「エイナ、聞いても良いか。……植物の定義はなんだ」 エフは双眼鏡を睨みながら振り向きもせずに聞いた。ブリッジの外は小高い丘の草原で、双眼鏡の先には豊かな森林が広がっていた。 火炎放射機、機関銃、掃討弾、燃焼弾、酸性弾、そして、小型ランチャー。エフの背後で入念に武器の手入れを繰り返すエイナは、引き金を確かめ無感動に言い返した。 「無機から有機を生む事。酸化以外の方法でエネルギーを生む事。……かしら?」 一度見ればその星の地表の多くが緑に染まっている事くらい誰にでも分かる。呼吸可能な大気をみても、葉緑素を備えた植物群なのだろうと想像はついた。しかし、葉緑素を持つ事、光合成をする事がすなわち植物の定義というわけではない。地球にだって、硫黄からエネルギーを生み出す生物、葉緑素を持たずに光合成する植物は多種存在する。これが、宇宙なら。植物、動物の定義は見直されてしかるべきだ。それがこのような、地球に酷似した惑星であっても。 エイナに問いかけるまでもなく、承知している事だったが。 「……あれは植物だよな?」 「と、思うわ。陽光さえあればエネルギーを生み続ける。緑色だし、葉緑素を持ってもいるでしょうね。排泄もない。……立派な植物だと思うけど」 「悪い冗談だ……」 エイナは言葉の代わりに肩をすくめて見せた。変わらず双眼鏡を睨むエフにはその仕草は見えなかったが、会話を続けたいわけでもなかった。お互いまた自然と口を閉じ、エフは船外へと、エイナは手元の銃器へと視線を戻した。 幾度目になるだろうか。計器と双眼鏡を往復するエフの目は、双眼鏡で止まった。 遠く眼下に見える大森林の中に、目的のモノを……見つけてしまった。 「……来た。ケージー!」 −−出航準備完了まで、あと35分。 無情な宙航プログラムの宣言が響いた。 ち。分かっていた。宙航プログラム・ケージーの宣言は手元の計器の通りで、疑う余地もなかったが……舌打ちを隠す事もしなかった。 がちゃり。背後で音がしたかと思うと、エフは反射的に振り返った。振り返りざまに投げられるにはちと重い荷物を受け取る。……小型のランチャーだった。 「自分で何とかすることね」 投げた本人は受け取る事も疑いもせず、既に視線を外していた。愛用の機関銃を引き寄せ球をガンベルトをたぐり寄せている。 「エイナ!」 「知性体を殺すのはあんまり気持ちの良いことじゃないもの……私も自分の身くらい守るけど」 必要ないでしょうけどね、そう続けそうに言葉を切ると、すでにエイナは立ち上がっていた。 すらりと伸びた手足。一握りで砕けそうな頭は、エフの胸元にようやく届くかどうか。色気のないメンズTシャツからは、今にも肩が顕わに鳴るかと思うほど細い肩……しかし、大きすぎない胸は、女性としてのアピールより、彼女の性質を物語っている。一抱えてもある機関銃を担ぎ上げてもよろめく事などない確かな足取りで、エイナはブリッジを出て行った。 「待てよっ」 シュッと閉じた扉に、エフは慌てて燃焼弾を掴んだ。エイナを追って、ハッチへ急ぐ。 ……エイナの身が心配だったわけではない。あと、34分。……危ないのはむしろ、とばっちりを避けるためにとっととエイナが去った後の自分の方だ。 エイナとエフの去った後、ブリッジから見える森の上。……何かが凄まじいスピードで近づいてきていた。 それは最初、彼らの求める人類以外の知的生物と思われた。地球とよく似た環境ならば、地球と同様人類に酷似した生物が発生してもおかしくはない。 高々度からの観測により十分な手応えを感じた彼らは、幾度もの地球との更新の末、地上に降りる事を選択。そして、間違いに気付くまで大して時間もかからなかった。 あまりにも古い記録。忘れ去られた記憶。後継者もなく、消滅した実験。 星は偶然の産物だった。繁茂した植物も、呼吸可能な大気も。 違ったのは知的生命体の存在。 それは、作られた生命体だった。 船には全部で8人が乗っていた。 船長ディテラ、副船長ステン、操舵手アッシ、宙航士エフ、技師エイナ、雑用係ディート、そして、研究者である、ワコジ、ケナ。 女性はエイナと、ディートの2人。最若年はアッシだったが、最年長のディートでさえ40前という若い一団だった。 それが今、『動く事ができる』のはエフと、エイナ、そして、ディートの3人のみ。 後の5人は……やむなくおのおのの船室に閉じこめてある。……閉じこめるしかなかった。 「……船から離れてくんないかなぁ?」 猫なで声で、エイナは言う。ハッチから首を出したばかりのエフへ。 「……おれに死ねと?」 「死にゃぁしないでしょ。……船に傷つけたくないの」 ハートでもつけそうな声だった。 エイナは船で唯一の技師。エンジンからボディ周りまで、船のハード一切は彼女の管轄だ。 エフは猛獣の檻へ追いやられるような顔で……実際心境はそのものだったが……ハッチからゆっくりと手を離す。 にこにこと手を振るエイナは、あろう事かしっかり離れるようにと銃口を向けてさえ、いた。……そのエイナの側に、ひょこっとエイナ以上に細く小さな頭が生えた。ゆっくりと覗くように持ち上げられた頭は気遣わしげな視線をエフへ向けてきた。……料理人兼医務官兼通信手兼雑用係のディートだ。 「エフさん……お気をつけて」 最高齢とはいえ、成熟した女香を放つかのような、何故宇宙船にいるのか疑問を禁じ得ない女性だった。折れてしまいそうな肩は、エイナのような見かけ倒しではなく……本当に脆そうで、こんな状況でもなければ前線に出てくる事もなく、彼女の管轄である医務室でじっとことが終わるのを待つのが当たり前の女性だった。 エフは風に揺れて顕わになった白いうなじにごくりと一つ唾を飲み込むと、視線を引きはがして『ソレ』へと視線を移した。『ソレ』はもう……無駄話をするまでもなく、目の前だ。 エイナが緊張する。重いハッチが閉じられる。船外スピーカから漏れるケージーが30分を告げる。弾を確かめ、エフはランチャーを構えた。 緑色の風のようだった。 ふわりとエフを含めた船の周りを一周すると、迷いもなくエフの目の前に降り立つ。長い古風なドレスのようにも見える表皮をさらさらと揺らめかせ、髪のように風に舞い遊ぶ触手を広げ、水と緑の香を放ち……婉然と微笑んだ。 くらり、視界が揺れる。 頭を振る。歯を食いしばり、ランチャーを構える。 透き通りそうな肌のか細い腕が伸びてくる。さらさらとその表皮が音をたてる。 金臭い味が広がる。引き金においた指に……冷や汗を吹き出しながらも、力を込める。 何故? 向けられた『目』が問いただしげに潤む。 水と緑の青臭い薫りに、花のような芳しい香りが混じる。 霞がかかる。芯が……ぼやけて、溶けて……。 ガガガと、音を聞いたのが先だったか、傷みを感じたのが先だったか。 「く……」 理性を失うより引き金を引く方が、かろうじて先だった。 「喰われてたまるかっ!」 飛び出す火炎。なぶられるように急速に縮む姿からは、イヤな臭いはしない。 『ソレ』はあくまでの植物で……だから、生木が燃えただけのようなものだった。 −−準備完了まであと1分。 ぐったりと操縦席に倒れ込んだエフへ、ケージーは無感動に告げた。 見える範囲に新手はない。手動で外から開いてしまうハッチではあったが、今は固く閉じたままだ。 後一分。飛び立ちさえすれば、地球へ帰れる。その希望と……機関銃をいじり続けるエイナの存在で、かろうじて意識と理性を保っているようなものだった。 しゅっと扉が音をたてて開いた。油と汗と金属臭の抜けないブリッジに、花のような香りが混じる。……ディートの宇宙に上がっても忘れない、香水の香りだった。 「エフ」 「ディート、危ないわ」 「離陸ぐらい大丈夫よ。……エフ、お願いがあるの」 「……なんです」 エフは振り向かなかった。冷たいようにも見えるだろうと思ったが……振り向いていられる余裕はない。頭の芯がまた、とろけていってしまいそうで。 「この星を、彼らを燃やして」 「ディート?」 訝しげなエイナの声に答えもせず、花の香りが真横に立つ。若いクセに柔らかさの足りないエイナとは違う、小柄ながら肉感あふれるディートの肢体が、手の届くところに……。 「……理由は」 「……それは……」 −−30秒。 ケージーの声に合わせて、エイナは銃器を片付けはじめた。エフは計器の操作をはじめながら……息つく間もないようにと言葉を紡ぐ。 「俺は一刻も早く宇宙に上がりたいしいくら実験生物だとしても知性体を撃つのは気分がいいもんじゃないそれでもっていうなら理由くらい知りたい。それと、副操縦席でいいから座ってくれ。……出る」 −−準備完了。エンジンスタート。 船体に響く重低音。身体でなれた振動に、ようやく血に足をつけたような気がした。 「……あれは……」 船長も副船長も操舵手もはっきり言って役に立たない。忙しく計器に目を走らせながら、エフはディートを横目で盗み見た。 長い睫。伏せ気味のまぶたの下には高く澄んだ空のような瞳。そこから続く、柔らかそうな綺麗な曲線。頬にかかる長い髪は闇のように真っ直ぐで……ふと、視線を止めた。 「貴方も思い知ったでしょう? 人を……いいえ、オスを喰うもので、危険で……」 言いあぐね、悩むように動く白く細い指先。甦った空調になびく髪。 見知ったディートの顔が、違うものに見えた。 「……喰われなかった貴方にしか頼めない」 甘えるように見上げる視線は、『ソレ』と同じ……。 「ねぇ、ディート。何を知ってるの? この星を見つけたのも、地球と交信したのも貴方だったわね?」 がちゃん。色気のない音が、今日はヤケに魅力的に聞こえる。 「交換条件よ」 『それ』より儚く、ディータは笑んだ。 基本的に調査船でしかないから、搭載している火器はタカが知れている。それでも、その辺り一帯を焼き払うくらいはどうにかなった。 自動運転に任せ、自室に引き上げたエフの元へと、洗い上がりの髪を乾かしもせずにエイナが押しかけてきたのは、つい先ほどの事だった。 「わからないでもないわ。でもほら、私の事いい女だなんて言うのは、よほどの変人なわけじゃない?」 「……どう反応すれば良いんだ?」 「どっちでも」 どん。エイナは勢いをつけて、よりにもよってベッドへダイブしてきた。エフは安いスプリングに顔をしかめた。 「男の人ってわかんないなぁ。結局何をしたかったんだろ?」 「……ミイラ取りがミイラになっただけだろ」 きょとんと、エイナはエフを見つめると、まぁいいやと、呟いた。 地球へ帰る頃には、『喰われて』しまった他の船員達も夢から覚めるだろう。 |