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過去のお話


平成19年9月12日

 今日は、夏休みの話をしよう。8/12()のことだが以前から考えていた、城跡めぐりをすることに決めた。東京23区内には、昔の城跡や砦の後がある。そこを自転車で回るのだ。調べて見ると世田谷区内には、結構城跡や砦の後があることが分かった。赤堤砦、奥沢城、烏山城、瀬田城、世田谷城、等々力城、深沢城、三宿城とあるのが分かった。しかし自転車で全部回るのはちょっときつい。これらを、直線で結んだだけで30キロあった。回るコースを組むのが難しい。烏山城だけ後回しにしてコースを組んだ。世田谷城、赤堤砦、瀬田城、深沢城、奥沢城、等々力城、三宿城というコースを組んだ。持ち物は、帽子、地図(ポケットに入る小さいやつ)、方位磁針、携帯電話、そして水は現地調達とした。装備は軽くすることに決めた。2日酔いでだるい体を引き引きずり家を出る。まずは第一の目的地、世田谷城だここは何度も行っているしこのホームページでも紹介しているので多くは語らない。つぎの目的地は赤堤砦だ。ここは実際どこにあったか判らないが、六所神社がそうではないかと言われている。世田谷城址公園を出発し、下高井戸方面に行く。しかし、ここで早くも道に迷った。今回の旅は、おおよその場所を押さえただけで、後は現地で探そうと考えていたのだ。早速地図を出す。そして携帯で現在位置を確認する。地図上では今どの辺にいるのか確認できたが、問題の六所神社が分からない。しばらく周辺をぐるぐる回る。少々挙動が不審だ。住所を頼りにさらに探す。(つづく 写真あり)



平成19年11月19日

かなり長い間サボってしまった。書きかけの世田谷の城跡めぐりの続きを書きたい。

住所を頼りに、移動する。そしてやっと見つけた六所神社。住宅街の中にありこじんまりとした神社で人気がない。平坦な地にある。何枚か写真を撮って次へ移動する。次の目的地は瀬田城跡だ。今は、行善寺というお寺になっている。六所神社から結構距離がある。途中どこをどう通ったか分からないが、方位磁針を頼りに南西方向へ走った。そして環八に出た。そして南へ走る。すると多摩美術大のそばに来た。目指す行善寺はもう少しだ。しかしここからがきつかった。起伏が激しいのだ。坂道を下りまた登る。そして行善寺が見えてきた。平坦な場所では無く高いところに城を築くというのは、理にかなっている。着いて寺の中に入り、写真を撮ったら次へ移動だ。次は深沢城だ。この城は、はっきりとした場所は分からないが、この辺だという場所へ行くことになる。分かりやすい道を行くためにまず、等々力に出てそこから駒沢方面に坂を上がった。途中道に迷ったが、目的の深沢城跡と思われる場所に着いた。坂の上にあり、今は道路と民家になっている。さて次は、奥沢城だ。九品仏にある浄真寺がそれだ。奥沢城を目指して、自転車を漕ぐ。少し道を間違えたようだ。とある十字路で地図を広げる。現在地は分かった。目的地の奥沢城も分かった。しかし、この十字路のどっちへ行けばいいのか分からない。そこで、方位磁針を取り出し地図でもう一度確認する。「よし分かった」さらに自転車を漕ぎ出した。(つづく 写真あり)



平成19年12月15日

 九品仏に向かって自転車を飛ばす。途中「禁銃猟」と彫ってある石碑を発見した。裏を見ると「明治三十二年十一月認可」と彫ってある。昔この辺で猟でもしていたのだろうか?坂道を上がると浄真寺の裏手に出た。壁に沿って表に向かう。大きな寺だ。しばらく走ると壁の向こうに土塁の跡が見えてくる。そして正面に着く。山門をくぐり境内へ。長距離を走ってきたので暑いし疲れた。ベンチに座り少し休む。汗も引いてきた。寺の境内を歩く。この寺には九体の仏像がある。それで九品仏というのか…。駐車場へ行き土塁の跡を見上げる。遠目にはそんなに高く見えないが、そばに行くと結構高い。3mぐらいあるだろう。浄真寺を後にして等々力城跡といわれる奥沢小学校へ行く。ここは田園調布に近い。そして三宿城跡と言われる多聞小学校へ行く。ここは池尻大橋付近にあり結構な距離を走る。だんだん夕暮れが近づいて来る。自転車を飛ばす。目的地付近で道に迷う。どっちへ行こうか?これだけ城跡を回ってくるとだんだん勘が働くようになる。高いところを目指して走る。ずばり的中した。ここを写真におさめ家に帰る。家に帰って足跡をたどってみるとこの日1日で36kも走っていて驚いた。(おわり 写真あり)



平成20年3月9日
 今日は、先日世田谷美術館に行ったときの話をしよう。世田谷美術館は、砧公園の中にある美術館だ。観覧料が200円と安い。なぜか急に芸術に触れてみたくなって、自転車でいけそうなところを探していたら目に付いたのだ。午後1時ごろ家を出て、ひたすら環八を目指して走る。環八に出たら、ひたすら南に向かって走る。約1時間程で砧公園に着く。大きな公園だ。世田谷美術館を探す。案内板に従って動く。砧公園の中に入っていく。天気がいい。モニュメントが見えてきた。いよいよ美術館に到着だ。当日はイリヤ・カバコフ『世界図鑑』という企画展をやっていた。しかし観覧料が1000円と高い。当日は、追悼上野泰郎展というもやっていた。こちらは200円だった。俺は、追悼上野泰郎展に入った。入口でチケットを買い2階へ上がる。展示室に入る。中に作品がある。何も無い部屋に絵が飾ってある。不思議な空間だ。人を描いているのだが、さっぱり意味が解らない。記念に写真を撮りたいのだが、撮影は禁止されている。ざっと一通り観て美術館を出た。外に出ると公園だ。天気もいいので、公園でボーッとしているほうが良かったような気もした。イリヤ・カバコフ『世界図鑑』と追悼上野泰郎展はまだ世田谷美術館でやっているので興味のある方は一度行ってみてください。



平成20年4月5日
 3月30日に友人達と花見を行った。友人の新婚さんの家に行き、その部屋の窓を開けると桜の花がきれいに見えるのだ。従ってその新婚さんの家に上がりこみ花見を行った。総勢10人を越える人数だ。さて、その日は残念ながら雨が降り出した。部屋の中だから雨は関係ない。楽しく過ごせたのだが…。なぜか俺は少しへこんでしまった。それはなぜか?俺が仲間達と計画的に花見をやろうとすると必ず雨が降るのだ。今まで○十年生きてきて計画的に花見が出来たのは、1回だけだ。あとは、たまたま花見の時期に友人と会ったので、花見をしたというのがあった。あとはことごとく雨にやられ室内で宴会となってしまった。いつになったらまともに花見が出来るのか?嗚呼悲し…。



平成20年4月20日
  今日はちょっと寂しくて悲しい話をしよう。俺が週末になると、呑みに行く下北沢のバーが今月一杯で閉店するのだ。かれこれ7、8年呑みに行っている。あのバーでは色々な出会いがあって、ずいぶん楽しめたが非常に残念だ。あの店で飲んでいた常連客の中には、来月からどこへ言ったらいいのかと悩んでいる人もいる。さて、俺はどうかと言うと、「そのうち何とかなるだろう。」と気楽に構えている。


平成20年5月4日

 今日は、4連休の二日目だ。曇っているが自転車で遠くへ行くには暑すぎずちょうどいいかも知れない。11時頃起きて食事をし、シャワーを浴びて12時ちょっと過ぎに家を出る。青梅街道を下ってまず荻窪八幡神社へ行く。静かないいところだ。そしてさらに2キロ程下って井草八幡へ行く。ここも広くて木々がうっそうとした不思議な空間だ。そして、ここから先だがひたすら南に向かって走り、多摩川に出ることにした。距離にして直線で約10キロだ。方位磁針を出して方向を確認する。南に向かって走り出した。どこだか良くわからないが住宅街をまっすぐひたすら南へ走る。住居表示を見ると久我山、北烏山、南烏山と走ったようだ。そしてウルトラマン商店街というのに出くわした。ウルトラマン商店街は、俺が行こうとしている方向に伸びている。俺は、そのウルトラマン商店街を通る。そして、小田急線の祖師谷大蔵駅を通ってさらに南へ進む。すると円谷プロダクションがあった。あいにく門が閉まっていて中には入れない。そして荒玉水道道路に出る。この道をまっすぐ行く。ここから10分程で多摩川に着いた。ゴールデンウィークとあって人も若干多いようだ。バーベキューをやっている家族連れが目立つ。また、珍しい車も捨ててある。俺は、河原へ降りる場所を探し降りてみる。人が少なく気持ちがいい。しかし、今にも雨が降り出しそうだ。河原でしばらく座って休憩する。するとぽつぽつと雨が顔にあたった。俺はあわてて河原から土手に上がり、自転車にまたがった。しかし雨は、霧雨ですぐに上がった。二子玉川方向に土手を走る。するとオートバイの音が聞こえてくる。河川敷にあるコースでたくさんのオートバイが、ジグザク走行の練習をしている。その中に白バイに乗った警官も見える。ここは警視庁の自動車練習場だった。しばらく見ていたがなかなかカッコイイ。ここでオートバイに乗っている人たちは警察官の格好をしていないが、みんな警察官なのか?さらに土手の上を自転車で走る。しばらく行くと土手の道が無くなり、土手から降りて一般の道を行く。程なく二子玉川に着いた。ここで、ひとつ迷いが生じた。それは、ここで帰路に着くかそれとも等々力あたりまで足を伸ばすか?いつ雨が降るか解らない空模様だ。帰ることに決めた。環八に出て、246号を通って三軒茶屋、そして下北沢を通って家に帰った。(写真あり)



平成20年7月16日

 先日、会社の健康診断があった。土曜日で仕事が休みであったが、サボらずに行くことに決めた。せっかく電車に乗り、出かけるのに健康診断だけではもったいない。そこで早い時間に健康診断を受け、その後どこかへ行こうと考えた。さてどこへ行くか? すぐに答えは出た。妙見島に行くことに決めた。妙見島とは、千葉県と東京都の間を流れる江戸川に浮かぶ小さな島だ。縦700メートル横200メートルで軍艦のような形をした島だ。健康診断が終わり、立ち食いそばで軽く腹ごしらえをし、電車に乗り浦安へ。そこから東京方面へ10分ほど歩くと橋がある。その橋の上に妙見島に降りる階段がある。その階段を降りて島に上陸だ。階段を降りると、島のメインストリートだ。そこに地図があった。えらく単純な地図だ。道路は一本、あとは全部工場の様だ。ところが一瞬目を疑うものが目に入った。ラブホテルだ。こんなところにまさか? あとで検証してみよう。(一人でどうやって検証するのか?)俺は、ホテルにかまわずメインストリートを歩く。メインストリートはトラックが通っていて危ない。メインストリートの横にある歩道を歩いた。人は俺一人しか歩いていない。あと目にする人といえば、工場の入口にいる警備のおっさんだ。とてもいい天気だ。太陽から逃げる場所が無い。途中で買ったペットボトルのお茶を飲む、こんなときはお茶より水の方がいい。ちょっと失敗した。さらに歩く。ヤマハのマリーナがあった。工場群の中にあってちょっと雰囲気が違う建物だ。さらに歩くとマンションが見えてきた。この島には住人はいないと思っていたのだが…。どうやら工場の敷地内にある。従業員宿舎のようだ。そして小さな妙見神社がある。そこから3分も歩くと終わりだ。俺は来た道を戻る。そしてラブホテルの検証だ。ホテルの前に立ち建物を観察する。挙動不審だ。やっぱりホテルに見える。そしてその隣には食堂があった。夜は居酒屋か? だけどシャッターが閉まって錆びている。今は営業していないのだろう。そこから少し歩くと地図に無い道がある。俺はそこへ入っていった。メインストリートとは反対側にある。なんとなく昭和のにおいがする。少し歩くとその道も行き止まりになった。また来た道を戻り俺は帰路に着いた。(写真あり)



平成21年1月1日

 明けましておめでとうございます。ずいぶん更新をサボってしまいました。まめに更新できるように頑張りたいと思います。さて、新年の第1回目は、去年の夏8月14日に江戸城へ行った時の話をしよう。

 江戸城といっても皇居東御苑だ。ここに昔の江戸城の天守台等が残っている。この日、俺は墓参りに行った。その帰りに東京駅で降り竹橋方面に向かって歩いた。非常に暑い日だった。竹橋付近にある平川門から入った。門のところには、皇宮護衛官が立っている。俺は中に入るのに手続きがいるのかと思い聞いてみると、門の中に入ってその先に案内所があるので、そこで入場券をもらえばOKと言うことだった。俺は門の中に入り、券をもらい中を歩く。目指すは天守台跡だ。江戸城が建っていたのは徳川300年の内、20年程なのだ。ほとんどの期間天守閣が無い状態だった。今は天守台だけが残っている。中を歩いて行くと、程なく天守台跡に来た。石垣が白くきれいに積んである。そして非常に大きい。この天守台の上に建っていた江戸城の大きさが偲ばれる。天守台の上に上がることが出来る。天守台の上はアスファルトで舗装され、ベンチが置いてある。暑すぎて誰も座っていない。アスファルトで覆われていない箇所がある。その中に階段が見えた。小さくて急な階段だ。将軍や大名達はこの階段を登ったのだろうか?さらに歩くと、松の廊下跡とか、番所の建物等が残っている。興味のある方は一度行ってみるといいと思う。ただし暑いときと、寒いときはやめたほうがいいかも知れない。過ごしやすい季節に行くと気持ちいいと思う。(写真あり)



平成21年4月8日

 久々に書く。今日は、先日(4月4日)決行した花見のことについて書こう。今年も去年の花見と同様、窓から桜の花が見える友人宅で行った。午後12頃からだらだらと時間に制限無く続くのだ。その日俺は、世田谷美術館に行き平泉展見てから行ったので、午後3時ごろから参加した。世田谷美術館の話は、後日にしよう。その日も10人を越える人数が集まった。俺は、飲んで疲れたら寝て、また起きて飲んでの繰り返しで朝を迎えてしまった。
俺は、花見に関してひとつだけ不安があった。それは、計画的に花見をしようとすると、雨に降られてまともに花見が出来たことがほとんど無かったのだ。去年もそうだった。今年はどうか? 今年は、雨に降られず昼間は、いい日和になった。夜、少し降ったようだが全然影響を受けず満足の行く結果だった。




平成21年4月29日

 今日は、先日(4月4日)に世田谷美術館に行ったときの話をしよう。この日は、世田谷美術館で特別展「平泉」というのをやっていた。4月のなかばには終わってしまうので、少々あせっていた。この日は花見の約束もあったので、11時前に家を出て荒玉水道道路を環八まで走り、環八をひたすら真直ぐ南下した。当日は天気が良く、環八も渋滞している。30分程で砧公園の中にある世田谷美術館に着いた。花見客もいて公園内は、結構混んでいる。俺は目的の特別展を見るために美術館に入る。結構人がいる。前回来たときとは大違いだ。
 さて、展示物はというと、仏像の類が多い。かなり古く手が朽ちて無くなっていたりするものも少なくなかった。見に来ているお客さんは、お年寄りが多かった。写真を撮れれば良かったのだが、あいにく撮影は禁止されていた。1時間ちょっと観覧し、俺は花見に向かった。




平成21年7月3日

 久しぶりに書く。今日は先日行った釣堀の話をしよう。その日は、朝から激しく雨の降る日曜日だった。メンバーは、俺がよく飲みに行く飲み屋の連中だ。俺も含めて7人だ。杉並区内にある和田堀公園内にある釣堀に行く予定だったが、前日から天気を気にしていて、雨が降ったら三軒茶屋の屋根つきの釣堀へ行こうということになっていた。従って、三軒茶屋まで出向いていった。11時に開始。この日は、7人で何匹釣れたかを競う。そして下位4名が、上位3名に昼飯を奢るというのだ。俺は、釣り自体30年ぶりだ。釣堀に至っては35年ぶりだ。子供のころ行った釣堀はあまり釣れなくて、つまらなかったのを覚えている。それに俺は、釣りの餌に触れないのだ。だから釣りには何十年も行ってなかった。しかし、釣堀だと練り餌なので、餌に触れないという問題は起きない。さて、プレイ開始。俺は、始めの方はいいペースで釣っていたが、途中でペースダウン。隣のお節介おやじが、やたらアドバイスをする。そのアドバイスを聞いたら釣れなくなった。「おっさん早く帰えんな。」俺は、心の中で叫んだ。結局1時間半やって10匹。第5位ということで、昼飯を奢ることになった。



平成23年3月21日

久しく更新をしていなかったが、先日同窓会にてK.I君がこのホームページの熱烈なるファンで、日々更新を待ちわびているということで、「早く更新をしてくれ」と熱く要望されました。「うん。わかった」と返事をしてしまったので、初心に帰りパソコンの前に座りました。

さて、今日は、先日(3/19)に天気もいいので、ぶらりと駒沢公園まで自転車で行ってみた。中央広場でボーッとしていたら、目の前で凧上げをしているアベック(最近はカップルというらしいが古い奴なのでアベックで行く)がいた。男の方が女の方に上げ方を教えているのだが、あまりにもへたくそだった。しかし、だんだんと上手くなって何とか上がるようになった。風も南からちょうどいい風が吹いている。どんどん高く上がっていく。「よく上がっているな〜。こんな時、糸が切れたら面白いだろうにな〜。」と人の災難に思いをめぐらせていた。さらにどんどん上がっていく。糸の長さが5.60ートル位になったであろうか。そのときである。アベックに悲劇が襲いかかった。高く上げすぎて、くるくる回る糸巻きの糸がなくなり、凧が風に流されていってしまったのだ。男の方が糸を掴もうとして追いかけるが届くわけがない。凧は、数十メートルの長さの凧糸とともに、遥か彼方へ飛ばされ、大きく西のほうに流され電線に引っかかり、はかなくゴミとなった。さて、アベックの方だがなす術もなく、駅のほうへしょぼくれて歩いていった。



平成23年4月4日

先日、あまりにも天気がいいのであてもなくぶらっと自転車で出かけてみた。まず、人気のない住宅街を走り、青梅街道に出て荻窪八幡へ行く。人気のない境内が非常に落ち着く。ベンチに座ってしばらく休んでいた。アレルギー性鼻炎の薬を飲んだせいか、座っているうちに、うとうととしてしまった。しばらく休んで、南へ向かって走り出した。目指すは、玉川上水だ。この日は地図とか持たずに、頭の中のぼんやりとした地図だけで走っていた。南へ走り、井の頭線の久我山駅を目指す。久我山駅まで行けばもう一息だ。久我山駅から南へ延びる商店街を真っすぐ行くと玉川上水に着いた。玉川上水は、鬱蒼として、自然が残っていて気持ちがいい。玉川上水に沿って環八に向かって走る。ところどころ花が咲きかけている。中央高速が見えてきた。もうすぐ環八だ。次の目標は、上北沢駅だ。中央高速に沿って、その下の一般道を走る。すると、大きな敷地の中に廃屋がある。これは何だろう。壁の隙間から中を覗く。一体何だろう?に沿って自転車を走らせてみた。正面の入口に来た。紙が貼ってある。どうやら中央卸売市場があったらしい。今後の使用方法として給水場にする予定のようだ。さらに自転車を走らせる。上北沢駅に来た。小さな田舎の駅といった感じだ。下北沢駅とは直線で4、5キロ離れている。下北沢駅とは、似ても似つかない感じの駅だった。駅横の踏切を渡ると目についたのは、並木道が目についた。そっちの方向へ走ってみる。約300メートルほど走ったら並木道も終わった。ここからは、進路を南東方向にとり、羽根木公園を目指す。途中どこをどう通ったか知らないが、日大文理学部の前に来た。どうやら入学式をやっているようだ。さらに走ると、東急世田谷線の松原駅に着いた。なんとなく現在位置がわかった。もう少しだ。10分ほど走ると、羽根木公園に着いた。桜のつぼみが少し膨らみ、花が開きそうな感じだ。いい加減腹が減ったので、羽根木公園のそばで環七沿いにある知り合いのラーメン屋で、味噌ラーメンを食べて帰路に着いた。今日の走行距離は、約20kmだった。(写真あり)



平成23年5月22日

今日は、震災の傷跡について書いてみたいと思う。3月11日に大震災が来て東北地方の太平洋側は、壊滅的な状況になった。東京でも亡くなった方がいてニュースになった。そんな中で、ニュースにならない被害がけっこうあった。下の写真は、4月の上旬に撮った写真である。今は修理されて元に戻ったが、日本は地震の国なので、十分気おつけていただきたいと思います。




平成23年8月21日

 ちょっと更新をサボってしまった。今日は、横浜赤レンガ倉庫へ行った話しをしよう。行ったのは昨日だ。横浜赤レンガ倉庫で「横浜赤レンガ倉庫創建100周年 夏イベント」というのをやっている。〜横浜港の海水で創られる、夏限定の水辺空間〜と題してバーが併設されている。そのバーは、俺の友人が働いている会社が、催事のテナントとして出店していたのでちょっと遊びに行ってみた。午後4時過ぎに家を出た。渋谷へ出て、東横線に乗った。横浜赤レンガ倉庫へは、みなとみらい線の馬車道という駅で降りて徒歩10分足らずで着く。東横線で横浜へ行くのは20数年ぶりだ。みなとみらい線とは何者だ?といった感じだ。特急に乗ってしまうと30分から40分で馬車道駅に着いた。意外と近い。駅前は人気がなく寂しい。地図を見ながら赤レンガ倉庫を目指す。すぐ赤レンガ倉庫が見えてきた。遠目には古い倉庫というよりも、テーマパークのように見えた。赤レンガ倉庫の広場を目指して歩く。すると、南国を意識した一角があった。飲み物が売っている。多分ここだろう。友人を探す。簡単に見つかった。声をかける。少しはなしをした後、ビールと軽い食事を買って席に着き飲み始める。友人もそばに来て、仕事中なので酒は飲まないが話に付き合ってくれた。時々霧雨模様になったが傘を差すほどでもないので、そのまま話しながら飲み続ける。ビールのお替りをもらう。日がとっぷりと暮れ倉庫がライトアップされる。天候が悪いのでお客さんもちょっと少ないようだ。もう少し熱ければビールももっと進むだろうにと思った。1時間ちょっとそこにいて帰路に着いた。馬車道駅に向かって歩く。右手に高層ビルと、電飾に彩られた観覧車が見える。最後にこれを写真に撮り帰った。(写真あり)



平成24年1月22日

 今日は、今年の初詣にいったときの話をしよう。俺は混んでいる場所が嫌いなので毎年三が日が過ぎて落ち着い頃に初詣に行っている。しかし、今年はなぜか三が日のうちに行きたい衝動に駆られた。しかし3が日は混む。そこで考えついたのが、早朝作戦だ。朝早く起きて行けばすいているだろう。自転車に乗って朝から神社仏閣周りを敢行することに決めた。コースとしては、我が家の近くにある、妙法寺から熊野神社、大宮八幡、そして善福寺川をひたすらさかのぼって井草八幡、そして善福寺川の水源である善福寺池に行き、青梅街道を通って荻窪八幡そして我が家へ9時か9時半頃に戻ってきたいと考えた。すると、朝6時頃家を出なければ間に合わない。実施日は1月3日と決めた。前日は早く寝て、5時20分頃起きてシャワーを浴びて6時10分頃出発した。寒さ対策も万全だ。まだ、日の出前で真っ暗だ。まずは妙法寺へ向かう。近所なのですぐに着いてしまった。まずここでお参り。目論見どおり人が少なくてすぐにお参りができた。次にそこから自転車で3分ほどのところにある熊野神社へ行った。ここも人が少ない。「よしよしいいぞ」次は、大宮八幡だ。善福寺川へ出て上流に向かって走る。ここも人が少ない。そろそろ日の出の時間だ。だいぶ明るくなってきた。お参りを済ませ善福寺川に出てひたすら上流に向けて川沿いをひた走る。五日市街道に出くわすとそこにミニストップかあった。肉まんと暖かい缶コーヒーを購入してしばし休憩。小腹が空いていたし寒かったのでちょうどいい。10分程休んでまた出発。もう7時を回っている。日の出の時間も回ってかなり明るくなってきた。再び善福寺川沿いをひた走る。環状八号線に出た。まだ先は長い、ひたすら走る。このあたりは川沿いに緑は少ない。川の周りは住宅ばかりだ。20分から30分走ると中央線の鉄橋が見えてきた。この下をくぐり、上流に向かって走る。さらに10分ぐらい走ると川沿いの道が塞がってる。ちょっと川から離れ迂回しまた川に戻る。遠くに井草八幡の森が見えてきた。もう少しだ。ここで川から少し離れ井草八幡へ向かう。5分ほど走ると井草八幡だ。自転車を置いて参道を歩く。長い参道だが気持ちいい。今の時間は、7時50分。人が少し増えてきたようだ。しかしまだ人が少なく落ち着いてお参りができる。お参りを済ませ善福寺池に向かう。自転車で5分とかからない。早朝の善福寺池も人が少なくて落ち着いている。池のほとりをゆっくりと散歩する。ちょっと寒いが気持ちがいい。池の周りを1週したら青梅街道に出て、荻窪八幡へ向かう。10分程走ると荻窪八幡だ。ここも朝早いということで、人が少ない。ここでお参りを済ませ自宅へ向かう。ここからだと30分ほどだ。家に着いたのは9時をちょっと回ったあたりだった。今日の作戦はうまく行った。この日の走行距離は約19kmでした。(写真あり)



平成24年2月19日

今日は、11日土曜日の話をしよう。この日は六本木に用があり六本木まで約10kmを自転車で行くことにした。途中、明治神宮でお参りをした。北参道に自転車を止め、本殿に向かって歩く。原宿から行くよりも人が少なく、ゆっくりと気分良く歩ける。ここでひとつ気がついたことがある。ボーイスカウトの格好をした人がやけに目立つ。何かあるのかなと思いながら歩く。鳥居をくぐり、神楽殿の前を通って本殿に向かう。「本殿の前で何かやっている」写真を見るとわかるが、マーチングバンドみたいな格好をして整列している。俺はお参りがしたいのだが、人が多くて歩きづらい。先を急ぐのでお参りを済ませて、その場に長居しなかった。何が始まるか見たかったのだが仕方が無い。あの後何が始まったのかいまだにわからない。




平成24年3月11日

 今日は、3月11日。1年前の今日は大地震があった日だ。今日の話しは地震とは全く関係ない。今日は、我が家の近くにあるお寺の話しだ。俺の家の周りにはお寺が非常に多く、それにしたがって墓地も多い。俺の家は墓地の隣だ。最近年をとったせいか、神社仏閣に足を運ぶのが好きになってきた。先日、我が家から歩いてすぐのお寺に行ってみた時の話しをしよう。そのお寺は真盛寺という。俺はその前を通るたびに、中はどうなっているのか気になっていた。この日はいい天気だ。家を出てすぐに着いてしまった。歩いて山門をくぐる。中に人気はない。広い境内に俺一人だ。不審者の様に見える。面倒くさい事になるといやなので写真を撮って、とっとと帰ることにした。せっかくだから帰る前にお賽銭を投げて手を合わせて帰ろうと思ったのだが、どこで拝めばいいのかわからない。お寺にも色々ある。ビルのようなお寺があったり、山門も有ったり無かったりする。境内を見回して隅の方にお堂が見えた。賽銭箱がある。そこで手を合わせ立ち去った。




平成24年5月3日

「七重八重 花は咲けども 山吹の実の一つだに なきぞ悲しき」今日は、いきなり古い歌から始まってどうしたのかと思った人もいるだろう。この歌は後拾遺和歌集で兼明親王が歌った歌である。

太田道灌をご存知であろうか? 江戸城を作った人である。この道灌が外出した際に、突然のにわか雨に遭い農家で箕を借りようと立ち寄った。その時、娘が出てきて一輪の山吹の花を差し出した。道灌は、蓑を借りようとしたのに花を出され内心腹立たしかった。後でこの話を家臣にしたところ、それは後拾遺和歌集の「七重八重 花は咲けども 山吹の実の一つだに なきぞ悲しき」の兼明親王の歌に掛けて、山間(やまあい)の茅葺きの家であり貧しく蓑(実の)ひとつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えたのだと教わった。この話の現場と言われている場所が意外と近くあった。そこは、都電の面影橋駅からすぐのところだ。これは早速行ってみなければならない。行った日は4月29日だ。この日は天気が良く出かけるにはちょうど良い。10時40分頃愛車(自転車)にまたがって家を出た。途中中野で床屋へ行く。カットだけなので、10分程で終わってしまった。ここからは東に向かって走り、神田川に出たらば川沿いに走れば面影橋に着く。中野からどの道を通ったかわからないが、東へ向かって走り出した。どこを走っているのか見当がつかない。ただ東に向かって走っていることだけは間違いない。するとJR中央線の線路沿いに出た。この線路沿いに走れば間違いない。少し走ると東中野駅へ出てさらに走ると神田川に出た。後は川沿いに走れば良い。川沿いの木の若葉が気持ちいい。しばらく走ると川沿いの道がなくなり川沿いに走れなくなった。住宅街のよくわからない道を走ると、新目白通りに出た。ここをまっすぐ走れば面影橋に着くので楽だ。明治通りに出た。都電が走っている。もうすぐだ。なぜか機動隊員の姿が目に付く。なぜだろう? 何かあるのか? まあ俺には関係ないか…。程なく面影橋の駅が見えてきた。もうすぐだ。面影橋駅の前にある神田川の橋を渡るとすぐだ。「あった」とある会社の工場の入口に記念碑があった。雑草に囲まれてちょっとわかりにくくなっているが簡単に見つけることができた。この伝説の地は、関東地方のあちこちにある。本物はどれかわからないが、この場所は江戸城からも近く太田道灌もこの辺りをよくうろついたのではないかと思う。写真を撮る。ちよっと挙動不審だ。機動隊員がウロウロしている。職務質問をされる前に用を済ませて帰ることにした。帰りは新目白通りを通り早稲田通りを通って中野を経由して帰った。走行距離は約16kmであった。(写真あり)