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47大湫宿~43馬籠宿

[ 2023 07 02~ ]

■47大湫宿(岐阜県瑞浪市)



[ 大湫 弁財天の池(2023 07 02)]


大黒屋からしばらくは県道65号恵那御嵩線を歩きます。県道ですが道幅は狭くもちろん歩道はありませんが、舗装された道を歩けます。
途中に弁財天の池があり、小さな蓮が一つ咲いていました。林の中が続く街道の中で、ちょっとした開放感がある空間になっています。周囲の雑草は刈られてこざっぱりとしているのですが、歩いてくる人を想定していないのか、案内板はあるもののベンチは置かれていません。



[ 大湫 琵琶峠への道(2023 07 02)]


県道を進むと旧・中山道は分岐して民家の裏道のような道を進み琵琶峠に向かいます。分かれてしばらくは砂利道ですが、途中から石畳に変わります。角が丸くなった石が多くあるので、昔のままの石畳が大きな改修をされずに残されているようです。
上り坂の石畳が続き足が疲れたころ、両側に塚が残る八瀬沢一里塚が見えてきます。こちらもいい形で残されている一里塚です。
峠を越え石畳の下り坂が終わると再び県道65号恵那御嵩線に合流。右手に見える病院を通り過ぎると左手に「烏帽子岩」「母衣岩」の二つの巨大な岩が道路わきに鎮座しています。山を見上げると岩の露頭が見えるので、上から落ちてきた岩かもしれません。
巨岩から500mほど進むと丁字の交差点で県道65号と分かれ高札場から大湫宿に入ります。



[ 大湫 大湫宿(2023 07 02)]


大湫宿は狭い道の両側に家屋が肩を寄せ合うように建っていて、細久手宿に比べ建物が多く宿場らしい雰囲気があります。
本陣跡の反対側ある休憩所の売店から味噌を焼く香ばしい香りが漂っていて、おやつに丁度いい時間でもあったので五平餅をいただきました。観光客は少ないのですが、地元の集まりで五平餅を大量に頼みに来るお客さんもいました。



[ 大湫 五平餅(2023 07 02)]


休憩所の隣にある旧森川訓行家住宅は江戸末期の大きな家屋で、夏は土間を風が通り抜け涼しいのですが冬の寒さは厳しいそうです。
新型コロナの前は、細久手宿から大湫宿を歩いてくる外国人の団体さんが多くあったそうですが、なかなか元通りに回復していないようです。
宿場を外れるといきなりきつい上り坂になります。「これより東十三峠」と石碑があるように、いくつもの上り下りが待ち受けています。


■46大井宿(岐阜県恵那市)



[ 大井 ゴルフカート(2023 07 02)]


大井宿に向け林の中を進んでいくと、近くにある豚舎のにおいが漂ってきます。風向きが悪いためか、かなりの間このにおいを嗅ぎつつ歩くことになってしまいました。
においから解放されると旧・中山道を挟んでゴルフ場が造られたところを通ります。街道の脇にはOBしたゴルフボールが防球ネットからはみ出し、ラウンド中のゴルフカートもちらちら見えます。ゴルフコースを行き来するため、ゴルフカートが旧・中山道を通る区間もあり、びっくりでした。
この道を自転車で登ってくる猛者もいて、さらにびっくりです。さすがに勾配がきついので、自転車を押しての登坂でした。



[ 大井 紅坂一里塚(2023 07 02)]


しばらくは、林を抜けると小さな平地、また林に入り小さな平地に出るの繰返しが続き、電線や電柱がなければ江戸時代そのものです。深萱立場跡付近は比較的大きく開けたところで、休憩所やトイレもありますが売店や自動販売機はありませんでした。
この先ひと上りすると、石畳の中にぼたん岩と言われる岩がありますが、言われてみれば牡丹の花に見えるかな、程度の感想です。
ぼたん岩の先、林が少し開けたところに紅坂一里塚がありますが、一里塚の手前で結構大きなイノシシが旧・中山道を横断する姿を見ました。昨日に続き2回目です。イノシシが多い地域のようで、近くの田畑は獣害防止のための電線が張り巡らされていますが、どの程度の効果があるのでしょうか。



[ 大井 昭和の看板(2023 07 02)]


中央高速が見えてくると山間の道は終わり平地の道になります。
永田川という小さな川を渡ると、歴史ある古い家屋がいきなり両側にあり、その先には昭和の建物らしい店舗が点在しますが多くは営業していません。道の狭さも街道らしい曲がり具合も昔のままで、昭和の雰囲気がある看板が掲げられたままの建物もあり、撮影のロケ地に使えそうなところです。



[ 大井 明治天皇行在所(2023 09 16)]


大井宿の中心部は、駅前通から阿木川を渡りすぐに左折、右折を繰り返します。火災や道路の新設により江戸期の建物はわずかで、現代の建物の間に昔の建物が残るようになり空き地もあるので、街並みの連続性に欠けています。
市町村合併で恵那市が誕生する前は、大井という町があり「大井宿」の名前が残っていましたが、合併で恵那市になり宿場の名前が消えてしまいました。


■45中津川宿(岐阜県中津川市)



[ 中津川 はざま酒店(2023 09 16)]


大井宿から中津川宿への道は、木曽川に注ぐ支川が段丘を削り谷を創り出しているので、アップダウンを繰り返しています。炎天下ではこの小さなアップダウンが意外と体力を奪い取ります。
街道沿いの民家は新しい建物が建て込みつつあります。その裏は田畑が広がり岡瀬沢を越えるところでは、川に沿って水面近くを青いカワセミが飛び交っていました。
中津川を渡り坂道を進むと中津川宿に入り、立派なうだつのあるはざま酒造の酒蔵が見えます。はざま酒造は白と黒が基調の重厚な感じの建物で、1階の屋根瓦の上には杉玉が小屋根の下に置かれ、清酒恵那山の蔵元らしい風格があります。



[ 中津川 宿場の通り(2023 09 16)]


はざま酒造の前を左折すると、うだつのある商家が両側に並び観光客もちらほら行き交っています。多くの観光客の目的は、栗きんとんで有名な川上屋本店が目的のようで、店内では注文待ちの客が並んでいました。品揃えは栗を使った羊羹や饅頭、最中が中心なので、洋菓子店のような派手な雰囲気はなく落ち着いた店内になっています。
はざま酒造や川上屋本店がある桝形の前後は、比較的多くの古民家が残っているので、旧・中山道の宿場らしい風情が残っています。



[ 中津川 すや(2023 09 16)]


この先、駅方面への旧・中山道は店舗、住宅、公共施設が混じる街並になり、昔ながらの駄菓子屋には子供たちが集まっていました。
旧・中山道が駅前通りと交差する手前に、川上屋と肩を並べる栗きんとんで有名店の「すや」があり、古民家風の建物は老舗らしい落ち着いた構えです。栗きんとんは毎年9月から12月までの期間限定の販売で、中津川駅前の「にぎわいプラザ」には市内各店の栗きんとんが勢揃いし、バラで買うことができます。
栗きんとんは美味しいくて嵩張らないので、お土産には最適なのですが賞味期限が短く、9月に買った際は製造日を含め3日だったのでご注意を。



[ 中津川 栗きんとん 左:すや 右:川上屋(2023 09 17)]


中津川駅前通りを横切り、しばらく行くと河岸段丘の急な坂を上ります。
このあと、同じような段丘の上り下りを繰返します。


■44落合宿(岐阜県中津川市)



[ 落合 本陣前(2023 09 16)]


旧・中山道は国道19号と絡むように落合宿に至ります。落合宿は鉄道から離れた、ひっそりとしたところで、道幅は大井宿や中津川宿に比べて広く、空が広く感じられます。
落合宿は、岐阜県内の旧・中山道のなかで唯一本陣の建物が現存していますが、老朽化が著しく本格改修には数億円の費用が掛かるため、市のHPでクラウドファンディングを実施していました。



[ 落合 街並み(2023 09 16)]


落合宿からは、東側を流れる落合川の上空に架かる中央高速道路の赤いアーチ橋が良く見えます。中央道はこの付近で木曽谷を通る旧・中山道と離れはじめ、中央アルプスの南端をトンネル(恵那山トンネル:上り8,649m下り8,489m)で抜け木曽谷より平地の多い伊那谷へ向かいます。
落合川を渡ると馬籠宿への山道が始まります。



[ 落合 中央道(2023 09 16)]



■43馬籠宿(岐阜県中津川市)



[ 馬籠 石畳(2023 09 17)]


中津川市内の旧・中山道は、明白色の砕石を混ぜたアスファルトで舗装されています。標識は一度見落としてしまうと方向違いの道に進んでしまいますが、この舗装は常に進路を確認できるので地図を見なくても迷うことなく歩くとこができます。
しばらく進むと、石畳の遊歩道になります。落合の石畳といわれ全長840m程のうち、約70mとわずかではありますが往時の石畳が残されています。復元された石畳に比べ、石が若干小さく丸みを帯びているようです。
東海道箱根に残る石畳に比べ中山道の方が保存状態は良い感じで、苔の生えた石畳にこもれびがさしこむ風景は、江戸時代も同じだったはずです。
石畳の区間を抜けると上り下りが少なくなり、狭い谷地に田畑と民家が点在するようになります。



[ 馬籠 宿場の道(2023 09 17)]


馬籠宿の最西端は県道7号中津川南木曾線と交差し、近くには立派なバス停があり外国人も混じる観光客が写真撮影に熱をいれています。
馬籠宿は尾根上の斜面に広がり、街道は急勾配といっても差し支えない坂道です。両側にお土産屋、飲食店、民宿が並ぶ風景は、京都産寧坂ほどではありませんが観光地そのものです。
道はきれいで歩きやすい石畳に化粧され、両側に並ぶ建物は景観に配慮して建てられているので、外人が喜ぶ「古の日本」が感じられる観光地になっています。
馬籠バス停から馬籠宿の街道を上り、再び県道7号と交差するまでが賑わいのある区間ですが、その上にも復元された高札場、陣場上展望台があり観光客が足を運んでいます。



[ 馬籠 宿場の道(2023 09 17)]


馬籠宿の賑わいのある区間は、10%を超える急勾配の坂道です。バス停を少し下ったところに緩斜面の土地があるのにもかかわらず、このような勾配のキツイところに宿場を設けた理由は何だったのでしょうか。
馬籠宿は2005年2月12日までは長野県木曽郡山口村でしたが、翌日中津川市に越境合併し岐阜県になりました。馬籠峠を挟み岐阜県側にあるので、特に大きな混乱なく越境合併ができたようです。



[ 馬籠 陣場上展望台から(2023 09 17)]