□ RETURN







 日々の暮らしは日の出とともに始まる。
 洗顔を済ませたら薬草園に行って(家の真裏だ)世話をして、必要な薬草を摘む。
 家の後ろの森が、白金色に照らされている。
 うん。今日も上天気になりそう。
 野菜も収穫して、調理に取り掛かる。メニューはごく簡単。塩味のスープ、パン。戴き物のチーズやバター、ジャム、ミルク。
 朝御飯が出来上がる頃、お師匠様は起きてきた。
「はよー……」
 寝起きはまずます。身支度には全然かまってない。頭で鳥が飼えるんじゃないかな。
「おはようございます」
「今朝も美味しそうね」
 椅子にちょこんと腰掛けて、お師匠様は嬉しそうに笑う。

 僕は卯月。歳は十四。魔法使いの弟子。
 お師匠様は、今は魔力を閉じ込められていて、初級レベルの魔法しか使えない。
 田舎の小さな村の片隅で魔法屋を営んでて、売り物は、護符や呪符、ルーン文字を刻んだ小石、各種の薬など。
 薬草の世話をして畑仕事して、店番したり魔法書を読んだり、買い物行ってご近所さん達とお喋りして、夜は時々お師匠様に実技を見て貰う。
 同じなようで、ほんのちょっとずつ違う繰り返しの、この平和な毎日が僕は好きだ。
 とてもね。


「卯月ー。終わったよー」
「はーい」
 野菜の様子を見てたんで、僕は畑から精一杯声を張り上げて返事する。
「……あ、なんだ、ここにいたの。遠いとこから聞こえるなーって思ったら」
 裏口から出てきたお師匠様、ぐるりと畑を見渡す。
 実際に石にルーンを刻んだり護符を描いたりするのはお師匠様の仕事。手頃な石を見つけたり、護符用の紙とインクを作ったり、その他の家事一般が僕の仕事。
「何やってたの?」
 畑にいて何やってたもクソも(失礼)ないと思いますけどもお師匠様。
「ブロッコリーが元気ないんです」
「今年の春に開墾したとこだよね、ここ」
「はい」
 よく覚えてたなぁ。畑を広げるっつったらメンド臭いからヤダとか言ってたのに。……言ってたからか。
「いきなりブロッコリーではまずかったんだと思います。粟とか稗とかにすれば」
 あと芋とか、もっと土を選ばない穀物にすれば良かったんだ。水遣りとか肥料の具合に気をつけてたとしても。
「今年は諦めます」
「……うーん」
 お師匠様、顎に指を当てて、ぐるりと見渡す。ぽつりと呟く。
「歌、歌えれば良かったなぁ」
 あ。でもえーと。
「……忘れたんですか?」
「失礼ね! 覚えてるよ。昔よく歌ったもん」
「じゃあ」
「却下。この辺一帯スゴイ事になるよ」
 うっわ生きて家に戻れるかな。自分ちの畑で遭難て嫌だなぁ。
「歌詞書いて貰って、僕が歌うのは?」
「旋律が解んないじゃん」
「メロディが大切なんですね」
「両方大事」
「譜面は…」
「そんなのあたし書けると思う?」
「ですね」
「あっさり肯定するなよー。くっそ反撃できないのが悔しいな」
 ホントに悔しそう。
 仕方ない。
「やっぱりレオナールさんに訊いて」
 僕は農夫としては素人で(一応、七年程のキャリアはある。つっても周りにはそれ以上のベテランが揃ってる訳だからね)、気になったらお隣のレオナールさんに相談してる。
「待って待って。ウチは仮にも魔法屋なんだからさ、魔法屋っぽい事してみようよ」
 仮にもって……。
「何やるんですか?」
「ルーン石を埋める! 歌は駄目でも石なら埋められるよ。売るほどあるんだし」
「えー?」
「特製の作ってくる!」
 僕の返事も待たずにお師匠様は家に駆け込んで行く。

 ……なんか、珍しくヤル気だなぁ。
 そこはかとなく不安が過ぎる。
 うん、まぁ、良いか。水差しちゃ悪いし。

 まもなくお師匠様は戻ってきた。

「出来たよーコレ埋めてー」
 僕の掌に転がされたのは、大地のルーンを刻んだ石。元気の無くなった土を活性化させる為のもの。
 ホントはね、魔法使いだったらこういうの使わない。
 歌を歌う。
 痩せた土地に、再び緑が芽吹くように促進する。
 それも魔法使いの仕事。
 戦によって焦土と化した地で行われる事が多い。
 ちなみに、その時のお師匠様の歌声で、僕はお師匠様と出会えた。

 石を区画の片隅に埋める。


 そして。
 ブロッコリーは爆発した。

「っきゃ――っ!!」
「おししょ――さま――ァ!!」
 激しく盛り上がる土に押されて、僕達はころころ転がった。
 貧相だったブロッコリー、あっという間にもこもこ成長、こんもりと葉を繁らせた常緑樹のような見た目になる。
 菜園の端っこの方で良かった。真ん中だったら他の薬草や野菜達の日当たり最悪だ。
「育ち過ぎです!」
「わーん」
 頭抱えてもブロッコリー小さくならないですお師匠様。あ、違う。
「大丈夫ですか?」
「……御免。自分の魔力に当てられた……」
 蹲ったまま、お師匠様は答える。

 ブロッコリーを中心に渦を巻くマナを視認できる。とても純粋なもの。
 効果はブロッコリーにだけ向けられてるみたいで、他の野菜は大丈夫そう。
 放出された力を、僕は戻せない。
 村中に散らばってるから、村中のブロッコリーが巨大化してる。
 ……御免なさい。

 無力だな。僕は。
 傍観するしかない、酷い歯痒さ。
 ここで、ぱぱっと魔力を纏めて地に帰して、ブロッコリーを普通サイズにできたら良いのに。
 魔力酔いしてるお師匠様の、震える肩を、背を、撫でるしか出来ない。



 ……どうしようもないほど凶暴なマナが吹き荒れていた。
 僕は役立たずで、お師匠様は毅然と立ちはだかっていた。

 お師匠様が魔力を閉じ込められる日。
 あの日。
 僕はお師匠様と一緒に居ようと――生涯、お師匠様の側を離れない。そう決めた。
 それが僕を拾ってくれた事に対する、せめてもの恩返しだと思ったから。

 守る。
 他の誰でもない、この僕が。



 もっと勉強しなくちゃ。
 覚えなきゃならない事は沢山ある。
 腕っ節も強くなりたい。

「……あーあ。巧くいかないねぇ。悪かったね、卯月」
「良い事もありますよ」
「え、何?」
「しばらくブロッコリーに困りません」
 茹で上がるのに時間はかかるかな。
「……そっか。卯月ってば前向き。サラダ一杯作ってね」
「はい!」
「あー髪の毛泥だらけだよ、卯月」
「お師匠様こそ。鼻の頭、真っ黒です」
 お互いの恰好を笑いあう。土を払ってくれるお師匠様の指がくすぐったい。
「ね、ホラ」
「?」
「夕焼け。綺麗だねぇ」
 地べたに坐ったまま振り返る。

 空も森も朱金色だ。



 昇る朝陽を一緒に見て(これは滅多に無いだろうな)、沈む夕陽を一緒に見る。
 過ぎ行く季節を数えて。

 こんな日がずっと続いたら。
 冬も、夏も。


 それが僕の願い。





Written By "橘靖之", "『箱庭のそら』 "11111 count Memory.


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