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ふと真美は足を止めた。 不機嫌さを隠しもせずにむっととがらせた口をそのままに、道の脇に目を留めた。 見慣れた風景だった。 人通りも少ない。 --魅惑的なキャンパスだった。 しばし思案した真美は、ようやく口元を弛めた。綻んだ、というより、歪めたと言う方が正しいかもしれない。にやりと、笑った。 「これくらいする権利はあるわよね」 独りごちた。疑問系でも、断定だった。 腰ほどの高さの柵を短パンをいい事に遠慮なく跨ぎ越すと、もうためらいもしなかった。 鞄をあさり、それを取り出す。小さな瓶。大切にしまい込んだ小瓶。明日には、価値のなくなる小瓶。 きゅっと捻るとぷんと独特の臭いが鼻をついた。一度だ開けた事があって、二度と開けてはいなかった。 それを開けた。 大きなキャンパスに鞄を放りだして馬乗りになって向かった。フタをつまんで、ハケでそっと落とすように描く。 あのときはあんなに緊張したのに、今はこんなにも軽い。 何度も何度も戻しては、落とす。そのたびに文字ができあがっていく。鮮やかな紅い文字が浮かび上がる。 「なーにが、きっと似合うよーだ。ガキに適当なこと言ってんじゃねーよっ」 はしゃいで開けたのは、もう2年も前。貧乏人にたかるなと、居並ぶ可愛い小瓶の全てを通り越して、ワゴンセールの中から掘り出した品だった。それでも、『良い色』を懸命に探した。折角買ってもらえるのだからと、綺麗な色を選んだ。 買ってもらって嬉しくて、ファーストフードのメニューの前で、そっと小指に塗った。 ……あまりに似合わなすぎて、呆れたような困ったような顔を覚えてる。 「泣きたいのはこっちだったつーの」 泣き出すには、ためらうくらいの年齢になっていた。人前だったし、困らせると分かっていたから、フタをして言ったのだ。『すぐ似合うようになるからね!』 実際学校にはしていけなかった。部活動があったから、休みの日だって出来なかった。いつか、キレイに着飾って、隣を歩く日を夢見たのだ。 「結局、にぶいつーかさー。甘いんだよねー?」 少なくとも、真美は本気だった。所詮、年齢に対する真剣さでしかなかったとしても。 そしてそれは伝わらなかった。 いつも優しいその笑顔は、今も、これからも、きっとずっと……かわらない。 キャンパスに真っ赤な文字。小瓶の中身が減るに連れて、少しずつ色を増して輪郭を際だだせて。 「だから、これっくらいの権利はある!」 続きを書こうとして、手を止めた。 ”Good-Bye &” 白いキャンパスに、手のひらほどのメッセージ。けれど、その先は書けなかった。まだ、口に出せそうもない。 真美は身軽くボンネットから飛び降りた。 くるんと振り返り、小瓶の中に残った中身を丁寧にぶちまけた。 文字の周りに転々と、赤い水玉が踊り出す。 「真美だってなぁ、もう16なんだぞー!」 すっかり液体を落としきった小瓶を今度は思い切りコンクリートに投げつけた。安い小瓶。強化プラスチックは割れすら、しない。 「だーーーっ!」 叫んで思い切り--直接恨みがあったわけではないけれど--”それ”を蹴飛ばすと、鞄を拾いくるりと”キャンパス”に背を向けた。 「あんなヤツ、嫌いだ嫌い大っ嫌いだーっ!! 10年後悔しがるような美女になってやるんだからっ! ほれぼれするようなカレシを見つけてやるんだからっ!」 柵の前でぴたりと立ち止まると、最後に真美はそれを振り返った。 白いボンネットにしっかり刻まれた赤い染みを改めて見て……ようやくふっと力を抜いた。 まだ、言わない。まだ、描かない。 --明日、一番遠い親族席(いとこの席)から、高砂に座るとびきりの笑顔を見るまでは。 そして今度は落ち着いた足取りで、薄暗い道へと一歩踏み出した。 街灯に照らされた駐車場の中、少し古びたスカイラインの白いボンネットが、紅い”文字”を乗せながら、静かに浮かび上がっていた。 |
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