chapter-020 幻のシェルター

[ 2006.12~ ]

■交通量の多い県道・・・・・


道路交通の状況を把握するため、概ね5年に一回の割合で全国道路・街路交通情勢調査(通称:道路交通センサス)という調査が行われています。
その調査の中に全国各地で行われる交通量の調査があります。
昔の交通量調査は、銀色のカウンターを抱えてカチカチと通過する車や人の数を調べていましたが、最近は交通量常時観測装置や画像認識型交通量観測装置(AI カメラ)などの機器が用いられており、人手で観測するのは少数派のようです。



[ 国道16号(2012年):ここは17号が重なっている ]


2021年に行われた調査では、一般道では16号、17号、122号などの国道が交通量の多い上位に並び、県道では練馬川口線(和光市)やさいたま栗橋線(旧鷲宮町)が顔を出しています。
どちらの県道も上下4車線の県道ですが、3~4万台/日を超える自動車が走っています。
練馬川口線は、都内の環状8号とつながる道路なので交通量の多さにもうなずけます。
さいたま栗橋線は国道16号と125号を結び、東北道久喜ICもある南北方向の幹線道路です。



[ さいたま栗橋線(赤色) ]


■さいたま栗橋線と原市団地・・・・・


さいたま栗橋線と言われると馴染みが薄いのですが、さいたま市が誕生する以前は“大宮栗橋線”という名称で、地元では単に“栗橋線”と呼んでいる人もいます。
この道路は比較的新しい道路で、埼玉県が国道17号と国道4号を結ぶ4車線道路として計画し、1962(S37)年4月1日に県道に認定された延長18.4kmの道路です。
1967(S42)年に開催される埼玉国体を供用開始の目標に、1962(S37)年から用地買収が始まり、1964(S39)年から道路工事が進められ、予定通り国体開催の1967(S42)年9月に沿道住民の祝福(?)を受け開通しました。



[1974(S49)年の原市団地:国道16号バイパスは工事中]
(国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省 ckt-74-17 c14-19)


道路工事とほぼ同じ時期に、当時の日本住宅公団が上尾市原市に住居棟46棟、管理事務所など6棟からなる総戸数1,583戸、総面積約137,000㎡の原市団地を造り始めました。
この団地は1963(S38)年に着工され、さいたま栗橋線が開通する前年の1966(S41)年11月15日には入居が始まるという、超ハイスピードで工事が行われました。
今でこそ原市団地は埼玉新都市交通ニューシャトルの駅まで10分程で行けますが、当時は最も近い東大宮駅まで2.5kmもあり、車が使えなければまさに陸の孤島でした。


■シェルターによる騒音対策・・・・・


さいたま栗橋線の交通量は開通後数年で劇的に増加し、1972(S47)年には現在と同程度の交通量になりました。
交通量が増えれば当然騒音も大きくなります。
もともと道路がないところに4車線の道路が造られたので、ただでさえうるさく感じるのに、急激に交通量が増えては騒音が気にならない訳はありません。



[ 原市団地付近の12時間交通量 ]


開通1年後の1968(S43)年9月には、原市団地の自治会に騒音防止対策委員会が発足しているので、開通当初から騒音が問題になっていたようです。
団地の入居前から道路計画があり工事が行われていたにもかかわらず、居住者から見れば入居後に開通した道路から騒音が発生ているので、道路に対して苦情が出されます。
1968(S43)年11月の知事宛要望書に始まり、日本住宅公団、上尾市などに対して騒音対策を求める運動が活発になっていきます。
1971(S46)年第65回国会の建設委員会で原市団地の騒音問題が取り上げられ、答弁に立った高橋道路局長は次のように答えています。
 「昭和37年に……大宮栗橋線の開発を開始したわけであります。……当時はまだ全くの原っぱでございまして、住宅計画もなかったように聞いております。……昭和40年に住宅計画ができまして、道路工事中に住宅がどんどん建っていったように聞いております。……さっそく県当局に命じまして、道路管理者として住宅公団との間に充分対策を講じるように最近指示したわけであります。」



[ さいたま栗橋線(2006年):幅員21mの4車線道路 ]


建設省道路局からの指示があったためか、県と日本住宅公団が騒音対策を始めます。
当時の日本住宅公団は、道路脇にイチョウなどの樹木275本を植樹するとともに、道路側の15棟について他の公団団地への移転希望を受け付け、122戸の希望のうち約半数の58戸が西上尾団地、尾山台団地などへ移転しました。
また、公安委員会も団地内を通る500m区間の最高速度を40km/hとする規制を行いましたが、効果はほとんどなかったようです(当たり前だ)。
その後、騒音対策を求める運動は、県道の地下化や大型車通行禁止のように、より効果的な対応を求めるようになっていきます。
この頃には交通量も3万台近くになり、植樹や速度規制では騒音抑制の効果もなく、県議会で質問が出され埼玉県も真剣に対策を考え始めたようです。
1974(S49)年2月に知事と自治会代表者の会談において、県が騒音防止対策を提示しました。
提示した対策案は、道路の車道部分に330mのシェルターを造るという、当時としては先進的で最大の効果が期待できる対策でした。


■最良の騒音対策への歩み・・・・・



[ シェルター案:1974(S49)年に県が地元に提示 ]


シェルター案は団地住民にとって、団地への進入路閉鎖によるバスルートの変更などデメリットもありましたが、騒音対策としては最も優れた案でした。
団地住民は一日も早い着工を願っていましたが、思わぬ反対が起こりました。
シェルター出入口付近の住民から、シェルター建設により排気ガスの集中や騒音が大きくなるため、建設に反対する声があがったのです。
賛成派、反対派ともに積極的に活動を行い、埼玉県議会にはシェルター建設促進の請願と、建設に反対するシェルター設置白紙撤回要求の請願が同時に審議されるという異例の事態となりました。
妥協点を見いだすため、県はシェルター端部の天井に換気口を設ける提案をしましたが、根本的な排気ガス対策とはならず路線バスルートでも意見が対立したままでした。
シェルター案に固執していては騒音対策の見通しが立たなくなると考えた県は、1976(S51)年に防音壁(7.0m)と団地4階と5階部分を防音サッシとする対策を提案します。



[ 7m防音壁+防音サッシ案:1976(S51)年に県が提示 ]


しかし、日照、通風の悪化やバスルートの変更も必要であり、合意に至りません。
最後の案は、道路と団地境界に高さ3mの防音壁を建てるとともに、騒音が環境基準を超える住戸は防音サッシ工事を行うというものでした。
1977(S52)年3月にシェルター賛成派と反対派の双方が同意し、防音壁工事に着工、7月に防音壁が完成しました。
また道路側15棟は日本住宅公団により防音サッシの工事が行われました。
近年は車の性能が向上したこともあり、防音壁内側の騒音は昼間、夜間とも要請限度を大きく下回っています。



[ 3m防音壁+防音サッシ案:1977(S52)年に県が提示 ]


さいたま栗橋線の開通から半世紀が経過し、騒音対策として植えた樹木は団地の建物を隠す程に大きくなっています。
団地入居者と周辺住民の間に騒音対策で激しい対立があったことを知る人はどのくらい残っているのでしょうか?
実施された対策は騒音防止に最高の効果があるとはいえない対策ですが、地域にとって最良の対策であったのだと思います。



[ 騒音対策の樹木が5階建ての建物を覆う(2006年)  ]


今日、防音壁は景観上の問題はありますが各地の道路で設置され、原市団地の防音壁も珍しいものではなくなりました。
東京外環道は防音壁が多用された最たる道路で、巨大な蛇がのたうちまわっているようで、その内側を走るとトンネルの中のようです。
昨今、旧公団住宅の建て替えが進められていますが、原市団地が建て替えられる際には交通量の多い4車線道路があることを前提にして、防音壁の必要ない建物の配置や構造で建て替えられるのでしょうか。



[ 外環道と国道298号(2012年):防音壁に囲まれた道路 ]


原市団地以外のさいたま栗橋線沿いには、多くの店舗、住宅が建っていますが、4車線道路の存在を前提に建築又は入居しているためか、表立った騒音問題は聞きません。
道路に隣接して行われた開発の中には、道路騒音を防止するため道路沿いに防音壁のようにマンションを建て、その裏側に戸建て住宅を配置しているものもあります。
道路から見ると殺風景ですが騒音対策としての効果は大きいはずです。



[ 伊奈町付近(2006年):マンションが防音壁 ]


■最近の流行・・・・・


県道さいたま栗橋線のシェルターは幻に終わりましたが、近年、道路でシェルターと言うとオオタカなど猛禽類保護(本当は生態系の保全)のために設けるものが流行っています。
貴重な税金が渋滞解消などのためではなく、オオタカ様に献上されているのです。



[ 所沢堀兼狭山線(2002年):オオタカのためのシェルター1 ]


オオタカ対策を施してやっと開通できた県道所沢堀兼狭山線開通の翌日、2002(H14)年11月25日の埼玉新聞には、次のような記事が載っていました。
『……所沢堀兼狭山線は、平行して約3キロ西を走る県道所沢狭山線の慢性的な渋滞の緩和を目指し、片側2車線の道路として着工。今回の開通で6.5キロが開通したことになる。しかし県の「ふるさと緑の景観地」に指定された狭山市分の道路構造などが決まらず、全線開通の見通しは立っていない。今回の開通区間にある雑木林にはオオタカが生息することから、道路上に長さ50~70mの金網のシェルターを設置したほか、小動物の生息域を分断しないよう22ヵ所に暗渠を設けた。……』
記事にある「ふるさと緑の景観地」に指定された狭山市の雑木林にもオオタカ様がいるのです。
この「ふるさと緑の景観地」を通る区間も、様々なオオタカ対策を講じた末に2013(H25)年3月24日にようやく開通しました。



[ 所沢堀兼狭山線(2013年):オオタカのためのシェルター2 ]


専門家や自然保護団体の意向によって、オオタカから道路を通る車が見えないようにするため、県道所沢堀兼狭山線はシェルターが設けられたり背の高い樹木が植えられたようです。
新幹線や高速道路の隣で生活しているオオタカもいるそうですが、オオタカは下を通る自動車が気になるのでしょうか?
最近はオオタカの生活行動が変化し、人里近いところでも生息し数も増加しているそうです。



■おまけ・・・・・


[ もちもちの木(2020) ]

さいたま栗橋線の白岡町にあるラーメン屋さん。ここは醤油味のみですが、蓮田市内には味噌味のお店もあり、県外にも進出しています。
ラーメンもおいしいのですが何といってもメンマが絶品です。
店内が暗いので、おいしそうな写真が撮れませんでした。





<参考資料>