街頭宣伝行動

いつ:2004年9月5日(日)
どこで:千葉市中央区
呼びかけ:とめよう戦争への道!百万人署名運動 ちば・いちはら連絡会
(千葉県連絡会)
リポーター: Y.F.さん
 参加者は2人。署名50筆。天気曇り。時間は16:00〜17:30。
 一人は50分、もう一人は80分。延べ130分で50筆でした。
 反応はいいです。

 「街頭でこんなことやるのは違反だ。じゃまなんだようー」といいながら蹴っ飛ばそうとした男性に出会いました。 しかし、署名をお願いしなかったら黙って通り過ぎたかもしれません。

(管理人より)
 私たちは街頭宣伝で署名をお願いするときは、信号待ちの時間を利用して立ち止まっている人にお願いしています。
 また、ティッシュペーパーを配るアルバイトの人たちの邪魔にもならぬように気を配ったり、道の案内など、私たちの街を行く人々と触れ合うことができるこの場所をとても大切にしています。
辺野古ヘリ基地建設反対国会前座り込みの報告

いつ:2004年9月7日(火)
どこで:国会前
呼びかけ:とめよう戦争への道!百万人署名運動 東京事務局
リポーター: Y.F.さん
 9月6、7日東京事務局からの緊急行動要請に応えて、7日の行動に参加しました。
 第1日の6日には70人集まったそうです。 この日の参加者は8名(ただし10時半から13時半の間)でした。

 現地沖縄では150人位集まっているとのことでした。(いつも国会前にきている“ヨッシ-とジュゴンの家”の人たちも今沖縄にいっているのだそうです。)しかし、台風のため海は大荒れ、防衛施設庁も手がつけられなかったようです。

 8月2日国会前に座り込んでからずっと参加者が書き連ねたノートが2冊目になっていました。
キリスト者の皆さんが大勢かかわっておられることが分かりました。 千葉の方の名前も見つかりました。 私も名前を書いてきました。

 国会前座り込みは、月〜金(9:00〜17:00)行われています。 百万人署名運動は毎週火曜日(11:00〜15:00)に参加することになりました。 そこで、少なくとも火曜日には千葉からも参加したいものです。 私もまた出かけていこうと思っています。

 座り込みを始めてから2781日目。ボーリング調査阻止の座り込み142日、国会前37日目。
沖縄辺野古座りこみ行動

いつ:2004年9月7日(火)〜9日(木)
どこで:沖縄県名護市辺野古
呼びかけ:ヘリポート建設阻止協議会 命を守る会
リポート: とめよう戦争への道!百万人署名運動 千葉県連絡会事務局
 辺野古現地座り込みに千葉からK.M君が参加しました。7日(月)夜,いきなり「今,辺野古にいます」と電話がかかってきて,びっくり仰天しました。6日から9日まで休暇がとれて6日国会前に座り込んでそのまま現地に入ったとのこと。

 「今日は(防衛施設局は)何もしないで帰っていったけど明日はあぶないので朝早くから座り込みます。この基地をつくらせたら大変なことになるので,身体を張って頑張ります」

 翌8日は何もなし,「百万人署名運動千葉から来ました」と沖縄現地の方々と交流し,大いに盛り上がったそうです。「明日は早朝から座り込んで頑張ります」
 翌9日,昼頃電話が入り,「奴ら(防衛施設局)はキャンプシュワブ(辺野古に隣接する米軍基地)から船を出してボーリング調査をやろうとしているらしいんです。こちらは今500人位集まってぎっしり座り込んでいます。とても手を出せる状況ではありません。そして後から後から座り込みに参加しています。僕は今は時間の許す限り参加して帰ります」とのことでした。
 その後,彼とは連絡が取れていません。

 9日,午後 防衛施設局はとうとう遠くの港から船を出して調査開始。こちらも抗議の船を繰り出して奴らを翻弄。
 10日も座り込みと船で,陸上海上相呼応して抗議行動。
 11日は土曜なので調査なし。休戦状態とのことです。
伊波市長の話と防衛庁前抗議行動に参加

いつ:2004年9月9日(木)
どこで:)、東京・永田町の星陵会館
呼びかけ:沖縄出身の野党6国会議員=赤嶺政賢、糸数慶子、
大田昌秀、喜納昌吉、照屋寛徳、東門美津子各氏
リポーター: R.M.さん
 9月9日(木)、東京・永田町の星陵会館で行われた「宜野湾市長・伊波洋一さんの話を聞く会」(呼びかけ:沖縄出身の野党6国会議員=赤嶺政賢、糸数慶子、大田昌秀、喜納昌吉、照屋寛徳、東門美津子各氏=)に参加しました。

 司会は、先般の参院選・沖縄選挙区で圧勝した糸数慶子さん。さすがは元バスガイド、滑らかで丁寧な司会進行ぶりでした。

 まず、米軍ヘリ墜落直後をとらえたビデオの上映から。
 おそらくは地域住民が撮影した映像で、ナレーションや字幕は入っていませんが、これを見るだけでも、恐るべき光景が展開されていたのがよくわかります。
 事故の衝撃、もうもうと立ちのぼる黒煙に驚いたのか、子どもの泣き叫ぶ声もビデオには入っていて、胸が痛みました。

 そして、伊波市長のお話に移ります。
 伊波さんは市長就任直前まで宜野湾選出の沖縄県議(結の会)であり、普天間基地の危険性が極限に達していることを、県議会でも繰り返し訴えてきたが、稲嶺恵一知事にはほとんど相手にされなかった。そこで「5年以内の普天間基地返還」を公約に掲げて市長に当選、それを実現すべく、日本政府への要請や、7月の訪米行動での米政府、議会、シンクタンクへの働きかけなど、精力的に行動していることが報告されました。

 宜野湾市の面積の32%を占有する普天間基地。そこに所属するヘリが毎日、住宅密集地の上を飛び回り、しかも飛行回数は1日に多いときには300回以上にもなり、減るどころかここ数年で1.5倍に増えている状況。そして、誰もが最も恐れていた「民間地へのヘリ墜落」が現実のものになってしまった衝撃。
 「基地のない平和な沖縄」を最優先に掲げると同時に、9万人近い宜野湾市民の安全と健康に責任を持つ伊波市長の口から語られるこれらの現実は、とりわけ重く受け止めなくてはならないと思いました。そして、この悲痛な叫びに全く取り合おうとしない日米両政府と稲嶺県政への怒りを新たにしました。

 普天間で危険なヘリ基地は辺野古でも危険。辺野古への移設は普天間問題の解決にはならず、普天間の無条件返還を必ず勝ち取るという決意で伊波市長の話は締めくくられ、会場から大きな拍手が上がりました。

 翌9月10日(金)、この日は勤めを終えて、真っ先に市ヶ谷へ急行しました。
 防衛庁前での「辺野古ボーリング調査強行抗議」の取り組みに参加するためです。
 私が着いたときにはすでに始まっていて、沖縄現地からの電話報告が、拡声器を使って伝えられているところでした。わざわざ沖縄南部の馬天港(佐敷町)から調査船を出航させたり、オトリ船まで出したこと自体、この新基地建設に何らの正当性もなく、政府自身が後ろめたさを感じている証拠ではないでしょうか。
 「私たちは沖縄でがんばるから、皆さんも霞ヶ関や市ヶ谷でがんばって」という電話の向こうからの声に、しっかり応えていかなければならないと思います。

 「辺野古への新基地建設反対!」「ボーリング調査をすぐにやめろ!」「基地はいらない!」とのシュプレヒコールを浴びせて、ここでの行動は終わりました。
街頭宣伝行動

いつ:2004年9月26日(日)
どこで:千葉市中央区
呼びかけ:とめよう戦争への道!百万人署名運動 ちば・いちはら連絡会
(千葉県連絡会)
リポーター: M.T.さん
 この間の千葉での署名行動は9月5日,12日(県下の合同街宣),18日,26日に行いました。
 23日の全国集会を受けて,26日から「教育基本法改悪反対」の新署名がスタートしました。
 毎回は来れないSさんや,若いMさん,Nさん,Tさんが来てくれて6人の行動になりました。チラシは,百万人署名の「全国リレー派遣,行動船調達のための辺野古緊急カンパのお願い」を使い,署名集めを行いました。Sさんは1時間弱で30筆を集め用事があるので帰っていきました。
 あいにくの小雨でガード下で行っていましたが,4時近くには何とかあがり,何かいいたそうなMさん達若者が,ハンドマイクでアピールを始めました。力強いアピールで,この日は予定を30分オーバーしてしまいました。。
 署名は150筆近く集まり,反応は若い人達を中心に悪くない状況でした。

有事法制反対! イラク占領反対!
世界の戦争に反対する仲間たちと!


  <2004年9月の行動の記録 >