chapter-17 川の中の信号機 
[2006.07]

■ Ara River・・・・・
 埼玉県の中央部を流れる荒川は延長173kmの河川で、埼玉県の2/3が荒川の流域に含まれています。
 荒川は東京都民や埼玉県民に水道水を運ぶ水路としての役割も担っています。利根川の上流にあるダムに貯められた水は、利根川を流れ行田市にある利根大堰で分かれて武蔵水路を流下し、鴻巣市で荒川に流れ込み志木市にある秋ヶ瀬取水堰で取水され東京都や埼玉県の浄水場に届きます。荒川は埼玉県のみならず都民にとっても利根川と並び生活に深いかかわりのある川です。
 この荒川を英語表記すると「Ara River」だと思い込んでいたら、荒川下流河川事務所ホームページのEnglishページには堂々と『Arakawa River』と書かれていました。河川名の英語表記はまちまちで、仙台市街を流れる広瀬川は「Hirosegawa River]、関東平野を流れる利根川は「Tone River」でした。
 

[ 荒川(2010年):北本市~吉見町に架かる新井橋付近 ]

■ 川の中の信号機・・・・・
 東松山市から鴻巣市へ至る県道東松山鴻巣線を走っていると、三国コカコーラの工場を過ぎたあたりから荒川の堤防が見えてきます。堤防への坂道を上ると、荒川の堤防を越えてもしばらくは“橋”ではなく盛土上の道路を走ることになります。
 堤防を越えても一向に水面は見えず、左右には畑や水田があり、さらに進むと家や資材置き場、バス停、信号機まであるのです。信号機のある交差点を過ぎると、ようやく “橋”(御成橋)が見えてきて渡り終えると鴻巣市側に辿り着きます。
 

[ 信号機(2011年):荒川の中とは思えない光景 ]
   普段は気にも留めないことですが、よくよく考えると堤防を越えた川の中に家や信号機までもあるのは不思議なことです。
 この辺には、土地の使用に制限があることが書かれている看板が所々に立てられているので、普通の土地とは違い川の中であることが辛うじてわかります。川の外とほとんど変わらない生活ができるので、このような看板でもないと川の中で生活していることを忘れてしまいます。
 

[ 河川法の制限(2011年):川の中では規制がある ]
 伊勢湾に流れ込む木曽川、長良川、揖斐川の三川が合流する地域には川の中に家がありますが、これは地理の教科書にも載っている、堤防に囲まれた“輪中”と言われるところです。
 荒川の中にある家は堤防にも囲まれず川の中に建っているのです。


■ 大改修された荒川・・・・・
 川の中に家があるのは、人間の手によって荒川の流れが大きく変えられた結果です。
 荒川は、徳川時代に江戸の洪水防御、舟運の確保などの目的で大々的な付け替えが行われました。その後も明治から昭和にかけて洪水対策としてさらに改修工事が行われ、現在の姿になっています。
 もともと荒川は、秩父山地を下り熊谷から現在の「元荒川」を流下し、蓮田、岩槻、越谷を流れ、当時東京湾に流れていた利根川(現在の中川)に合流していました。江戸時代に入り荒川は熊谷市久下で締め切られ(締切られた下流が現在の元荒川)、和田吉野川、市野川、入間川筋を流れ、隅田川を下り東京湾に流れ込む川となりました。
 荒川には“自然”が沢山残っているように思えますが、本当の自然の姿はあまり残っていないのです。
 

[ 昔の荒川:元荒川、中川を経て東京湾に注いでいた ]
   明治に入っても大洪水が頻発し、中でも1910(M43)年の大洪水では県内の20%が浸水または冠水し、堤防の決壊は400箇所以上にのぼる凄まじい洪水でした。このため、岩淵水門(隅田川と荒川の分岐点)から下流は1913(T2)年から1930(S5) 年にかけて幅500mの放水路が新たに開削されました。さらに岩淵水門から上流部は、1920(T9)年から1954(S29)年にかけて川を広げる工事が行われ、ほぼ現在の荒川の姿となったのです。
 

[ 1928(S3)年度の工事年報:横堤の様子がわかる ]

   岩淵水門の上流部は、従来あった遊水機能を保全するため広い川幅で計画され、川の水が流れる部分と堤防を造る部分だけ土地を買収したため、現在でも堤防の川側(堤外地という。堤防で守られている土地は堤内地。)に田んぼや畑が残っていて、家までが残っているところもあります。
 川幅の広い部分には、川の流れに直交するように“横堤”と言われる堤防が造られ、下流に流れる水を留め洪水を軽減させる役目を果たしています。荒川の広い部分は、ダムに近い働きをしているのです。
 

[ 横堤(2010年):信号機はこの先にある ]
   県道東松山鴻巣線は横堤の上を通る道路なので、水を下流に流すのに必要な幅だけが橋となっています。このあたりは荒川の最も広い場所で、川幅は2.5kmもあり日本一の川幅だそうですが、広いだけあって堤外地には民有地も多くあります。
 ここは拡げられた区域にあった家屋が横堤のまわりに集められて残されたため、バス停から信号機まであるようです。
 

[ 川場幅日本一(2011年):御成橋に掲げられている ]
   荒川の改修工事では幅を広げるほかに、蛇行している川の流れの直線化も行われました。
 工事年報の図面には、堤防の位置を示す線のほかに普段水が流れる低水路の付け替え計画線も表示されていて、流れを直線化しようとする計画がわかります。直線化のためにとりのこされた部分は、あちらこちらに残されて今では池のようになっていて、多くの釣り人が楽しんでいます。
 また、広くなった荒川は洪水を安全に流下させるだけでなく、今では動物の移動経路としても使われているようです。
 

[ 昔の流路(2011年):低水路の直線化で残された部分 ]

■ 荒川調節池の整備・・・・・
   荒川ではこの広い川幅を有効に使い、横堤の効果をさらに高める調節池が造られています。
 戸田市の第1調節池から吉見町の第5調節池まで5ヶ所の計画があり、第1調節池は 1970(S45)年度から2003(H15)年度まで、33年の時間をかけてようやく完成しています。
 このペースでは第5調節池が完成するまで、さらに100年以上かかります。荒川が氾濫し大きな被害が出ない限り、河川事業の予算は増えそうにないので、すべての調節池が完成するのはさらに遅れてしまいます。
 

[ 第1調節池(2006年):左側にあるのが荒川の流れ ]
   荒川は1947(S22)年のカスリン台風以降、氾濫や堤防の決壊はありませんが、巨大な資産が集積している東京を守るための整備はこれからも続きます。




 



おまけ   [ 川の博物館 ]
 寄居町の荒川右岸沿いに巨大な水車が見え、この水車を目指して行くと川の博物館に着きます。小さな子供には博物館よりも、付属の「荒川わくわくランド」のほうが人気があるようです。水の上を渡り歩く遊具や水上のジャングルジムなどがあるので、びしょ濡れになってもいい支度と着替えは必須です。博物館には荒川の1/1000の模型があり、近くの河原ではバーベキューもできます。
 
<参考資料>
○昭和三年度直轄工事年報 荒川上流改修工事平面図 (内務省土木局)
○荒川 (埼玉県 1987.3)