chapter-058 木・石・鋼・コンクリート 1

[ 2012.08~ ]

■橋の種類・・・・・


川や谷のように凹んだところを人や車が渡れるようにするのが橋の役目です。
人間が移動すれば道が生まれ、どうしても渡れない場所には、丸太などを倒して橋が架け渡されたので、橋の歴史は人間が移動を始めた太古の昔から続いています。
自然の地形のほかに、近世になってからは鉄道や道路などの人工構造物を超えるための橋も各所で造られるようになりました。



[ 千登世橋(2012年):明治通りを越える鋼製アーチ橋 ]


橋を架ける難しさは、橋の長さではなく橋脚を設けずに渡る長さ(支間長)が大きな要因となるので、ランキングなどでは支間長が取り上げられます。
材料と技術の進歩によって、現在では支間長が1kmを超える長い橋を造ることが可能になり、本州と四国を結ぶ明石海峡大橋は支間長が1991mもあります。
このような吊り橋で使われているケーブルのワイヤは、1平方ミリメートルの断面(1mm×1mm)があれば大人3人180kgを吊り下げることがでる強靭なものです。



[ 明石海峡大橋とケーブル(2022年) ]


橋の種類は、主要材料、構造形式、用途などによって分類されますが、主要材料による分類が分かり易いと思います。
主要材料で分類すると、木橋、石橋、鋼(鉄)橋、コンクリート橋が4大勢力ですが、最近では鋼橋とコンクリート橋の利点を合体させた複合橋といわれる橋も造られています。


■木橋・・・・・


木橋は耐久性では劣るものの、材料となる木材が容易に入手できたため各地で造られました。
日本の風景に最も馴染む風合いがありましたが、次第にコンクリート橋や鋼橋に架け替えられ少なくなりました。
木橋で有名なのは山口県岩国市にある錦帯橋です。
防御に重きをおいた岩国城と城下町を結ぶため、両者を隔てていた天然の外堀である錦川に架けられたのが錦帯橋です。



[ 錦帯橋(2010年):誰もが知る観光名所 ]


錦帯橋は江戸時代初期に造られたそうですが、洪水で流失した後の架け替えや定期的な架け替えやが行われ、現在の橋は2001(H13)年から3か年を要して架け替えられた橋です。
洪水による流失を防ぐため、石積みの島(橋脚)を造りその上にアーチ式の桁を載せる独特の形状が、岩国城のある山々と相まって美しい景観を作り出しています。


・・・・・島田橋(坂戸市・東松山市 越辺川)・・・・・


埼玉県内も木橋は少なくなっていますが、荒川の支川である越辺川(おっぺ・がわ)にはいくつかの木橋が残っています。
洪水時には水の中に潜ってしまうので「沈下橋」とも「潜り橋」とも言われ、洪水に流されたゴミを引っ掛かりにくくするため高欄はなく、橋の上流側にはゴミ除けがつけられています。



[ 島田橋(2012年):映画やテレビの撮影でも使われる ]


島田橋の周りは人工的な建造物が少なく都心からの交通の便も良いので、映画やテレビドラマの製作でも使われています。
橋のたもとにある看板には、2010年NHK大河「龍馬伝」、2011年TBSテレビ「JIN-仁」など、撮影に使われた番組のタイトルが表示されています。
島田橋は遠くから見ると木橋にしか見えませんが、近寄って見ると木材を束ねる金具や補強金具が使われていて、さらに下から見上げると鋼材がしっかりと橋を支えているのが分かります。



[ 島田橋(2012年):下から覗くと鉄橋? ]


いずれは木材が老朽化し、島田橋は架け替えられることになると思いますが、次も木橋(木橋もどき?)で架け替えて欲しいものです。


・・・・・無名橋(上尾市 原市沼川)・・・・・



[ 無名橋(2013年):名前も高欄もない橋 ]


原市沼川に架かるこの橋は、高欄も名前もありません。
橋面と橋脚はコンクリート製ですが、よく見ると橋桁は太い材木が使われていて、橋脚部分は橋桁を支えるため木材が二段に使われています。
橋面はコンクリートが打ってありますがその下の床板には木の板が並べられています。コンクリートは橋面を滑らかにし耐久性を高めるためにあるようです。



[ 無名橋(2013年):下から見ると木橋にも思える ]


下から見ると、丸太の橋桁に渡した木の板が橋面を作り出しているのがわかります。
少々雑な造りですが、人が渡るだけの橋なのでこれで十分です。
橋脚や橋面がコンクリートなので木橋とは言えないかもしれませんが、島田橋が木橋と言えるなら、この無名橋も立派な木橋と言えます。


■石橋・・・・・


石橋は石の板を渡す単純な形式もありますが、切り出した石を方形に加工しアーチ状に積み上げる形式で造られることが多く、アーチ形式の橋は外国文化の導入が早かった九州などの西日本で造られ始めたようです。
石組は押す力には抵抗できますが引っ張る力には全く抵抗できないので、長い区間を渡るためにはアーチ形式の橋になります。
石橋で全国的に有名なのは東京都中央区にある日本橋で、高欄に飾り付けられている麒麟はキリンビールのラベルと違い、大きな羽がついています。



[ 日本橋(2013年):上空を首都高が横ぎる ]


江戸時代の日本橋は五街道の起点で、当時は時代劇などに登場するような木橋でしたが、明治になり石橋に架け替えられ、現在の日本橋は1911(M44)年に完成しました。
日本橋はその後関東大震災や東京空襲を耐え抜いた猛者なのですが、今では首都高速道路に完全に制圧されています。


・・・・・寺坂橋(本庄市 元小山川の旧川)・・・・・


埼玉にある石の橋は、石の板を渡した短い橋がほとんどでアーチ形式で造られた橋は稀です。
本庄市にある寺坂橋は元小山川の旧川に架かるアーチ形式の石橋で、1889(M22)年の完成からすでに1世紀を超えた高齢橋ですが、今でも車が通る橋として使われています。
親柱は傾きながらも残っていますが、後になって造られた鉄製の高欄も所々にぶつけられて傷つき、痛々しい姿です。
元小山川は北側に新しい川が掘られたため旧川は川幅を広げられることがなく、寺坂橋は現在まで石造りのまま残ることができました。



[ 寺坂橋(2012年):小さいながらもアーチ形式の石橋 ]


寺坂橋がある道は、大正の末まで本庄市街と群馬県伊勢崎市を結ぶ県道でしたが、幅が狭く急な坂もあるため通りやすい道が西側に開かれました。
旧道となったため道が拡げられずに今日まで至ったことも、寺坂橋が超高齢にもかかわらず残ることができた理由の一つです。
本庄市が繭や生糸の物流拠点として栄えていた時代は、様々な店が並び歓楽街を作り出していたそうで、寺坂橋の付近にも少しですがその頃の名残があります。



[ 陸軍参謀部 迅速図:赤○が寺坂橋の位置 ]


寺坂橋の上流側は水道管が渡されて橋を隠しているため、余程注意して見ないとアーチ形式の石橋とは気がつきません。
せっかく、登録有形文化財としているのですから、水道管を別の場所に移設してアーチが良く見えるような配慮があって欲しいものです。



[ 寺坂橋(2012年):橋の幅は3.3m、先は急な坂 ]


■鋼(鉄)橋・・・・・


鋼(鉄)橋は、鉄鋼の量産が可能となった産業革命以降の普及となります。
鋼は木や石に比べ加工が容易な材料なので様々な構造の橋で使われていますが、最大の欠点は「錆びる」ことで、定期的にペンキの塗り替えが必要です。
しかし塗装をすることで、石橋やコンクリート橋ではできない赤色でも青色でも黄色でも好きな色にすることができます。



[ 1926(T15)年完成の永代橋(2007年) ]


関東大震災によって隅田川に架かっていた橋は損壊したり、鋼橋でも木材が使われている部分が焼失し使えなくなったので、震災復興事業で新しい鋼橋に架け替えられ、また新たな橋も設けられました。
隅田川に震災復興事業で架けられた橋は様々な構造形式で造られ、橋を渡る人や隅田川を通る人の目を楽しませてくれます。
そのなかで、男性的といわれるのが永代橋で、特徴的な極太アーチの武骨さが男性的な印象を与えています。



[ 清洲橋(2013年):軍艦用の鋼材で造られている ]


対象的なのが上流にある1928(S3)年完成の清州橋で、吊鎖の柔らかい曲線と橋桁を吊る鋼材の細い線が橋全体を女性的に見せるようです。
近くで見ると太く厚みのある鋼材で組み立てられているのが分かり、ほんとうは力強い女性のようです。
隅田川では震災復興事業によって9橋が架けられましたが、東京市が3橋、国の機関である復興局が6橋を担当しました。
このうち相生橋は塩害や老朽等のため平成に入ってから架け替えられましたが、そのほかの8橋は現在でも東京の大動脈を支える橋として大事に使われています。



[ 永代橋のプレート(2007年):復興局の文字が見える ]


埼玉県内にも鋼橋は数多くあります。
コンクリート橋よりも支間長の長い橋を造ることができるので、幅のある川や深い谷をひと跨ぎにせざるを得ない所では必然的に鋼橋になります。



[ 末野大橋と折原橋(2005年):赤色と銀色が目立つ ]


・・・・・滝岡橋(本庄市・深谷市 小山川)・・・・・


県内で古いものでは国道17号の旧道に架かっている滝岡橋があります。
巨大ともいえる石造りの親柱が特徴的な橋で、親柱の上部には窓があり以前は電球が明りを灯していたようですが、現在は照明設備はありません。
橋の中ほどにも照明設備を支えていた部材が残っていますが、どのような照明がついていたのか不明です。
高欄は親柱と同じ花崗岩が使われているのですが、車がぶつかったスパンは新しいものに取り換えられているので、前後とは色が異なっています。



[ 滝岡橋(2012年):長さ147m 幅員7m 1928(S3)年竣工 ]


橋の構造は鋼製の桁が架かる単純な桁橋ですが、今日のように構造物に使える溶接技術や製鋼技術が高くなかったため、橋桁は鋼板と山形鋼をリベット接合で組合せて造られ、現在と技術の違いを実感できます。
橋桁は橋台に使われているレンガと同じ色で塗られていたようですが、2012年時点は退色して白っぽくなり鮮やかさに欠けていました。



[ 橋桁のプレート(2012年):昭和二年製作 大阪 日本橋梁株式会社 ]


滝岡橋のまわりでは国道のバイパスや県道の橋が造られたため、橋を渡るのは乗用車がほとんどで交通量も少なくなっています。
大型車が通らなくなっても橋の老朽化は徐々に進んでいきますので、適切な補修をしてこれからも長く残して欲しいものです。


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