資料NO. :  28
資料名  :
  − 100万人署名にご協力ください −
 「中国「残留孤児」の人間回復の闘いに支えを

    中国「残留孤児」の人間回復を求める市民連絡会
     〒141−0022 東京都品川区五反田1−13−12五反田富士ビル5F
 五反田法律事務所
&FAX.:03−3447−1620

募金口座
口座名:「中国残留孤児人間回復運動支援基金」
銀行:東京三菱銀行 五反田支店 普通預金口座:2076999
郵便局:00130−0−581422
制作者(リポーター)  :  中国「残留孤児」の人間回復を求める市民連絡会
制作日  :   2003年10月13日

 

私たちは呼びかけます(50音順)
石坂啓(漫画家)、井手孫六(作家)、井上ひさし(作家)、永六輔(放送作家)、江藤瀋吉(東大名誉教授)、加藤登紀子(歌手)、小林カツ代(料理研究家)、坂本龍彦(ジャーナリスト)、佐野洋(作家)、ジェームス三木(脚本家)、新藤兼人(映画監督)、曾徳深(横浜華僑総会会長)、ちばてつや(漫画家)、なかにし礼(作家)、羽田澄子(記録映画作家)、林郁(作家)、古谷三敏(漫画家)、森村誠一(作家)、山田洋次(映画監督)、渡辺一江(作家)

アピール




 中国「残留孤児」帰国者637名が、2002年12月20日、国家賠償訴訟を東京地方裁判所に起こしました。 奪われた人権、人としての尊厳を回復するために、国に対する謝罪と賠償を求める決意をしたのです。

 国に置き去りにされ、40年
 「孤児」たちは自分の意志で中国に残ったのではなく、国に置き去り(棄民)にされたのです。1953年に最後の引揚げがありましたが、この時も「孤児」たちは放置されました。1959年には国の特別立法、戦時死亡宣告で「残留孤児」ら1万2000人余りが戸籍から抹消され、法的に「死者」とされてしまいました。 1972年にようやく日中の国交が回復しましたが、肉親捜しの訪日調査が始まったのは9年後の1981年でした。永住帰国が本格化したのは1986年であり、じつに40年以上も待たされたのです。

 約7割が生活保護に
 しかし、母国・日本を慕ってやっと帰国した「老孤児」に対する国の援護政策は冷たく、人として生きるにはほど遠いものでした。「日本で生活するために欠かせない日本語数育と社会教育は極めて不十分でした。また、自立支援政策は無いに等しく、老後は生活保護に頼るしかない状況に置かれて、すでに「孤児」の約70%が生活保護を受けています。人並みの老後の保障を求めて、11万名の署名をもって国会請願を繰り返しましたが、いずれも不採択に終わりました。
 そこで、「孤児」は、苦難の人生の末、国の政策の誤りを認めさせ、謝罪を勝ち取り、恒久対策を実現させた「ハンセン病裁判」の闘いに励まされ、この裁判を決意するに至ったのです。

 「孤児」たちは、日本語がよく話せません。法廷でも、日本人でありながら中国語で、失われた人生と今なお癒されない深い傷、そして現在の苦悩を訴えることでしょう。
 戦争によるこのような悲劇を二度と繰り返さないためにも、この人間回復の闘いをみんなで支えようではありませんか。

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掲載:2003/10/15