安田順平が語る 「報道されないイラク」 いつ:2004年6月8日(火) とこで:船橋勤労市民センター 主催:イラク戦争に反対する市民と議員の会 リポーター: T.M..さん | |
講 演:安田順平さん(フリージャーナリスト) | |
安田さんは,はじめに先日イラクで取材中に命を落とした橋田信介さんのことについて触れ,「前に出るというタイプの仕事をし続けていた人で,素晴らしい,とうらやましいと思っています」と語っていました。 今回自らが拘束されたことについて安田さんは,「彼等(ゲリラ)は農民であり,米軍に抵抗する中に入ってきた『あやしい部外者』として捕まえたのであり,当たり前の行動」「メディアなどはテロリストと言うが,物事の本質を考えてほしい。政治家はテロリストと言うが,マスコミもこれにのっかってしまっている」と話していました。 高遠菜穂子さんら3人の拘束事件から吹き出していった「自己責任論」については,「自分の人生に自己責任を負っているのは当たり前。戦地に入ることで生じる社会的な責任と,国が国民を守るという『国家のあり方』は別に考えるべきだ」「自己責任論というのは,行くなと言っているのに行ったことに自己責任といって攻めている。5/22の小泉首相の訪朝に対して、『予想した中で最悪の結果』と批判をした拉致被害者の家族へのバッシングを見ても,お上に楯突くものへのバッシングということがはっきりした」と語りました。 さらに,安田さんは,自分たちの拘束時の状況について語りました。 「今回イラクへ行ったのは4回目,3月中旬から行っていた。開戦1周年で,反撃が起こっていて,ファルージャで「民間人」が鉄橋に吊されたというニュースが流れた。民間人といっても米軍の退役特殊部隊員だ。これに対する激しい米軍の報復が行われた。そうした中で高遠さんら3人の拘束という事態が起きた。私たちを拘束した彼等に『日本人が心配でここに来たのか。それは分かる。しかし,これまでに死んでいる私たちはどうなのか。インセンティブ,命の重さが全然違う。』と言われた。」 「私たちを捕まえたのは,いわば自治会運動のようなもの。拘束されて連れて行かれた先には,子供達もいた。女性や子供がいる生活の場なので,大丈夫だと思った。『どうした』といわれ,『アメリカ軍が攻撃しているので,見に来た』と言ったら,『ゆっくりしろ』を言われた。素朴な人達で,敵意を感じなかった。アラブの布クフィーヤを使ったマフラーのかぶり方を教わったり,客人としてのもてなしを受けたり,イスラム教のお祈りの場に立ち会ったりした。」。 その後,安田さんたちは,拘束場所を移され,客人扱いから一転スパイ容疑をかけられることになったという。一人の青年に「何で自分たちが米軍を憎むか分かるか?」と言われ,彼は「以前,道を歩いていただけで米軍に拘束され,連日殴る蹴るの暴行を受け,服を脱がされて虐待もされた。俺の人生はあれで終わった。復讐するだけだ。」とアメリカに対する怒りをぶつけられ返す言葉もなかったという。「ヒロシマ,ナガサキの経験があるのになぜ日本は米国に従うのか。」と聞かれ,「日本人の中には,その状態から自立しなければならないと考えている人も多い。あなた達と同様,私は米国から独立するために闘っている。銃ではなく,カメラでだ。」と返したという。 安田さんは,「拘束した人達は,昼間は農民,夜は武装勢力。空爆を受けたりして,自分たちの生活を守るために闘っている,素朴な農民達だ。」と語っていました。 「夜になっても昼間の尋問の結果が来なかった。『まだスパイだといっているものが何人かいる。』と見張りの男が教えてくれた。その後,昨日知り合ったおっちゃんが来て,『明日解放することになった。』と言った。解放されることになった理由は,銃を持っていなかったこと。テレビのコメンテーターが『取材には警備員を連れている。彼等は甘い』と言う。しかし,警備員はあくまでも強盗対策。警備員を連れていったら,自分たちは助かっても,警備員は殺されてしまう。ナンセンス。自衛隊は武器を持っているが,これは相手を信用していないとうこと。スパイ容疑をかけられた理由は,捕まる直前までビデオを回していて,厳しい顔で『何者か。』と尋ねられた。足の上にカメラを載せて,隠し撮りをしていた。ビデオの中身を彼等が見て,『あやしい。』となったのかなあと感じている。」と語っていました。 安田さんは,イラクで撮影したスライドを上映しながら,イラクの人達の話もしてくれました。 フセイン政権が崩壊した直後の1年前の写真が映されました。それは,数日前の米軍の侵攻で運転中に銃撃された男の遺体を引き取る作業をしている場面でした。死んだ男性はシーア派で,その息子と一緒に作業をしていた近所に住む医師は,「米軍はよくやってくれた。サダムが倒れてよくなる。」と言っていたという。「サダム時代,自由がなかったが生活は楽だった。」と言う人がいる一方で,「隣人が殺されても,『サダム政権が倒れてよかった。』と言う人がいるのも現実。」と語っていました。遺体を前にしながら米軍歓迎を口にしたその彼は,半年後の10月末に訪ねたら,出勤途中の路上で米軍が市街地に向かって発射した銃弾を受けて死亡していたという。 イラクはビールの産地だという。しかし,サダム政権の崩壊して米英軍の占領下で関税なしのためビールの輸入も増えていて,有る工場では「250人いた従業員がリストラで150人に減らされている」と言うことでした。経済のグローバル化による自由化でイラクの産業が壊滅状態にされているということも語っていました。 緊急手記 拘束の3日間 安田純平 東京新聞より 安田さんの最新著書 『囚われのイラク 混迷の戦後「復興」』(現代人文社)紹介のHP) | |
集会宣言 イラクからの自衛隊撤退および有事関連7法案の廃案を求め、 今後も、あらゆる戦争に対して良心的抗議行動をおこなうことを決議する宣言 | |
人類の歴史は戦争の繰り返しでした。国家や宗教組織、民族が、「神のお告げ」「国土の堅持」「国民の安全」「侵略からの防衛」「民族主義」などの理由をつけておこなう人殺しを私たちは「戦争」と定義します。 そして、戦争は、戦争を望まない子どもたちも殺し、人々の嘆き、悲しみを増殖します。不幸の連鎖を地上から無くしていくことが、地球に生かされる人類の使命であると考えます。 現在、米国ブッシュ大統領の指揮の下、日本国の小泉首相が支援しているイラク戦争は、人類の悲しみと苦悩の歴史から目を背け、世界の人々の平和希求権を侵害する行為であります。 同時に、日本国の第159回通常国会に提出されている有事関連法案は、米軍行動関連措置法、特定公共施設利用法、自衛隊法改正、海上輸送規制法、摘虜取扱い法、国際人道法違反処罰法、国民保護法の7つでありますが、この法案の内容は日本が戦争を放棄した国から戦争を支援する国、戦争ができる国、さらには戦争を仕掛ける国へとなるように法整備を相互におこなうことであります。 これらの行為は、日本国が憲法9条で定めている戦争放棄という人類が最終的に到達する崇高なる目標をないがしろにするものです。 従って、私たちは日本国政府にイラクからの自衛隊の即時撤退と有事関連7法案の廃案を強く求めます。 私たちは今後も継続して世界の人々と連携して、あらゆる戦争に対して良心的抗議行動をおこなうことを決議し、ここにその宣言をおこなうものです。 2004年6月8日 イラク戦争に反対する市民と議員の会 日本国 内閣総理大臣 小泉 純一郎 様 |