「交通の便が良い立地」、「利便施設の整った街」などに並び「公園・緑が多い街」であることが住んでみたい街を選ぶときに大きなウエイトを占めるようです。
緑が豊かで有名な公園が近くにあると、住んでみたい街のランキング上位になれるようです。
東京近郊では、井の頭公園に近い吉祥寺、昭和記念公園がある立川などがその代表例です
[ 昭和記念公園(2011年):立川市にある国営公園 ]
公園の起源は、中世の欧州で王族や貴族が行っていた鹿狩りために垣根や柵で囲われた土地といわれています。
江戸時代までの日本は、神社仏閣、景勝地などが公園的な役割を果たしていて、歌川広重の浮世絵「名所江戸百景」には、上野や飛鳥山で桜を楽しむ庶民の様子が描かれています。
また、年中行事のように起こる火災に備えて造られた火除地が、公園とは少々用途が違いますが広場として機能していました。
[ 飛鳥山(2010年):王子駅南側にある北区立の公園 ]
今日の公園は「営造物公園」と「地域制公園」に大別されます。
営造物公園は施設を整えて人々に利用してもらう公園で、地域制公園は区域を指定し優れた自然の風景地を保護し楽しんでもらう公園のことです。
営造物公園の代表格は国土交通省が所管する都市公園で、街区公園、近隣公園、地区公園などの種別によって誘致距離や公園面積の標準値が示されています。
例えば最も小規模な街区公園は、誘致距離は250m以内で面積0.25ヘクタールを標準とし、さらに規模が大きい地区公園は誘致距離が1km以内で面積は4ヘクタールを標準として配置することになっています。
[ 街区公園(2012年):子供向け遊具が必須アイテム ]
営造物公園としては都市公園のほかに『国民公園』と言う特別な公園があります。
もともとは皇室苑地でしたが、1947(S22)年12月の閣議決定により国民公園に位置付けられ『皇居外苑』、『京都御苑』、『新宿御苑』として国(環境省)が管理する公園になっています。
皇居外苑と京都御苑は無料ですが、新宿御苑はなぜか入園料が必要です。
旧皇室苑地を国が管理しているだけあって、日本を代表する公園に相応しくきれいに管理されています。
[ 新宿御苑(2006年):環境省管理の国民公園 ]
地域制公園は環境省などが所管する国立公園、国定公園などの自然公園が該当します。
自然公園は1箇所当たりの面積が広いので、学校で使う地図帳のような小縮尺の地図を見ないとどこが区域なのか知ることができません。
例えば、日光国立公園(福島県・栃木県・群馬県)は面積114,908ヘクタールあり、東京23区の二倍近い広さがあります。
自然公園にも選定の規模要件があり、国立公園は3万ヘクタール以上、国定公園は1万ヘクタール以上となっていて、都市公園に比べて桁違いの広さになっています。
「自然公園」も「都市公園」も「公園」と名付けられていますが、自然が創り上げた自然公園と人が造り上げる都市公園は、全くの別物です。
[ 日光国立公園(2010年):戦場ヶ原の眺め ]
「公園」は、今ではポピュラーな言葉になっていますが、江戸時代までの日本語には存在しませんでした。
幕末から明治にかけて欧米諸国の行政制度が導入され始めた頃に、「park」の訳として使われていた「公の遊園」を基に造られたのではないかと言われています。
1873(M6)年1月15日の太政官布達で、どのような土地を公園とするのかが示され、古来からの名勝、旧跡などで多くの人が遊覧する所とされていました。
例示で示されているのは、東京の浅草寺、寛永寺、京都の八坂神社、清水寺や嵐山のような場所で、現在では観光地と言われるところです。
[ 雷門(2012年):浅草寺の入口 ]
「三府ヲ始、人民輻輳ノ地ニシテ、古来ノ勝区名人ノ旧跡地等是迄群集遊覧ノ場所 東京ニ於テハ金龍山浅草寺、東叡山寛永寺境内ノ類、京都ニ於テハ八坂社、清水ノ境内、嵐山ノ類、総テ社寺境内除地域ハ公有地ノ類、従前高外除地ニ属セル分ハ永ク万人偕楽ノ地トシ、公園ト可被相定ニ付、府県ニ於テ右所ヲ択ヒ、其景況巨細取調、図面相添ヘ大蔵省ヘ可伺出来」
[ 上野公園(2011年):花見のころ ]
この布達によって公園が誕生することになり、東京では上野、芝、浅草、深川、飛鳥山の5つ公園が開設されました。
埼玉県では、さいたま市浦和区にある調神社(つきのみや・じんじゃ)の一部を公園とするため、1874(M7)年12月12日に県令白根多助が「足立郡浦和駅調神社ヲ偕楽園ト定ムル件内務省ヘ伺許可指令ニ付達」を出しています。
正式に公園として開設された日ははっきりしませんが、1875(M8)年5月16日に「足立郡浦和宿公園開祝詞」の文書があるので、1875年までには開園していたようです。
[ 「偕楽園ト定ムル件」の添付図面:偕楽地が公園の部分 ]
[ 現在の調公園(緑色の部分):開園当時と形が変わってる ]
内務省へ提出した図面を見ると、調神社の境内を無理やり「偕楽地」と「本社、境内地」に分けたようで、境には道路も水路もありません。
現在の公園は、開園当時に比べると随分と整形され、隣にあった民有地も整理されています。
東京に誕生した五つの公園に比べると、大きさも知名度も比較になりませんが、公園としての歴史は引けを取りません。
[ 調公園(2007年):花見の場所取りは新人の役目 ]
調公園内にはラヂオ塔がきれいな状態で残っています。
ラヂオ塔は1928(S3)年に始まったラジオ体操を普及させる施設として、1930(S5)年から全国各地の主に公園内に造られたものです。
塔の上部にラジオが置かれ、軽妙な音楽が流れていたのでしょう。
[ 調公園(2022年):今も残るラヂオ塔 ]
集団的にラジオ体操を行う「ラジオ体操の会」は軍国日本の国策として増えました。
調宮公園内のラヂオ塔には『昭和15年 寄贈 社団法人日本放送協会』と刻まれています。
この頃は数多くのラヂオ塔が設けられ「新東亜建設下の挙国的心身鍛錬運動として」ラジオ体操の会への参加延べ人数は2億人を超えています。
ラヂオ塔というものを知らなければ、洋風の灯篭か移設された橋の親柱のように見えます。
何の役にも立たない施設が、改変されることなく60年以上も残されたのは不思議なことです。
県内で都市公園が増えたのは、戦後になり都市公園法が公布された以降で、1960(S35)年には面積159ヘクタールでしたが半世紀後の2010(H22)年には4,707ヘクタールと30倍に増えました。
公園が急ピッチで造られた時期はいわゆる高度経済成長期に当たり、県内に引っ越してきた多くの若い世帯により人口が急激に増えました。
このような住民の需要に応えるため、昔は「児童公園」と言われた街区公園や、「海なし県の埼玉県に“海”を」の掛け声のもとに大型レジャープールを備えた県営水上公園などが次々と造られました。
[ 上尾水上公園(2008年):老朽化によりプールは閉鎖 ]
県内の公園は戦後に造られたものが多いので、歴史が浅く特色のある公園とは言い難い状況ですが、その中でも比較的歴史のあるのがさいたま市大宮区の大宮公園です。
氷川神社に隣接した面積34.6ヘクタールの公園で、桜や赤松が多く樹齢百年を超える赤松もあるそうですが、公園の東側を競輪場やサッカー場、野球場が占めているので、家族連れが遊べるのは全体の半分程です。
[ 大宮公園(2012年):赤松と桜の森 ]
野球場は1934(S9)年に完成し高校野球県大会の開会式に使われていましたが、手狭になったため最近は所沢市の西武球場が使われています。
競輪場は1939(S14)年の開場で、幻に終わった1940年開催予定の東京オリンピックのために造られた歴史のある施設です(1964年東京オリンピック自転車競技は八王子で行われた)。
サッカー場は1964(S39)年東京オリンピックのサッカー競技に使われたもので、今は大宮アルディージャのホームグラウンドです。
過去を振り返ってみるとオリンピックが大宮公園の姿を大きく左右したようです。
[ 大宮公園球場(2009年):プロ野球の興行もある ]
大人向けの公園としては、京浜東北線の北浦和駅から歩いて2分、駅からも見える北浦和公園がお勧めです。
園内には建築家黒川紀章が設計した県立近代美術館があり、園内の雰囲気は他の公園とは少し雰囲気が違います。
近代美術館はあちこちにデザイン性の高い椅子のコレクションが置かれ、実際に座ることもできますので休み休み鑑賞することもできます。
[ 県立近代美術館(2012年) ]
美術館の北側にある噴水は、2時間おきに音楽に合わせて水が踊り、夕方は様々な色の照明によりライトアップされるので昼間よりも楽しめます。
公園の周囲にある木々は高さがあり、建物の密度が高い地域の中にあっても、落ち着いた空間を提供しています。
噴水の周りにあるベンチに腰かけて何も考えずに水の動きを眺めていると、あくせくした日常から離れて少しは癒されるかもしれません。
[ 踊る噴水(2012年):時間が合えば見られます ]
噴水の西側には、中央区銀座にある黒川紀章設計の『中銀カプセルタワービル』のカプセルユニットが建設当初の仕様に修復されて展示されています。
『中銀カプセルタワービル』は1972(S47)年に完成した「メタボリズム思想」の代表作で、保存か解体か最終的な結論が出るまでに時間がかかりましたが、カプセル内の設備は今見ても近未来的な雰囲気があります。
[ カプセル(2012年) ]
カプセルが置いてある区域は彫刻広場と名づけられていますが、夏は草ボーボーで折角のカプセルが遠目から見ると仮設トイレのように見えてしまいます。
この一画は北浦和公園でイマイチの空間です。
[ カプセルの内部(2012年):古さを感じさせない ]
公園は子供や若者だけでなく、疲れたおじさんたちにも優しくあってほしいものです。
わざわざ車で行くような大きな公園ではなく、近くにある小さな公園でちょっとした時間の隙間に、癒しを提供してくれるような公園は、残念ながら埼玉ではお目にかかれません。
公園も時間をかけないと熟成しないようで、江戸時代からの遺産を活用し公園に転換できた都内には、1000万人の大都会とは思えないような落ち着ける公園があります。
その一つ、文京区千駄木にある須藤公園は、江戸時代に加賀藩の支藩であった大聖寺藩の下屋敷で、起伏に富んだ地形を巧みに生かした回遊式庭園の雰囲気を今日まで残している公園です。
[ 須藤公園(2012年):台地の上からの眺め ]
この土地は明治維新後、長州出身の政治家品川弥二郎の邸宅となりましたが、1889(M22)年に須藤吉右衛門に買い取られ須藤家屋敷の一部として保存されました。
1933(S8)年に須藤家から当時の東京市に公園用地として寄付され、1934(S9)年2月10日に公園として開設し、一般の人々が楽しめるようになりました。
武蔵野台地東縁の高台から低地に移り変わる所にあり、ほぼ70m四方の面積4824㎡の小さな公園ですが、山あり滝あり池ありの静かな公園です。
[ かっぱに注意(2012年):園内の弁天様 ]
池には弁天様のある小さな島があり、周りの陸地から橋が架けられ周遊できるようになっています。
天気の良い日には陸に上がった亀の甲羅干しが見られます。しかも、カッパが時々現れるようで「かっぱに注意」の看板が出ています。
台地から低地に移る斜面には、大きく育った樹木が木陰を提供しているので、ベンチ座って暇つぶしするのには持ってこいの公園です。
[ 斜面の樹木(2012年):適度な木陰を提供してくれる ]
高齢化が進み若い世代が多かった時代は過ぎ去り、これからは、家に居づらくなったおじさんやお年寄りが公園を席巻する日も遠くないでしょう。
[ 肉のすずき(2012年) ]
須藤公園の東200mのところにある「谷中ぎんざ」の中ほどにあるお肉屋さんです。
人気は一個200円の『元気メンチカツ』で、休日には食べながら商店街を歩く人がいっぱいいます。
すぐそばにもう一軒、サトーというお肉屋さんがありこちらのメンチも有名です。食べ比べてみてはいかが。
<参考資料>