川や谷のように凹んだところを人や車が渡れるようにするのが橋の役目です。
人間が移動すれば道が生まれ、どうしても渡れない場所には丸太などを倒して橋が架られたので、橋の歴史は人間が移動を始めた太古の昔から続いています。
[ ローマ ファブリキウス橋(2018年):BC62年建設 ]
欧州では古代ローマが街道や水道のために石造のアーチ橋を各地で造り、今日でも使われている橋があります。
乾燥した地域で起こったメソポタミア文明やエジプト文明が石を使うことに長け、その技術を生かした古代ローマが石造アーチ橋をヨーロッパ各地に広めたようです。
木材が少なく石材が比較的容易に手に入ることも石の建造物が多く造られた理由のひとつです。
ローマを流れるティベレ川に架かるファブリキウス橋は、紀元前62年に建設された石造アーチ橋で、現在は歩行者専用ですが現役の橋です。
[ 錦帯橋(2010年)]
日本は豊富な森林資源があり石造りの技術もなかったので、西洋の技術が入るまで木の橋が造られ続けました。
明治になっても木を使う橋が多くあり、関東大震災では橋面に木材を使っていた橋が燃え落橋しています。
さすがに近年はコンクリートや鋼を使った橋が造られ、木造の橋が新たに架けられることはありませんが、岩国の錦帯橋のように歴史的な観光資源として入橋料を取って維持管理している橋もあります。
[ 大井川に架かる蓬莱橋(2021年)]
静岡県島田市にある蓬莱橋は、錦帯橋に比べれば浅い歴史しかありませんが、全長が897.4mあり世界一長い木造歩道橋としてギネスブックに認定されています。
蓬莱橋は農業用に造られた農道の橋で、土地改良区が料金を徴収しています。
現在は観光で訪れる人のほうが圧倒的に多い橋です。
[ 島田橋(2024年)]
埼玉県内にもいくつか木橋は残っていますが有名なのは、坂戸市と東松山市の境を流れる越辺川(おっぺがわ)に架かる島田橋でしょうか。都幾川との合流点より1.5kmほど上流に架かる橋で、橋長77m、幅3mで坂戸市が管理しています。
大雨が降り水位が上昇すると橋は水面下に潜ってしまう冠水橋なので高欄はなく、上流側には橋桁が流されないように流木除けがついています。
都心から近く、橋の周辺に現代的な建物や工作物がないので、TVドラマのロケ地として使われています。以前あった案内板によると、NHK大河ドラマ「新選組!」「龍馬伝」やTBS系ドラマ「JIN-仁-」の撮影で使われました。
島田橋は歩行者のみならず1.5トン以下の車両なら通行できる、地域の生活でも使われている橋です。見た目は木橋なのですが、橋桁に補強のための鋼材が使われているのです。
[ 島田橋(2024年):上流側 ]
現在の島田橋は2014年6月の低気圧による豪雨により流失し、翌年5月に架け替えられた橋です。
架け替えにあたって河川を管理する国交省から、安全性の観点からコンクリートや鉄橋が望ましいと指導されていましたが、親しんだ姿での復旧を求める地元の働きかけで、昔ながらの木造で復旧されました。
復旧にかかった工事費は約5,200万円で国の補助金のほか坂戸市と東松山市が約600万円を負担しました。
[ 令和元年東日本台風 2019/10/13 ]
(地理院地図 > 近年の災害 >> 令和元年東日本台風 >> 都幾川地区)
埼玉県をはじめ東日本に広く大きな被害を及ぼした2019年10月の令和元年東日本台風の出水では、島田橋近くの越辺川や都幾川の堤防が決壊し、周囲には濁流が流れ込みました。
島田橋も洪水に襲われ完全に水没しましたが、流失は免れました。越辺川や都幾川の堤防が決壊した直後の航空写真では、水面に白い波が生じ島田橋が水流に耐えている様子が見えます。
先代の橋が流出した2014年低気圧による大雨の水位は、島田橋上流にある入西観測所で最高水位1.53mでした。
令和元年東日本台風の最高水位は3.11mだったので、1.5m以上水位が高く激しい洪水でした。
先代の橋と現在の橋はほぼ同じ形状で、橋桁の鋼材による補強も同じですが、先代の橋は1995(H7)年度に架け替えられた橋で、洪水に襲われた時は20年近く経過していました。
現在の橋が令和元年東日本台風の洪水に耐えられたのは、架け替えから5年と比較的新しかったためなのでしょうか?
[ 島田橋(2012年) 島田橋(2024年)]
島田橋の下流、越辺川と都幾川の合流点付近に赤尾落合橋という木橋があり、2012年に訪れた際はすでに通行止めになっていました。 橋桁の鋼材の本数、橋脚の丸太の本数はそれぞれ、島田橋は7本、4本に対し赤尾落合橋は5本、3本と島田橋より若干狭く小振りな橋です。 見た目には通れそうでしたが、その先の都幾川を渡る長楽落合橋という川島町管理の木橋が、2011年7月の台風6号により流失したため通行止めとなっていました。 長楽落合橋は橋脚を鋼材で巻きコンクリート充填し補強してありましたが、橋桁は完全な木橋でした。
[ 長楽落合橋と赤尾落合橋(2009年空中写真)]
(国土地理院CKT20091-C23-27 一部切り抜き)
長楽落合橋は復旧の請願が地元から町議会に出されていましたが、河川事務所より木橋では占用できないと指導されたため架け替えができず、2011年12月に川島町が補正予算を組み撤去されました。
対岸に渡ることができなくなった赤尾落合橋も撤去されることとなったのです。
坂戸市の島田橋は地元の熱意で木橋で復旧できましたが、川島町の長楽落合橋は復旧が叶いませんでした。
この差はなぜ生じたのでしょうか?
[ 被災後の長楽落合橋 ]
(川島町議会だよりNo.95平成24年2月21日より)
日本の川は平常時と洪水時の流量に大きな差があるため、いつでも渡れる橋とするためには堤防から堤防を結ぶ長く高さのある橋になります。洪水時は渡河を我慢するのであれば、ふだん水が流れている部分だけ渡れれば良いのでローコストな橋になると思います。ただし河川管理者が許してくれればの話ですが。
[ 赤尾落合橋(2012年):通行止め ]
[ 無名橋(2025年):名前も高欄もない橋 ]
原市沼川に架かるこの橋は、高欄も名前もありません。
橋面と橋脚はコンクリート製ですが、よく見ると橋桁は太い材木が使われていて、橋脚部分は橋桁を支えるため木材が二段に使われています。橋面はコンクリートが打ってありますがその下の床板には木の板が並べられています。コンクリートは橋面を滑らかにし耐久性を高めるためにあるようです。
[ 無名橋(2025年):下から見ると木橋 ]
下から見ると、丸太の橋桁に渡した木の板が橋面を作り出しているのがわかります。少々雑な作りですが、人が渡るだけの橋なのでこれで十分です。橋脚がコンクリートなので木橋とは言えないかもしれませんが、島田橋が木橋と言えるなら、この無名橋も立派な木橋と言えます。
この橋がいつからあるのかは不明ですが、1946年の空中写真には写っていました。1960年代に県道さいたま栗橋線が新設され、真横に歩道のある橋が造られましたが何故かこの橋は今日まで生き残っています。
[ 無名橋(2025年):生活の道? ]
<参考資料>