chapter-104 三県境  
[2017.08]

■ 三県境・・・・・・・・・・・・・・・・
   カーナビ装着の自動車が当たり前になり、道路マップを見ながら運転することは稀になりました。(それでも瞬時に大局的な位置関係を把握するには、紙の地図が欠かせないと思う自分は、前世代の人間なのでしょうか?)
 カーナビ付きの車で県境を越えると、「○○県に入りました」などと案内をしてくれますが、県境を頻繁に越える道を走っていると、案内が煩わしく感じることもあります。
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[ 埼玉と群馬の境(2017年):道の駅北川辺の近く ]
   池がハート形で知られている渡良瀬遊水地沿いを通る県道佐野古河線には、僅か1㎞程の間に、群馬-埼玉、埼玉-群馬、群馬-栃木、栃木-埼玉と4回も県境を越えるところがあります。
さらに、近くには三県の境になっている”点”を間近に見ることができるところがあります。
二つの県の境は線ですが三つの県の境は点になり、埼玉県の県境には三県または一都二県の境になっているところが七か所あります。
     埼玉・千葉・東京(江戸川)
     埼玉・東京・山梨(雲取山)
     埼玉・山梨・長野(甲武信ヶ岳)
     埼玉・長野・群馬(三国山)
     埼玉・群馬・栃木(農地)
     埼玉・栃木・茨城(渡良瀬川)
     埼玉・茨城・千葉(江戸川)


[ 三県境:1都6県と接する埼玉県には七か所ある  ]
   七か所の三県境のうち、三つは川の中にあり地図で確認することはできますが、現地で確認するのは簡単ではありません。また、山の頂上にある三つは、雲取山2017m、甲武信ヶ岳2475m、三国山1834mといずれも標高が高く、山登りの経験がある人でなければ見ることができません。
 これらに比べ、埼玉・群馬・栃木の三県境は平地にあり、だれでも見ることができ、道の駅「きたかわべ」や東武日光線柳生駅から案内標識があるので、まず、迷うことなくたどり着けると思います。
 

[ 平地の三県境(2017年):畑と田んぼに囲まれている ]
   現地は、畑と水田の間を流れる小さな水路の交差部に、三県境を示す真鍮の鋲がついたコンクリート柱が建てられて、埼玉、栃木、群馬の三県を示す手作りの案内板もあり、位置関係が一目でわかるようになっています。
 三県境は全国に43か所ありますが多くは川の中や山奥にあり、平地にあるのはとても珍しいそうです。案内板には、三県境が平地にできのは渡良瀬川の改修工事によると書かれています。
(2018年7月にアプローチ道路が整備されきれいになりました)
 

[ 平地の三県境(2017年):水路の中のコンクリート杭が境 ]

■ 河川の改修・・・・・・・・・・・・・・・
 

[ 銚子大橋(2017年):利根川の最下流に架かる橋 ]
 三県境の埼玉県側は、現在は加須市ですが市町村合併の前は北川辺町といわれたところで、利根川や渡良瀬川などの河川改修によって大きく姿が変わってきました。その中でも最も大きく姿を変えたのは、江戸時代に行われた「利根川の東遷」といわれる事業が行われた時で、利根川の付け替えにより埼玉県本体(当時の武蔵国)から切り離されたのです。


[ 埼玉大橋付近の利根川(2017年):新川通として開削された部分 ]
 利根川の「東遷」とは、東京湾に注いでいた利根川と渡良瀬川を付け替えて、千葉県銚子で太平洋に注いでいた鬼怒川や小貝川につなぎ一つの川とした大事業です。
 「東遷」の目的は
    ・江戸を利根川の水害から守るため
    ・埼玉平野の開発を進めるため
    ・舟運を開き経済交流を図るため
    ・東北の伊達藩からの防備ため
 など諸説があります。
 

[ 治水地形分類図(初期整備版):分合流し蛇行していた様子がわかる ]
   旧・北川辺町が埼玉県本体から分離されたのは、「東遷」の一つの事業として1621年に新川通(現・利根川)が開削され、その後も川幅を拡げ掘り下げられてきたためです。この区間は人工的に造られたためほぼ真っ直ぐな川で、地図で見ると自然な流れとの違いが分かります。
 昔の利根川は現在のような堤防がなかったため、大洪水が起きると流路は大きく変わり、複数の流路があり大きく蛇行して流れていました。
 

[ 旧・合の川の堤防(2017年):道路工事で切り開かれた部分 ]
   新川通が開削される前は、利根川の支流のひとつである合の川が旧・北川辺町の北側を流れ、現在は渡良瀬遊水地に取り込まれた旧・渡良瀬川を流れていました。また、浅間川といわれていた本流は埼玉大橋の上流で南下し、現在の加須・大利根工業団地付近を流れ、旧・大利根町をぐるりと半周しJR東北線橋梁の南で、当時の渡良瀬川と合流していました。このほかにも旧・北川辺町内に残る蛇行跡のような流れもあったようです。
 新川通の開削後に合の川と浅間川が締め切られ陸地化が進むと、新川通が利根川の本流となり現在のような利根川の流れになりました。
 

[ 大正11年度直轄工事年報:渡良瀬川の改修状況 ]
   しかし明治期になっても1890(M23)年、1896(M29)年など利根川流域では大洪水がたびたび発生したため、国は1900(M33)年から直轄事業として溢れない河川改修を進められます。利根川や渡良瀬川などでは、川幅を拡げ堤防を築く工事が進められ、蛇行している部分は直線化する工事も行われました。
 

[ 明治迅速測図:旧・渡良瀬川と旧・谷田川の合流部 ]


[ 2009年空中写真:昔の川は陸地化したが県境だけが残った ]
(国土地理院空中写真 CKT20091-C5-53から一部切り抜き)

   蛇行の著しい渡良瀬川は、渡良瀬遊水地の第一調節池北側に付け替えられ、昔の河道はほとんどが渡良瀬遊水地に取り込まれましたが、一部は三日月湖のように取り残され次第に埋め立てられていきました。埼玉・群馬・栃木の三県境は、蛇行していた旧・渡良瀬川と旧・谷田川の合流点でしたが、渡良瀬遊水地に取り込まれなかったため、埋め立てられて陸地に現れたようです。


■ 新しい県境・・・・・・・・・・・・・・・


[ 埼玉県に編入された伊賀袋地区:県境は新しい川の上 ]
(国土地理院空中写真 CKT20091-C5-53から一部切り抜き)
   埼玉県と群馬県・栃木県の境はおおむね昔の河川跡となっていますが、埼玉県と茨城県の境は河川改修によって直線化された渡良瀬川の上になっています。蛇行していた旧・渡良瀬川は、一部は陸地化しましたが大半はいまだに水を湛える池となっていて、現在でも昔は河川だったことが伺えます。
 加須市のホームページによると、渡良瀬川の改修に伴い、当時の茨城県新郷村の一部である伊賀袋・立崎地区が1930(S5)年7月1日に編入され、改修後の渡良瀬川が県境になっていま。
 

[ 旧・渡良瀬川(2011年):アーチは渡良瀬川を渡る新三国橋 ]
   群馬県や栃木県との県境は河川改修後も整理されず、群馬県と栃木県の一部が飛び地となって埼玉県に食い込んでいますが、茨城県との県境はどのような理由があって整理されたのでしょうか?



 

おまけ  [ 丸満の餃子(2016年) ]
 旧・北川辺町のとなり茨城県古河市内にある餃子で有名なお店です。普通の餃子とは違い饅頭のような形で、関東の一部で有名なホワイト餃子に似ています。一つが大きいので、おなかの具合と相談して注文するのが無難です。餃子のほかにワンタン麺などもあり、2階ではお好み焼きも食べることができるお店です。

<参考資料>
〇大正十一年度直轄工事年報附録図面 渡良瀬川改修工事平面図(内務省土木局)
○近世初頭の河川改修と浅間山噴火の影響 (大熊孝 URBAN KUBOTA NO.19 1981.4)
○加須インターネット博物館
    (http://www.kazo-dmuseum.jp/01history/04gendai/01seiji/kitakawabe.htm)
〇治水地形分類図(初期整備版) (国土地理院 昭和51年度~昭和53年度)