chapter-83 立体交差 
[2015.07]

■ 大昔の立体交差・・・・・
  立体交差は道路や鉄道が同一平面ではなく、鉛直方向に離隔を持って交差する形状で、今ではどこでも見られる構造です。
車も鉄道もない昔は、立体交差といえば水道(水路)くらいです。
中でも有名なのはローマ時代に造られた水道橋です。
地中海に覇を唱えたローマ帝国が植民都市などに水を供給するため、川や谷などの障害を越えるのに得意のアーチを用いて造られたものが今日でも残っています。


[ ローマ時代の水道橋(2014年):スペインのタラゴナに残る水道橋  ]
  日本でも水を運ぶための立体交差は古くからありました。
神田上水はJR中央線吉祥寺駅の南側にある井の頭池の水を江戸市中に引き込むため、神田川の上に樋を設けきれいな水を武家地や町人地に供給していました。
江戸時代初期にほぼ整備された神田上水は、淀橋浄水場からの配水が始まる明治まで使われていました。
神田川の上に架かっていた樋が、現在の水道橋という駅名の由来になっているのは有名な話です。
 

[ 神田上水懸樋跡(2004年):水道橋の由来となったところ ]

■ 昔の立体交差・・・・・
 

[ 昇斎一景「東京高輪蒸気車鉄道之図」]
水道の立体交差に比べれば、道路や鉄道の立体交差の歴史は浅いものです。
それでも鉄道と道路の立体交差は、日本で最初の鉄道が開通したときには造られていました。
1872(M5)年、新橋~横浜間に開通した鉄道を描いた「東京高輪鉄道蒸気車走行之全図」には、鉄道を跨ぐ橋の上を馬車が通行する様子が描かれています。
この版画は品川駅南で東海道と交差する八ツ山橋付近で、現在でも東海道線、新幹線など日本を支える鉄道が橋の下を通り抜けています。


[ 千登勢橋(2013年):下を通るのが明治通り ]
  道路と道路の立体交差の歴史はさらに浅くなります。
都市計画道路の立体交差で最も古いのが、目白通りと明治通りが交差する千登勢橋で、1932(S7)年に開通しています。


 
■ 川越市内の立体交差・・・・・
  埼玉県内で最も古い立体交差は、川越市にある富士見橋ではないでしょうか。
富士見橋は国道16号を走っていても目に付く橋です。 
 

[ 1961年:国道16号ができる前]
(国土地理院 航空写真 MKT613-C14-2から一部切取り)


[ 仙波河岸に至る道:氷川神社と仙波河岸は10m以上の高低差がある ]
  江戸時代初期から昭和初期まで川越と江戸・東京を結ぶ交通手段は、新河岸川の舟運が中心でした。
古くからある船着場の川越五河岸(扇河岸、上新河岸、牛子河岸、下新河岸、寺尾河岸)は市街地まで距離があるうえ、途中に烏頭坂(国道254号が16号に交差する付近)という急坂があり物資輸送の難所でした。
このため、明治初期に川越五河岸のさら上流に仙波河岸という船着場が造られ、川越街道から仙波河岸に至る道路も切り開かれました。
川越の街と仙波河岸は10mを超える高低差があるので、市内には珍しい切通しとなっています。
 

[ 氷川神社前の坂道(2015年):左に氷川神社がある ]

  川越街道から仙波河岸へ至る切通しが造られた頃に、北側から切通しの道にT字路で交差する道も切り開かれました。
交差させるために坂道になり、隣にある氷川神社の参道には新たに石段が付けられました。
参道の石段には「石段寄附 水運回漕店」と彫られています。
まだ新河岸川の舟運に勢いがあり仙波河岸が栄えていた頃の名残です。
 

[ 氷川神社の石段(2015年):「水運回漕店」と刻まれている ]
  水運回漕店は新河岸川を使って乗客と荷物を運ぶ川越仙波河岸の運送業者です。
1909(M42)年の引札(チラシ広告のこと)には船の運航ダイヤが書いてあります。
  早船:毎日 仙波川岸午後二時半出航翌朝八時東京着
     毎日 東京午後六時出航三日目仙波川岸着
  並船:毎日 出航三日目東京着
早船を使えば3泊4日の行程(船内3泊ですが)で1日フリータイムの東京見物ができるプチ旅行を組むことができます。
 

[ 川越市立博物館 第38回企画展パンフレット:水運回漕店の引札 ]

その後、川越市南部では1923(T12)年~1943(S18)年にかけて410ヘクタールに及ぶ広い地域で川越耕地整理事業が行われました。
この耕地整理は農業の振興を図るためのではなく、市街地整備のための事業で仙波河岸に至る切通しに交差する道路が計画されました。
この道路と切通しの道が交差するところに設けられたのが富士見橋で、橋名板には「昭和十一年三月竣工」とあります。
富士見橋は川越市内には珍しいコンクリートアーチですが、桁下の高さがあまりないので通行車両は2.6m以下に高さ制限がされ、橋に車が衝突しないようにバリアが設けられています。
 

[ 国道16号から見た富士見橋(2015年):右側に氷川神社がある ]


[ 西から見た富士見橋(2015年):奥は国道16号 ]

  富士見橋は道路の混雑を解消するためではなく、地形の状況からやむを得ず立体交差になったもので、本来であれば平面交差させたかったはずです。
ここは昔も今も渋滞も混雑もないところなのです。
 

[ 川越耕地整理換地確定図:赤丸が富士見橋 ]

■ 和光市内の立体交差・・・・・
 

[ 和光陸橋(2015年):笹目通りが国道254号を越える ]
  踏切は列車が通過していない時でも一時停止するので渋滞の原因となり、鉄道と道路の立体化は早くから進められてきました。
鉄道と立体交差させるついでに道路も越えている例はいくつかありますが、埼玉県内で道路と道路の立体交差が造られるのは昭和30年代が終わる頃になってからです。
県内で最初に造られたのは、東京に隣接する和光市内にある国道254号と笹目通り(県道練馬川口線)の「和光陸橋交差点」のようです。
 

[ 国道254号の完成時期:昭和36年~42年に完成 ]
  国道254号は、江戸と川越を結ぶ川越街道が県道になり、1962(S37)年に国道に昇格した道路です。
川越街道は県道になったものの、和光市内の白子川や朝霞市内の黒目川の河岸段丘と交差するところが急坂だったので、これを避けてミニバイパスが造られ1932(S7)年までに幅9mの車が通れる道に拡げられました。
しかし戦後の交通量と交通事故の増大に対応するためバイパスが計画されました。
バイパスの予定地は国や自治体が所有する土地が多く、民家が立ち並ぶ旧・国道254号を拡幅するより容易だったのです。
最も早く完成した区間は、和光陸橋交差点から旧・朝霞警察署(幸町2丁目交差点)までの間で1961(S36)年6月に開通しました。
次に都県境から笹目通りまでが1963(S38)年に開通します。
バイパスは和光市、朝霞市、新座市を通過しますが、都市計画決定の名称も時期も3市とも異なっています。
  和光市:東京松本バイパス線(1962年7月14日 都市計画決定)
  朝霞市:東京小諸線(1954年4月19日 都市計画決定)
  新座市:東京小諸バイパス線(1960年3月2日 都市計画決定) 
 

[ 国道254号(2015年):理化学研究所前は昭和36年に開通した ]
  国道254号と交差する笹目通りは、県道浦和田無線(現・県道練馬川口線)のバイパスで、国道254号のバイパス整備に合わせて造られ1964(S39)年8月に開通しました。
笹目通りも家屋のない田畑を買収して造られたところがほとんどがです。
笹目通りと言われているのは、練馬区内で環状8号線から分岐し板橋区で国道17号バイパスに合流するまでの区間で、土支田交差点から白子川付近までの約4Kmが埼玉県和光市を通っています。
 

[ 和光市内の笹目通り(2015年):造られた当時の幅16mしかないところ ]

  これらの道路はすべて1964(S39)年10月10日に開会した東京オリンピック関連として整備されたのです。
当時、朝霞には米軍の「キャンプ朝霞」があり、返還を前提に選手村として使う予定でした。
このため選手村の造られる朝霞と神宮、代々木、駒沢などの競技施設を結ぶ道路が必要だったのです。
紆余曲折を経た結果、選手村はワシントンハイツ(現在の代々木公園)に造られましたが、朝霞では射撃、戸田ではボート競技が行われることもあり道路の整備は続けられたのです。
 

[ 1963(S38)年6月30日:国道254号 和光陸橋~東埼橋(都県境) ]
出典:国土地理院ホームページ(http://mapps.gsi.go.jp)
   空中写真MKT636-C1-7から切取り
  1963(S38)年6月30日撮影の空中写真を見ると、国道254号バイパスの県内部分はすでに車が通っていますが、笹目通りは工事が手つかずのところもあります。
この状態からオリンピック開幕までの15ヶ月で開通させたのですから、まさに突貫工事だったはずです。
オリンピック関連として造られた都内の環状7号線は、主な放射状道路との交差点は立体で造られ、国道254号と笹目通りの交差も立体交差で造られたのです。
和光陸橋の橋歴板を見ると「1964年5月 埼玉縣建造」とあるので、東京オリンピックのときは立体交差が完成していました。
まさに”オリンピック道路”です。


[ 和光陸橋(2015年):4車線の陸橋 交差点付近は32mの幅がある ]

  東京オリンピックにあわせてバイパスとして造られた国道254号と笹目通ですが、今日の交通量を捌くには狭い道路でいたるところで渋滞が発生しています。



 



おまけ [ 光が丘公園 ]
返還された米軍基地に造られた都営公園です。
同時期に造られた中高層住宅がそばにあるのですが、公園の中に入ると園内の木々に遮られゴミ焼却場の煙突しか見えません。
大きな緑の広場があり、ゆとりの感じられる公園です。
おじさんでも本を片手に行ってみたいと思うところです。 


<参考資料>
○川越市立博物館 第38回企画展パンフレット「新河岸川舟運と川越五河岸のにぎわい」 (川越市立博物館)
○埼玉県川越耕地整理組合換地確定図 (川越耕地整理組合)
○和光市史 通史編 下巻 (和光市役所 昭和63年3月5日)