東秩父村【桃源郷】

2012.05~

■埼玉県唯一の村・・・・・



[ 全国の市町村数 ]


全国各地で市町村の合併が進み、財政力の弱い村や町は隣接する市に吸収されたり、町や村同士が合併し、村の数は少なくなってきました。明治、昭和、平成のそれぞれの時代に合併が促進され、今では村は希少な自治体になってしまいました。
村の数が最も多いのは長野県の35ですが、意外と多くあるのが東京都で8つもの村が残っていてます。 埼玉県でも市町村合併により『村』は減少し、2006(H18)年2月以降は東秩父村だけになってしまいました。
東秩父村は1956(S31)年に大河原村と槻川村が合併して誕生し、合併当時の人口は6,000人を越えていました。しかし山林が村の80%以上を占め特筆すべき産業がないこともあり、2025(R7)年1月は2,406人にまで人口が減少しています。



[ 秩父高原牧場から東秩父村方面(2025年)]


東秩父村は秩父郡に属していますが、西隣りにある秩父郡の市町へ行くためには二本木峠、粥仁田峠、定峰峠のいずれかを越えなければなりません。 東隣の比企郡小川町へは槻川に沿った県道熊谷小川秩父線を通れば大きな障害なく行き来することができます。
地形を考えると、山を越えなければ往来できない秩父郡よりも比企郡に含まれるのが自然ではないかと思いますが、どういうわけか秩父盆地の外側にある町村は秩父郡に含まれていました。 しかし、その町村の多くは秩父郡から他の郡に“転出”したため、秩父郡に残っているのは東秩父村だけになってしまいました。
   名栗村、吾野村(現・飯能市) → 入間郡
   大椚村(現・ときがわ町) → 比企郡
   矢納村(現・神川町) → 児玉郡
合併前の大河原村と槻川村は、“東秩父”、“外秩父”と言い古されていたため、合併後の村名はすんなりと「東秩父村」に落ち着いたようです。 東秩父村にも比企郡の市町村との合併話が一時期あり、唯一の村のこれからの行方が気になるところです。(誰も気にしていない?)



■秩父につながる道・・・・・



[ 秩父からの道:青が東秩父村 ]


鉄道のない東秩父村は道路が生活を支える動脈で、現在は小川町方面へ抜ける県道が村の幹線道路になっています。昔は、秩父から東京方面に出る経路としては、
   ・児玉を経て中山道に至る経路
   ・寄居を経て中山道に至る経路
   ・粥仁田峠を越え東秩父・小川・川越に至る経路
   ・正丸峠を越え飯能に至る経路
の4つがありましたが、その中でも粥仁田峠を越え東秩父村を通り小川町へ向かう経路が物資を運ぶ主要な路線でした。
しかし、秩父から寄居方面、児玉方面への道路改修が進み1903(M36)年に上武鉄道(現・秩父鉄道)の熊谷~寄居間が開通すると、粥仁田峠越えの交通は衰退し東秩父村を通る人の流れも少なくなりました



[ 村内で初めて信号機がついた交差点(2025年)]


さらに、1920(T9)年に道路法に基づき、秩父から東秩父村を通り小川を結ぶ県道秩父小川線が認定された際は、粥仁田峠越えではなく定峰峠を越えるルートに変更されましたが、変更されたルートの工事はなかなか始まりませんでした。 地元町村から出された定峰峠開削の請願が1935(S10)年に可決され、翌年度に測量が行われ1940(S15)年年度にようやく高篠村(現・秩父市)から工事が始まったものの、太平洋戦争によりすぐに中断となりました。 戦後になって東秩父側からも工事が行われ、1955(S30)年5月に総工費7,362万8千円をかけた定峰峠ルート延長10,877.6mが開通しました。
定峰峠付近には桜が植樹され、春は桜の名所として観光客が訪れましたが、東秩父村と秩父郡の市町村との繋がりを強固にするものではありませんでした。今では定峰峠の桜は樹勢が衰えほとんど見ることができません。
定峰峠を通る県道熊谷緒川秩父線は現在でも狭い山道で、令和元年台風などの被害により2023年3月まで3年ほど通行止めになっていましたが、困っていたのは通行止めを知らずに来たライダーくらいでした。



[ 定峰峠(2012年):秩父市と東秩父村の境 ]


県道認定が行われた1920(T9)年の県議会では「30か年の見込みで本県の道路・橋りょうを道路法の構造令に則って改良する趣旨の説明があったが、その計画においては幹線を先にするのか、劣悪な県道を先にするのか」との質問に対し、「国道のような幹線、重要停車場線や山間部の山地開発道路、あるいは橋のないところを優先する」という、どこを優先するのかさっぱり分からない、現代と変わらぬ玉虫色の答弁がありました。
それでも、定峰峠ルートは県道認定から太平洋戦争を挟み35年、工事着手から実質10年ほどで開通したことを考えれば、30か年の見込みはあながち嘘ではなかったようです。



[ 県道熊谷小川秩父線(2012年):衰えた桜 ]



■東秩父村の産業・・・・・



[ 和紙の手漉き(2016年)]


東秩父村の産業としては、2014(H26)年にユネスコ無形文化遺産に登録された手漉き和紙「細川紙」があります。 1991(H3)年に開設された「和紙の里」は、和紙の手漉き体験や伝統工芸品を紹介・販売する村の施設で、ローカル的には結構有名な施設です。
和紙の生産は約1300年の伝統がある東秩父の産業で、太平洋戦争中はここで造られる和紙は軍需用に優先され、アメリカ本土を攻撃する風船爆弾の気球紙に使われたそうです。 東秩父の和紙が武器として使われたことは悲しいことですが、紙の丈夫さを示す出来事でもありました。



[ バスターミナル(2025年)]


東秩父村は「和紙の里」のリニューアルを行い、別の場所にあった農産物直売所を「和紙の里」の隣に移転し、路線バスの乗り継ぎターミナルを新たに設け、2016(H28)年10月30日に埼玉県内で20番目の道の駅「和紙の里ひがしちちぶ」としてオープンしました。 これまで飲食店は蕎麦屋しかありませんでしたが、新たにフードコートが設けられ農産物直売所が移転したこともあり来訪者は大きく増えました。
人口の少ない東秩父村では、農産物直売所は村内で最大の商業施設で、観光客向けでもあり村民の生活に欠かせない施設でもあります。 隣接してバスターミナルを設けているのは、車の運転ができない人にも配慮した先進的な取り組みです。



[ 花桃の郷(2025年):花が終りの頃]


東秩父村が誕生した頃の 1960(S35)年に1400人近くいた農業従事者は、2020年(R2)年国勢調査によると70人弱にまで減少しました。平均年齢は70歳を超え高齢化も進み、農地の荒廃も進みました。大内沢地区では地域住民が景観形成のため荒れた農地に花桃を植え「花桃の郷」を作り出しています。 3月下旬が花の最盛期で展望台からは「桃源郷」の風景を見ることができます。 花が咲いている規模は山梨県の一宮・御坂地区などと比べれば小さなものですが、色とりどりの花が咲く斜面に民家が点在する風景は、箱庭のような可愛らしさがあります。
「花桃の郷」には 展望台、駐車場、トイレを設けるなど 東秩父村は観光にも力を入れているようです。



[ 虎山の千本桜(2025年):咲き始め ]


花桃が終りに近づくと次は桜の時期です。「花桃の郷」の少し南に「虎山の千本桜」という桜の見どころが作り出されつつあります。1968(S43)年に砕石場として開発され関越道の工事にも使われた砕石を採っていましたが、2004(H16)年に閉鎖。 当時の社長が採掘後の山の安全と地域への感謝のしるしとして、32ヘクタールの跡地をひな壇上に整え1000本の桜を植えたのが始まりです。 地域住民の花見の場として提供されたものの、広大な跡地のため管理が行き届かず数年間放置されていました。 見かねた一人の住民が手入れを始め、この姿を見た地元の有志が立ち上がり地主の協力を得て「虎山観桜会」を2011(H23)年に設立。 さらに桜を植え、下草狩りや散策道の手入れなどをボランティアで取り組んでいます。 今では2000本の桜が咲く花の見どころとして成長しつつあります。


■景観はつくるもの・・・・・



[ 展望台(2025年)]


「花桃の郷」の風景は、普段生活している視点から見ることはできません。 小高い所からでないと見ることができないので、観光客がこの風景を容易に楽しめるように、斜面反対側の大内山に展望台が造られました。 展望台に立つまでは少し急な坂道を登りますが、展望台に立った時は大きな感動が味わえます。 展望台のまわりは視界を遮る樹木が伐採され、花の咲く大内沢の斜面一帯のみならず、関東平野をも見渡すことができます。



[ 羊山公園(2012年)]


芝桜で有名になった秩父の羊山公園も、平らなところに芝桜が植えられているだけでは、多くの人を集めることはできなかったと思います。 芝桜が植えられている場所が凹型の地形で、低くなった部分を挟み反対側に咲く芝桜を面として広く見ることができるので、美しい風景を楽しめるのです。 富良野のラベンダー畑も適度に褶曲した地形があったからこそ、見る人の目を楽しませることがでるのです。
「虎山の千本桜」は桜の下を回遊し間近に花を楽しむことはできますが、2000本の桜が咲く圧巻の風景を見られる場所がありません。どこかに全体を見渡せる展望ポイントがあれば、さらに多くの人が訪れると思います。
「花桃の郷」も「羊山公園の芝桜」も地形をうまく生かし、見る場所と見られる対象の位置関係を考慮して作り上げられた景観です。  



[ 東秩父村(2021年):和紙の里 ]


東秩父村は、伝統産業の和紙の手すきが体験できる「和紙の里」があり、「花桃の郷」「虎山の千本桜」のほかにも四季の花が楽しめ、自然豊かなハイキングコースもあり、村は観光に力を入れていますが村を支える産業までには至っていません。 観光客にお金を落としてもらうには美しい風景だけでは物足りないようです。
人口増は難しくても人口減はくい止めないと自治体としての存続は難しくなります。 豊かな自然の中での生活を望むテレワーカーに村の魅力をPRして、移住を促進するぐらいしか人口減を止める手段はないのでしょうか。 村の80%を占める山林の新たな使い道はないのでしょうか。
がんばれ東秩父村! \(^〇^)/




<参考資料>