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 三里塚の農民は、戦後三里塚に入植して以来営々として耕してきた農地を農民に何の相談もなく空港用地に指定され、そこに生活の基盤を持つ多くの農家は追い出されるように立ち退かされてゆきました。
 しかし、政府や県の民衆の基本的人権を軽んずるやり方に抗して、今もそこに踏みとどまり、狂牛病など政府農政のあり方が厳しく問われる中で農民としての責任を強く自覚し、無農薬、有機肥料栽培、産地直送など消費者と向き合った立派な農業経営を続けている農民がいます。
 この春、成田空港には2本目の滑走路がオープンしましたが、これによって、激しい騒音公害などをはじめ数々の人権侵害に晒されています。以下はT.M.さんの現地見学の報告です。
 件名: 三里塚現地見学会に行ってきました
 日  付:  2002年6月15日
 差出人:  T.M.さん(千葉県)
 6/9(日),三里塚現地の見学会に参加しました。集会では体験しないことや反対同盟のみなさんの生の話をじっくりきくことができ,有意義な一日でした。参加者は9人で三里塚は初めてという若い人が多く,現地で支援している人の案内で回りました。
 はじめに,市東孝雄さん宅の騒音の状況を見て,それから,東峰神社,開拓組合道路,萩原進さん宅,東峰の暫定滑走路の進入路直下,鈴木幸司さん宅,岩山記念館,北原鉱治さん宅を訪問しました。 

 当日の騒音測定でも,誘導路脇の市東さん宅前87.0デシベル(@)東峰の進入路直下94.0デシベル(A),暫定滑走路の南端から4kmのところにある鈴木さん宅前でも81.4デシベル,ジャンボ機が飛ぶA滑走路(4000m)の進入路直下の岩山記念館102.3デシベルを示していました。近くの人の話が聞き取れないすさまじいものでした。市東さん宅に設置してある監視台からみると,ちょうど次々とジェット機が誘導路をやってきて,飛び立っていくのを目の当たりにしました。しかも,滑走路に入る前に,機のお尻を市東さん側に向けて待機をするため,排気ガスがもろに市東さん宅に吹きかかってくるのです。監視台の上に設置してある大気汚染測定紙は2日で変色してしまうそうです。
周囲はフェンスで囲まれ,騒音・排気ガスを強制され,道路をズタズタにされ,生活環境は全くひどい劣悪な状況を強いられているのです。('02/04/18付け反対同盟の「弾劾声明」を参照してください。)

  このような追い出し攻撃の中でも,反対同盟のみなさんのお話は,力強いものでした。
 「三里塚が勝てば世の中が変わる」(北原鉱治事務局長),「脱落する姿を見せつけられて,自分はその人らとは違うんだとやってきた。37年間の三里塚闘争をいかさなければならない」(鈴木幸司さん),「国は話し合いだというが,やっていることは力ずく。37年間変わっていない。」(萩原進さん)と語っていました。
 37年間の権力の暴虐に対する怒りの大きさであり,また,有事法制が出てきている現在,権力にも,金にも負けずに37年間闘い続けている三里塚が,有事法制反対,戦争国家化反対の運動の先頭に立っているという誇りだと感じました。

 反対同盟・敷地内農民の存在は,逆に国・空港公団に欠陥滑走路の状態を強制し,彼らを危機に陥らせています。2180mに切り縮めたためジャンボは使えない。誘導路が「へ」の字に曲がっている。本来の着陸帯には巨大な穴があるために,着陸帯は国際基準の半分(150m)になった。南側進入表面を突き出す立木がある。これらの欠陥は農民を敵視してきたことの結果である。暫定滑走路は重大な欠陥を固定したまま永遠に完成しない。」(4・14集会宣言)と反対同盟は宣言しています。着陸帯まで食い込んでいる開拓組合道路(約300m)は,滑走路の目の前まで入っていけるのです。

  こういう,状況をマスコミは正しく伝えません。それどころか,読売新聞にいたっては社説で「用地への居座りは国民的迷惑」「法的手段」(強制収用)などと主張しています。

 三里塚現地の状況や反対同盟の声を,一人でも多くの人に知ってほしいと思います。生活環境が無残に破壊され,私服警察,機動隊,ガードマンなどがのさばり,心を泥靴で踏みにじられるような痛みを受けているのです。みなさん!三里塚現地見学会に参加してみてください。

◎北原事務局長のお話
(北原さんのお宅でおこなった交流会のお話を整理,編集したものです。30分の予定が2時間近くにもなり,熱っぽく語ってくださいました)

 37年間,今の政治の在り方に常に警鐘を鳴らしてやってきた。政治は無責任で,悪いことばかりやっていて,若い人が展望をもてない。三里塚は,私利私欲で闘ってきたのではない。騒音の中で生活している人がいる。生活の中に闘いがあり,闘いの中に生活がある。

 真実はひとつしかない。最近読売新聞がいろいろなことを書きなぐっているが,空港をもってきたという原点は何か,真実を報道してほしい。

 『大地の乱・成田闘争』(北原鉱治著,お茶の水書房,1996)は,30年間にわたる闘い,闘った人々を中心に書いてみたが,その中に成田市長の裏切りもある。当時は佐々木更三とかいいのがいたが,現在,社会党自身が分解してしまった。

 小川成田市長は,30年前天神峰の市東東市さんとスクラムを組み機動隊に捕まったことがある。彼が国会議員に立候補するとき,1週間応援演説を行った。彼は国会議員になり,立派なことを言っていた。今やっていることなんか,背信行為だ。

 人間というものは,ものの見方が変わると価値観が変わる。こけていく。今に負けて,政治に屈服してしまう。そういうことを幾つもみてきている。

 公害闘争の田中正造は,天皇直訴をやったり,国会議員もやった。地元に帰ってきて,農民の側に立って闘ったが,農民の方が金に負け,権力に負け落っこちていく。そこから「金にも負けない,権力にも負けない」ということを学んだ。

 今,37年間の闘いの真価が問われている。政治を変えないと,有事法制が通ったらとんでもないことになる。言論の自由は無くなってしまう。労働者は戦争のために駆り出されていく。自分の青春時代は,学校を2年で中退して徴用工になって,生き方は軍人しかないだろうと,海軍に志願して,その道を歩み始めた。戦争になれば逃げる場所がない。多くの死をみた。二度と戦争はいやだ。そういうことにならないようにする闘いが三里塚の中にある。

 9・11「テロ」(01年)にブッシュが「テロ撲滅」を叫び,小泉首相がこれに飛びついた。安保を改革し,憲法9条を無くしてしまおうとしている。憲法9条は守らなければいけない。韓国4千万人,北朝鮮1千万人,アジアの人々はかつての日本の侵略を忘れていない。

 有事法制ができたら,アメリカは軍事拠点として成田空港を使う。成田周辺のホテルは1/3も客が入らない状況がある。50万人の米軍が降りた場合,満杯で足らないくらいの客が入ることになる。

 37年間は鍛えられ,教わった。37年間やってこれたのは,今の政治に対して,間違ったことをやったら国民は決起するよということを突きつけてきたから。真の平和は,安心して働けるような時代にすること。東京の集会に行くと,どや街をみてくるが失業者,ホームレスが多い。こういう世の中を変えようよ。力あるものは力を,知力のあるものは知力を。

 三里塚が勝てば世の中が変わる。三里塚が勝てば,沖縄が変わる,行政が変わる。

 ◎ 質  問

Q: 北原派と新聞に出るが,他の派との違いは
A: 国と話し合わない,権力に負けない。これが原点。他派は条件派。この原点を貫き通すのが大変。72年頃,自民党が事務局長を辞めてくれといってきた。○○営業部長,10年の生活保障はする,支度金を3億出す,といってきた。ものや金ではない。来ないでもらいたい,といった。三里塚闘争は,逮捕者3000名,けが人6500名,同盟側の死者も7名出ている。そういう人たちがいて,三里塚が勝たなかったら何だとなってしまう。死んでしまった人のことを考えると,政治を変えなければならない。三里塚は,世の中を変える闘い,みんなで力を貸してほしい。10.20(85年10/20の三里塚闘争)の時,「燃やされてしまう」ということを権力が流した。市議の辞職勧告もあった。その時,「裁判でも何でもやってみるがいい」といったら,黙ってしまった。その後の選挙で当選順位が上がった。

 大きな展望を持たないと闘いきれない。自分を無にしなければならない。

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最新掲載日:2002・06・19

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