chapter-121 古隅田川  
[2018.07]

■ 隅田川・・・・・
 

[  昭和2年荒川下流改修平面図 ]
   「春のうららの 隅田川♪ のぼりくだりの 船人が♪」で始まる『花』は、ある程度の年齢の人ならば小中学校の音楽の時間に歌った経験があると思います。
 現在の隅田川は、放水路として造られた現在の荒川(1911年着手、1924年通水)との分岐である北区の岩淵水門から下流の旧荒川を指します。『花』が作曲された1900年当時は放水路の計画すらなく、江戸時代からの習わしで千住大橋より下流が隅田川と呼ばれていたようで、場所によっては浅草川、宮戸川、両国川、大川など様々な呼び名がありました。
 放水路を造る荒川改修の工事図面を見ると、千住大橋から岩淵水門までの間はわざわざ『新隅田川』と表記され、荒川から隅田川になったことを示しています。


[ 東武線小菅駅から(2018年):荒川に架かる橋は「荒川放水路橋梁」 ]
   現在の荒川である荒川放水路は、明治期に旧荒川のたび重なる洪水により大きな被害が発生したため、東京の下町を水害から守る抜本的対策として計画・築造されたのです。それ以前は待乳山聖天から三ノ輪にかけて日本堤という土手があり、氾濫した洪水が江戸の街中に流れ込むのを防いでいました。新吉原の遊郭へ向かう道であり、夜な夜な通う客が土手を踏みしめたので丈夫な堤防になったそうです。
 日本堤は荒川放水路が完成したのち、関東大震災後の復興土地区画整理の際に取壊され道路になりました。道路沿いには天丼で有名な『土手の伊勢屋』のように、昔はここに堤があったことを偲ばせる名が残っています。
 

[  日本堤消防署前(2016年):広い道路になっている ]
   隅田川は江戸時代から幅の広い川で、嘉永5年(1852年)の本所絵図には吾妻橋76間(≒140m)、両国橋96間(≒170m)とあり、現在の川幅とほぼ同じ幅があったようです。



■ 2つの古隅田川・・・・・
 

[ 流路の変遷図:青が昔の利根川 ]
 隅田川は荒川の最下流部の名称ですが、『古隅田川』という川がさいたま市岩槻区から流れ、春日部市内で大落古利根川に合流しています。
 昔の埼玉県東部は利根川と荒川が流れ込む低平地でしたが、江戸時代以降に利根川の東遷、荒川の西遷など大規模な河川付け替えが行われ、川の流れが大きく変えられたことはよく知られています。「元」「古」「旧」がつく名前の川は、昔の流れを教えてくれます。
 「大落古利根川」は昔の利根川の流れですが、さらにその昔は春日部市内で古隅田川に流れ込み、岩槻区で現在の元荒川を流れ吉川市で大落古利根川に戻り、都内では古隅田川(現在は河川として存在しない)を流れ、隅田川につながっていました。


[ 古隅田川跡(2018年):綾瀬駅の南 せせらぎが造られている ]
   都内の古隅田川は、古隅田川親水公園に幅7,8メートルの水面が残るほか、道路となっている区間には人工的なせせらぎが流れているところもあります。水路として使われていた区間も下水道の整備により遊歩道に生まれ変わっています。
 葛飾区と足立区の区境は古隅田川だったのでくねくね曲がっています。区境を追っていけば古隅田川だったところ歩いて行けます。
 都内の古隅田川は、川としての役目を終えて歴史上の存在となりつつありますが、埼玉県内の古隅田川は現役の川として水を流しています。
 

[ 古隅田川の跡(2018年):足立区中川4丁目と葛飾区亀有5丁目の境 ]

■ 埼玉の古隅田川・・・・・
 

[ 大落古利根川との合流点(2018年):昔の流路はマンションのあたり ]
   古隅田川が利根川の本流として機能していたころは、現在と反対方向の春日部市から岩槻区に向かって流れていましたが、利根川東遷や荒川西遷など河川の付替えによる水位低下のため流向が変わり、大落古利根川に流れ込むようになったと言われています。
 水位が低下した古隅田川では、澪筋部分の川底を地域の農民が浚って古隅田川の本流をつくりあげたと考えられています。さらに、古隅田川本流につながる黒沼落しや上院落しが掘られ、干拓開田が進められてきました。
 

[ 明治迅速測図:大落古利根川から元荒川につながる旧堤防がよくわかる ]
   低湿地の開田は進みましたが、川の勾配が緩く平坦な地形では、古隅田川の排水能力が生産量を左右する状況でした。このため古隅田川沿いの集落では、排水能力が低下しないようにするため川底浚いや藻刈り草刈は、各地域に欠かせない重要な行事でした。古隅田川は大きく蛇行し勾配は極めて緩やかで、大雨が降るたびに本流から洪水があふれ出すので、自然堤防(洪水が運んだ土砂が造る微高地)では嵩上げが行われ、現在でも旧堤防が残っています。
 

[ 旧堤防(2018年):市の古隅田公園になっている ]

   自然堤防の上に築かれた旧堤防は、現在でもはっきりとかなりの長さが残っており、一部は春日部市の古隅田公園として散策路がつくられています。高さや幅は場所によって異なりますが、高さは数十㎝から高いところでは2~3m、幅も20~30m以上あるところや数mしかないところもあります。『明治迅速測図』を見ると旧堤防の位置がよくわかり、南中曽根村と記載されている付近(現・春日部市立宮川小学校付近)の川幅は約200mもありました。
 大きな旧堤防は樹木が生い茂り、手入れがされていないところは密林の様相を呈しているところもありますが、水に浸かる心配がないため、道路が通され住宅が建っているところもあります。


[ 岩槻区側の旧堤防(2018年):写真左奥に古隅田川が流れる ]
    古隅田川の流域は、たびたび豪雨による水害に見舞われてきましたが、1937(S13)年6月と1941(S16)年7月の水害では、冠水により関係する水田の約6割で収穫が皆無となる被害を受けました。
 このため、県営かんがい排水事業の一環で幹線排水路が改修され、大落古利根川合流点からやじま橋(古隅田川と旧古隅田川の合流点)までの3,410mが第一期工事として1943(S18)年に着工。戦時中も学生や沿川農家の協力により工事が続けられ、終戦により一時中断したものの翌年には再開され1948(S23)年に完成しました。
 この工事では、現在の南栄町工業団地を蛇行していた古隅田川をショートカットする幅20~24mの新たな流路が設けられ、国道16号付近から城殿宮橋まで約1kmの直線区間が誕生しました。
 

[ 1946(S21)年:蛇行部のショートカット、合流部の付替えの工事中 ]
 (国土地理院空中写真USA M44-A-5VT 19から一部切り抜き)
   また、大落古利根川との合流点の工事も行われ、古隅田川から大落古利根川へ流れやすくするように下流に向けて、古隅田川の最下流部が付け替えられ現在の形になりました。改修工事前の形状を見ると、古隅田川は大落古利根川とほぼ直角で合流しており、大昔は反対方向に流れていても不思議ではない形です。
 城殿宮橋から上流やじま橋までの間は、元々あった水路の改修が行われ、緩やかなカーブで一定の幅の流路に整えられました。広かった旧堤防の間には、水田が広がるどかな田園風景がみられたはずです。
 これらの工事はすべて農地の排水を改善する排水改良事業として行われ、古隅田川という名前はついていましたが、法律上は”河川”ではなく農業用の排水路でした。
 

[ 旧古隅田川(2018年):都市下水路の様相 ]
   やじま橋の上流は、古隅田川と旧古隅田川に分かれます。
 最も古い流路が旧古隅田川ですが、ほぼ全区間が両岸とも鋼矢板で固められた人工的な姿になります。現在では住宅が立ち並び、市街地の排水路の様相です。一方、古隅田川は素掘りの水路のところどころがブロックの護岸になっている程度で、雑草や葦が生い茂るよく見られる普通の水路です。
 現在のやじま橋は、コンクリートの橋ですが1984(S59)年までは石橋が架かっていました。旧古隅田川の改修によって不用となった石橋は、旧堤防を使った春日部市の古隅田公園に移設し保存さています。
 

[ やじま橋(2018年):1737年に古隅田川に架けられた石橋]

■ 家が建つ・・・・・
 

[ 工業団地付近(2018年):並木の後ろは工業団地 ]
    大きく蛇行していた古隅田川をショートカットしたところでは、新しい流路と旧流路に囲まれた一帯で工業団地の造成を目的に、面積43.7ヘクタールの内牧第一土地区画整理が1964(S39)年12月から始まりました。さらにその北側では1971(S46)年3月から内牧第二土地区画整理が始まり、57.1ヘクタールの水田が住宅地に変わりました。
 古隅田川が春日部市とさいたま市岩槻区の境界になっている周辺の旧堤防に囲まれたところは、排水改良事業後もしばらくは水田として耕作されていましたが、1970年頃からまとまった規模で宅地造成が行われ、戸建ての住宅が建ち始めました。東武野田線の豊春駅から近いところは5分程度、遠いところでも20分で歩いて行けるので、首都圏に人口が集中した高度経済成長期に多くの住宅が建ちました。古隅田川と旧古隅田川で挟まれた地域も同様です。
 どういう訳か、現在の古隅田川西側の岩槻区は市街化調整区域、東側の春日部市は市街化区域になっています。
 
 
   [ 1961(S36)年:水田のみ ]  [ 1969(S44)年:宅地開発が始まる ]
(MKT613-C31-1、MTK694X-C2-5から一部切り抜き)
 
 
 [ 1979(S54)年:開発がほぼ完了 ] [ 2007(H19)年:上院調節池建設中 ]
(CKT792-C3A-27、CKT20071-C14-7から一部切り抜き)
    水田が潰され工場や住宅が建ち都市化が進むと、土地改良区が古隅田川を農業用排水路として管理することは難しくなっていきます。また、農地が宅地になり建物が建つと土に浸み込む雨の量が減り、河川に流れ出る水量が増えるので水害が起きやすくなります。
 地元では古隅田川を農業排水路ではなく”河川”として管理するよう県に要望を繰り返し、1970(S45)年5月1日から一級河川古隅田川として埼玉県が管理することになり、河川としての整備が始まります。
 南栄町工業団地北側に沿って流れる古隅田川の左岸側区間は、古隅田川が一級河川になった後に土地区画整理が始まったため、”河川”整備に必要な幅を確保するため土地が生み出されています。河川を拡げる工事は合流点から進められ、2018年時点で国道16号の下流まで工事が進んでいます。
 

[ 上院調節池(2018年):写真の右側が調節池 ]
   このほかに、古隅田川と旧古隅田川の合流点付近には、大雨が降ったときに古隅田川を流れる水を一時的に貯める上院調節池の整備が進められています。調節池は古隅田川の旧堤防を挟んで両側に広がっていて、大昔は川だった土地とその外側をわざわざ買収して造られています。住宅地が開発される前に調節池の計画があれば、旧堤防と古隅田川の間に調節池が造られていたかもしれません。もともとは川の水が流れていたところなので、そこに貯めるのが最も自然です。
   

 

 
おまけ [ かあちゃん ]
 綾瀬駅の南側にある定食屋です。営業時間は4時から23時まで年中無休で、各種の定食を食べることができる便利なお店です。もちろん、4時から23時までいつでも飲むことができるお店でもあります。やまかけをつまみに昼からチューハイをゆったりと飲んでいるお年寄りが隣にいました。

 
<参考資料>
○荒川下流改修工事概要 荒川下流改修平面図(1/50000)(内務省東京出張所 昭和2年4月)
○古隅田川土地改良区記念誌 (古隅田川土地改良区 平成4年7月)
○江戸名所図会7巻 (松濤軒斎藤長秋 須原屋茂兵衛 1834-1836) 
○利根川水系 中川・綾瀬川ブロック河川整備計画(県管理区間) (平成18年4月 埼玉県)
○治水地形分類図-初版(1976~1978年) (国土地理院)
○明治迅速測図 (歴史的農業環境閲覧システム 農業環境技術研究所)