文学的表現に基づく「彼」の考察





この考察を全ての大罪者に捧ぐ。





 この考察は、事実に忠実に基づいており、偽りもなく全ての比喩的な表現に誇張は全くない。この論文を読んだ読者が、仮に随所に表されている表現を大げさなものと解釈したならば、事実は更に奇なるものであるという再解釈を願わずにはいられない。


 私は三度目の「つかれた」を聞くことができなかった。





   一、先生と私

 私は彼を常に先生と呼んでいた。彼ほど純粋でまた悪意に満たされ、何人をもその狂気の世界に引きずり込んでしまう人物に、いまだかつて私は出会った事がない。彼という人間は(人間かどうかは定かではないが)、魔術のような特有の技法を用い、いや、こう述べると彼の行為が故意的であるような印象付けがされてしまうので、言い換えれば、天然的で先天的に、そして無作為にかもし出す彼の自然な行動そのものに一瞬でも触れてしまった人々は、天使か悪魔に心の隙間を見出された時のように、瞬間的な永遠を垣間見る事になるだろう。いや、実は、心の隙間を見られてしまったのは彼自身である事を、彼以外の人々は知っているに違いない。つまり彼にとってみれば、天使であり悪魔であるのは私たちの方であり、その事は無情で矛盾だらけのこの浮世において、誠に真実であるという悲しい事実を、受け入れる事ができずに、私たちは彼のような罪のない者を軽蔑し、迫害し、除外し、無視し、忘却し、無意識の内に閉じ込めてしまっている。そしてその大罪を認める事もできずに、それどころか見ようとも知ろうともせず、何の意味もない時間の流れの中に葬り続けている事すら、感知しない。
 今、その大罪を犯そうとしている私の「意識」という氷山の頂上で、無表情な微笑みを浮かべている彼が溶けてしまわないうちに、私の経験の一部始終を告白しよう。





   二、出会い

 私は彼を常に先生と呼んでいた。なぜかと言えば、驚くなかれ、彼が先生だからである。正確に言えば将来的に先生であるという事になるが、いや、それは無理な話であろう。そう、私たちが大罪を犯し続ける限り…。
 私がうかつだったのは、機会があったにもかかわらず、彼の名前を知ろうともしなかった事だ。その時の私は、あまりの彼の変人さに圧倒されていたし、「名前」という表面的なものを心のどこかで無意味な虚像としか思えず、知ろうとすること自体否定していたのかもしれない。ただ、彼の本質を知ってしまった今となれば、少しの注意・関心さえあれば記憶できたであろう彼の名前を、探る事を忘れてしまった事に後悔をしているのは事実である。故に、私は彼を常に先生と呼んでいた。
 私が彼をはじめて見てしまったのは、彼に瞬間的な永遠を体験させられたあの日から、一月半ほど遡る平成一一年五月二七日、春の日の一部分であった。私は待っていた。ひどく苛立ちながら待っていた。教員採用試験受験申込書を提出するのを待っていた。その私を待っていたのは私の母親であった。
 その日、私は申込書を提出する為に母親といっしょに当局に向かった。しかし書類に間違いがある事に途中で気が付き、一度自宅に引き返した。それが運の尽きであった。引き返しさえしなければ、彼に会うことは全くなかったのだ。そして当局につき、申込書を提出する部屋へと向かった。部屋に入ると想像以上に人がいて、「これは時間がかかるな」と既に私の中にいやな予感が芽生えていた。そして待ち椅子に座り、提出する順番が来るのを待つことにした。その時何気なく私の目に入ってきたのは、三列程前に座っていたある男の後ろ姿だった。それが彼であることをその時の私は知るよしもないが、その男のめがねが印象的だったのだ。めがねの後ろをゴムバンドでつないでいたのだった。頭は坊主、ゴムバンドめがね、見方によっては最近の流行的な青年である。しかし、なぜか、ただならぬ違和感がその男の周辺に漂っていた。
 申込書のチェックは三人の監督官によって行われていた。そのまま順調にゆけば、二、三十分ほどで私の順番が来ることを方程式によってはじき出していた私は、母親の待つ外の方を見たりしながら、静かに座っていた。そしてふと前を見ると、三人ずつ循環しているはずの入れ替えが、二人ずつしか行われていないではないか。一番左側の男だけ、ずっと席を離れようとしていなかったのだ。ゴムバンドだ。あの印象的だった男がなかなか申込書のチェックを終わらせることができないようだ。監督官に対してタメ口をたたき、よく見ると体の動かし方も人間ではないようだ。その男ひとりの為に、せっかくはじき出した方程式の解も無駄になり、後どれくらい時間がかかるのかわからなくなってしまった。私は便所に行く振りをして、母親のところにいったん戻った。そして一人の男の為に遅くなりそうなことを告げ、ついでに一服してから部屋に華麗に舞い戻った。
 男はもういなかった。ほっとした私は、再び静かに順番を待っていた。ついに最前列に移動した私は、やっと申込書が提出できそうなことに安心を抱いていた。しかしその時であった。ゴムバンドが舞い戻ってきたのである。そしてまた一番左の席に座り、監督官とタメ口を聞き出した。しばらくしてやっとゴムバンドは去り、私の方も申込書を提出した。しかしゴムバンドが部屋から出て行く時の絶望的なその表情は、私の精神の一角に刻み込まれていたのかもしれない。
 そして母親とともに、春の日の一部分を駅の方に向かって帰っている時、私たちの横をまた絶望的な顔をして彼は歩いていた。そんな彼の姿を、もう一度見ることになるという運命を予感しうる術など、その時の私は持ち合わせていなかった事は言うまでもないので、書いたのである。





   三、再会

 運命の日、七月十一日、やはり春の日の一部分であった。雨であった。その日の運命の壮絶さを物語るような激しく、大した事のない雨であった。八時二十分に受付が終了して、試験会場は静まり返っていた。教室にはまばらに席の空いているところがある。競争率が若干でも下がるということを物語っている。しかし、試験に来ないくらいであるから大した人物でないのも事実である。私のすぐ前の席も空いていた。私の受験番号は〇〇七五番で、その教室は〇〇七一番から着席しているから、私の席は一番右の、前から五番目である。私の前の〇〇七四番の席が空いていて、その前に三人の受験生がいたが、前に一人いないだけでも試験監督からはよく見えて、あまり居心地が良いとは言えない。試験の説明が八時四十分位に行われ、必要提出書類が各自に配られてからしばらくして、突然に私の前の席に受験生が現れた。遅刻である。私は半分同情しながら、その〇〇七四番の受験生が少々焦りながら着席するのを目の前に見た。私が自身の目を疑った事を自覚するよりも早く、まるでこの現実がデジャヴーのようなある種幻想的な出来事であるかのような感覚の中で、その受験生の後頭部は、私の心の記憶を司る部分に一滴の生暖かいアドレナリンを注射した。その一滴はたちまちの内に身体全体へと充満し、百八十度まで見えるはずの人間の視界は、一瞬、角度を形成しないただの線上になってしまう事を私は思い知らされた。
……ゴムバンドである! 彼である! 顔を見なくとも、その後頭部だけで彼が彼であるという判断は容易だった。
 彼は私の直前の受験番号だったのか。一月半前の五月二七日、はじめて彼を見てしまったあの日、彼の申込書が段ボール箱に入れられた直後、私のが…偶然にも彼の真上に置かれたというのか。何という偶然であろう。私が書類の間違いに気づいて自宅に引き返し、彼が申込書のチェックを終わらせられずに要した時間が偶然となり、この連番を招いたのである。
彼はその後も、一つ一つの全場面において、様々な瞬間的な永遠を私に見せ付けて来るのである。





   四、一時限目の場面

 一時限目は教職教養試験であった。試験中、私は彼の事など気にせずに手元の問題に熱中し、一時間二十分という試験時間はまさに瞬間的であった。試験終了の合図がかかり、受験生はそれまで忙しく動かしていた右腕を、中には左腕や両腕の者もいたかもしれないが、一斉に止めた。そして問題用紙の上に解答用紙二枚を重ね、試験監督が集めに来るのを静かに待つようにとの指示がされた。試験監督は私の列の最前から用紙を回収しだした。〇〇七一、〇〇七二、〇〇七三と順調に回収が行われた。そして〇〇七四、つまり彼のところに試験監督は来た。その時である。彼が私に瞬間的な永遠を見せ付けてきたのは…。彼は用紙を支持通りに重ねていなかったのである。試験監督は不機嫌そうに彼の用紙を回収していた。
その時の私は、もう彼のそのような行動に慣れてきてしまっていた。私は大罪を犯しはじめていたのだ。





   五、二時限目の場面
 二五分の休憩を経て行われた二時限目の専門教養試験は、時計の針は長針も短針も一二のところを指した時、終了の合図がなされた。先ほどの要領で用紙の回収が行われようとしていた。マークシートで行われたその試験を、私はちょうど時間内で終了させることができた。心に余裕のあった私は、ふと彼がどんな答えを書いているのかと覗いて見た。彼は問題全部を解答しきれていなかった。よく見えなかったが、少なくとも最後の四、五問は未記入であった。私はまたもや半分同情した。すると何たることか、彼はまだ鉛筆でマークシートに記入を続けていたのである。試験監督はもう、回収をはじめている。私は他人事ながらハラハラしていた。〇〇七一、〇〇七二、〇〇七三、そして〇〇七四。それでもなお、試験監督が回収に来てもなお、彼はその手を止めなかった。試験監督は不機嫌そうに彼の用紙を回収していた。彼には、罪の意識はなかったろう。罪という概念をを知らない彼は、天使の姿を身にまとい、しかし行為そのものは悪魔的であった。
 その時の私は、無作為にかもし出された彼の自然な行動そのものに触れてしまい、天使か悪魔に心の隙間を見出された時のように、瞬間的な永遠を垣間見ていた。





   六、昼食休憩の場面

 昼食時間になり、彼は言った。「つかれた…」と。





   七、運動能力テスト待ち時間の場面

 午後に行われた運動能力テストは、毎年のことながら多大な時間を要する。運が良ければ順番がすぐ来るのだが、私たちのクラスは大分待たされた。ボーッとしている者、寝ている者、たばこを吸いに行っている者、様々である。彼は寝ていた。相当疲れていたのであろう。
 一時間ほどが過ぎた時だった。彼の色白い左腕に、一匹の蚊がとまった。私の心は躍りはじめた。「これは面白いものが見れるぞ。いい暇つぶしにもなる。」私は蚊を払ってやろうなどとは、これっぽっちも思わなかった。既に私は大罪の常習犯であった。私はまばたきもせずに彼が蚊に血を吸われていく過程を見守った。彼はいつ、かゆくなって蚊を取り払うのだろう。彼の血は果たして赤いのだろうか。私はそんなことを考えながら、もし彼の血が青かったら、彼が悪魔であるという証拠を握ることになるからといって、裁判所に訴えようとは思わなかった。
 五分くらい過ぎたであろうか。いや、きっと実際は三分くらいだったのかもしれない。しかしまばたきもせずに見ていた私にとっては、とても長い時間に思えたのだ。なんと彼はそのまま動きもしなかったのだ。かゆくなかったのであろうか。それだけではない。ふつう、蚊は血を吸うと腹が血で赤くなる。しかしその蚊は、赤くなっていなかった。血が青いどころか、天使であり悪魔でもある彼には血が通っていなかったのである。異論なし正論である。
 その時の私は、いうまでもなく、彼が天使であり悪魔であることを思い知らされ、彼の狂気の世界に引きずり込まれてしまっていた。





   八、運動能力テスト鉄棒の場面

 体育館に移動した受験生は、そこでもしばらく待たされる。私たちは五人ずつの列に並ばされ、前のクラスがテストを終了するのを座って待っていた。もちろんその時も、彼は私のとなりにいた。彼はきちんと場所を詰めて座っていなかったので、一番端に座っていた私は、一人だけ列の枠からはみ出してしまっていた。私は彼を恨みながら、他のクラスのテスト風景を眺めることにした。テストは鉄棒テストと縄跳びテストである。私たちの前では、鉄棒テストが行われようとしていた。まず、体育教師から模範演技が披露される。体育教師は華麗に見本を見せていた。鉄棒テストの内容は次の通りである。
  一、 まず逆上がりで鉄棒に上る。
  二、 次に下におりないまま、後方回転をする。
  三、 そして最後に、下におりないまま前方回転を二回する。
 この内、三には注意事項が付され、前方回転は連続で行わなくても良いという説明があった。つまり、一度止まって一息ついてからもう一度回転すれば良いという事である。連続でできる者はやっても構わないが、評価の対象にはならないらしい。
 鉄棒テストに関するこの様な説明と共に行われていた体育教師の模範演技が終了すると、受験生から盛大な拍手が起こる。この拍手は社交辞令であり、毎年受験生に課せられた義務のようなものだ。体育教師なのだから、それくらいの鉄棒ができて当然だ。私にだって軽くできる。しかし私は、しょうがないから拍手をしてやった。その当たり前の華麗なる模範演技を見た彼は、ため息をつきこう言ったのだ。
「ハァー……。これは受からないナ…。つかれた……。」
 彼がこの試験に「受かりそうもない」と思った理由は、鉄棒ができそうもないという事の他に、「つかれたから」という理由があったのである。
 そしていよいよ私たちの鉄棒テストの順番がやってきた。〇〇七一、〇〇七二、〇〇七三…。そして彼である。彼はまず、鉄棒テストの試験監督に挨拶を忘れなかった。その挨拶とは、それまでの彼からは想像もつかないほどの素晴らしいものであった。
 「受験番号〇〇七四番、○○○○と申します。」
 私がうかつだったのは、機会があったにもかかわらず、彼の名前を知ろうともしなかった事だ。彼は鉄棒に向かっていった。よく見るとパンツが少し見えていた。
 私は、鉄棒の華麗な模範演技を見て絶望していた彼に、またもや半分同情をしていた。彼はどれくらい鉄棒ができるのか。もしかしたら逆上がりさえもできないのではないか…。彼は…すると彼はビュンビュンとぐるぐる鉄棒を回りだした。体育教師顔負けの華麗さである。こんどの試験監督は機嫌がよさそうにうなずきながら、彼の華麗な鉄棒を拝見していた。しかしその華麗さも、彼の行為としてみてしまうと、変人がぐるぐる回っているようであった。いずれにしても、私は彼に半分でも同情していた事を裏切られたような気がしていた。そして最後の前方回転を二回する場面になった。
 グルン グルン うっうっ……ウー。
 何と彼は、できもしないのに前方回転を連続でやろうとしてしまったのだ。そのおかげで、二回目の回転に失敗し、下に落ちてしまった。そして彼はつぶやいた。
「できなかった…。」
 連続でやろうとさえしなければできたものを…。たとえ連続でやって成功したとしても、評価の対象にはならないというのに…。しかも彼は、なかなか落ちようとせず「うっうっ」とふんばって、その醜態をさらけ出していた。今度こそ、私は再び、いや半分以上、彼に同情せずにはいれなかった。





   九、運動能力テスト縄跳びの場面

 最後の試験は縄跳びであった。一秒間に二回の割合で鳴るメトロノームに合わせて、四分間縄跳びを跳び続けるというものである。跳び方は自由である。いくら彼でも後ろ跳びなどという跳び方で跳んだりはしまい。成否の判定は、二回の失敗までは許され、三回目の失敗で失格となる。本番に入る前に、二十秒間だけ練習が行われる。この練習は、縄の長さを確認したり、メトロノームのテンポを体感したりする為のものである。今度は三人ずつに列をつくった。またもや私の前に彼はいる。
 二十秒間の練習が始まった。  ピッピッピッピッ…。
 私は本番に備えて、二、三回跳んで止めた。彼は…彼はまだ跳んでいる。それも一生懸命である。しかも先程までは少ししか見えていなかったパンツが、今度は半分ほど見えている。と、私の同情が四分の三程に上昇しようとしているその時!
 一気に彼のズボンが足首にまでズリ落ちたのだ。それでもなお、彼は跳び続けた。天使だからなのであろうか。たとえ本番であっても、普通の人間であればズボンを上げようとするであろう。別に跳ばなくても良い練習であるにも関わらず、パンツ姿のまま、彼はきっかり二十秒間縄跳びをやってのけたのである。目の前で起こっているその情景を目の当たりにして、私の彼に対する同情はラウドネスの壁を越え、はるかな無限の空間へと上りつめるはずであった。ところがその時の私には、既に彼に対する興味・関心がなくなっていた。特に可笑しくもなく、周りの人々が彼をどんな目で見ているのかを確認することもなく、ましてや、彼に対する同情など、もうなくなっていた。つまり私は彼のような罪のない者を軽蔑し、迫害し、除外し、無視し、忘却し、無意識の内に閉じ込めようとしていた。そしてその大罪を認める事もできずに、それどころか見ようとも知ろうともせず、何の意味もない時間の流れの中に葬り続けている事すら、感知していなかったのかもしれない。試験監督は彼に言った。
 「君は再検査だ。」
試験監督は、彼に出会ったばかりだ。彼を軽蔑することをし始めたであろう。そしてその後、大罪を犯していくことになるのである。縄跳びを天使のように飛び続けた彼は、出会う人々に対して軽蔑心や迫害心を植え付け、大罪を犯させる悪魔の使命を果たし続けるのである。





   十、春の日の一部分からの帰還

 彼によって瞬間的な永遠の大罪を着せられた私は、豪雨の中、祭りが始まろうとしていた春の日の一部分で迎えの車を待っていた。その間、彼のことは頭になく、まさに「忘却」という大罪の犯行中であった。迎えの車の中で、私は彼との一部始終を思い出せる限りにおいて話していた。その時の私は、自らの大罪を見ようとも知ろうともしていなかった。私たちは彼を大いに嘲笑していた。
 私たちが笑っている時、彼は必死に縄跳びをしていたのであろう。別にやらなくても良い二重跳び、いや、後ろ二重跳び、さらに難易度の高い「はやぶさ」までやり、そのおかげで三回目の失敗をして絶望的になっていた事であろう。そして彼は最後にこうつぶやいたに違いない。
 「つかれた…」。





この考察を全ての大罪者に捧ぐ。

平成十一年七月十七日




   あとがき

 その後の考察によると、彼の名前として最も可能性の高いものは、「箕○ ○」である。



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