chapter-059 木・石・鋼・コンクリート2

[ 2012.08~ ]

■■コンクリート橋・・・・・


コンクリートという材料は引っ張る力に弱いため、石橋と同様に昔はアーチ形式で造られるコンクリート橋が多かったようです。
その後、鉄筋と組み合わせて造られるRC(Reinforced Concrete)橋や鋼製ケーブルなどと組み合わせて造るPC(Prestressed Concrete)橋の技術が進歩し、多くのコンクリート橋が造られるようになりました。
近年多く使われているPC橋は、桁橋といわれるシンプルな形で造られることが多く、景観的には物足りない平凡なものになってしまいます。



[ 御茶ノ水駅と聖橋(2012年) ]


特徴のある橋としては、お茶の水駅の横を流れる神田川に架かるアーチ形式の聖橋が有名で、橋の下を流れる神田川と中央線が一緒に写っている映像を一度は見たことがあると思います。
聖橋は震災復興事業により造られた橋の一つで、橋名は神田川北側の湯島聖堂と南側のニコライ堂を結ぶことに由来しています。
上流に架かる御茶ノ水橋から見ると、コンクリートのアーチがきれいに見えます。



[ 音無橋(2010年):音無公園の上にある橋 ]


王子駅の北側を流れていた石神井川(今の石神井川は地下を通っている)の上空を通る音無橋もコンクリート製の美しいアーチ橋です。
床版とアーチ部材をつなぐ鉛直支柱をよく見るとアーチ型にくり抜かれていて、橋の軽量化に一役買っています。
聖橋は中央径間のみがコンクリートアーチですが、音無橋は側径間もアーチ形式の美しい三連アーチ橋です。
しかしアーチのひとつは北区の自転車置き場の屋根になっているのが残念です。


・・・・・玉川橋(ときがわ町 都幾川)・・・・・



[ 玉川橋(2012年):歩道部と高欄が竣工時の姿と異なる ]


県内にもコンクリート橋は多数ありますが、ときがわ町を流れる都幾川に架かる玉川橋はコンクリートのアーチ橋として現在でも車が通行しています。
明治時代に完成した先代の橋は地元の寄付金で造られましたが、通行料(橋銭)を徴収するのが当時の常であったにもかかわらず、橋銭なしで通れる橋だったそうです。
先代の橋が老朽化して危険となったため、県は19,048円の予算を計上し1921(T10)年1月5日に起工、12月8日にアーチ橋としては県内第1号となる玉川橋が竣工しました。
当時の書類には、橋の概要として「橋長 百六尺」、「橋幅 十五尺」、「径間 八十尺」、「拱形 抛物線」などの記載があります。
 ※ 拱=アーチ、抛物線=放物線



[ 玉川橋側面図:鋼材の配置がわかる ]


玉川橋の架替えに当たっては、県と内務省土木局でやり取りがあり、橋の構造や使用材料に様々な指示が与えられています。
すでに工事が始まっている1921(T10)年3月28日には、内務省土木局長から知事あてに9項目の再調査が指示されています。
 1 鉄筋コンクリート構造は拡築できないので構造令に規定する有効幅員3間とすること
 2 橋梁の耐力計算に関する図書を提出すること
 3 高欄の高さは3尺から3尺5寸とし、1尺当り30ポンドの群集推力に耐えること
 4 橋梁と両側道路の関係を示す縦断面図を提出すること
 5 橋床は防水を施すること
 6 図面には精細な寸法を記入すること
 7 コンクリート部材の接合部はハンチを設け、角は面取りをすること
 8 異なる配合のコンクリートで砂利・砂の配合を同一としているのは不当
 9 橋梁の強度に関係のないところには軟鋼鉄線ではなく普通のもので可



[ 玉川橋横断図:床版には鉄筋が使われている ]


これに対して、高欄は2尺9寸に変更し、橋床の防水として2寸のアスファルト舗装を設けるなど、追加・変更・訂正を行っていますが、さすがに工事が始まっているため橋の幅を広げることができず、「将来改修に際しても15尺(2.5間)幅とする予定なので承認してほしい」と言い逃れています。
玉川橋の改築は1921(T10)年11月28日付けで内務大臣が認可をしていますが、同日付の土木局長の通牒で「交通上ノ危険ニ基キ既ニ竣功済ナルニヨリ特ニ追認セラレタル次第ニ付御了知ノ上将来御注意相成度」とお叱りを受けています。
堂々と事後承認で済ませてしまった、当時の県のお役人は太っ腹だったようです。



[ アーチ部のメラン材:フレートは幅6cm厚さ9mm ]


ところで、玉川橋は『鐡筋混凝土構造(鉄筋コンクリート構造)』とされていますが、設計図書を見る限り鉄筋が使われているのは床版(人や車が載る部分)だけで、そのほかのアーチ本体、横桁、鉛直支柱には鉄筋が使われず、代りに山形鋼や平鋼をリベットで接合した鋼材がコンクリートで包まれています。
この形式は『メラン式』といわれ、仮設材として予め鋼材でアーチを架設し、これを支えとして型枠を設置しコンクリートを打設する工法ですが、戦前は単に鉄筋に代えて鉄骨を使用していたため『鉄筋コンクリート』に分類されていたそうです。



[ アーチ部断面図:鉄筋に代わり鉄骨が使われている ]


玉川橋の構造計算書でも鉄骨があたかも鉄筋のように扱われており、ところどころで『鉄筋ノ断面』に鉄骨の断面が含まれて計算されています。
現在の鉄筋構造物では異形鉄筋が使われますが、当時は異形鉄筋の入手が困難で玉川橋で使われている鉄筋は『中鋼丸鉄』となっています。
架換工事設計書では、鍛冶工767人、木工258人、左官89人、人夫2174人の延べ3,288人の労力を見込んでいて、鉄骨を組み上げる鍛冶工が多いこと、モルタルを上塗りをする左官が計上されていること、などが玉川橋の特徴です。
『メラン』はオーストラリアのプラーグ大学教授メラン(Melan)が発案した構造で、お茶の水の聖橋もメラン式コンクリートアーチ橋です。



[ 上から見た玉川橋(2012年):歩道部分は別の橋 ]


内務省の指示に従わず橋幅15尺(≒4.5m)で造られた玉川橋は、車が通るには幅が狭く乗用車同士のすれ違いが精いっぱいの橋です。
1970(S45)年に、下流側に歩行者用の橋が継ぎ足されるように架けられ、現在は上から見ると歩道のある橋のように見えますが、橋の下から見上げると全く別の橋が平行して架けられているのが分かります。
この歩行者用の橋は、玉川橋竣工当時の太いコンクリートアーチ、細い支柱、薄い床版がつくりだす美しい側面を隠してしまい、下流からの景観を台無しにしています。



[ 下から見た玉川橋(2012年):歩道と車道は全く別の橋 ]


現在の高欄は、鋳物のパネルがはめ込まれたコンクリート製で重々しい感じがしますが、竣工当時の高欄は直径3寸(≒12cm)のガス管と鋼板(140cm×6cm×0.9cm)を組み合わせたものでした。
高欄の支柱は鋼板に90度の捻りを加え、支柱を補強する補助部材は360度の捻りが加えられた珍しい装飾が施されています。
この高欄では車の逸脱を防止する効果は期待できず、人の転落を防ぐための高欄でした。
高欄が古くなったので通行する車の安全のために、アーチをデザインした丈夫な高欄に造り変えたと思われますが、継ぎ足された歩道部とともに玉川橋本来の姿から遠ざける要因となっています。



[ 後年の改変:歩道、高欄、水道管がつけられた ]


[ 竣工時の高欄 ]


玉川橋とほぼ同形のコンクリートアーチ橋が飯能市の名栗川に架かっています。
1924(T13)年に完成した長さ31.4m、幅3.9mの名栗川橋は大きさは玉川橋とほぼ同じですが、上流側に水道管が添架されただけで高欄などはほぼ完成時の姿をとどめています。
名栗川橋は村道橋として造られたので、県道橋である玉川橋に比べて交通量が少なかったことが幸いし、完成時の姿をほぼ残すことができたのでしょう。



[ 名栗川橋(2012年):玉川橋の2年後に架けられた ]


現在の名栗川橋は車止めが設けられ、軽自動車程度しか通行できないようになってますが、玉川橋と同様に現役の橋です。
橋のたもとには『土木学会選奨土木遺産』として登録された記念プレートと、埼玉県指定有形文化財であることを示す由緒書きがあり、名栗川橋は鉄筋コンクリートのアーチ橋と説明されていますが、ひょっとすると玉川橋と同じメラン構造かもしれません。
玉川橋と名栗川橋は大きさ、形がそっくりで、完成した時期もほぼ同じ、まるで双子のようです。



[ 玉川橋アーチ部のコンクリート(2012年):手間がかかっている ]


一般にコンクリートの表面は、型枠の面が平らであれば模様のない平滑な仕上がりになりますが、玉川橋のコンクリート面はデザイン?が施されています。
平面部はモルタルを上塗りして自然石のような仕上がりとなっていますが、コーナー部(凸部も凹部も)は平滑な仕上げとして構造物のエッジが際立って見えるようにデザインされています。
橋を渡る人からは見えない部分なので、玉川橋が跨ぐ都幾川から見上げられた時の見栄え、景観を考えて施工されたものと思われます。



[ 橋の下(2012年):河原に下りる道がない ]


玉川橋が架かる都幾川は広すぎず深すぎず流れも緩やかで、河原もあり水遊びには良い所なのですが、河原に下りる道がなく川には藻が多く水に触れる気持ちになれない状況です。
橋は完成してから1世紀以上が経過していますが、今でも現役で活躍しているので、川の水をきれいにしてコンクリートのアーチを見上げられる場所を造り、デザインを凝らした玉川橋を眺められるようにして欲しいものです。



[ 新玉川橋(2012年):一般的なPC橋 ]


玉川橋の500mほど下流に造られた新玉川橋は、2002(H14)年に完成したどこでも見られるごく普通のPC橋で幅が広く車や人が通りやすい橋ではあるのですが、まわりの風景のアクセントになる橋でもなく溶け込んでいる訳でもありません。
コストパフォーマンスや架橋上の制約があるのでしょうが、橋を建設する際の景観への配慮には玉川橋とは大きな差があります。


・・・・・新佐賀橋(鴻巣市 元荒川)・・・・・


コンクリートのアーチ橋は山間部だけでなく平地にもあります。
鴻巣市(旧・吹上町)を流れる元荒川に架かる新佐賀橋は1933(S8)年6月の竣工で、橋本体や高欄にいろいろな模様が施されている、コテコテの橋です。
この橋は下を流れる元荒川に遊歩道が整備されているのですが、橋の両脇に水道管が添架されていて遊歩道からコテコテ模様の橋を楽しむのを邪魔しています。



[ 新佐賀橋(2012年):高欄はほぼ無傷 ]


さらに、親柱も高欄もほぼ無傷で残っているのですが、親柱を隠すように電柱やカーブミラーが立っているので銘板の文字を読むのが一苦労です。
コテコテ模様の橋なので『いー仕事、してますね』と言うには賛否両論あるかもしれませんが、今ではこんなに模様のある橋を造ることはできませんので『是非、大事に使ってください』といったところでしょうか。
それでも2012(H24)年に名栗川橋と同じ『土木学会選奨土木遺産』に登録されました。



[ 新佐賀橋(2012年):ここでも水道管が邪魔 ]


■番外編1・・・・・



[ レールの橋(2013年):アーチの鋼材は古いレール ]


これも鴻巣市(旧・吹上町)の元荒川に架かる橋で、鉄道の古いレールがアーチ部材とコンクリートの床を支える部材に使われています。よく見ると橋脚もコンクリートアーチが使われています。
さすがに重い車の通行は危ないとみえ、2トンまでの重量制限がされています。
この橋の親柱には橋銘板がないのですが、平成24年に発行された「鴻巣吹上・元荒川 橋づくし」というパンフレットによると、昭和7年に竣工した全長19m幅2.9mの小谷橋で、昭和32年に改修されているとのことです。



[ レールと橋脚のアーチが見える(2013年) ]


下流にある小谷橋と瓜二つの橋は、橋脚もアーチの形状も同じですが、鋼材部分が赤で塗装され床版と高欄は新しいものに造り替えられています。
造り替えられた床版の脇に昔の橋銘板が埋め込まれていて、旧字体で『笹原橋 昭和七年三月竣功』と書かれています。
コンクリートアーチの新佐賀橋よりも古く、ほぼ昔の状態で残っていることを考えれば、この無名橋も『土木学会選奨土木遺産』クラスの橋です。



[ 笹原橋(2013年):橋銘板が残されている ]


■番外編2・・・・・



[ 元荒川に架かる歩道橋(2012年):妙な高さに通路がある ]


この橋は人が通る位置が中途半端な高さにあり、背の高い人が渡るときには頭をぶつけそうな橋です。
以前は通路の下に水道管があり、その上が通路になっていることに不自然な感じはなかったのですが、いつの間にか水道管が撤去されこのような姿になってしまいました。
トラスの入り口には「頭上注意(高さ1.8m)」の標示があり、橋の横には「歩道橋につき、自転車等で渡る時は、降りて通行してください。」と、お願いの看板もあるので、いろいろと注意して渡らなければなりません。



■おまけ・・・・・


[ かっぱ橋道具通街(2008年) ]

隅田川に架かる吾妻橋を1kmほど西に行くと、食の道具なら何でもそろう合羽橋商店街があります。
南北800mの通りの両側に、食に関する道具を扱う商店が並ぶ中に、食堂のディスプレイで使われる食品サンプルを売っているお店もあります。
お土産用のサンプルもあり一般のお客さんも気軽に入れます。
5,775円のレバニラと6,300円の海老チリを比べると海老チリのほうが割安に思えますが、あくまでも食品サンプルのお値段です。





<参考資料>