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37福島宿~32本山宿

[ 2023 11 18~ ]

■37福島宿(長野県木曽郡木曽町)



[ 福島 御嶽山遥拝所(2023 11 18)]


旧・中山道は木曽の棧から沓掛一里塚付近までは旧・国道19号ですが、その先は中央本線を見下ろし並行する道を進みます。中央本線から少し離れた小高いところに御嶽神社と御嶽山遥拝所があります。天気が良ければ、木曽川に合流する王滝川の谷筋を通して御嶽山が見えるそうですが、当日は残念ながら雪がちらつく悪天候のため、御嶽山の山並みは全く見えませんでした。
旧・中山道から御嶽山が見えるところは限られており、ここのほかは鳥居峠付近から見えるだけです。「木曽の御嶽山」と言われるので旧・中山道からは良く見えると思いきや、街道は深い木曽谷を通っているうえ御嶽山までの距離も相当あるので、御嶽山が見えるのは限られたピンポイントのみです。



[ 福島 通行止めの中山道(2023 11 18)]


狭い木曽谷を通る旧・中山道は、国道19号やそのバイパス、中央本線で分断されているところがあり、場所によっては人通りがないため通行止めになっているところもあります。
通行止めの区間はやむを得ず迂回して福島宿付近までくると、旧・中山道は木曽川の河岸段丘を関西電力のダム近くまで一度下り、塩渕交差点から木曽福島駅に向けて段丘を上りますが駅前を過ぎるとまた段丘を下るといった、アップダウンの多いルートをたどります。
木曽福島駅前のお店は河岸段丘の肩に建ち、駅から見ると2,3階建てに見えますが、裏から見ると4,5階建ての建物です。御嶽山方面への観光の起点となる駅なので、木曽地域の中で最も栄えている駅前のようです。



[ 福島 街道沿い(2023 11 18)]


駅前から段丘を下ると宿場らしい雰囲気が出てきますが、昭和の初めに大火があったため昔からの古い建物はほとんど見られません。左手に老舗の蕎麦屋くるまやが見え、少し進むと旧・中山道は中央本線ガードの手前を左に曲がります。小さな橋を渡ると鈎曲がりがあり、宿場らしい佇まいの建物が増えてきます。段丘の坂道を上ったところは「上の段」と言われ、短い区間ですが火災から免れた古い街並みが見られます。街道と直行する路地をのぞくと、奥行きのある建物の側面を見ることができます。
古い建物をカフェに改装したお店もありますが、くるまやで蕎麦を食べた後だったので素通りしました。



[ 福島 関所跡(2023 11 18)]


段丘から下り、造り酒屋、旅館、お店が並ぶ街道を進み、人家が途切れ木曽川が見えてくると石垣の上に福島関所跡の遺構と一部の再現された建物があります。雪が降っていたこともあり箱根関所のような賑わいはなくひっそりとしていました。
ここまで来ると木曽川は下流に比べ格段と幅が狭くなり、伊勢湾に注ぐ木曽川とは全く異なった様相です。対岸には白亜の壁にライトグリーンの屋根を載せた御料館(旧帝室林野局木曽支局庁舎)が見えます。無料の博物館だそうですが、ここから足を延ばすのは一苦労です。



[ 福島 御料館(2023 11 18)]


■36宮ノ越(長野県木曽郡木曽町)



[ 宮ノ越  正沢川を渡る橋(2023 11 18)]


福島関所跡から宮ノ越宿の間は国道19号からはずれ、昔からの緩いカーブを繰り返す旧・中山道が多く残っているので、車の通行が少ない道を歩けます。
木曽川支流の正沢川を渡る橋は、河原に転がっている岩の上に小さな橋脚を立てた橋で、橋桁が逆「へ」の字になっている不安な橋です。見た目は不安定そうですが、歩いてみると揺れることもなく無事に渡ることができました。
正沢川を渡り700mほど進むと中山道の中間点を示す案内があり、江戸と京の双方から266kmの距離にある場所だそうです。



[ 宮ノ越 本陣跡(2023 11 18)]


中山道中間点を越え宮ノ越の一里塚跡から500mほど進むと宮ノ越宿です。
宮ノ越宿も明治に入って大火があったため、大火後に近隣からかき集めた部材で建てれられた田中家、建物の一部が火災から免れた本陣が昔の名残を留める程度です。宿場内は道幅が広く、山からも少し離れているので開けた感じのところです。
この日は天候が悪く、一時は朝からの雪が止み青空が見えていましたが、宮ノ越本陣前あたりまで来ると14時なのに夕暮れ時を思わせる暗さになり、雷が鳴ると吹雪のように雪が降り始めました。前から走ってくる車は近くまで来てライトでようやくわかる程度でした。



[ 宮ノ越 巴淵(2023 11 18)]


宮ノ越宿を過ぎると、旧・中山道は木曽川の右岸に移り1km弱進むと再び左岸側に戻ります。左岸に戻る橋の付近が巴淵と言われるところで、木曽義仲の妾であった巴御前が武芸に励んだ場所と言われ、静かで紅葉が美しいそうですが、この日は一面の雪景色でした。
巴淵から藪原宿方面に進むと「神谷入口」交差点があり、周りに人家は全くないのですがドライバー目当てのセブンイレブンがあります。交差点は、左が旧・中山道、直進が19号塩尻方面、右が伊那谷へ抜ける県道ですが、旧・中山道は通行止めのため塩尻方面へ抜けるトンネルを歩かねばなりません。



[ 宮ノ越 トンネルとセブン(2023 11 18)]


立体交差やガード下をくぐることはあっても山岳トンネルを歩くことはめったにできない経験です。
歩道があるトンネルなので車の怖さはないのですが、音が反響し乗用車でもトラック並みの轟音を立てて通り抜けていきます。車両のエンジン音よりもタイヤと路面から出るロードノイズが主音源のようです。
トンネルを抜けしばらく国道19号を歩くと、ロックシェッド(洞門)の脇に設けられた歩道を歩く経験ができます。ここは、ロックシェッドの外に歩道があるので車の怖さも騒音もトンネルに比べれば格段に小さく、ほとんど気になりませんでした。


■35藪原宿(長野県木曽郡木祖村)



[ 藪原 街並みお六くし(2023 11 19)]


ロックシェッドを過ぎ人家の全くない国道19号を歩き続けると、旧・中山道は「藪原」交差点で国道19号と分かれ左に進みます。中央本線のアンダーパスをくぐり、藪原駅の裏側を通る道を進むと高札場跡があり藪原宿の街並みが始まります。藪原周辺はお六櫛と言われる櫛の生産地で、軒先の看板にお六櫛の文字がちらほら見られます。
新しい建物が増えていますが、ところどころに古い旅籠風の家屋も残っています。
藪原宿は江戸時代に大火を経験し、延焼を防ぐため石垣の上に土塀を設けた防火高塀が造られましたが、現在は基礎の石垣だけが残っていました。



[ 藪原 防火高壁(2023 11 19)]


藪原宿を過ぎると中央本線が旧・中山道を分断しているため、跨線橋を渡り東側に進みます。
勾配がきつくなり人家が少なくなると森林が増えはじめ、旧・中山道は舗装された林道から分かれ林間の遊歩道を進みます。
整備された九十九折りの遊歩道で高度を稼いでいきますが、高くなるにつれ昨日の雪が遊歩道の全面を覆うようになり、落ち葉を踏む音から雪を踏みしめる音に変わっていきます。



[ 藪原 御嶽山遠望(2023 11 19)]


静かな山道を進むと鳥居峠の手前に、御嶽神社があり御嶽山を眺望できる場所があります。後で地図を見てた確かめてみると、ここから御嶽山山頂までは30km弱あり、大宮駅からスカイツリーまでの直線距離とほぼ同じです。木曽の山々の深さを感じます。
幾重にも重なる木曽の山並みの先に、少し雲はありましたが真っ白い御嶽山を見ることができたのは、運が良かったようです。御嶽山が噴火したときは、ここから噴煙が見えたのでしょうか。
旧・中山道の沿道は石仏が多く残されていて、ここの御嶽神社にも多くの石仏・石碑がありました。



[ 藪原 鳥居峠(2023 11 19)]


御岳神社から栃の木群を抜けると林道との交差点に出ますが、林道は峠付近を開削して造られた道なので江戸時代の鳥居峠への道は林道から細い山道へ入ります。交差点にある案内案をよく見て進まないと昔の峠にはたどり着けません。
鳥居峠付近からも木々の間から御嶽山が見えました。


■34奈良井宿(長野県塩尻市)



[ 奈良井 山腹を縫う中山道(2023 11 19)]


鳥居峠から奈良井宿方面への山道を下ると、再び林道と合流する地点に立派な休憩所があるので一息つくことができます。
林道を少し歩き林道から旧・中山道が分岐すると石畳になりますが、きれいに石が並んでいるので近年になり復元整備?されたようです。石畳は雪があると滑りやすく歩くのに難儀します。
奈良井宿への山道は山腹を縫うような狭い道で、手入れがされている現在でも人ひとり歩くのが精一杯の幅しかないところがあり、駕籠や輿を担いで通ることができたとは思えない道です。中山道を通った和宮様の降嫁は、藪原宿から鳥居峠を越えて本山宿までが一日の行程(約20km)でしたが、山あり谷ありの道なので輿を担ぐ人は大仕事でしたが、輿に乗っていた和宮様も大いに疲れたことと思います。



[ 奈良井 奈良井宿上町(2023 11 19)]


鳥居峠からの山道が終わると、奈良井宿の南端にある楢川歴史民俗資料館、鎮神社が見えます。神社の隣には復元された高札場があり、奈良井宿の街並みが始まり街道を歩く観光客が一気に増えます。
奈良井宿は1978(S53)年に重要伝統的建造物群保存地区に指定され、建築行為に制限がかけられていることもあり、現在まで切妻平入出梁造りの家並みが連続する宿場らしい街並みが保存されています。昔は板葺石置屋根でしたが、耐久性がないため現在は鉄板葺きに代わっています。屋根の勾配が緩いため、通りを歩いていても屋根は見えないので、景観を壊すようなことはありません。



[ 奈良井 中町の通り(2023 11 19)]


街道の幅は、京都側の上町が2間半~3間(約4.5~5.4m)、中町が3間~3間半(約5.4~6.3m)、下町が1間半~2間半(約2.7~4.5m)と、宿場の前後が狭く中央が広くなっています。上町から中町に歩いて入ると、建物の軒が低くいこともあり中町の道幅は結構広く感じます。
外国人が日本らしさを感じる観光地として京都などの寺社のほかに、街道沿いの宿場町も評価が高いようで、奈良井宿でも外国人観光者を見かけました。どこの国の観光客でも静かに散策や飲食を楽しんでいるならば大歓迎ですが、中には大声を張り上げて踊っているTikTokの収録中と思われる一団がいて、このような観光客に出会うと辟易します。



[ 奈良井 下町の通り(2023 11 19)]


奈良井宿は、お土産屋、甘味屋、蕎麦屋、旅館など営業している店舗のほか、商売をしていない普通の住宅も挟まっています。街道に面している家屋は街道からしかアクセスできないので、住民の生活に必要な車両は通行せざるを得ませんが、観光客の多くは中央本線の東側にある駐車場を利用して見学に来ているようです。奈良井宿も妻籠宿などと同様に電線と電柱がないので、道幅の割に広い空を見ることができます。
小腹が空いたので下町のお店で五平餅を戴きましたが、串に刺したものではなく小さな今川焼(≒大判焼)ほどの大きさの餅に山椒味噌、ゴマ、エゴマのたれがかけられたものでした。このお店独特の五平餅なのでしょうか、初めて見た形でした。



[ 奈良井 五平餅(2023 11 19)]


鳥居峠を越えたことで木曽川流域から信濃川流域に変わり、奈良井宿から出て奈良井駅前を過ぎると、旧・中山道は日本海に注ぐ信濃川の支川の一つである奈良井川沿いを進みます。
京都から旧・中山道を通って東京を目指すと、木曽川は進行方向と逆方向に流れていますが、奈良井川は進行方向と同じ方向に流れるのでちょっと奇異な感じがします。



[ 奈良井 奈良井川(2023 11 19)]


■33贄川宿(長野県塩尻市)



[ 贄川 木曽平沢漆器(2023 11 19)]


奈良井川の堤防上を歩き中央本線をくぐると漆器製造が盛んな木曽平沢に入ります。
旧・中山道の宿場ではありませんが、漆器店が軒を連ね漆工を行う町として多くの特徴があることから、2006(H18)年に重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けています。
漆器店は数多くあるのですが、どの店も小規模でショーウインドウのように陳列してないため、気軽に立ち寄れる雰囲気はなく、商売っ気が感じられませんでした。この辺の漆器店はこの場で販売するのではなく、作ることに専念しているようです。



[ 贄川 長野オリンピックメダル(2023 11 19)]


近くに道の駅「木曽ならかわ」があり、売店ではいろいろな製造元の漆器を売っているので比べながら気楽に買え、漆器の製造工程が見られるコーナーもあります。大きな漆器はそれなりのお値段ですが、漆塗りのお箸は嵩張らずお手頃な値段でいいお土産になりました。1998年長野オリンピックのメダルは、漆を使ったデザインの木曽平沢で造られたメダルで、金、銀、銅メダルの現物が展示されていました。
道の駅から贄川宿までの旧・中山道は国道19号になっている部分が多く、沿道には漆器販売店が点在しています。19号から贄川宿への道は中央本線によって途切れているので跨線橋を渡らなければなりません。贄川宿は切妻平入出梁造りの家屋もわずかですが残っていますが、新しい住宅が増えつつあります。



[ 贄川 関所跡(2023 11 19)]


宿場の北端に贄川関所を復元した板葺き石置きの建物がありますが、当時の関所とは建物の位置も向きも異なっています。見学料300円はちょっと高い感じです。
贄川駅を過ぎ北にある小さな集落を通っている時に、ご老人に声をかけられ身の上話を聞くことになりました。ご老人は、志賀高原の大きな橋の近く(どこだかさっぱりわかりません)で育ったらしいのですが、縁あって贄川に嫁ぐことになったそうです。志賀高原では道から離れて家を建てるため、道と玄関が離れているのが当たり前ですが、贄川は道沿いに家が建っていて、戸を開ければ「こんにちは」となったことに大いに驚いたそうです。子供は東京に出てしまったので、志賀高原出身のご老人が贄川の家を守ることになったと、話していました。
いろんな人生があるものです。




<参考資料>