冷たい、冷たい石のように、冷徹な王子と呼ばれていた。 「戦争など、ばかげた事です!」 「少しは民のことをお考えになってください」 「そんなことを言うために、オレを拉致したのか?」 にやりと薄物の上にガウンをかぶせただけという寝間姿の少年は笑んだ。対峙する二人が腰の長物を振れば、避ける間もなく血しぶきを飛ばすことになるだろうに、少年は気にするそぶりもなかった。 「そんなことですと……!?」 民を直接監督する立場にある内政大臣は、少年の言葉に目を白黒させた。民は国の礎であり、国というシステムの存在理由でもある。少年の父はそれを良く理解し、少年に対してもそれを良く言い聞かせていたはずだった。荒々しいばかりの少年の発言は、それを知った上での苦渋の決断であると内政大臣は信じていた。なのに。 少年は涼しい顔で大臣を見た。まだ成長途中の少年の背は、大臣の肩ほどまでしかなかったけれども、見下されていると、感じだ。 「民は道具だ。道具を消費して、さらによい物を得られるなら、文句はなかろう」 少年の目はしっかりと大臣を見据えていた。真正面から見、真正面から言い切った。 「やはり言葉ではわかって頂けますまい」 内政大臣を庇うように、教育長官はすらりと長物を抜きはなった。蝋燭の頼りない明かりをきらりと鋭く跳ね返す。空気すらも割そうなほどに研ぎ澄まされた、長剣だった。 「あの者に任せたのが間違いでした」 王子専属の教育官は、つい先日、スパイの容疑をかけられ、司法機関に送られた。 恐るべき話である。王子を十余年も教えてきたその本人が、敵国と通じていたというのだから。現王のように、民を考え他国との調和を考える穏和な王になるはずだった。それが、気付いたときには抜き身の剣ほども研ぎ澄まされた、石の王子と呼ばれていた。−−王が倒れてからは、一層。 「ふん。認めてどうする気だ?」 教育官はすと剣を構えた。どんな形であれ、責任は取らねばならない。それが彼の立場だった。 「お隠れ頂き、自分も……お供致します」 つまりは、心中を。 「ザイガン、早まるな!」 「大臣殿は下がっていて下さい!」 教育長官は、大臣と少年の間に割るようにして立ち位置を定めると、剣を上段に構えた。 一呼吸ほどののためらいと共に悲痛な表情を浮かべながら、長官は剣を振り下ろす。 血しぶき、そして、頽れるか細い肢体。脳裏に描いたその未来は、現実にはならなかった。 どろりと伝う感触を長官は見ることが出来なかった。数十年もの間忘れていた激痛に頽れたのは長官の方だった。欠けた視界にの中で少年はガウンのすそをはためかせて、不敵な笑みのまま見下ろしていた。その右手に、投げナイフを握りしめて。 「オレを巻き込むなよ」 振り上げた投げナイフの刃を残った片目で追った長官は、弱々しい蝋燭の炎ではない光を、見た。 「大臣!」 さっと部屋に明かりが差した。弱々しい蝋燭の明かりではない。熱を持ち、飛び居る虫を焼き殺すほどの強い明かり。突然に生まれた影の中で、唯一動きを止めることがなかった四つ目の影が、鋭く左手を振った。 ちゃりんと、少年の足下から音が響いた。 「イサカ、来てくれたのか」 「……アンタに頼まれちゃな。おっと、王子様、動かないでくれ。……オレは別に動いてくれても良いけど、綺麗なお顔に傷が増えることになる」 影は影のまま、内政大臣、教育長官の間を割り、少年の正面に立ちはだかった。 大臣、長官のように長物を帯びているわけではなかった。腰から下げた革帯に幾本ものナイフを差し、擦り切れ、破れたシャツの上に、革の胸当てをあてていた。 少年はふと、眉をひそめた。違う臭いを、嗅いだ気がして。 「なにものだ……?」 「アンタを、拉致しに来た」 イサカと呼ばれた青年は、言うが早いか少年の腹に拳をたたき込んだ。避ける間も、ナイフを取り出すヒマも与えなかった。 ぐっと、くぐもった声を漏らし弛緩した少年の身体を、青年は軽々と抱え上げた。休む間もなく踵を返す。 「……頼むぞ」 「五年ばかり、保たせてください」 黒い髪の下から口の端だけで笑って見せて、青年は影のように音もたてずにその部屋を後にした。 「彼は……」 「私が呼んだ。……石には石をぶつけるのが筋という物だろう」 教育長官は、僅かに頷いた。傷の痛みと、ふがいなさに、顔をしかめながら。 青年の行く先は大臣も知らない。王子の行く末は案じることしか出来なかった。 |