかったのでそのまま忘れていたのだが・・・。


そこに達したら全てが消える"絶対温度"
だがそこに 自分達人類は到達することはないだろう


俺はそうであることを願いながら、携帯で温子宛に久しぶりに食事でもどうかとメールを打った。件名はどうしようかと考えたが、たった三文字にした。
「0 K?」と


Written By "大江発啓 様", This Site, 400 count Memory.


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