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32本山~28和田

[ 2023 11 29~ ]

■32本山宿(長野県塩尻市)


 
[ 本山 片平橋(2023 11 29)]


名古屋市と長野市を結ぶ国道19号は、急峻な山に挟まれた急流な川と中央本線が走る狭い平地を通っています。19号を管理する国は安全な交通を確保するため道路の改良を進め、贄川宿と本山宿の間でも工事が行われ、2021(R3)年11月に1498mの桜沢トンネルを含む約2.1kmのバイパスが開通しました。
旧道となった区間は交通が減り静かな街道になりました。この旧道区間では、先人が苦労して造った道路や鉄道の廃墟となった姿を見ることができます。



[ 本山 旧片平橋(2023 11 29)]


旧片平橋は、19号バイパスの先々代の国道として1935(S10)年に造られた橋です。当時としては建造に高い技術が必要な鉄筋コンクリート開腹アーチ橋であり土木遺産に選定されています。残念ながらすでに廃道となり橋の老朽化が進む一方で、通行止めになっていました。
この橋は造るもの大変だったでしょうが、撤去は費用がかかる割に効果のない大仕事なので、いずれは崩落して姿を消しそうです。
江戸時代はどうやって奈良井川を渡っていたのでしょうか?沢筋まで下りて渡っていたのでしょうか?



[ 本山 大岨トンネル(2023 11 29)]


大岨トンネルは中央本線が部分開通した1909(M42)年から使われていたレンガ造のトンネルですが、複線化された1978(S53)年に廃線になったようです。トンネルの入口に柵はなく中まで入れるのですが、内部は崩落し土砂が坑口まで堆積し、レンガが大きく剥落しているところもあるので、近寄るのは危険な状態です。
旧・中山道は旧大岨トンネルにほぼ並行して、急斜面の細い道を旧19号を見下ろしながら進みます。
日出塩の集落が近づくと旧・中山道は19号から分かれています。この辺りまで来ると、両脇に迫っていた山が少し遠くなり、閉塞感が和らぎ空も広くなった感じがします。



[ 本山 川口屋・池田屋・若松屋(2023 11 29)]


本山宿への旧・中山道は国道19号から分岐し坂道を進みます。宿場内の旧・中山道は2~3間(3.6~5.4m)だったそうですが、今では8mほどの幅がありそうです。
街道沿いの切妻平入出梁造りの建物で残っているのは、明治初期に建てられたものが最も古いようです。
建物は良い状態で残っていますが、軒先が駐車場のように使われているので、いい写真が撮れず残念です。
本山宿は住む人が減っているようで、ところどころに空き地があり建物の連続性が失われ、歯抜けの街並みになっています。



[ 本山 そば切り発祥の地(2023 11 29)]


本山宿は、そば切り(現在の麺状のそば)の発祥の地と言われていますが、宿場内には蕎麦屋はなく北端の少し外れたところに一軒ぽつりと新しい蕎麦屋がありました。



■31洗馬宿(長野県塩尻市)



[ 洗馬 高札場跡(2023 11 29)]


京都側から洗馬宿へは、中央本線のガードをくぐりちょっとした坂道を上ります。坂道の頂点付近にある公園の脇に高札場跡を示す案内板があり、ここから道が広くなり洗馬宿が始まりますが宿場だった面影は全くありません。昭和初期の大火で宿場の大部分が消失し、道路沿いの住宅は塀や垣根を設けているので、どこにでもある住宅地の様相です。
洗馬宿内の旧・中山道も本山宿内と同じ程度の道幅がありますが、高札場跡、本陣跡、脇本陣跡などの案内板が宿場だったことを物語るのみです。



[ 洗馬 本陣跡(2023 11 29)]


洗馬宿の東京側のはずれに「邂逅(あふた)の清水」という河岸段丘の中腹から湧き出ている湧水があります。ここに来ると洗馬宿が奈良井川より30mほど高い河岸段丘の上面にあることがわかります。
洗馬駅は洗馬宿よりさらに一段高い段丘面にあります。無人駅で、駅前は駐車場(駅利用者の?)になっていますが、トイレも飲み物の自動販売機すらありません。犬の散歩で通過する人がいる程度でした。



[ 洗馬 桔梗が原(2024 01 20)]


洗馬宿を出て国道19号と交差する付近から桔梗が原と言われる平地が広がります。桔梗が原は松本盆地の縁にあたり、山に挟まれた街道から風景が大きく変わります。
ブドウ畑が広がる平地を進み、県の野菜花き試験場を過ぎ中央本線を渡ると右に少し入ったところに平出遺跡があります。縄文・古墳・平安の各時代の住居跡の遺跡で、復元された住居があり中を見学できるようになっています。今から1000年前の平安時代になっても、農村部は竪穴式住居とほとんど変わらない家に住んでいて、優雅で華やかな平安時代のイメージは、京の都のごく一部に限られたもののようです。



[ 洗馬 平出一里塚(2024 01 20)]


平出遺跡の近くにある平出一里塚は両側の塚が現存し、頂部には立派な松があり街道歩く人からよく見えたと思われます。現在は北側の塚がギリギリまで民家に攻め込まれた感じで残っています。


■30塩尻宿(長野県塩尻市)



[ 塩尻 いてうや(2024 01 21)]


塩尻宿は明治15年に大火があり、宿場らしい建物はほとんど残っていません。昭和感の漂う沿道の光景ですが、旅籠屋「いてうや」の看板を掲げた小野家住宅は、江戸の建物がきれいに残っています。
宿場よりも京都側には、豪農であった堀内家住宅が残されています。江戸時代後期の大きな切妻屋根を持つ本棟造の家屋で、大きさにびっくりします。切妻屋根の頂点にある雀踊りと言われる棟飾りが、この様式で造られる家屋の特徴のようです。旧・中山道から見ても雀踊りが目立ち、江戸時代の庄屋さんの力が感じられます。



[ 塩尻 堀内家住宅(2024 01 21)]


本棟造りの家屋は、塩尻宿より東京寄りの柿沢地区にも数件見られ、このあたりの経済力と豊かさを示しているようです。柿沢地区の旧・中山道はほぼ直線ですが、4mほどの幅しかなく7,8%の勾配がある坂道です。雪が降った翌日でしたが、街道を走る地元の車は普段と変わらない運転をしているようでした。
柿沢地区から出て中央高速を越えるところはみどり湖PAが近くにあります。みどり湖PAは高速バスのバス停があるので一般道からPAが利用できます。PAに降りると、上り線が除雪車3台を先頭に渋滞している光景にぶつかりました。PAには塩尻名物の山賊焼きもありましたが昼食には早すぎるので、高速道路利用者ではないのですがトイレ休憩だけさせていただきました。



[ 塩尻 柿沢地区(2024 01 21)]


国道20号を渡ると道幅は2~3mと狭くなり、小さな上り下りがある平地とも山道とも言えないような道が続きます。狭い道なので通行できるのか不安になりますが、雪が降った後に車の轍があるので少しは安心して歩けました。
轍のほかにウサギやシカと思われる足跡が雪の中に残っていましたが、イノシシ、クマの足跡はなかったのでホッとします。片方の塚だけが残る東山一里塚を過ぎると、次第に勾配がきつくなり山道の雰囲が強くなってきます。



[ 塩尻 茶屋本陣(2024 01 21)]


大名や明治天皇が休憩した茶屋を過ぎると、あと一息で塩尻峠に着きます。
国土地理院の地図では国道20号が嶺を越える場所に塩尻峠と記載され、旧・中山道は記載がありません。
峠の近くに展望台があるのですが、雨のため風景を楽しむことはできませんでした。


■29下諏訪宿(長野県諏訪郡下諏訪町)



[ 下諏訪 諏訪湖(2024 01 21)]


塩尻峠を越えると岡谷市に入ります。
峠からの道はとんでもない坂道で、黄色い標識は立っていませんが20%程度の勾配があり、坂を下っていくと自然と駆足になってしまうほどです。凍結すると危険なので年末から3月いっぱいは通行止めの看板が出ていました(勝手に”車両通行止め”と解釈して歩いて下りました)。
勾配が緩くなったところに、どこからか転がってきた巨大な桃の形の「旧中山道の大石」が鎮座しています。この少し先から諏訪湖と湖畔の市街地が見えるようになり、峠を越えてきた実感が湧いてきます。



[ 下諏訪 今井家(2024 01 21)]


国道20号バイパスを越えると、黒塀で囲われた本棟造りの大きな家屋があります。明治天皇が休憩した今井家住宅で、代々名主を務めた旧家だそうです。現役の住宅なので門の中には立入れませんが、門からも雀踊りの付いた江戸時代末の立派な建物が良く見えました。
旧・中山道は下諏訪町境まで幅4m位の一本道で、途中にこの地域の名産である寒天のお店がありました。
岡谷市と下諏訪町の境には小さな川が流れていますが、どういう訳か架けられているのは歩行者用の橋で車は通れません。



[ 下諏訪 手湯(2024 01 21)]


下諏訪町に入ると旧・中山道は国道20号に重なります。国道を直進すれば諏訪大社下社秋宮に至る道で下諏訪駅も近いのですが、両側はシャッターを下ろした店が並んでいます。
旧・中山道は下社秋宮の手前にある復元された高札場で国道から分かれ、斜め左方向に入り宿場らしい風景になります。



[ 下諏訪 温泉街(2024 01 21)]


下諏訪は旧・中山道唯一の温泉がある宿場で、ところどころに温泉で手を暖められる”足湯”ならぬ”手湯”があり冷え切った体にはありがたい施設です。街道沿いには温泉宿もあり外人さんが喜びそうな情緒が漂っています。
甲州街道との分岐を左に進むと、下諏訪宿本陣岩波家の門が見えます。街道沿いの間口は広くはないのですが、江戸後期に建てられた主屋の前に美しい庭園が広がっているそうです。



[ 下諏訪 木落坂(2024 01 21)]


諏訪大社下社春宮の脇を過ぎると、中山道の難所である和田峠へ向かう上りに差し掛かります。
途中に最大傾斜35度の「木落坂」があります。7年に一度行われる諏訪大社の御柱祭では、春宮と秋宮に建てられる8本の御柱がこの坂を滑り降ります。たくさんの氏子が乗った御柱が‭坂を滑り下る様子がテレビでも流され、お祭りの有名なシーンとなっています。


■28和田宿(長野県小県郡長和町)



[ 和田 熊笹の道(2024 04 14) ]


下諏訪宿から和田宿への旧・中山道は、旧・中山道のなかで最も標高の高い和田峠(地理院地図では標高1599m)を越えます。 現在の和田峠は、国道142号の和田峠トンネルとそのバイパスとして造られた新和田隧道があるので、峠を意識して通過することはありません。
旧・中山道を下諏訪側から和田峠へ向かう道は、標高1200mを越えたあたりから国道と分かれ舗装されていない山道に入ります。 標高が高くなると左右に熊笹が広がる高山の様相になり、峠の直前は七曲りと言われるジグザグで勾配のキツイい上り坂なので、ほとんど登山道といっても差し支えない状態です。



[ 和田 和田峠からの眺め(2024 04 14) ]


和田 峠は山火事防止のためか樹木が伐採されて広々とし、遠くに雪のある白い中央アルプスの山々が望めました。
旧・中山道から国道142号となった部分は、有料道路事業で整備された区間があり歩道がないところもありますが、全体的に整備されている印象です。
残念なのはドライバーがペットボトルに溜めた落し物やゴミが多いことです。
日本は清潔できれいな国として、海外旅行者から高い評価を受けているようですが、目立たない場所には残念な実態もあります。



[ 和田 和田峠(2024 04 14) ]


峠を越え和田宿へ向かう道は下諏訪側に比べ格段に緩やかな勾配になります。観光道路のビーナスラインを横断しなければなりませんが、11月から4月は冬期通行止めなのでウグイスの鳴き声がよく聞こえるとても静かな空間です。
国道142号バイパスに合流する男女倉口までは、和田川の沢筋に並行して下っていきますが、灌木が少なく小ざっぱりっとした見通しのいい林間コースです。
峠の下諏訪宿側と和田宿側で旧・中山道は、全く違った様相を呈しています。



[ 和田 灌木の道(2024 04 14) ]


合流する国道142号は大型車が頻繁に通り、ドライバー相手の飲食店がぽつぽつとあり、昼食をとることができたので助かりました。
国道沿いは次第に田畑が増え人家も街道沿いに並ぶようになると、鍛冶足一里塚跡で国道から分かれ和田宿へ向かう4~5mの旧道に入ります。 両側に建物が並ぶようになりますが、江戸末期の建物が残っているのは高札場を過ぎて「中町」に入ってからです。




[ 和田 本陣付近(2024 04 14) ]


和田宿は和宮様江戸行きの前年に大火があり、急ぎ再建された和田宿本陣やかわち屋が現存し見学できるようになっています。
本陣がある一角は同時期に建てられた建物が多くあり、和田宿の中でも宿場らしい雰囲気が感じられるところです。
本陣だった建物は1984年まで旧・和田村役場として使われていて、資料が展示してある部屋は板敷の役場らしい雰囲気が見られます。



[ 和田 本陣の中(2024 04 14) ]


ちかくには黒曜石石器資料館があり和田峠で採れた黒曜石、石器などの展示を見ることもできます。 中山道でキラリと光る石を拾い上げると黒曜石の破片だったり、沢筋にたまっている小石のなかにも黒曜石を見ることができます。
地図で見た和田宿は、山間の細長い谷筋にある閉塞感の高い宿場のように思っていましたが、想像以上に空が広く明るい地域でした。 しかも、両側の山の斜面には桜が点在し、人工的に植えられた桜並木とは一味違う日本の美しさを見ることができました。
暖かくなるにつれて、桜の開花前線が高度を上げていくそうです。