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02蕨宿~00日本橋

[ 2025 01 11~ ]

■02蕨宿(埼玉県蕨市)



[ 蕨 旧・中山道(2025 01 11)]


蕨宿は埼玉県内にある宿場の中で、最も宿場町だった面影を残そうとしているようで、宿場の入り口にある交番は瓦屋根をのせた旅籠風の建物です。
中山道の路面は車道が土色にペイントされ、両側は歩行者が快適に歩けるようにブロックが敷き詰められ、車両が入り込まないようにところどころに車止めが建てられています。また、商店の看板は白地に黒文字で書かれたものが多くみられます。



[ 蕨 蕨市民俗資料館(2025 01 11)]


本陣があった場所は蕨市の民俗資料館になっています。中には旅籠の一部が再現され、旅人と足を濯ぐ宿女中の様子がほぼ等身大の人形を使って展示され、桶川宿の旅籠で出されていたメニューですが、庶民の食事を見ることができます。大名が宿泊した本陣上段の間もあり、お殿様が食べていた豪華な食膳も並んでいます。
蕨宿全体の街並みがジオラマ模型で展示してあり、往時の様子が一目でわかります。入場無料のありがたい施設です。
本陣跡のほかにも、明治期の織物の買継商をしていた家が民俗資料館の分館として見学できるようになっていて、こちらも無料です。



[ 蕨 国道17号(2025 01 15)]


蕨宿は昭和初期に中山道のバイパスとして国道9号(現・17号)が造られためか、昔の雰囲気がなんとなく残っていますが、中山道が拡幅されて国道となったところは、マンションや事務所・店舗が立ち並び街道の面影は見られません。
戸田市に入るとわずかな区間ですが中山道が拡げられずに残されたところがあり、建物は現代風ですがそれらしい面影が感じられます。



[ 蕨 戸田市の旧・中山道(2025 01 15)]


■01板橋宿(東京都板橋区)



[ 板橋 戸田渡船場(2025 01 15)]


蕨宿から板橋宿へは荒川を渡ります。
江戸時代の荒川は現在よりも蛇行して、水が流れている部分も狭かったようですが渡船で渡っていました。
現在は戸田橋があり便利なのですが、国道17号は都内から戸田橋にかけては4車線なのに埼玉県に入ると2車線になってしまいます。国道になった中仙道が改修されたのは1930年代の失業救済事業でした。その頃の埼玉は田畑が拡がる農村地帯にもかかわらず、幅15mで整備されたのですから文句は言えません。



[ 板橋 志村一里塚(2025 01 15)]


4車線に拡幅された都内の中山道ですが、日本橋から3番目の志村一里塚は両側の塚が残されています。
昭和初期の道路拡幅の際に塚が石垣で囲まれ、流失することなく今日まで残された、と案内板に説明されています。
一里塚を残すため東側の歩道は塚を迂回するように設けられています。当時のお役人としては粋な仕事ではないでしょうか。



[ 板橋 板橋宿の板橋(2025 01 15)]


旧・中山道はしばらくは拡幅された国道17号になっていますが、首都高速道路の高架が17号に覆いかぶさるようになる清水町交番付近で、17号から分かれ街道だった雰囲気の残る道になります。
環状7号を潜り抜け縁切榎を左手に見ながら進むと、板橋宿の名の由来となった「板橋」が見えてきます。現在の橋はコンクリート製ですが、木橋を思わせるような造りになっています。
板橋宿だった頃の建物は残っていませんが、橋の南側は商店が並び人通りが多く地元の人で賑わっています。宿場からいい雰囲気の商店街になったようです。



[ 板橋 巣鴨(2025 01 15)]


板橋宿を出て埼京線踏切を渡り都電荒川線を越えると庚申塚の商店街が始まり、その先はとげぬき地蔵尊高岩寺で有名な巣鴨地蔵通商店街です。「おばあちゃんの原宿」と言われた商店街ですが、今は様々な年齢の観光客でにぎわう通りになっています。
この先中山道は国道17号をたどっていきます。東洋大学、東京大学、東京科学大学などの横を通り、神田明神と湯島聖堂の間を抜けると秋葉原の電気街はすぐそこです。
昌平橋で神田川を渡り中央線ガードを潜って左に曲がり、道なりに進むと神田を経て日本橋。大都会東京の中心部です。


■00日本橋



[ 日本橋 三井本館の前(2025 01 15)]


日本橋に近づくにつれて両側に建ち並ぶビルが大きくなっていきます。
近代的で巨大なビルに挟まれた中山道が続きますが、その中で三井本館は風格のある重厚な建物です。道路に面して列柱が並び外壁は花崗岩で仕上げられた洋風の建物で、昨今の建物とは重みが違います。隣にある三越百貨店は三井本館と様式は異なりますが、老舗の歴史を感じさせる建物です。
近くで新しく建てられたビルは、三井本館や三越百貨店が作り出す街並みの雰囲気に近づかせようと努力しているようで、低層階部分は景観に配慮した意匠になっています。



[ 日本橋(2025 01 15)]


三越百貨店を過ぎると日本橋の上空を覆う首都高が見えますが、それ以上に視界を覆うのは再開発事業で建設中のガラス張りの高層ビルです。高さ284m、延べ床面積368,700㎡の巨大なビルで、手前にある旧・野村證券の建物が貧相に見えてしまいます。
景観の改善のために日本橋の上空を覆う首都高速道路の地下化が進められていますが、まわりに巨大なビルが増えると膨大な費用が必要な首都高の地下化は意味があるのでしょうか?



[ 日本橋 道路元標(2025 01 15)]


日本橋の袂に道路の起点を示す道路元標の複製が置かれています。本物は日本橋の橋面の真ん中に埋め込まれているので、車の往来が多い日中は近づくことができません。
里程標に京都まで503kmとありますが、東海道を通る昔の国道の距離で、旧・中山道で京都まで行くと約550kmあります。