chapter-125 オベリスク
[2019.01]

■ 三つの駅・・・・・
 

[ 川越市街の駅:蔵づくりの街並みは元町~仲町の間 ]
   観光地として有名になった川越の市街地には三つの駅があります。
 川越駅はJR川越線と東武東上線、川越市駅は東武東上線、本川越駅は西武新宿線が乗入れる駅で、川越市駅と本川越駅は開設時には現在と違う駅名でした。戦前は鉄道省が国鉄(現在のJR)の各線を造っていたので、川越線が開通した際に親方日の丸の力で西武鉄道から「川越駅」の名を奪い取ったようです。 
 


  西武本川越駅 東武川越市駅 東武川越駅 JR川越駅
1895(M28)
03 21
川越鉄道
川越駅 開設
1914(T03)
05 01
東上鉄道
川越町駅 開設
1915(T04)
04 01
東上鉄道
川越西町駅 開設
1922(S11)
12 01
川越市 市政施行
川越市駅に改名
1940(S15)
07 22
川越線開通
本川越駅に改名
川越線開通
川越駅に改名
川越線開通
川越駅 開設
1985(S60)
09 30
埼京線開通
池袋駅へ直通運転
1987(S62)
08 25
有楽町線へ
相互直通運転
有楽町線へ
相互直通運転
2002(H14)
12 01
りんかい線へ
相互直通運転
2008(H20)
06 14
副都心線へ
相互直通運転
副都心線へ
相互直通運転
2013(H25)
03 16
東横線・MM線へ
相互直通運転
東横線・MM線へ
相互直通運転

   現在の駅利用者数は、山手線ターミナル駅に最短時間で行くことができJR川越駅からの乗り換えも便利な東武川越駅[126,600人]が最も多く、以下JR川越駅[76,774人]、本川越駅[51,045人]、川越市駅[41,542人]の順になっています( [ ]内は2016年度1日当たり利用者数)。
 昔は三駅を統合する話もあったようですが、現在では三駅の連絡道路に力が入れられているようです。2016(H28)年2月に本川越駅の西口が開設されたので、5分ほど歩けば川越市駅に行けるようになり以前に比べ格段に便利になりました。人の動きを見ていると、西武新宿線と東武東上線・JR川越線を乗り継ぐ人は多くないように思えます。
 

[ 川越駅(2015年):駅から歩行者デッキが伸びる ]

■ 川越最古の駅・・・・・
 

[ 1958(S33)年:円形のほかに水滴型の島もある ]
(国土地理院空中写真KT581YZ-C2-172から切り抜き)
    西武新宿線の本川越駅は川越市街で最も古い駅ですが、利用者数では東武東上線の川越駅に大きく差を開けられました。東京方面に向かう人にとっては、本川越駅から高田馬場駅や西武新宿駅まで1時間かけて行くより、川越駅から池袋駅まで40分弱で行ける東武東上線に軍配あげます。さらに東上線は地下鉄との相互乗入れが拡大し、都心や横浜方面へ乗り換えずに行けるようになり便利になりました。
 本川越駅の唯一のメリットは始発電駅ということです。西武新宿線は1952(S27)年に高田馬場駅から西武新宿駅まで伸びましたが、西武新宿駅は新宿駅東口への延伸のための”仮駅”の位置付けでした。未だに新宿駅に進出できないことが、西武新宿線の利便性向上で足枷となっています。


[ 本川越駅(2017年):PePe、プリンスホテルがある ]
   さらに川越駅の周辺では再開発が進み、1987(S62)年2月に東武ホテルが開業、1990(H2)年5月には駅と歩行者デッキでつながるアトレ川越がオープンし、川越では名のある丸広百貨店が出店しました。
 JR川越線や東武東上線の利便性が高まるとともに川越駅周辺では商業施設の充実が進む中、取り残されたかたちの本川越駅では西武グループによるテコ入が始まります。1991(H3)年にPePeが入るステーションビルがオープンし、同時に川越プリンスホテルも開業しました。それまでの平屋からメタリックで近未来的な駅舎に変身し、バス・タクシー乗り場が整えられ屋台やフリマの出店もできる駅前広場が生まれ、駅周辺の景観は大きく変わりました。
 

[ 2007(H19):ロータリーはスクランブル交差点に ]
(国土地理院空中写真CKT20073-C133-37から切り抜き)
   本川越駅付近の古い空中写真をみると、前回の東京オリンピック(1964年)頃までは、駅前に円形の島と水滴型の島のある交差点だったことが確認できますが、1969(S44)年の写真に”島”はありません。
 写真に写っている車の軌跡を見ると、円形の島を時計方向に廻る一方通行で、信号機はなかったようです。この島は残念ながら自動車の激増に対応するため島が撤去され、どこにでもある信号機付きの交差点になってしまいました。
 

[ 1949(S24)年:八重洲通り 京橋一丁目交差点、八丁堀交差点 ]
(国土地理院空中写真USA-R587-24から切り抜き)

   最近の道路は、交差する道路を直交させ交通量が増えれば信号機で処理する交差点が主流ですが、終戦後しばらくは都内の大きな通りでもロータリー式の交差点がありました。明治通りの宮地ロータリー(荒川区;1957年撤去)や池袋六ツ又ロータリー(豊島区;1962年撤去)、東京駅八重洲通りの京橋一丁目交差点や八丁堀交差点もロータリーでした。


■ オベリスク・・・・・
   本川越駅前の交差点にまだ円形の島がある頃の空中写真を見ると、塔のようなものがありその影が落ちています。影の長さから推測すると高さは10m前後、幅は2~3mほどある大きなモノで上端部は鉛筆のように細くなっています。かつて都内にあったロータリーには、塔のようなモニュメントはなく、あっても「事故多し」の看板くらいでした。
 

[ 1958(S38)年:先端が細くなっている ]
(国土地理院空中写真KT581YZ-C2-126から切り抜き)

    ロータリー交差点の多い欧州では、ロータリーの中央に記念碑が立っていたり噴水が置かれていたり、交差点の景観に配慮がされています。片側2~3車線の道路が複数交差し混雑する大きな交差点でもロータリーは残され、信号機がつけられたり交通量の多い交差道路はロータリー部をアンダーパスで通過するように改良されています。お金をかけて工夫をしてロータリーを残そうとするのは、都市の象徴または記念碑的な施設としてロータリーが扱われてるからなのでしょう。  


[ バルセロナ(2014年):Plaza Espanya ]
   残念ながら「東京でも屈指のロータリー」だった宮地ロータリーは、円形の島が撤去され明治通りが高架で交差点を飛び越す形になり、地上部は信号機付きの交差点になりました。池袋六ツ又ロータリーは円形の島が撤去された7年後の1969(S44)年に、首都高速道路の工事にあわせて国道254号(川越街道・春日通り)が交差点を高架で越える三層構造になりました。
 高架構造はアンダーパスよりも安価ですが、日本橋上空の首都高速道路のように、景観的にはいかがなものかと思います。欧州では高架構造むき出しの道路はあまり見ません。
 

[ 池袋六ツ又陸橋(2015年):上から首都高5号線、R254号、明治通り ]
   本川越駅前の円形の島には何が立っていたのでしょうか?。影の形から想像できるのは、オベリスクのようなものです。古代ローマ時代にはエジプトブームがあり、エジプトにあったオベリスクを運びイタリアのあちこちに立てていました。オベリスクに比べると太短い形なので、交通標語でも書かれた広告塔のようなものだったと思われます。
 本川越駅は川越の玄関口のひとつなので、今では市のシンボルになっている「時の鐘」を模したモニュメントでも立っていれば、少しは観光振興の役に立っていたかもしれません。
 

[ ローマ ポポロ広場のオベリスク(2018年):台座を含め高さ36m ]

   

 


 
おまけ   [ COEDOビール ]
 いわゆる地ビールのひとつ。ぐびっとノドごしを味わうビールというよりも、じっくりと個性豊かな味を楽しむビールです。さつま芋を使って醸造した『紅赤』のほかに『白』『伽羅』『瑠璃』『漆黒』『毬花』の全6種類があります。現在の醸造所は川越市ではなく東松山市です。
 
<参考資料>
○西武鉄道ホームページ
  (https://www.seiburailway.jp/company/history/the-history-of-100-years/index.html)
○荒川区ホームページ
  (https://www.city.arakawa.tokyo.jp/smph/kanko/omoidesyasinnkann/anohi- 
               anotoki/jrsyashinkan/backnumber1-25/miyachiro-tari-.html)
○かたりべNo.72 (豊島区立郷土資料館 2003年12月1日)
○国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス