chapter-71 水の都だった新潟 
[2013.11]

■ 新潟県に入る・・・・・


[  水上駅(2013年):谷川岳の下をトンネルで抜け新潟へ ]
   スキーやスノーボードなどウインタースポーツで新潟県内にお邪魔することはあっても、新潟市内まで足を延ばす人は少ないかもしれません。
 上越新幹線に乗ると東京から新潟駅までわずか2時間で着くので、新潟にも空港はありますが羽田からの航空便は有りません。
 新幹線が便利になった一方で、在来線で新潟に行こうとすると大変な苦労で、上野駅→高崎駅(乗り換え)→水上駅(乗り換え)→長岡駅(乗り換え)→新潟駅 と各駅停車を乗り継がねばならず、ほぼ一日仕事になってしまいます。
 特に水上駅-長岡駅間の列車は一日に5,6本しかないので、三国峠を越える『国境の長いトンネル』(清水トンネル)を体感するのも一苦労です。
 

[ 長岡付近(2013年):新幹線から稲刈り中の風景]
   新潟県は米どころだけあって、スキー場のある山間でも平らなところには水田が広がっていて、平野部になると車窓から見える風景は、夏は緑、秋は黄金色の絨毯です。
 新潟平野は関東平野に比べれば小さいのですが、視線を遮る建物はほとんどなく、あっても小さいので平野の広さを実感することができます。
 新潟平野に広がる水田を見ていると、明治時代初期の頃は新潟県の人口が全国一だった事実に、素直に肯くことができます。


■ 新潟市に入る・・・・・


[ 萬代橋(2013年):信濃川を渡るメインストリート ]
   新潟駅がある場所は、新潟の旧市街地から離れた場所にあり、旧市街地に行くためには信濃川に架かる萬代橋を渡ります。
 現在の萬代橋は三代目で橋長306.9m、鉄筋コンクリート6連アーチ橋ですが、最初にできた萬代橋は木造で橋の長さは現在の2.5倍以上もある782mもありました。
 利根川や荒川に架かる橋は、昔は水が流れている部分だけを橋で渡っていたので橋長は短かったのですが、近代になって堤防が造られ川幅が広げられると、川幅にあわせて長い橋に架け替えられるのが一般的でしたが、萬代橋はその逆でした。
 

[ 流作場五差路(2013年):川が埋立てられる前の橋のたもと ]
   萬代橋が昔に比べ大幅に短くなったのは、新潟という街の生い立ちと大きな関係があります。
 もともと新潟の街は、信濃川によって左岸側は新潟町、右岸側は沼垂町に分断されていて、唯一の交通手段である渡し船は天候に左右されたり事故も多く不便なものでた。
 明治に入り架橋の必要性が高まると、地元企業の出資によって両町を連絡する初代の萬代橋が1886(M16)年に造られましたが、当時の信濃川は幅が広く対岸に渡るためには782mの橋長が必要だったのです。



■ 信濃川の大改造・・・・・
 

[ 信濃川(2013年):昔はこの2.5倍の幅があった  ]
   信濃川は、長野県内では千曲川と呼ばれていますが、長野市で犀川が千曲川に合流し新潟県に入ると『信濃川』に名前が変わります。
 長さは367kmで日本一、流域面積は利根川、石狩川に次いで第三位でその面積は埼玉県の3倍を超える11,900平方kmの規模がある大河です。
 信濃川も他の大河川と同様に、洪水がたびたび発生し実り豊かな新潟平野に大きな被害をもたらしていました。
 

[ 信濃川改修図(2013年):赤い線が大河津分水路 ]

   洪水を減らすための方法として、1922年(T11)年に河口から約60kmの地点に日本海へショートカットする大河津分水路が開削され、寺泊付近で全水量を海に流せるようになりました。 
 この分水路の完成により、治水の観点では、最上流から大河津分水路を経て日本海に至る一つの河川が誕生し、下流は分水路を起点として新潟市街で日本海に注ぐ別の河川に生まれ変わったのです。


[ 大河津分水路(2015年):最下流部 野積橋から上流を見る ]


[ 関屋分水路(2013年):水門には日本海の波が寄せいている ]
   その後1972(S47)年に河口から約8kmの地点に関屋分水路が造られ、新潟市街地を流れる区間はこれまでよりさらに少ない水量を流すだけですむ河川になったのです。
 新潟市街の信濃川は、流す水量が減ったためこれまでの広い川幅が不必要になり、新潟港と信濃川の整備にあわせて埋立てが行われ、新たな陸地が創り出されました。
 埋立地は道路が直行するように計画的に造られ、比較的大きな街区が設けられているので、旧来の市街地と形態が大きく異なり、空中写真や地図を見れば埋立られたところがわかります。
 

[ 市内にある案内板:1920年代の地図に現在の信濃川を重ねたもの ]

■ 川の町 新潟・・・・・
 

[ 東堀通り(2013年):木造の建物は明治時代に建てられた料亭鍋茶屋 ]
   新潟駅から萬代橋を渡ってたどり着く旧市街地には、『東堀』、『西堀』、『鏡橋』といった水に関連する交差点名があります。
 今では全く面影は残っていないのですが、旧市街地には信濃川からつながる幾筋もの堀があり、小舟が荷を運んでいました。 ほぼ格子状に配置された堀が機能していたころは、まさに水の都だったのではないでしょうか。
 市街を縦横に走り生活に必要だった堀は、大河津分水路の完成により信濃川の水量が減り、天然ガスの採取により市街地の地盤は沈下し、市街を縦横に走る堀の水はよどみ、汚くて臭い迷惑施設になってしまったのです。 さらに自動車交通が増えると、堀の行く末は明らかでした。
 

[ 明治期の新潟:信濃川は広く堀が市街地を巡っている ]
   これらの水路は、1955(S30)年の新潟大火後に埋立が本格化し、1964(S39)年の新潟国体までに全ての堀が埋立てられ道路などに変身したのです。
 『東堀』、『西堀』はその名のとおり、埋立てられた堀の名前が通りの名称になり、『鏡橋』は他門川に架かっていた橋の名前がそのまま交差点名になりました。
 堀が埋立てられる前は両側に道があり、風情のある水辺の風景があちこちにあったはずです。
 建物は堀に直交する細長い敷地に建っていて、建物と建物の間は人が通れる程度の幅しかありません。 道というよりは隙間だった空間が現在では通路として使われています。
 

[ 古町通りから見る(2013年):建物間は人が通れる程度の幅 ]
   西堀通りと東堀通りの間にある古町通りや東堀通りの東側にある本町通りは、堀があった頃の主要な陸路で、商店や飲食店が軒を並べるメインストリートでした。
 現在では、古町通りも本町通りアーケード街になっていたり、雁木のように歩道部分だけに屋根をつけた形態になっていて、歩行者を優先した道路になっています。
 しかし、近年では大きな店舗が西堀通りや東堀通り、対岸の信濃河埋立地の大きな街区に立地したため人の流れが変わり、古町通りや本町通りは往事の賑わいを見ることができません。
 商店街ではイベントを開催してお客さんを呼び込もうとしていますが、ターゲットとする客層の集客は今ひとつのようです。
 

[ 古町通り(2013年):休日の路上コンサート ]
   この他に新潟市では、堀に向けて建っている建物と建物の間の小路を、新潟の昔ながらの雰囲気を残す観光資源として活用し、小路を巡り歩く周遊コースを紹介しています。
 新潟は、第二次大戦の際に港を封鎖するため機雷が多く投下されたものの、焼夷弾による市街地の空襲からは免れたため、市街には古い建物があちこちに残っていて、小路もほぼそのまま残っています。
 小路があるところには、小路の名前と由緒が書かれた表示板が建てられいて、案内地図を置いている商店街もあります。
 

[ 新川小路(2013年):本町通りに建つ小路の表示板 ]

■ 砂丘の町 新潟・・・・・
 

[ 新潟西海岸(2013年):関屋分水路展望台から信濃川河口方面を望む ]
   砂丘といえば鳥取にある砂漠のような大砂丘を思い浮かべますが、ここ新潟も砂丘の上にできた街で、日本海沿いは標高が20mを超える高さがあり、小高い丘のように見えます。
 砂丘と言っても鳥取砂丘のような砂の小山が連なる風景が見える訳ではなく、防風林になっていたり住宅が建っているので、砂丘のイメージとは大きくかけ離れています。
 海岸はもちろん砂浜ですが浸食が著しく、以前と比べ大きく海岸線が後退したため、波打ち際には浸食を防ぐ消波ブロックが積まれていたり、砂浜を回復させるために突堤が造られています。
 海岸線の後退は、大河津分水路が造られ信濃川河口に運ばれる土砂が減少したことも影響しているのでしょうか?
 

[ 砂丘の坂道(2013年) 日和山海水浴場付近から市街地へ向かう道 ]
   海岸沿いに砂丘があるため、市の中心部から日本海側に向かうと必ず上り坂があります。  
 普通、海に向かえば下り坂になるのが当たり前だと誰もが思うのですが、新潟では海に向かうと上り坂になるのです。
 坂を上り海沿いに出ると、自転車道が海岸に並行して設けられているので、海を眺めつつ所々で防風林の中を走り抜けるサイクリングが楽しめます。
 新潟駅から海岸までは歩くには距離があるので、駅周辺でレンタサイクルを借りれば砂丘館(旧日本銀行新潟支店長役宅)や旧齋藤家別邸(新潟三大財閥のひとり)などを観光しながら、佐渡島が浮かぶ日本海を見ることができます。
 

[ 旧齋藤家別邸(2013年):砂丘地形を生かした庭園と大正期の建物 ]

■ 港町 新潟・・・・・
 

[ 新潟港(2013年):信濃川河口に造られた港 ]
   1858(安政5)年、アメリカ全権タウンゼント・ハリスにより日米修好通商条約が締結され、函館、神奈川(横浜)、兵庫(神戸)、長崎、そして新潟が開港することになりましたが、水深不足などにより新潟港が開港したのは1868(M1)年になってからでした。
 新潟港は信濃川の河口にあるため、川が運ぶ土砂により港が浅くなる運命にあり、定期的に川底に堆積する土砂を浚渫する戦いが延々と続いています。
 日本海側の主要な港である新潟港は、昔からの信濃川河口港だけでは手狭になったため、1969(S44)年に約16km東に離れたところに開港した東港が貨物を中心に扱い、信濃川河口港は西港としてフェリーなどの旅客が中心になっています。
 新潟港は、北朝鮮の『万景峰号』が寄航していた港として、一時期マスコミが取り上げていたので、記憶にある方も多いと思います。
 

[ 浚渫(2013年):信濃川の川底にたまる土砂を取り除いている ]
   港町として栄えた新潟には、京都祇園、東京新橋と並び称されてきた新潟古町芸妓が、繁栄する花街を象徴していました。 市内の古町には今でも昔の風情を残す通りがあり、運が良ければ芸妓さんが歩いている姿を見ることができます。
 日本海側の街と言われると、どんよりとした灰色の空の下で雪に閉ざされた暗い街を勝手に想像してしまいますが、実際に新潟に行ってみると、広い平野と青い海を持つ開放的な雰囲気があります。
 さらに、川の町、砂丘の町、港町新潟は、海の幸と米どころで作られる銘酒も揃っているので、観光だけでなく楽しみ方はたくさんあるようです。
 

[ 新潟古町芸妓?(2013年):鍋茶屋通で見かけました ]


 



おまけ [ 新潟駅の駅弁 ]
 新潟駅で売っていた駅弁です。 左は『村上牛しぐれ』、左は『えび千両ちらし』。 『村上牛しぐれ』は見たままのお弁当ですが、『えび千両ちらし』は卵焼きをめくると下からうなぎ、こはだ、いか、えびが姿を現します。 卵焼きの下を見たときの驚きは、普通の駅弁では味わえません。 おかずが二段になっているお得な駅弁です。 ただ、新幹線が早すぎるので、ゆっくりお弁当を広げる時間もありません。

 
<参考資料>
○信濃川水系河川整備基本方針 (国土交通省河川局 2008.6)
○新潟市の歩み (新潟市 平成19年3月)