2.19〜21日北海道現地行動 報告 いつ:2004年2月19日(木)〜21日(土) とこで:札幌、旭川、千歳 呼びかけ: STOP WAR!自衛隊のイラク派兵を止めよう!実行委員会主催(19日) 北海道反戦共同行動委員会、百万人署名運動・北海道(20日) 北海道反戦共同行動委員会(21日) リポート:T.M.さん(千葉県連絡会) | |
リポート | |
19日(木) ○札幌大街宣 札幌では,「STOP WAR!自衛隊のイラク派兵をとめよう!実行委員会」の主催で,街頭宣伝とピースウォークが行われました。 街宣は,全国から約100名の人が集まり,大通公園の近くで3ヶ所に分かれて行いました。私が立ったのはスクランブル交差点のところでやりやすい場所でした。老若男女を問わず反応は良くて,取れるときには続けて集まるという感じでした。「私は賛成です」といって去る人がいる反面,すっとやってくれる人が何人もいました。 署名の数は途中で雪が降ってくるコンディションでしたが全体で約620筆集まったという。神奈川のある人は1人で約100筆集めたそうです。私も60筆で手応えを感じました。 ○ピースウォーク 4時から大通公園で簡単な集会を行い,ピースウォークに出発しました。ワールドアクション風のラップ調のウォークで,沿道の人の注目を集めました。地元の高校生の飛び入れ参加もあり,最後に発言をしていました。 ■20日(金) ○旭川駐屯地包囲デモと申し入れ行動 10時から反戦共同行動委員会主催の集会が駐屯地近くの花咲スポーツ公園駐車場で約140人の結集で行われました。「自衛隊の袖をつかんででもイラクへ行かせない闘いをやりましょう!」と意気高く集会を行い,旭川駐屯地一周デモに出発しました。北門にさしかかると機動隊がガチガチに警備をしていて,その後ろに自衛隊の警備隊が備えていました。派兵される隊員はここから出ていく可能性が高そうということで,デモ隊の三分の一が隊列を離れて北門での阻止行動に残ることになりました。 残りのデモ隊で,1時間半の1周デモをやり抜き,終点の正門前でシュプレヒコールをあげていきました。 一端集会場に戻り,正門での申し入れ行動を予定している各団体と北門での派兵阻止行動隊に分かれて次の行動に移っていきました。 私は,正門での申し入れ行動に参加。正門に行くと,前日自衛隊の広報に申し入れ行動を通告した際,正門でやると確認してあるのに,正門の警備責任者は「西門でやることになっている」などと言い出してきました。代表が広報に連絡すると,「警備上の都合で西門に変更になった」と言ってきたという。西門までは正門から500メートル以上あるという。「ふざけるな」と言いたい。それに正門を空けたらここから出ることを狙っているのかも知れません。 ここでシュプレヒコールをあげながら粘ることになった。その後,広報の担当者が申し入れを受けるということで正門前に出てきたので,自衛隊員が門の後ろに隠れて私たちの写真を撮っている行為を止めさせることと旭川駐屯地宛の申し入れを受け付けよと代表が話をしていたら,突然担当者は駐屯地へ消えてしまった。広報の責任者に連絡をとると,「え!帰っちゃたんですか」とびっくりしていたという。「みなさんの追求に恐怖を感じたと言っています」とのことだった。 自衛隊側は最終的に,「申し入れの宛先から第2師団長を外す」「ハンドマイクを使用しない」という二つの条件を付けてきたが,その条件で申し入れ行動をやることになった。北海道の代表を先頭に次々と申し入れ文を読み上げていった。私は百万人署名運動・千葉県連絡会からの申し入れ書を持参していましたが,全文の読み上げは3団体に制限されたので,要点だけを述べて申入書を提出しました。 申し入れ行動の過程で,バスが北門から出たことが知らされ(午後1時半頃),弾劾のシュプレヒコールを叩きつけていきました。私たちが申し入れを行っているとき,見送りを終わった家族の乗用車が列をつくって出てきました。信号待ちで私たちの申し入れ行動を見ていた家族のみなさんの気持ちは,どのようなものだったのでしょうか。 もう一つの北門での阻止行動は,警察が北門周辺から排除しようと弾圧体制をしき、学生1名を逮捕してきましたが,学生を先頭に一歩も引かずに闘い抜いたということです(その後,逮捕された学生は,3/2当然にも釈放されたそうです)。派兵される隊員を乗せた3台のバスが北門前を通過するとき,シュプレヒコールをあげながら闘い抜く派兵阻止行動隊に向かって,バス車内から手を振る隊員が何十人もいたそうです。 この日の家族らの見送りでは日の丸を振った写真が翌日の新聞に載っていましたが,この日の丸の小旗は「新憲法制定などを目指す」日本会議上川という右翼団体が2000本も寄付した物で,きな臭さを感じるという声があがっているということでした。 ○旭川街宣 午後3時からは,百万人署名運動・北海道主催の旭川駅近くの買い物公園での街宣とピースウォークが行われました。 署名集めは,ものすごくいい反応でした。次から次へとやってくれるという状況でした。通りかかった人が立ち止まって,署名をしている人のを待っていてやってくれるという人が何人もいました。ある年輩の女性は,旭川駐屯地でのデモを見ていたと話し「足が弱っているから自分は何にも出来ないが,うれしかった」といっていました。やはり年輩の女性は「甥が自衛隊員です」といって署名をしてくれました。駐屯地1周の人通りの少ないデモでも,注目をされているのだと感じました。 署名を書いてくれている人に,「テレビでの自衛隊員へのインタビューでは『名誉です』とか『頑張ります』と言っているけど,そういう風にしかいえない状況だからではないでしょうか。本当は行きたくはないのではないでしょうか」というと,「本当にそうです」と何人もの人から返事が返ってきました。 街宣のあとピースウォークがありましたが,神奈川の人と私はそのまま署名集めを続けました。この日の私の署名は2時間で90筆でした。神奈川の彼も100筆以上集めたようです。 ■21日(土) ○千歳現地行動 千歳基地への2波の集会・デモと申し入れ行動(90人が結集)が北海道反戦共同行動委員会の主催で行われました。 午前9時からグリーンベルト・ポエム広場で1時間弱の集会。それから千歳基地へ向けて第1波のデモに出発。1時間弱のデモでした。人通りの少ないコースでしたが,家の外に出てきてデモ隊に手を振ったり,バスから修学旅行の高校生が手を振ってきたり,見つめていたり,注目されていることを感じました。 正門前にさしかかると右翼が20人〜30人ぐらい日の丸と黄色い旗を立てて叫んでいた。「日本国自衛隊,がんばれ」「人道支援,がんばれ」と例のだみ声でがなり立てていました。 午後1時過ぎからは,同広場で簡単な集会を行い,第2波目のデモを行いました。 この過程で政府専用機の出発時刻が午後5時頃という情報が入り,4時頃から正門で千歳基地への申し入れ行動を行っていきました。北海道からの申し入れを先頭に次々と各団体から申し入れが行われました。 私は帰りの飛行機の関係で4時半過ぎに帰路につきましたが,午後5時過ぎに政府専用機が飛び立ったという情報がもたらされ,怒りのシュプレヒコールをたたきつけていったということです。 | |
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資料::自衛隊のイラク派兵中止を求める申し入れ書 2月20日の旭川駐屯地への申し入れ書 第2師団長(旭川駐屯地)宛の申し入れは拒否をするということで,消しました とめよう戦争への道!百万人署名運動 干葉県連絡会 | |
2004年2月20日 内閣総理大臣 小泉純一郎 殿 自衛隊のイラク派兵は,決してイラクの人達のための活動にはなりません。イラク民衆は「占領軍は出て行け。イラク民衆によるイラク政府の樹立を!」というスローガンをかかげ,占領軍とたたかっています。このイラク民衆の要求を踏みにじり,軍事占領に加担し,「国益」と称する石油利権や復興ビジネスの利権を他国と争って追求していくための派兵は,侵略派兵そのものです。自衛隊のイラク派兵は,アメリカの軍事占領への加担であり,引いては,中東を初め世界各地に紛争を拡大させることにしかならないものです。 小泉首相が「イラクの人々のために日本も出来ることをするのは当たり前の事だ」と言うのなら,イラク戦争を始めようとしたブッシュ大統領になぜ抗議しなかったのでしょうか。抗議しないどころかこの戦争に小泉首相は,積極的に支持し加担をしていきました。小泉首相の言う「人道復興支援」はウソです。 自衛官の皆さん! イラク派兵命令を拒否しよう。出兵拒否は,「人間」として,当然の権利です。イラク民衆に絶対に銃口を向けてはなりません。国のためにといって命を投げ出してはなりません。「殺すな!死ぬな!」ということです。本当の敵は,軍事占領に反対するイラクの民衆ではなく,ブッシュ大統領やブレア首相や小泉首相です。米英軍の兵士たちはイラク戦争が不正義の戦争であったこと,ウソで塗り固められた戦争であったことを,怒りをこめて暴露しています。勇気をもって出兵を拒否しよう。 |