ピィィィ−−。 甲高い警笛の音が背後から追いかけてくる。勢い余って壁を張り飛ばしながら細い路地を曲がり、サツキは舌打ちとともに足を止めた。サツキの目の前には高い壁がそそり立ち、左右には小さな軒を付けたドアと小さな窓が有るばかりののっぺりとした壁が迫っていた。 袋小路だった。しかも、境界の。 ピィィィーー。 先ほどより幾分か大きくなった警笛に、サツキは腹を決めた。壁を見上げ、ひさしを見、窓を見る。背後から足音を聞いたような気がして一旦わずかに振り返ると、もう、サツキは迷わなかった。 軽く助走を付け、ひさしに手をかける。ひさしの上に立ち上がると、小柄な体を一杯にのばして窓枠をつかんだ。懸垂の要領で体を窓枠まで持ち上げるとさらにそのひさしへと腕を伸ばす。瞬くほどの間に幾度かその動作を繰り返すと、壁の上端はもう、目の前で……。 「いたぞ、あそこだ!」 「おい、やめろ!」 「その先は……!」 サツキは迷わずひらりと身軽に壁の上へ身を躍らせた。最後に警邏の制服を着た男達を一瞥すると、そのまま壁を越えていく。わずかな疑問を脳裏に残しながら。 −−なぜ? とまどったような、哀れむような、悲痛な、男達の表情に。 * 白い街。それがサツキの一番最初の感想だった。 おおよそ影というものが感じられなかった。いや、影はある。上空の反射板は正午の角度に傾き、鋭角な光を投げかけていたから、建物の隙間のそこかしこに暗い影は存在していた。 どの街に行こうと吹き溜まりのような『影』はどこかしらに有るものだと思っていた。いくつのもの街を逃げるように渡り歩いたサツキは、カンのようなものでそんな『影』をかぎ分けることができた。旧知の住みかを見つけだすかのように。 かつん。 埃一つないアスファルトは、まだ新しくなじみきらない油をたたえ黒光りさえしていた。 ぴゅう。 吹き抜ける風はよけいな音を何一つまとわず、サツキの周りでくるりと遊ぶと上空へと舞い去った。乾ききらない、コンクリートのにおいを置き捨てて。 「なんだよ、この街は」 上空から目を戻すと、サツキは風に押されるようにして足を出した。身軽く自身が風であるかのように走り出す。街外れの路地を抜け、カンを頼りに大通りを目指す。どの街も似たような作りをしているから、迷うこともなく大通りと思われる場所へたどり着くことができた。 車四台がスピードを落とすこともなくすれ違えるだろう、大きな道。その両脇に添って続く広い歩道。歩道の外側には、曇り一つないショーウィンドウを掲げた、店舗用のスペース。 「どうなってるんだ……?」 『影』など、あるわけがなかった。 歩道では、道に沿って等間隔に土が露出していた。ウィンドウの中ではただただ白い壁が光を反射していた。据え付けられたゴミ箱にはシミ一つなく、ビルの壁面には雨の後すらついていない。 何処にでもある普通の街だった。誰一人、何一つ、生きるものが居ない事をのぞけば。 三ブロックほどを過ぎて、ようやく足を止めた。 いくつのもの街(セル)を壁越えして過ぎてきた。警邏機構は街単位だったから、壁を越える度に新しい街で潜り込めそうな『影』を見つけ暮らしてきた。その中には、廃墟となった街もあった。廃墟といっても、人が全く居ないわけではない。ほとぼりが冷めるまで混じって暮らすなどサツキのとっては何でもないことだった。 けれど、ここには、何もなかった。 建物(ハコ)があるだけ。人がいまにも暮らせるよう、用意された建物が、有るだけ−−。 しばし立ち止まり空を見上げたまま何事かを思案したサツキは、来た道を戻るように、しかし少しだけ違う方向へと足を進めた。 * ここは、新しく用意された街。人が住む前の人のために用意された街。 この先にあるのは『空』ばかり。 |