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67守山-63鳥居本

[ 2023 02 10~ ]

■67守山宿(滋賀県守山市)


 
[ 守山 「綣」「焔魔堂町」(2023 02 10)]


草津宿から守山宿にかけての中山道は、ほとんど幅が拡げられず両側に家屋が並んだところが多いようですが、滋賀ナンバーの車はスピードを落とすことなく走り抜けていきます。
途中に「綣(へそ)」「焔魔堂町(えんまどうちょう)」という面白い交差点名がありました。「綣」は栗東市内にあり、綣とは機織り機に装着する麻糸のことで、この地が産地だったため地名に残りました。「焔魔堂町」は守山市内の地名で、平安時代に閻魔大王像が十王寺に安置されたことに由来しています。
焔魔堂町を過ぎると、滋賀県内で唯一現存する今宿一里塚があります。塚に生えている榎は一度枯れたましたが、脇芽が成長し立派な樹形になっています。
今宿一里塚付近から守山宿が始まり、道の狭さに宿場の歴史が感じられますが、沿道の建物は多くは新しいものです。



[ 守山 かたたやのえび天そば(2023 02 10)]


守山宿の中ほどに、町家を改装した「かたたや」という蕎麦屋があります。お店のHPによると1831年築の建物を蕎麦屋に改装し、店内は古材の梁が堪能できる空間になっています。
テーブル席とカウンターが置かれ、スマホで注文できるお洒落なお店です。十割そばがウリの人気があるお店のようで、店に入った11時頃にはすでに食べ終えたお客さんもいました。えび天そばをいただきましたが、そばと揚げたての天ぷらは彩のよい器にきれいに盛り付けられ、店内の雰囲気とマッチしています。
外から見ると二階は縦格子と漆喰で塗り込められた虫籠窓があり、街道沿いの町家の雰囲気を出しています。
お値段もリーズナブルで、お勧めできるお店でした。
「かたたや」よりも東側の中山道沿いには町家がいくつか残っていますが、点在しているので宿場らしい景観を造り出すには不足しているようでした。



[ 守山 本陣跡(2023 02 10)]


守山宿から武佐宿へ向かう途中に間宿である鏡の宿があり、近くに道の駅「竜王 かがみの里」があります。かがみの里は源義経が元服した地と言われ、義経が宿泊した跡地を示す石碑も立っています。
かがみの里付近の旧・中山道は拡げられて国道8号になっていますが、交通量が多いにもかかわらず歩道がなく、あっても人ひとりが歩くのがやっとの幅しかないので、歩いて見学するのは厳しい環境です。



[ 守山 義経宿泊の館(2023 02 10)]



■66武佐宿(滋賀県近江八幡市)



[ 武佐 武佐駅(2023 02 10)]


守山宿から武佐宿に向かう途中、野洲川を越え少し行くと朝鮮人街道との分岐点があります。朝鮮人街道は朝鮮通信使が江戸に向かう際に通った街道で、この道を進むと近江八幡を経て信長の居城があった安土に向かいます。
旧・中山道の武佐宿は、近江鉄道武佐駅があり近江八幡から一駅ですが、無人駅で周辺にはお店もなく寂しい住宅地です。街道沿いは比較的連担して家屋がありますが、守山宿と同様に古い町家は点在の状態になっています。本陣跡の横に郵便局があり、町家風の造りで街並みに配慮しポストも黒色になっています。



[ 武佐 本陣跡(2023 02 11)]


武佐宿を外れると小さな集落をいくつか通過しますが、そんな集落に「西老蘇」「東老蘇」があり、「西老蘇」の集落は街道脇に「西老蘇住宅案内」が自治会によって掲げられていました。70~80件ほどの住宅がありますが、人の出入りが少ないのでしょうか三つほどの苗字で大半を占めていました。
老蘇の集落の近くにある老蘇の杜の中に「奥石神社」が鎮座しています。安産のご利益がある神社だそうですが「奥石」と書いて「おいそ」と読みます。
「老蘇」と「奥石」の二つの漢字が存在する理由は分かりませんが、どちらも難読の部類です。



[ 武佐 老蘇と奥石(2023 02 11)]


奥石神社をすぎると正面に見える山は、六角氏の観音寺城があった繖山(きぬがさやま)で、その裏には安土桃山城があった安土山がありますが、完全に陰に入ってしまい見えません。
旧・中山道は、国道8号との交差点で右折し、左手に繖山を見ながら五個荘へ向かいます。


■65愛知川宿(滋賀県愛知郡愛荘町)



[ 愛知川 松居家住宅洋館 (旧五箇荘郵便局)(2023 02 11) ]


武佐宿から東へ向かい愛知川を渡る手前は、東近江市に合併する前の旧・五個荘町にあたります。五個荘は「買い手よし、売り手よし、世間よし」の三方よしで有名な近江商人の集落の一つで、各地との往来を考えれば中山道沿いが便利だと思いますが、なぜか近江商人の豪邸は中山道からはずれています。
旧・中山道沿いに豪邸はありませんが、大正時代に郵便局として建てられた洋館がきれいに残されていました。



[ 愛知川 旧近江銀行(2023 02 11)]


愛知川を渡り国道8号を少し歩くと旧道との分岐に「中山道愛知川宿」と書かれたゲートがあり、愛知川宿に入ります。愛知川宿は様々な時代の建物が並び、昭和30年代までは両側に並ぶ商店も盛んだったようですが、現在ではシャッターが下りたままの店もあり、賑わいは感じられません。
愛知川宿高札場近くに愛知川ふれあい本陣という地域おこしの場所があり、旧・近江銀行として造られたクリーム色でアールデコ調の建物がひときわ目を引きます。近江銀行は金融恐慌のあおりを受けて1927年に破綻しましたが、建物は現在まで残ることができました。内部は銀行時代と様変わりしていますが、残された金庫が銀行だった面影を残しています。
銀行だった建物の裏には、軽食も食べられる喫茶店もあります。



[ 愛知川 伊藤忠の提灯(2023 02 11)]


愛知川宿を出て高宮宿に向かう途中に、玉屋といううどん屋があります。うどん屋なので「他人うどん」(肉うどんの具を卵でとじたうどん)を注文しましたが、地元の方の注文は中華そばが一番多いようでした。中華そばも食べてみたい気も起こりましたが、他人うどんを食べた後に中華そばが食べられるほど大きな胃袋でないのが残念です。
玉屋の斜向かいに「伊藤忠兵衛記念館」があります。伊藤忠商事や丸紅の創始者の邸宅ですが、なんと無料で公開されています。特段大きな建物というものではありませんが、それでも土蔵が二つあり起業した会社の年表や当時使っていた金庫などが展示されています。展示物を見て伊藤忠商事と丸紅が同じ会社から分離したということを初めて知りました。
もちろん伊藤忠兵衛氏は近江商人の代表的人物です。



[ 愛知川 旧・豊郷小学校(2023 02 11)]


「伊藤忠兵衛記念館」から少し進むと右手が開け、奥に壮麗、清楚で巨大な白い建物が見えてきます。幅の広い左右対称の建物で、正門の柱には「豊郷小学校」の銘板があります。現在の豊郷小学校は裏に新しい校舎があり、この建物は町の図書館や外郭団体の事務室として使われていますが、一般の人も内部を見学できるようになっています。
中央部3階建て建物の正門から入ると左右に板張りの長い廊下があり、小学校当時の状態のまま教室が展示室や事務室として使われています。展示室には、この立派な学校ができた歴史がパネルや模型で案内されています。
豊郷小学校は、当校を卒業し丸紅の専務取締役であった古川鉄治郎氏が私財を投げ打って建設された鉄筋コンクリート造で、設計はヴォーリズ、今でも十分に小学校として使えそうな建物です。



[ 愛知川 うさぎとかめ(2023 02 11)]


階段の手摺にはブロンズのウサギとカメが取付けられ、怠けたウサギがカメに負ける物語を語っています。
この校舎を残すために町では大騒動があったそうですが今は静かな環境になり、こんな小学校を卒業してみたかったと思う人も多いのではないでしょうか。
広い敷地に配置された美しい建物は地域の財産です。


■64高宮宿(滋賀県彦根市)



[ 高宮 無賃橋(2023 02 11)]


犬上川にかかる無賃橋を渡ると高宮宿に入ります。江戸時代は川渡しや橋の通行が有料だったのに対し、費用を一般から募って架けられた無料の橋だったので無賃橋と呼ばれていました。本当の橋の名は高宮橋ですが、現在でも地点名標識には「無賃橋北詰」とあり、無賃橋が一般的に使われているようです。
高宮宿内の中山道は昔の道幅のまま両側に家屋が建ち並び、軽乗用車のすれ違いがやっとできる程度の幅しかないので、安心して歩くことができませんが古い町家が多く見られます。



[ 高宮 鳥居(2023 02 11)]


町の中心部にある精肉店の駐車場には冷凍のお肉の自販機が置かれ、近江牛焼肉130~150gが2000円、たれ付きハラミ200gが1600円、サーロインステーキ100gが2000円で販売されていました。どの程度の利用があるのでしょうか、販売機を眺める人はいましたが買わずに通り過ぎてしまいました。
この精肉店の隣に石造の大きな鳥居が立っています。多賀大社参道の鳥居ですが、ここから多賀大社までは3km以上もあり、歩いていくには少々距離があります。車や電車がない時代は、高宮宿からこの参道を通って多賀大社に参拝するのが一般的だったのでしょうが、現在は車のほか近江鉄道高宮駅から多賀大社へ向かう電車があり、10分もかからずに多賀大社前駅に着きます。



[ 高宮 多賀神社(2023 02 11)]


多賀大社前駅から歩いて10分ほどで大社に着きます。門前では名物の「糸切餅」を売る土産屋が数件軒をそろえています。糸切餅は、こし餡を餅で包み表面に数本の縞模様を描き、細長く伸ばした後に糸で一口大に切り揃えた和菓子です。柔らかい餅なので購入した際は「本日中に召し上がってください」と案内されました。
見た目がきれいで美味しい和菓子でした。



[ 高宮 糸切餅(2023 02 11)]



■63鳥居本宿(滋賀県彦根市)



[ 鳥居本 名神高速のガード(2023 02 12)]


鳥居本宿は今では名神高速道路と東海道新幹線に挟まれた形になっています。琵琶湖側から見ると石田三成の居城があった佐和山の裏側にあたります。昔は佐和山の麓まで琵琶湖の水面があったので、中山道はこのようなルートになったのでしょうか。
鳥居本宿に入る手前、小野町集落近くの名神高速と新幹線の上に、橋のような構造物があります。名神高速にある構造物は鋼製のアーチのみ、新幹線の上はちょっとしたステージのように見えます。後で調べたら、昭和期にセメント鉱石を運ぶ索道が上空を通っていたため、下を通る車両の安全のためガードが造られたそうですが、索道が廃止された後もそのまま残っているようです。



[ 鳥居本 狭い道(2023 02 12) ]


鳥居本宿の街並みは、彦根城下からくる朝鮮人街道と合流する付近から始まります。ここも高宮宿と同様に昔の街道幅で建物が建ち並んでいるため、自動車が大手を振って通れる環境ではありません。
家屋が街道ギリギリに建っているのでより狭く感じてしまいます。



[ 鳥居本 赤玉神教丸(2023 02 12) ]


宿場内の旧・中山道はほぼ直線ですが、しばらく進むと突き当りに大きな古民家が見えてきます。江戸時代から続く現役の薬局で「赤玉神教丸」という薬を販売しています。建物は宝暦年間(1751~1764年)に建てられたもので、明治天皇の休憩所として使われたこともあるとのこと。正面からも建物の大きさは分かりますが、横から見ると屋根が複雑に重なり合い、いくつもの切妻が建物の大きさを強調しています。
旧・中山道が大きく曲がっているのは鳥居本宿の桝形で、たまたまここに薬局ができたためですが、薬局のあるため道が曲がっているように感じてしまいます。