chapter-065 フライと足袋蔵

[ 2013.02~ ]

■忍の浮城・・・・・



[ 田んぼアート(2010年) ]


2012(H24)年11月2日に映画『のぼうの城』が上映されました。
あらすじは、1590(天正18)年に豊臣秀吉の家臣石田三成が率いる大軍が北条側の支城である忍城を水攻めにするのですが、なかなか落城せず北条の本拠地小田原城が落ちるまで持ちこたえた戦を描いたものです。
2011(H23)年9月17日に封切が予定されていましたが、3月11日に東日本大震災が発生したため延期になりました。
この映画には、水攻めのために高い堤が造られ、堰が開かれると溜められた水が一気に流れ込み、あたかも津波のように家々を流すシーンがあったのです。



[ 石田堤(2013年):鴻巣市内に残る堤 ]


忍城攻めの際に造られた堤は、映画のような大規模なものではなく、自然堤防に手を加えた程度のもので、堤の高さは数十cmから高い部分でも2、3m程度です。
この堤は『石田堤』といわれ、忍城がある行田市の南の鴻巣市内に一部が現在でも残っていて、公園として使われている部分もあります。
実際に石田堤を見ると、水攻めで溜められた水はそれほど深くなく、津波のような攻撃というよりも、忍城周辺を水浸しにして農作物に被害を与え、領民を苦しめることで城主に降伏を促すことが目的だったように思えます。



[ さきたま古墳公園(2012年) ]


忍城のある行田市周辺は平坦な地形で、近くには大河である利根川や荒川が流れ、ひとたび大雨が降ると川が氾濫し洪水が流下する、もともと湿地が多い地域です。
この湿地が敵の攻撃を防ぐのに力を発揮し、豊臣方は大軍をもっても攻めあぐね、水攻めの水面に浮かぶ忍城は、難攻不落の『忍の浮城』として名城に数えられるようになりました。


■堀と湿地の埋め立て・・・・・


忍城周辺の堀や湿地は明治以降に埋め立てが進められ、その名残として水路が市内各地にありました。
しかし、生活排水などが流れ込み著しく汚れ不衛生な状態となり、これを改善するため1950(S25)年11月に始まった下水道の整備に伴い、水路は埋め立てられ道路に変わりました。
市中の水路が埋め立てられたことを物語る橋が残っています。



[ 新兵衛橋(2013年):高欄だけが残っている ]


行田市天満にある市道には、高欄だけが残っている『新兵衛橋』という昭和7年5月竣工の橋があります。
橋の名となった『新兵衛』は行田市の名誉市民である宮澤龍次郎の父で、龍次郎は父新兵衛の意志を継ぎ、天文年間(1532~55)から天保年間(1830~44)の約300年間の無縁仏を奉安する『新兵衛地蔵塚』を橋の西にある清善寺内に造りました。
地蔵塚は1931(S6)年5月8日に落慶供養が行われているので、それに併せて『新兵衛橋』も架けられたと思われます。



[ 忍城今昔地図:清善寺を結ぶ道に新兵衛橋がある ]


行田市郷土博物館が作成した、江戸時代文政の頃と現在の地形を重ねた『忍城今昔地図』を見ると、『新兵衛橋』がある位置には水路があったことがわかります。
今では『新兵衛橋』が跨いでいた水路は埋め立てられ、道路になっていたり家が建っていて高欄の横には電柱まで立っています。
行田市の中心部にある水城公園のそばには、昔の水路がそのままの姿で残っているところがあります。
両岸は葦や竹が水際まで生い茂り、あまり美しい風景とは言えないので、埋め立てられてもやむを得ない運命だと納得がいきます。
水路がきれいに残されていれば、”水郷”として有名になっていたかもしれません。



[ 昔の水路(2012年):こんな感じの水路が多かった? ]


■足袋蔵・・・・・


行田といえば昔は足袋(たび)の生産が盛んで、昭和30年頃までは足袋を作る工場が多くあり、地域を支える一大産業でした。
生産のピークであった1938(S13)年には8400万足を超える生産量でしたが、戦争が始まると男性職工が軍需工場に徴用され、足袋工場は開店休業の状態になりました。



[ 足袋工場(2013年):1917(T6)年建設 ]


戦後になり材料統制も解かれ、生産量は1956(S31)年に5100万足まで回復したのですが、洋装化とナイロン靴下の普及により足袋産業は急速に衰退しました。
最盛期に工場で働く女性の職工たちの間で、手軽に空腹を満たせる食べ物としてヒットしたのが、B級グルメとしも有名になった『フライ』で、今でも市内にはフライを作る店があります。
地域振興のために、新たにB級グルメ用メニューを考案する地域が多くありますが、行田のB級グルメは歴史に裏打ちされた本物の庶民の食べ物です。
『フライ』は揚げ物ではなく、小麦粉を使った和風クレープのような焼き物ですので、注文の際はご注意を。



[ フライ(2012年):古沢商店のフライ ]


『フライ』のほかに足袋産業が隆盛を極めていた頃の名残があります。
『足袋蔵』と呼ばれる足袋の完成品を保管するために造られた蔵が、市の中心部に点々と現在まで残っているのです。
蔵を造っている材料は、石、レンガ、土などと様々で、形も同じものはありません。
行田市やNPOが、この足袋蔵を観光資源として案内板やホームページで紹介しています。


 
[ 足袋蔵(2012年):1927年と1924年建築の蔵 ]


蔵造りの街で有名な川越の蔵は耐火建築として造られた店蔵で、今でも店として使われているので建物の内側から見ることもできますが、行田の足袋蔵は倉庫や物置として使われているため、残念ながら外観しか見学できない地味な存在です。
しかし、市内の歩いて廻れる範囲に適度に散らばっているので、ちょうどいい散歩コースになります。



[ 蔵めぐり(2012年):市内にあるマップ ]


■お土産屋・・・・・



[ 川越菓子屋横丁(2012年):名物のいもはアイスにまで ]


行田には忍城あり、足袋蔵あり、B級グルメあり、とプチ観光地になりえる要素は整っているのですが、客足はいま一つのようです。
観光スポットはあるのですが、観光とともに欠かせないお土産屋が行田にはほとんどないのです。
観光地に成長した川越は、蔵造りの街並みに加え菓子屋横丁というお買いものが楽しめるところがあり、最近では蔵造りのお店もお土産屋に変身しつつあります。
日帰りバスツアーのコースには、観光地を見てまわる時間よりもお土産屋に立ち寄っている時間が長いものもあります。
お客さんの楽しみも、「花より団子」ではありませんが、「観光よりお土産」なのかもしれません。



[ 忍城おもてなし甲冑隊(2011年):市の観光PR ]


あちこちの街で中心市街地の活性化の手段として、街中に埋もれている観光資源の発掘が進められています。
中には歴史的にも地域的にも価値のある有望な資源のある所がありますが、それだけでは単なる史跡や名所であり、観光地になり得ません。
多くの人にお訪れてもらうためには、知的好奇心を満足させるだけでなく、お腹と旅行バッグを満たしてくれる名物とお土産屋の存在がが不可欠のようです。



[ 行田市街(2012年):シャッターが下りた店が並ぶ ]



■おまけ・・・・・


[ 十万石饅頭(2006年) ]

十万石の行田本店です。1952(S27)年に行田で創業したお菓子屋さんで、饅頭の皮に山芋を使った『十万石まんじゅう』がメイン商品です。
本店の建物は1880年代に呉服屋の店蔵として建てられ、その後足袋蔵としても使われたそうです。
県内では結構名の通ったお饅頭屋さんです。





<参考資料>