chapter-37 お城のある街 
[2009.10]

■ 寝るだけの街・・・・・
   埼玉県は海には接していませんが、東京都、山梨県、長野県、群馬県、栃木県、茨城県、千葉県の1都6県に接しています。隣接している県が最も多いのは長野県の8県ですから、面積が小さい割には健闘している方です。
 接している都県のうち、東京都へは毎日毎日100万人が通勤通学(痛勤痛学?)しています。東京のベッドタウン-寝るだけの街?-として市街地が広がってきたため、山手線の上野、池袋、新宿などのターミナル駅から伸びる鉄道沿いに市街地が広がり、都心に近い所ほど市街地も大きくなっています。


[ 2005年人口集中地区 : 鉄道沿いに人口が集中  ]
   鉄道沿いに広がる市街地は、住宅とそこで生活するのに最低限必要な施設が広げてきたので、どこの駅前風景も大差はなく、市町村の境を越えて住宅地が連担し、特徴のない風景を作り出しています。
 駅前には地元自治体が躍起になって造った再開発ビルがありますが、人が集まっているのは食料品や日用品を扱っているスーパーマーケットくらいです。しかも景気が悪くなるとせっかく誘致したキーテナントが撤退し、空き家になってしまう駅前の再開発ビルさえあります。
 

[ テナントが撤退した駅前再開発ビル(2002年) ]

■ 目印になるもの・・・・・
 埼玉に住んでいて思うのは、市街地に特徴がないうえに地形に起伏が少なく、さらに東部地域は周りに山がないので、これといった目印がないことです。
 街中くらいは目印となる建物・建造物が欲しいと思うのですが、まわりを見回してまず目につくのが背の高いマンションです。マンションは採算性重視のためか、目印になるようなデザインの建物は見当たりません。かといって、統一感のあるデザインで造られているわけでもありません。


[ マンションの波(2005年) ]
   郊外に行くと目立つのが、視界を横切る新幹線や高速道路の高架橋で、コンクリートの柱と梁が単調な形の繰り返しで延々と続いているのです。山手線のように煉瓦で造られた高架部分でもあれば、単調な構造物の中に変化が生まれて面白いかもしれません。
 

[ 新幹線の高架(2006年):単調な形の連続 ]
   山手線のレンガ造りの高架は関東大震災を耐え抜いた構造物ですが、今日レンガで高架を造るには膨大な費用がかかってしまいます。予算に限りがある高速道路や新幹線の高架橋はコンクリートで造られ、残念ながらどれも同じような形になってしまいます。
 

[ 山手線の高架(2009年):煉瓦で模様入り ]

■ 埋もれる目印・・・・・
 

[ 札幌の時計台(2006年):周囲はビルだらけ ]
   街で目印になる有名な建物・建造物といっても、札幌の時計台や東京の日本橋のように建物の波に埋もれてしまっているものもあります。札幌の時計台は周りをビルに囲まれ、すぐそばまで近寄らないと建物を見ることができません。時計台のまわりには北海道らしい風景は何一つなく、記念写真にはもれなく周りのビルも写ってしまいます。
 

[ 日本橋(2004年):首都高が覆いかぶさる ]

   道路の起点として名高い日本橋は、日本橋川の上空に造られた首都高速道路が横切り、高欄につけられている照明灯は首都高の橋げたに挟み込まれています。この照明灯は首都高からも見ることができ、ご丁寧なことに日本橋の照明灯であることを知らせる看板までついています。日本橋の景観を壊した首都高の罪滅ぼしでしょうか。
 

[ 首都高から見える日本橋(2012年):照明等の頭だけ ]
   街中で目印になるものとしては城、特に天守閣が残っている、または再建されたお城は、周囲に堀が残っていたり公園などの公共施設として使われているので、天守閣自体が大きくなくてもまわりに空間的余裕があるため、お城が結構目立ちます。
 埼玉県内では川越や行田、岩槻が城下町といわれていますが、目印になるような天守閣はなく、堀や石垣なども残っていません(石垣は元々殆どなかったようです)。近くを流れる河川と周りの沼地が堀の役割を果たしていたので、人工的に造られた堀が少なかったのかもしれません。
 

[ 岩槻城:本丸は川と沼地に囲まれている ]

■ お気に入りの街・・・・・
   子供のころの記憶は年齢を重ねるとともに美化される傾向があるので、小さい頃に住んでいた所でいい印象があるとすぐに“お気に入り”になってしまいます。
 そんな街の一つが松本です。子供にとって最大の交通手段は自転車なので、自転車で動き回れる範囲が街のすべてで、市内をくまなく知っていた訳ではありません。しかし、その中でもいい記憶として残っているのが低学年のころに遊びまわっていた、市街地のやや北寄りにある松本城の周りでした。
 

[ 松本城(2009年):5層の天守閣は国宝 ]
   松本城は平地にあるお城で、今では天守閣を取り囲む堀が一重しか残っていないため、周辺からすんなりと近寄れます。
 天守閣のある一体は昔も有料の区域だったので、入って遊んだ記憶はありませんが、天守閣を囲む堀の外側は自転車に乗って駆け回ることができました。よく遊んでいた割には、お城の周りにどんな建物があったのか全く記憶にありませんが、いつも天守閣が見えていたことだけは覚えています。
 

[ 天守閣からの眺め(2009年):建築物の高さが15m以下に抑えられている ]
   現在、松本市は、お城の周りの建築物の高さに都市計画で制限をかけています。お城に隣接する地区は15~20m、そのほかの地区でも最高の高さはお城と同じ29.4mに制限されているのです。
 お城とアルプスの山並みの眺望を守るための計らいです。
 建物に高さ制限を設けようとすると制限値の設定が難しいのですが、松本市は誰もが納得する理由をお城の高さに求めたようです。

■ 開智小学校・・・・・
   それともう一つ記憶にあるのが、一時期通っていた開智小学校です。開智小学校といえば今は博物館として使われている旧開智小学校の建物(1873年建築)が有名ですが、記憶にあるのは現在の校舎の前代の校舎です。
 1970年代にすでに床暖房を備えており、石炭ストーブの学校から転校してきた人間にとっては夢のような学校でした。
 

[ 1975年の開智小学校:現在の校舎と配置が全く違う ]
(国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省 CCB-75-15より)
   先代の校舎の配置は現在とは大きく異なり、正門を入ると校舎が「工」の字のように左右対称に建てられ、その校舎の北側に校庭があったのです。校庭は校舎の陰になるので、冬になると校庭に畦を造り水を張ってスケートリンクにしていました。当然、冬の体育の授業はスケートです。それも狭いリンクでスピードスケートの靴を履いて滑っていたのです。
 

[ 開智小学校(2009年):奥に明治期の校舎が見える ]
   校舎の配置が変わったので、現在はお城と学校を結ぶ道路から旧開智小学校が見通せるようになり、松本城の天守閣からも見ることができるようになりました。松本城を見て旧開智小学校に足を伸ばそうとする観光客には、目的地が見えるので道に迷うことはないでしょう。
 ただ、お城と学校を結ぶ道路は、市街地から離れ住宅地に向かう方向になるため、昔と変わらず少々さみしい街並みで、両側は普通の家が並んでいます。派手な通りになる必要はないと思いますが、土産屋の一軒でもあれば流行るような気がします(人が入るのは休日だけかも)。
 

[ 開智小学校前からお城に向かう道(2009年) ]

■ 今も変わらぬ静けさ・・・・・
   松本市の人口変動は埼玉県内の都市とくらべればとても小さなものです。1970(S45)年が約20万人、2005(H17)年で約23万人なので、ほとんど増えていません(合併で増えた程度?)。
 小学校の校舎のようだった松本駅や周辺の建物は近代的になりましたが、住宅地には大きな変化はないようです。ちょっと変わったのが、大手町にしかなかった「開運堂」という地元では有名な和菓子屋が住宅地の中に進出したことくらいでしょうか。
 お城のある静かな街の雰囲気は、「開運堂」の和菓子「真味糖」と同じで今も昔も変わりません。
 

[ お城から旧開智小学校(2009年):手前の緑は松本神社]


 


 
おまけ   [ 旧開智小学校 ]
 1876(M9)年に建てられた校舎で、1963年まで小学校として使用されていました。当初は女鳥羽川沿いに建っていましたが、小学校としての役目を終えた後、現在の場所に移築して、現在は教育資料館として公開されています。校舎の上にある八角形の望楼は、懲罰のために使われたこともあるそうです。  

<参考資料>
○松本市役所ホームページ 松本城周辺地区の高度地区
 (https://www.city.matsumoto.nagano.jp/shisei/matidukuri/kakusyu/sirosyuhen/koudo_area.html)