chapter-01 二等大路第一類第一号 浦和停車場西口線 
[2005.07/2009.03改]

■ 最初の都市計画道路 ・・・・・
   埼玉県庁南側の歩道を西に進むと、国道17号交差点の手前で急に狭くなっているところがあります。 県庁の敷地が道路側に飛び出して、歩道を狭くしているように見えますが、実はこの狭い部分は道路の拡幅を拒んだためではなく、過去に整備された道路が再び拡げられたためにできたのです。


[ 県庁南側歩道(2012年):県庁が拡幅を拒んでいるのか ]
   この道路は浦和駅から国道17号と交差し志木市方面へ通じる、右に曲がったり左に曲がったりの決して良い形とは言えませんが、1935(S10)年3月29日に『二等大路第一類第一号浦和停車場西口線』として決定された、れっきとした都市計画道路なのです。 ちなみに二等大路第一類の標準的な横断面は、両側に3.5mの歩道を備えた18m以上の道路です。
 この道路のうち駅前から県庁前までの区間は、大正末から昭和の始めにかけて行われた浦和耕地整理事業により造られましたが、県庁前から国道17号までは幅員4間半(約8m)の歩道のない道路でした。 その後、1934(S9)年に中山道のバイパスとして現在の国道17号(当時は国道9号)の工事が完了すると、駅前から県庁を越えて国道17号までをつなぐ広い道路が必要になり、浦和停車場西口線が1935(S10)年に都市計画決定されました。
 

[ 都市計画決定の状況 ]

   計画幅員は駅前から県庁前までの区間が18m、 県庁前から国道17号までの区間は15mで両側に2.5mの歩道を備えたものでした。 自動車が少ない時代なので十分な幅の道路だったのでしょうが、現在では県庁所在地に物足りない貧弱な道路です。


[ 中仙道付近(2006年):自転車に占領され狭い歩道 ]


[ リニューアル(2013年):植樹帯が撤去されたが幅は同じ ]

   県庁所在地で駅前道路が2車線しかない都市は極めて珍しく(無いかも)、あまり褒められたものではありません。 しかもこの道路は、県庁前には急なカーブがあり、耕地整理が行われる前は沢筋だったところや台地を通るため高低差が5mほどある坂道となっているのです。
 どう見ても形の良い道路とは言えませんが、県庁を突き抜けずに県庁正面で道路を曲げたのは、欧米の道路ように道路の正面にランドマークとして県庁を意識したのか、それとも単にお役所を移転できなかったからなのでしょうか。
 現在の埼玉県庁は耐震補強の鉄骨がむき出しで、建物というよりジャングルジムのようです。
 

[ 耕地整理後 : 県庁と裁判所(当時は刑務所)に挟まれた部分は狭い ]


■ 受益者負担金・・・・
   浦和停車場西口線の都市計画決定と同時に、 受益者負担金に関する規則と県庁前から国道17号までの延長359.9m間の施行年度割も併せて決定されました。 受益者負担金制度は、今でも下水道事業などで用いられることがありますが、県内では不特定多数の人が使う道路の整備では使われていません。 「浦和都市計画事業道路新設拡築受益者負担ニ関スル件」は10条からなり、主な内容は次のとおりです。
 
  • 受益の範囲は道路の幅員の5倍の地域とする。
  • 受益者負担額は新設の場合事業費の三分の一、拡幅の場合事業費の四分の一を負担させる。
  • 道路に接する地帯は負担額の三分の一を道路に接する間口の長さに比例し、三分の二を面積に比例して配分する。その他の地帯は面積に比例して配分する。
  • 市長は土地、物件、労力若しくは金銭を寄付した者は負担金額を減免することができる。
    1935(S10)年3月18日、第3回都市計画埼玉地方委員会の審議に浦和市の受益者負担規則は付されました。 県庁前から国道17号までの事業費は32,950円、そのうち受益者負担金額は5,047円と見積もられていました。このときに全国各都市の先例をまとめた参考資料によると、負担が及ぶ範囲は道路幅員の3倍から10倍、負担金額は新設の場合1/3から4/10、拡築の場合1/5から4/10とする例が多かったようです。 浦和市の規則は、分割延納期限を除けば東京市の負担方法と同じで、決して厳しいものではありませんでした。
 受益者負担規則の制定は浦和市が県内初であり、その後道路事業を進める各都市でも同様の規則がつくられました。 埼玉県知事が行う事業についても1938(S13)年9月12日に「埼玉県知事執行都市計画事業道路拡築受益者負担ニ関スル件」が定められましたが、 附則に「本令ハ川越市ニ之ヲ適用ス」とされていて、当時は、県が行う都市計画道路事業は、川越市内のみだったことがうかがえます。


■ 完成・・・・・
   事業が完了した際に提出する竣工認定申請書によると、1937(S12)年2月10日に事業が完了し、総事業費は予算とほぼ同額の32,206.77円で、うち用地補償にかかった費用は約半分の16,627.3円でした。 また買収後に不整形な形で残った土地は、広場として利用する事業計画となっており広場費として98.5円が支出されています。
 

[ 県庁前のS字カーブ(2014年):県庁は右手にある ]


[ 広場費で購入した緑地(2014年) ]


■ 都市計画の変更・・・・・
   戦後、しばらくして都市計画が変更されました。
 計画幅員が15mの区間は18mに拡げられ、18mで計画されていた区間のうち駅前から中山道までは22mになり、また、国道17号を越えて志木方面に都市計画道路が延ばされたのです。
 県庁南側に接する道路のうち、都市計画道路となっている部分は県庁の敷地を使って18mに拡げられましたが、都市計画道路でない部分は拡幅されなかったため歩道の幅に差が生じてしまったのです。
 さて、幅員が22mに変更された浦和駅から中山道までの区間は、再開発の動きもあるようですが、人通りが最も多いにもかかわらず、未だに幅員は18m程度で車道は2車線しかありません。 いつになったら広がるのでしょうか?
 

[ 県庁前から浦和駅方面(2014年):2車線しかない駅前道路 昼 ]


[ 県庁前から浦和駅方面(2005年):2車線しかない駅前道路 夜 ]

   昔の都市計画法では、都市計画を定めるのは国の仕事だったので、決定や変更の告示は国が発行する『官報』に載せられていました。 官報というと一般の人には馴染みのない刊行物ですが、『二等大路第一類第一号浦和停車場西口線』が決定された時の官報には一面を使った広告が載せられています。外国車の販売で有名な『ヤナセ』の広告です。
 いったい誰のためにこんな大きい広告を出したのでしょうか?
 

[ 都市計画決定告示がある昭和10年3月29日の官報 ]



 



おまけ   [ うなぎ 中村屋 ]
 昔は浦和でもうなぎがとれたそうで、浦和の「うなぎ」はちょとは知られた存在です。 中村屋は浦和駅から県庁に向かって左側にありまあす。蒲焼きもおいしいですが、それ以上に白焼きがうまいと言う人もいます。写真ではうなぎを焼くにおいが伝わらないのが残念。
 浦和駅を西口に出ると、浦和のうなぎを育てる会が建てた「浦和うなこちゃん」の石像が出迎えてくれます。デザインはアンパンマンの作者として有名なやなせたかしさんです。
<参考資料>
○官報 昭和10年3月29日 内務省令第17号「浦和都市計画事業道路新設拡築受益者負担金に関する件」
○官報 昭和13年9月12日 内務省令第31号「埼玉県知事執行都市計画事業道路新設拡築受益者負担に関する件」
○第3回都市計画埼玉地方委員会「受益者負担金に関する内務省令既定比較表(道路新設拡築の部)」
 (埼玉県 1935.3.18)
○埼玉県浦和耕地整理組合確定図 (浦和耕地整理組合 1934.4)