「国境の長いトンネルと抜けるとそこは雪国だった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。……」
この文章はノーベル賞作家川端康成の『雪国』の冒頭部分ですが、『雪国』を読んだことがなくても知っている人は多いと思います。
「長いトンネル」とは上越線が谷川連峰の下を抜ける清水トンネルのことで、もちろん「国境」とは日本と外国の境ではなく、昔の上野国(こうずけのくに:群馬県)と越後国(えちごのくに:新潟県)との境のことです。
『雪国』の「国境」は“こっきょう”と読むのか“くにざかい”と読むのかは、議論があるのだそうです。
[ 南アルプス(2010年):長野県・静岡県・山梨県の県境 ]
都道府県の形は律令時代から続く『国』が統合・分割されて形づくられ、都道府県境の多くは大きな川であったり、高い山の頂を結んだ線が境になっていました。
新潟県と群馬県の境も急峻な谷川連峰などが境になっていて、トンネルができるまで天然の城壁のように立ちはだかっていました。
埼玉県の県境を見てみると、
千葉県(下総国)境 : 江戸川
茨城県(常陸国)境 : 中川、権現堂川、利根川、渡良瀬川
栃木県(下野国)境 : 渡良瀬遊水地(渡良瀬川)
群馬県(上野国)境 : 旧利根川河道、利根川、烏川、神流川、秩父山地
長野県(信濃国)境 : 秩父山地(三国山~甲武信ヶ岳)
山梨県(甲斐国)境 : 秩父山地(甲武信ヶ岳~雁坂峠~雲取山)
となっていて、大部分は大きな川と高い山が県境になっています。
[ 利根川(2010年):グライダーの滑走路もある ]
東京都との境は、東京都・山梨県・埼玉県の境となっている雲取山から東に向けて飯能市立南高麗小学校付近までは、山の頂や尾根が県境になっています。
その東側は、中小の河川が境になっているところもありますが、山も川もない所が境になっているところも多くあります。
もともと東京都と埼玉県は同じ武蔵国(むさしのくに)だったので、明治になって初めて境が必要になりました。
はっきり都県境だと実感できるのは、荒川の笹目橋付近から新芝川合流点付近までの区間くらいですが、荒川は明治以降に大きく改修され現在の姿に至ったので、都県境は改修前の蛇行した川に沿っていて、現在の荒川の流路とは異なっています。
[ 荒川(2010年):国道17号笹目橋からの眺め ]
都県境が何の目印もないところにある場所の一つに、新座市栄町と練馬区大泉学園町にまたがる一帯があります。
そこは、1891(M24)年に埼玉県から東京都に併合され大泉村となったところで、箱根土地株式会社(後の株式会社コクド)が50万坪の雑木林を開墾し、1924(T13)年から大泉学園都市として宅地分譲を始めました。
箱根土地株式会社は懸命に大学を誘致したのですが、結局は失敗に終わり“学園”という言葉だけが地名に残りました。
長方形に整備された宅地は坪10円で売り出されましたが、分譲もあまり順調ではなかったようで、挙句の果ては市民農園として使われる始末でした。
その名残として、大泉学園通りには「都民農園」という名の交差点があります。
[ 大泉学園都市(2011年):いまだに農地の区画 ]
大泉学園都市として開発された一帯は細分化された宅地もありますが、道路は昔のままの形状で現在まで残り、地図を見ると開発された区域は一目瞭然です。
道路は格子状に配置され宅地は四角形に整備されたのですが、どういう訳か都県境は昔のままのくねくね曲がった線で残され、都県境の上に家が建っているところもあります。
現地は住宅一軒一軒に住居表示のプレートが付けられているほかに、電柱には簡単な地図が付けれられていて、番地のほかに都県境もわかるようになっています。
[ 新座市側の案内図(2011年):都県境も分かる案内図 ]
[ 大泉学園(2011年):手前は埼玉県新座市、奥は東京都練馬区 ]
埼玉県側は「新座市栄町」、東京都側は「大泉学園町」と当然のことながら住所は違うのですが、さらに大きな違いが都市計画にあります。
練馬区側の用途地域は、『第一種低層住居専用地域』という戸建て住宅の環境を守るための地域が指定され、建物の高さも10mに制限されています。
ところが、新座市側は『第一種住居地域』という3,000㎡以下の店舗やホテルも建てることが可能な用途地域なのです。
また、学園都市の中央を南北に通る大泉学園通りは、練馬区側は都市計画道路『補135(W=15m)』になっていて沿道には街路樹が植えられています。
残念ながら、新座市側は都市計画道路でもなく、街路樹もありません。
大泉学園都市として、同じ開発が行われたのに何故かこのような差が生じています。
[ 大泉学園通り(2011年):練馬区側は街路樹がある ]
都県境の正確な位置は地図で見ないと判らないのですが、大泉学園通りには目で見て判る都県境があります。
大泉学園通りの幅は、開発当時のままで練馬区側も新座市側も同じですが、歩道の材料と形態が違っていて、よく見ると歩道のマンホールの蓋も違います。
練馬区側は東京都のマーク、新座市側は新座市のマークが入っていて、東京都と埼玉県の境であることを実感できます。
いつの日か、練馬区側の大泉学園通りが都市計画の幅に広がると、更に違いがはっきり分かるようになってしまいます。
[ マンホールの蓋(2012年):歩道も車道も違う 左が練馬区、右が新座市 ]
古い話ですが、川口市は吉永小百合主演の映画「キューポラのある街」の舞台になった街として有名です。
キューポラとは鋳物をつくるために鉄を溶かす溶銑炉のことで、川口市付近は荒川が運んできた砂が鋳物の型を造るのに適していたため、多くの鋳物工場がありました。
その後の住宅地化で市内の鋳物工場は減りましたが、映画にも映し出された荒川は今も埼玉県川口市と東京都北区の境です(ただし改修前の流路ですが)。
[ 荒川(2011年):新芝川合流点から上流を望む ]
京浜東北線に乗って都内へ向かうと、川口駅の次が赤羽駅なので荒川を挟んで川口市と北区が接しているのは多くの人が知っていると思います。
さらに川口市は北区のほかに足立区とも接しています。
川口市と足立区との境の近くには新芝川が流れていて都県境だと思いがちですが、新芝川は1965(S40)年から水が流れ始めた放水路で、都県境から少々はずれています。
都県境は、昔の南平柳村(埼玉県北足立郡)と江北村・舎人村(東京府南足立郡)の境だった小さな水路がそのまま境界になったようですが、その水路は新芝川の開削や区画整理によって消滅しました。
[ 川口市と足立区の境(2011年):山も川もないところにと県境がある ]
川口市と足立区の境は山も川もないので、県境を示す標識でもないと境であることが全くわかりません。
国道や県道のような道路には都県境を示す標識がありますが、市町村道のような狭い道路にはほとんどありません。
普段の生活をしている分には、どこに県境があってもあまり影響がないのは確かですが。
都県境がどこにあるのかわからない川口市と足立区にも、新芝川の堤防上には境がはっきりわかるところがあります。
新芝川の左岸にある足立区のサイクリング道路を南に下り川口市に入ると、舗装がブッツリと途切れています。
堤防から下りるためには舗装のない道を10mほど進み、自転車をかついで階段で下りなければなりません。
[ 新芝川(2011年):川口市と足立区の境で切れている ]
しかも、舗装の途切れ方がすごいのです。
川口市と足立区の境にあわせて斜めに舗装が途切れていて、ここが境であることをわざわざ示すように道路が造られているとしか思えません。
川口市と足立区は仲が悪いのでしょうか、せめてあと10mほど舗装を伸ばしてくれれば、堤防から道路に下りる階段まで届くのですが。
[ 左が足立区、右が川口市(2011年) ]
[ 都県境:ここが噂の現場 ]
[ まるます家(2012年) ]
赤羽駅東口にある昼間から営業している有名な居酒屋です。
1階はカウンター席が中心で狭いテーブルが少々。明るいうちから満席状態で、待っているお客さんもいます。
看板には鯉とうなぎと書かれていますが、メニューは他にもいろいろあります。
<参考資料>