照明がついた。 薄ぼんやりとした黄色い光は目を射るものではなかったが、コウは慌てて顔を伏せた。探るようにグラススコープを外すと目を手で多う。反射的に腕を上げたアンはそれ以上の変化がないことを察して腕をどけた。耳を澄ましても近づいてくる足音はない。ソラの小細工はいつも完璧だった。ブレーカーが落ちただけだと判断されたのだろう。回復が早すぎたが。 「まずいな」 アンよりずっと慎重に目を開けたコウは、グラススコープを手探りで調整してかけ直した。まともな視界に人心地着いたのか、僅かに漏れる安堵の吐息をアンは聞き逃さなかった。 「まずいよ」 アンはぐるりと周囲を見回した。ぼんやり浮かび上がる室内にはひしめくほども多くの棚と、埃1つない収容物。褪せた掛け軸。ほどよく緑青の浮いた銅鏡。細かい意匠の彫り込まれた硯や文箱。価値など計り知れない歴史的遺物ばかりだった。 「見つけやすくはなったけどね」 「うん。コウは探して。見てくるから」 「了解」 さっそくきょろきょろと視線を動かし始めたコウを置き、アンは入ってきたドアへと引き返す。停電していたついさっきは、なんなく開けることの出来た扉は、中からではうんともすんとも言わなかった。外から操作しようとしたのなら、たちまち非常ベルが鳴り出すのに違いない。倉庫然とした部屋に、他のドアはない。換気口は認められるが、アンやコウどころか、子供でさえ通れるようなものとは思えなかった。 早い話、閉じこめられた。 ち。 僅かに舌打ちすると、ウエストポーチに手を伸ばした。取り出したのは携帯電話のような、小型無線機。幸いにもココは木造だった。携帯電話と同じ周波数は干渉は恐いがカモフラージュにはなる。スイッチを押し、登録されたチャネルを呼び出す。僅かなノイズの後に明瞭な音がスピーカから流れた。 「アン?」 「クウ、もう一度落とせない?」 がさごそとスピーカの向こうで音がする。問いかけては見たモノの、アンは察した。クウも安全圏にいるわけではない。予定ではもう出ているはずだったのに。 「……厳しいな」 抑えた声と共に、しゃりと側で音がした。しゃりしゃりと規則的に音は続き、少しはずんだ声が続く。 「俺も今、結構、やばい」 「……わかった。どうにかする。気を付けて」 「あぁ。そっちもな」 スピーカの向こうから、サイレンの音が聞こえた。 アンは厳しい顔でスイッチを切った。もう一度名残惜しげに扉を押すと今度は扉に耳を付けた。規則正しいノイズが扉の内を流れていた。 「クウも?」 僅かなガラスの割れる音に続いて、棚の1つからひょいとコウが出てきた。手に持つ革袋は、目的のモノを見つけた証。 「まだ森の中だわね」 「……自力で出なきゃならんわけだ」 やれやれと頭を振るとコウは座り込んで荷物を下ろした。棚の1つに寄りかかると、取り出したハンディPCを床に置く。起動音が響いた。 「アン、壁と床を探して。棚の陰かもしれない」 「出れそう?」 「在ると思う」 言葉少なに答えると、コウは淡く発酵する画面に見入った。手元は忙しくキーを叩く。アンはそっと扉を離れると、近場の壁へと耳を押しつけた。 どこかで動く空調のノイズ。遠くで響く複数人の足音。かちゃかちゃと単調に響く音に紛れて、アンの耳には聞こえていた。聞いては離れ、違う場所でまた耳を付ける。 ドアの右隣から初めて、壁を一周。何処も『違う』場所はなく、溜息をつきつつ床に移る。隅の角でさえ、埃1つないのが救いか。部屋の四隅、棚の側、聞いて回って、違う音に気付いた。 響きの違うその場所。空調に加えて、近づくような足音。 「コウ」 「……アン、ビンゴだ」 PCを閉じて、しまうのももどかしくコウが駆け寄る。もう、アンの耳でなくとも『音』が聞こえ始めていた。探せばスイッチは在るに違いない『音』を辿れば、アンにも多分、探し出せる。しかしもう、時間がない。 かちゃりとドアから音が漏れた。 「コウっ!」 アンの差し出した手を命綱のようにコウが掴む。グラススコープをはぎ取るのと、ドアが開くのは同時だった。 ドアの前には三人。黒服ののっぽとチビ。そしてまだ若い、鋭い目をした屋敷の主。見開いた目と、恐怖に凍ったような表情を見た気がしたのは、一瞬だった。 アンの視界は暗転した。気を失ったわけではない。先を行く足音に、慌てて着いて走り始めた。 かちゃかちゃと音がする。外したスコープを鞄の中にでも突っ込んでいるのだろう。そして、走り出した後上方から、慌てる声も聞こえていた。……この程度の距離なら、聞き耳を立てるまでもなくアンには全て筒抜けだった。 「今のは何だ?」 「あの目……人間じゃねぇ!」 「あ、慌てるな! 調べろ」 一瞬にして上がった心拍数までも、手に取るように聞こえる。 「出れそう?」 「大丈夫。全部視えてる」 走ったせいで僅かに上がった心拍数に苦笑しつつ、アンは安堵の笑みを漏らした。 登って下って、最後の『板』を連絡したクウとアンとでどうにか開ければ、そこは『城』の前の公園だった。 アンの耳にも追ってくるような足音はない。……突然消えた少年少女の影に慌てて城内を探し回っていることだろう。 「まいったよ。さすがに疲れた」 「……少しは身体動かせばいいのに」 「全くだな」 すっかり早鐘を打っているコウは、引っ張り出されると荷物を投げ出すように座り混んだ。手探りでスコープを取り出すと、装着し、空を見上げる。 薄く浮いた汗を袖で拭いながら、アンは薄く革袋から漏れる光に気付いた。 「コウ、出してあげないと」 「……あ、うん」 一緒に投げ出した革袋の口を乱暴に開けると、淡い翠の光が飛び出した。光はゆるくコウの周りを廻ると、そのままふわりふわりと空高く舞い上がり……やがて溶けるように消えていった。 コウにはスコープ越しにも『姿』が見えていたのかも知れない。クウには『力』が感じ取れていただろう。アンには、ささやかな『声』が聞こえていた。『ありがとう』と。 さわさわと風が三人を包んで、抜けた。雲一つない星空が、まるで語りかけるようだった。 先に動いたのはクウだった。かさりと芝生を踏みしめて、背中を見せる。 「帰ろうぜ」 まだ収まらない動悸を押さえて、コウが立ち上がった。 コウの引きずりそうなのに、どこか軽い足音を追いながら、アンは最後に『城』を見上げた。アンたちを呼ぶ『声』は、もうどこからも聞こえなかった。 |