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URA*Soramimi Syojo
061.お鍋の刑

 村の外れに住み着いたサジティーダ家の構成人員は、まだ幼さを残した娘と若すぎる父親の二人だった。若すぎる父親は正式な教師の資格を持っていたから、昼間は集会場で娘より小さな子供達を教え、夜には酒場に寄ることもなくまっすぐに自分の家へと帰っていった。娘はまだ仕事をする年齢には当然届いておらず、父親が教師であるために新たな勉強など必要がないのか集会場へ出てその他の子供達と一緒に勉強することは滅多になかった。その代わりにネコの額ほどの裏庭を耕し、ハーブなどを育て香水を作っては生活費の足しにしていた。
 しっかり者の娘と、その娘を大事にする父親。村の誰もがサジティーダ家に対してそのような認識を抱いていた。
 そんなサジティーダ家には村の誰も知ることのない、そして決して犯してはならない法があった。 法を作ったのは娘・オルガで、父親・ディストはそれに意を唱えることすら出来ないなどと思う村人は誰一人として存在しなかった。

 *

 丸い月が村の周囲で一番高い山から顔を出したのを見て、ディストは腰を上げた。まだジョッキには半分ほど酒が残っていたけれど、名残惜しむ様子も、慌てて飲み干してしまおうと手を出す気配もなかった。
 ディストの対面に座ってもとから赤い顔をさらに酒で赤くしたヴィエッザは、いつもなら『良い父親だな』と手をひらひら手を振るところを今日はディストの手を引いて応えた。
「まだ酒が残ってるじゃないか」
「オルガが待ってるんだ」
 ディストは軽く手を振って力無いヴィエッザの手を振り払おうと試みたが、ヴィエッザの手はかえって締まってしまった。
「幸せそうで羨ましいよ。その幸せを分けろ」
 ちらりと月を見そしてヴィエッザの目がすっかり据わっていたのを見て、やれやれとディストは元の椅子に座り直した。ディストはヴィエッザが飲みたいわけを知っていたし、ディスト自身、そのわけにはいたく共感するところがあったから、出来るならば付き会ってやりたいとも思っていた。叶うならば、朝まで付き合っても良いとさえ思っていた。あいにく分けられるほどの幸せは持っていなかったから、不幸を分かち合うくらいはしたいと本心から願っていた。
「だいたいだな、サラは思わせぶりなんだ」
 ディストが座ったのを見てヴィエッザは再び話し始めた。ディストの腕を握りしめていた手はデカンタへ伸び、ディストの杯へ傾けられた。なみなみと注がれる芳醇な香りの液体を見て、ディストはなんとも言えない苦い笑いを零さざるえなかった。『今日中に帰れるだろうか?』と。
「あんな服で飲みに誘ってもいやがるそぶりも見せない。誰だって気があると思うだろ!?」
 ディストはサラの姿を思い浮かべた。村役場の『顔』である彼女は誰にでも人当たりが良く、ヴィエッザ一人にだけ愛想が良かったわけではなかった。しかし今はただ、うんうんと頷いておくに止めた。注がれてしまったお酒は懸命に飲んで、飲んだ以上の量をヴィエッザの杯に注いだ。ただ、ヴィエッザの自棄酒が早く終わるように持っていくことに専念した。ヴィエッザの”クダ”は留まるところを知らず巻かれ続けた。ディストはヴィエッザに気付かれないよう幾度も月の位置を見、うんうんと頷き続けた。
 幾度目になるか、ディストが月へ向けた目を戻すと、ヴィエッザのすっかり潤んでどっしりと腰を下ろして根を張ったかのような目がじっとディストに向けられていた。しまったとディストが思ったときには遅かった。ディストの杯はこぼれんばかりの酒に満たされ、強制的に乾杯させられた。すでにゆっくりと周囲が波打ち始めていたディストだったが、意を決してそれを一息に干した。ディストはすでにアルコールの熱さを感じなくなった喉に質量ある物体が流れ、腹に落ちていくのを感じた。くらりと波を打つより明確に視界が揺れたが、ディストは気力でそれを押さえ込んだ。
「奥さん美人だったんだろ!? あれだけ娘がかわいけりゃ、生んだ母親は絶品だったって事だろう!? いいよな、もてる男は! そりゃ、いっくらモノしたからって早死にされちゃぁたまんないけどな、そんな思いすら俺には過ぎたモンなんだぜ!?」
 ヴィエッザの荒げた声は酒場中に響いた。ディストはどんな言葉で返せばいいものか悩み、曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。ヴィエッザに反応したのはむしろ他のテーブルから二人の様子をうかがっていた役場勤めのバーズだった。バーズもヴィエッザの自棄酒の理由を知る一人で、ヴィエッザより早く同じ経験をしていた者の一人でもあった。バーズはおもむろに立ち上がると、二人が座るテーブルに開いた椅子を引き寄せた。
「ヴィエッザ、それはちと言い過ぎだぜ。ほらディストが困っているじゃないか。オヤジさん、デカンタもう一つ」
 バーズは乗り出すようにしてディストの杯を取り上げると、ヴィエッザのそれと無理矢理乾杯した。ヴィエッザの肩を叩いて宥める傍ら、そっとディストに視線を送り、『酔っぱらいは任せろ』と言葉ではなく伝えたのだった。
 ディストは正確にバーズの意志を感じ取ると、そっと椅子を引いた。バーズに向いたヴィエッザの注意が自分に戻ってこないように。そして、急に動いて自分人が目を回したりしないように、だった。
 そのまま酒場を出たディストは、窓から見えなくなり始めていた月を空に探した。立ち並ぶ家々の屋根を照らして煌々と輝く月は、今、ディストの真上にかかろうとしていた。ディストは今度は足下を見た。酒場の明かりに照らされて月が作る影は見えず、かえって焦ってディストは村はずれに向かって走り始めた。
「急がないと」
 ディストは口に出して言って、続きを心の中で思った。『急がないと、”今日”が終わってしまう。オルガが待ってる。私の大事な妻が』
 酒場の角を曲がって村の中央に出ると、集会場の脇を抜けて村はずれに向かった。なんだかいつもよりくらくらするなと気づき立ち止まったディストは、すっかり飲み過ぎてしまっていたことに気づいた。回り始めた視界は留まる所を知らなかった。もつれ始めた足は前へ進むことを拒んだ。ぐっとせり上がってきた感触にディストは口元を抑えたがとまらなかった。壁に手をついて衝動が収まるまで嘔吐を繰り返すと、ようやく足を動かすことができた。ふらつく足をどうにか動かし、井戸までたどり着いたディストは水を汲もうと桶へ手を伸ばし、そこで力尽きた。

 *

 月が山から顔を出し始めた頃、オルガは彼女の手に余る大きな鍋に1/4ほど入った具沢山のスープをゆっくりとかき回していた。時折スプーンを差し入れて味を見ては、満足気に頷くことを繰り返しながら。一口サイズに切り分けたパンはすでにデーブルにセットされていた。水を張った桶の中にはワインのボトルが浮かび、綺麗に磨かれたグラスは2客がテーブルに並べられていた。
「遅いぞ、ディストー」
 オルガは一人呟くと暖炉の火を弱めて、貯蔵庫へと入っていった。出てくるときにはその小さな腕に抱えきれないほどの野菜を抱え、それらを全てキッチンに並べると皮をむき始めた。一つ一つ丁寧に皮をむかれた野菜は、丁寧に綺麗に洗われ一口大に切り分けられた。全てを切り終わると暖炉の大鍋に入れられ、水が足された。鍋の中身は倍ほどに増えていた。
「オルガちゃんが待ってるんだぞー」
 再び暖炉の火を強めて、オルガはゆっくりとかき混ぜ始めた。重くなったオタマをけれど懸命に動かした。
「早く帰ってこないと、大人になっちゃうぞー」
 オルガは溜息をついて手を止めた。長袖のボタンを外して再びオタマを動かし始めた。心なしか、オタマは少し軽くなったようだった。
「もう少し取ってこようかなぁ」
 暖炉の火を弱めて取りに行って野菜を足したスープは、鍋一杯になっていた。

 *

 ディストが砂まみれ、水浸しで目を覚ましたとき、太陽はすでに地平線から離れて高く高く昇っていた。
「先生、飲み過ぎたんですかね? だめですよぉ、オルガちゃん一人残して飲み歩くなんてぇ」
 ディストに水をぶちまけた張本人はそういって豪快に笑った。ディストは締め付けられるような頭の痛みと動くたびにこみ上げてくる吐き気を抱えながら、そんなのものよりもっとずっと頭の痛い事実に思い当たりもう一度井戸のそばで寝てしまえたらどんなに良いかと思いを巡らせた。しかし井戸は日々の仕事に出てきたたくましい女達に占領されつつあり、また、幾度も幾度も呆れたように笑われることに耐えかねて未だふらつく足を懸命に動かすのだった。
 その介あってか太陽が真上に到着するよりずっと早くディストは村はずれの我が家にたどり着くことが出来た。しかしディストは戸に手をかけて暫し悩み、諦めたように意を決して、目をつぶったまま僅かにきしむその戸を引き開けた。
「お帰りなさい。あとはよろしく」
「オルガ、これにはわけがっ!」
 ぱっと顔を上げたディストは、テーブルの前で恨めしそうな顔をする少女ではなく、締まりゆく扉を見ただけだった。扉の手前には綺麗にセッティングされたテーブルは残されており、暖炉にはまだ薄く火が生きていた。
「オルガ、悪かった、悪かったからっ!」
 慌てて奥の扉にすがったディストは、幾度も扉を叩いた。扉の向こう側は誰も存在しないかのように静かだった。扉には鍵が下ろされ、開けることは出来なかった。
 ディストは少女の名を呼びながら、横目で鍋を確認した。4人家族でも余るだろう大鍋に、美味しそうなスープがたっぷりといれられていた。
「オルガーっ!」
 悲鳴は倍増したが、少女は応えなかった。

 *

 愛妻(オルガ)の作った料理は(どんな量であっても)全て平らげること。
 それがたった一つ決められたサジティーダ家の法だった。



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