chapter-91 高崎線と宇都宮線  
[2016.10]

■ 湘南新宿ラインと上野東京ライン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


[  高崎線(2013年):130周年を記念するマーク ]
   最近のJR高崎線や宇都宮線は、走っている経路ごとに列車に愛称がついています。
 2001年までは、上野駅がすべての列車の起終点だったので、東京駅へ行く場合は上野駅で京浜東北線や山手線に乗り継ぎ、新宿方面へ行く場合は赤羽駅で埼京線に乗り換えなければなりませんでした。
 乗り継ぎ・乗り換えの不便と山手線・京浜東北線などの混雑を緩和するために、東海道線や横須賀線と連絡させ都心部を通過する経路がつくられました。
 2001(H13)年に池袋・新宿・渋谷を経由する「湘南新宿ライン」、2015(H27)年に上野・東京・品川経由の「上野東京ライン」、と経由地を表記する列車が誕生しました。しかし以前からある上野駅止まりの列車は名無しです。
 

[ 池袋~大塚間(2016年):右側2線が湘南新宿ラインが走る貨物線 ]
   いろいろな駅へ乗り換えずに行ける列車が増え、都内へ通勤通学する人にとって大変便利になりました。しかし神奈川県内の東海道線で起きた事故が、埼玉県内を走る列車の遅れにつながるなど、ひとつの列車事故が広い範囲に影響を及ぼすようになり、遅れる回数も増えたような気がします。
 直通運転によって、どこへ行くにも時間短縮になったように思いますが、湘南新宿ラインは貨物線を利用しているため、赤羽~池袋間は、赤羽から京浜東北線に沿って田端の手前まで行き、そのあとは山手線に並行して池袋まで三角形の2辺を遠回りして走るので、埼京線よりも時間がかかります。


 
■ 高崎線と宇都宮線・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 


[ 浦和駅(2016年):「宇都宮線(東北線)」と表示されている ]
   さて、高崎線、宇都宮線という名称ですが、宇都宮線は1990(H2)年3月から上野~黒磯間で使われるようになった愛称で、本来の路線名は東北線です。今でもホームの案内表示には「宇都宮線(東北線)」と表示されています。
 宇都宮線という愛称が導入された当時は耳慣れていないため少々奇異な感じでしたが、今では、抵抗なく使われています。
 

[ 北浦和駅付近(2016年):赤羽方面を望む ]
   一方、高崎線は愛称ではなく昔からの正式名称のようです。1909(M42)年10月12日鉄道院告示第54号「国有鉄道線路名称左ノ通定ム」によって、大宮~高崎間は高崎線と定められました。
 現在のJR東日本会社要覧などでも、大宮~高崎間は高崎線として扱われていますが、上野~黒磯間は宇都宮線ではなく東北線の一部として扱われています。
 大宮以南は宇都宮線、高崎線の両方の路線名で呼ばれています。



■ 熊谷分岐・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 

[ 熊谷駅(2012年):秩父鉄道が通り新幹線も止まる駅 ]
   高崎線と宇都宮線の誕生ですが、日本鉄道(株)が第一区線として上野~高崎間の建設を進め、1883(M16)年7月28日に上野~熊谷間が開通し、1884(M17)年5月1日に高崎まで開通しました。
 その後、第二区線として大宮~宇都宮間が1885(M18)年7月16日に開業しましたが、それに先立ち3月16日に分岐点である大宮に駅が造られました。
 

[ 赤色:第二区線(大宮分岐) 朱色:熊谷分岐案 緑色:第一区線 ]

   第二区線は、大宮分岐で検討されていましたが、足利、栃木などから熊谷で分岐し足利・佐野・栃木を経て宇都宮へ達する経路が願望され、県庁(たぶん栃木県庁)も大いに賛意を示したのです。
 当時の井上勝鉄道局長の上申書では、「一地方に利益はあるが他の損失が大きく、幹線鉄道の主旨に適うものではないが、二案の得失を比較するのは普通のやり方なので、実測し鉄道建設並びに営業上の得失を比較」しています。
  大宮~宇都宮 熊谷~宇都宮
延長 48マイル 43マイル
工費 169万5534円 212万758円
工費/マイル 3万5324円/マイル 4万9320円/マイル
営業までの
期間
利根川架橋に1年半
その他は1年
橋梁多数
2年以上
 

[ 利根川(2016年):東北線の利根川橋梁 ]
   熊谷分岐は、距離は短いものの利根川のほかに渡良瀬川や思川など渡河部が多く総工費、1マイル当たり工費ともに大宮分岐が有利と結論していました。また、営業上の費用として、大宮から考えると熊谷分岐は宇都宮まで64マイルとなり大宮分岐より16マイル長くなり、迂回することにより費用と時間が徒に消費される、それを上回るメリットはない、としています。
 さらに、第二区線は宇都宮で止まるものではなく、東京青森間を連絡するものであり一地方の得失に配慮するがため大計を誤ってはならない、と上申書で意見しています。
 

[ 栃木駅北口(2015年):JR両毛線と東武線に加え東北線が通っていたかも ]
   政治の力と称し、鉄道や道路が曲げられて特定の地域向かったり、駅やインターチェンジが造られたりする現在とは大いに違いがあります。



■ 浦和分岐・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   この上申書では、第二区線は大宮分岐か浦和分岐か定まっていなかったが、実測を終え地形そのほか線路を敷設するに当たっても大宮分岐が最も優れていると認められているので、大宮分岐で予算を調整する、と記述されています。
 どういう訳か浦和分岐については詳細な比較はされていません。 
 

[ 大宮駅(2013年):すべての新幹線が停車する駅 ]
   大宮分岐も浦和分岐も大きな違いはないように思いますが、浦和で分岐しほぼ真北に向かい蓮田駅に至るルートでは、見沼田んぼでも幅のある部分(第二産業道路付近)、その北に広がる台地に谷地が複雑に入り込む地域、綾瀬川沿いの低湿地(見沼区丸ヶ崎付近)を通ることになり、意外と障害が多いようです。
 また、浦和~大宮間は線路がほぼ並行して北上するので、列車本数がそれほど多くない当時は二重投資になると考えられたのでしょう。
 浦和分岐の場合、障害となりそうなところを見てみました。明治初期と比べれば建物や農耕地の状況は大きく違いますが、さすがに地形は大きく変わっていません。
 

[ 第二産業道路(2016年):さいたま市緑区三浦付近 ]
   まず、見沼田んぼと言われる部分です。芝川によって台地が削られた谷地がため池として使われていましたが、江戸時代に新田に転換したところなので、軟弱な低地が広がっています。この付近の標高は4m程度ですが両側の台地部は13~14mもあるのでちょっとした急斜面になっています。
 1980年代に開通した第二産業道路は、見沼田んぼに擁壁と盛土で高低差を解消し道路を造っています。線路を敷く場合も盛土などで同じような措置が必要だったはずです。
 
 
[ 綾瀬川沿いの低地(2016年):左側は蓮田側の台地 ]
   見沼田んぼを横断した北側は台地部ですが細かな谷地が入り込み意外とアップダウンがあります。台地部をさらに北に進むと綾瀬川沿いに幅広い低地があり、蓮根も採れるようなところなのでできれば避けて通りたいところです。この付近の標高7m程度ですが蓮田駅付近は13~15mもあるので、ここでも大きな高低差があります。
 少し下流にある流通団地は、河川の調節池の上に人工地盤を設けて造られています。
 

[ 深作遊水地(2010年):人工地盤の上に建物がある ]
   大宮分岐も浦和分岐も大差ないように見えますが、よく見るとそれなりの理由があったように思われます。
 現実の分岐点になった大宮は地元の人々の努力もあり、1894(M27)年には日本鉄道(株)の大宮工場が設けられ鉄道の街として栄えていきました。もし浦和分岐が実現していれば、浦和駅周辺は県庁所在地であることに加え交通の要衝として発展し、その反面、大宮駅周辺は今日のような賑わいはなかったかもしれません。
 第二区線の大宮分岐実現は、旧大宮市にとってまさに歴史的「分岐点」だったのでしょう。
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[ D51(2016年):国鉄大宮工場でも製造していた ]



   

 


おまけ   [ キムラヤ(2016年) ]
 北浦和駅の西口にある定食屋です。メニューには洋食・御飯物・定食・麺類・サンドイッチなどカテゴリーがあり、麺類にはラーメンまであります。エビフライ、ヒレカツは洋食、ミックスフライ、キスフライは定食に分類されています。なかなか難しいメニューの分類です。
食後のサービスにコーヒーが付いてくるお店です。

 
<参考資料>
○大宮市史 (大宮市役所 1977.3.15)
○日本鉄道史 (鉄道大臣官房文書課 1921)
○官報 明治42年10月12日 鉄道院告示第54号「国有鉄道線路名称左ノ通定ム」