深谷市【レンガの街】

chapter-081 2014.12~

■深谷の有名人・・・・・



[ 新一万円札 ]
(国立印刷局HP)


2021(R3)年のNHKの大河ドラマ『晴天を衝け』では、日本近代社会の創造者として知られる渋沢栄一氏の生涯が描かれ、出身地である埼玉県深谷市も知られるようになりました。 さらに渋沢栄一氏は2024(R6)年7月からの新1万円札の肖像に選ばれ、だれもが一度は顔を見たことがある有名人になりました。
渋沢栄一氏が生まれた深谷市血洗島(ちあらいじま)は、現在は深谷市ですが1973(S48)年に吸収合併される前は豊里村でした。 血洗島という恐ろしげな地名の由来は、上杉氏と北条氏との戦いで多くの血が流れた、利根川が毎年氾濫し地荒れ(ちあれ)した、などの説があるそうです。
渋沢栄一氏は500余りの企業創立に携わり日本産業経済の礎を築いたといわれる人物ですが、昭和世代の人(自分のことです)は社会科の授業で教わった記憶がないと思います。 昔の社会科の教科書に登場するのは政治家や文化人ばかりで、経済人の登場は少なかったと思います。 時代とともに教科書も変わっているようです。



[ ふっかちゃん(2025年):レンガ風の舗装]


渋沢栄一氏には及びませんが、深谷市のイメージキャラクターである『ふっかちゃん』も、ご当地キャラブームにのってテレビCMにちらりと登場したこともあり、イメージキャラクターとしては知名度が高い存在です。
ふっかちゃんは、ウサギのような愛らしい顔に深谷の名産品である『深谷ネギ』が角のように生えているキャラクターです。 『深谷ネギ』は特定の品種があるわけではなく深谷地方で採れるネギの総称だそうで、鍋料理などでいただくと甘みがありやわらかくとてもおいしいネギです。


■深谷産のレンガ・・・・・




[ 碓氷峠第三拱橋(2013年):1893(M26)年完成 ]


深谷ネギは今でも深谷の名産として名を馳せていますが、明治・大正にかけては深谷で作られるレンガが様々なところで使われていました。 深谷でレンガを製造していたのは、日本煉瓦製造株式会社という渋沢栄一氏がかかわった企業の一つです。
江戸時代末期に締結された不平等条約改正のため、明治政府は欧化政策の推進を急いでいました。 その一つである西洋建築による官庁集中計画を実現させるためには、機械による大量のレンガ製造が必要でした。 計画を推進する臨時建築局井上馨総裁の相談に応じ、渋沢栄一氏らは1885(M20)年に会社設立認可を得て翌1886年には第1号窯の火入れが行われました。
日本煉瓦製造(株)のレンガは、旧・信越線碓氷峠付近の碓氷第三橋梁(1892(M25)年完成)、旧・司法省庁舎(1895(M28)年完成)、中央線万世橋高架橋(1912(M45)年完成)、 横浜赤レンガ倉庫2号館(1913(T2)年完成)など、日本の近代化を担った多くの建造物に使われています。 辰野金吾が設計した東京駅(1914(T3)年完成)にも、深谷で作られたレンガが大量に使われました。



[ 東京駅(2025年):1914(T3)完成 ]


日本煉瓦製造(株)が深谷に工場を置いたのは、レンガの材料となる良質な粘土が採れ、製品の輸送に舟運が使えたからです。 しかし舟運は天候、水量の増減などの自然現象に逆らえず、また工場内の入堀で小舟に積み込み小山川を経て利根川の川岸で大型船に積み替えて、江戸川を下り消費地東京まで運ぶ煩雑なものでした。
このような輸送上の問題を解決するため、1895(M28)年にレンガ工場から深谷駅に至る約4kmの専用鉄道が敷かれ、日本初の民間専用線として運行が始まりました。 その後、道路の整備が進みトラック輸送が主役となると、維持管理費の節減もあり鉄道輸送は1972(S47)年に休止となりました。
明治に生まれた日本煉瓦製造(株)ですが、関東大震災によりレンガ造の耐震性が不安視され、コンクリート構造物の普及などによりレンガ需要は減少しました。 耐火レンガなど構造材以外の生産に注力しましたが、外国産レンガの圧力にも押され2006(H18)年に会社は清算され、深谷でのレンガ製造は幕を下ろすことになりました。
日本煉瓦製造(株)120年の長い歴史には構造物の材料の変遷とともに、舟運→鉄道→トラックへと、近代日本の輸送手段の移り変わりも刻み込まれています。
(社名:1877~1893日本煉瓦製造会社 1893~2006日本煉瓦製造株式会社)



[ 福川に架かっていた橋(2025年)]


深谷駅からレンガ工場までの約4kmの鉄道跡地は、現在は自転車道と歩道に分離された遊歩道に生まれ変わり、植栽の緑も多く快適なお散歩が楽しめます。 残念なのは、遊歩道がレンガ輸送専用の鉄道跡地だったことを示すものが少ないのです。 歴史を示す案内板が数か所ありますが、注意して歩いていないと気づきません。 自転車で走る人はまず気づきません。
横浜では、1911(M44)年に造られた臨港線の跡地が、桜木町駅前から海を渡り赤レンガ倉庫に至る遊歩道になっていますが、路面にはレールが敷かれ一目見れば鉄道跡地と分かります。 名称も有名な「馬車道」をもじった「汽車道」と名付けられ、多くの観光客でにぎわっています。
深谷の線路跡は、日本初の民間専用線でもあり日本の近代化に貢献したレンガ輸送線だったので、もっと自慢しても良いのではないでしょうか。 遊歩道の名称は『あかね通り』となっていますが、単純に『れんがみち』はいかがでしょうか。
「どーして『れんがみち』って言うの?」「昔ここにレンガを運ぶ鉄道があったから」



[ あかね通り(2025年)]


■深谷市内のレンガ・・・・・


深谷駅北口は区画整理されたので古い建物は少ないのですが、中山道周辺は現在土地区画整理が進められていますが、まだ古い建物が残っています。
その中で遠くからでも見えるのがレンガで造られた煙突です。 造り酒屋の煙突で、西側から、滝澤酒造、七ツ梅酒造、藤橋藤三郎商店の煙突を見ることができます。 いずれも耐震性強化のためか鉄のバンドで補強され、レンガは使い込まれて年季の入ったいい色合いになり、酒蔵の長い歴史を物語っています。



[ 滝澤酒造(2025年)]

滝澤酒造の煙突は高さ20m超の円形で1930(T5)年の建造です。 レンガは煙突のみならず麹室、蔵にも使われ、これらは日本煉瓦製造(株)が造ったレンガです。黒褐色になった大きな煙突とともにレンガ壁がある路地も見ごたえがあります。
2025年4月に見たときは店舗の建物をジャッキで持ち上げて、基礎部分の修繕工事が始められていました。 滝沢酒造は中央土地区画整理の区域からはずれているので、これからも旧・中山道沿いで酒造りが続けられます。



[ 七ツ梅酒造(2025年)] 


七ツ梅酒造は1694年(元禄7年)に創業しましたが2004(H16)年廃業し、現在は『一般社団法人 まち遺し深谷』が残された建物を管理をしています。 古い建物はお店などに使われ見学できるようになっていますが、維持管理が大変なので100円の入場料を賽銭箱に入れるシステムになっていました。 煙突のほかに1914(T3)年頃に建てられた精米蔵にも日本煉瓦製造(株)のレンガが使われています。
七ツ梅酒造跡地は中央土地区画整理の区域内にあり、建物も老朽化が進んでいるので、これからどうなっていくのでしょうか。



[ 藤橋藤三郎商店(2025年)]


こちらの酒蔵は2010(H22)年に店舗と工場を新築していますが、裏に深谷産のレンガで造られた煙突、蔵、井戸が残されています。 お店の前を通る旧・中山道が区画整理で広がるため、以前の道路よりも後退して建てられています。
レンガの蔵と井戸は敷地の中に入らないと見ることができないので、新しくなったお店だけを見るとあまり歴史が感じられませんが、創業は1848(嘉永1)年だそうです。



[ 中山道沿いの建物(2025年):つかもと燃料 ]


面白いレンガの使われ方としては、店舗の側壁とうだつにレンガが使われている建物が中山道沿いにあります。 中山道沿いはシャッターを閉じる店舗が増え寂しい状況ですが、その中で往時の姿を偲ばせる『つかもと燃料』の建物です。 レンガ・木材・瓦の三種類の建築資材が、長い時間を経て馴染んだ風合いを醸し出しています。
お店のガラスに貼ってある”うんちく”によると、1912(T1)年に建築された英国積みレンガ様式の町屋建物で、総工事費は当時のお金で3万円。 使われているレンガはもちろん日本煉瓦製造(株)製で、その中でも最高級品だそうです。 ただ寂しいことに「近年の区画整理事業にて壊しちゃうかもしれないので忘れないで(涙)」というコメントも書かれていました。
取り壊しではなく曳家ができないものでしょうか。 市が奨励しているレンガのまちづくりのためにも、レンガ造りの建物を増やす施策だけでなく減らさない施策も必要だと思います。



[ 大圓寺(2025年)]


中山道の裏通りに大圓寺というお寺があり、墓地の周りの塀に一部ですがレンガ造りが残されています。 高さは1.5m程度で長さは50m程しか残っていませんが、ブロック塀やアルミのフェンスに慣れてしまった目には、少々黒っぽくなった赤茶色のレンガではありますが新鮮に映ります。
旧・中山道沿いの建物は、正面に木造のお店、裏にレンガ造りの蔵をもつところもあります。 区画整理で建物が撤去された区画を通して、裏側にあるレンガの蔵がよく見えるところもあります。



[ 旧・中山道沿いのお茶屋(2025年)]


レンガが使われた建物で中山道沿いが統一されていれば、特徴のある街並みとして高い評価が得られていたかもしれません。 白い外壁の街並みで有名な地中海沿いの町は、保存・保全のための規制があるそうで、美しい街並みを作り保つためにはそれなりの苦労があるそうです。



[ 深谷駅(2014年)]


先代の深谷駅は1934(S9)年に建設された駅舎が老朽化したため建替えの話が持ち上がり、当時流行っていた地方分権・特徴あるまちづくりの流れに沿って深谷にふさわしい駅舎を、ということで検討が進められました。 その結果、東京駅に日本煉瓦製造(株)が使われていることにちなみ、東京駅を模したデザインの深谷駅が誕生したのです。 総工費約35億円をかけた深谷駅は、鉄筋コンクリート造で外装に約50万個のレンガタイルを張った建物です。
深谷は東京駅とゆかりはあるのですが、わざわざ似せたデザインにしなくてもよかったのではと思います。



[ レンガの道(2025年):区画整理で造った道 ]


深谷駅北口の中山道沿いでは中央土地区画整理が進められ、建物が移転し新しい道路が造られています。 駅から市役所へ向かう市役所通りが新たに造られていますが、歩道は残念ながら本物のレンガではなくレンガ模様の舗装です。それでも市役所へ向かう歩行者用の区画街路は、レンガを敷き詰めた路面で造られています。
2023(R5)年に建替えられた4階建ての深谷市役所は、建物本体などに約16万個のレンガが使われています。 残念ながらこのレンガはほとんどが愛知県で造られたものです。


■深谷市レンガのまちづくり条例・・・・・



[ レンガ調タイルを使った深谷駅前の建物(2025年)]


深谷市は日本煉瓦製造(株)が清算された2006(H18)年に『深谷市レンガのまちづくり条例』を制定しています。 建物の外壁にレンガまたはレンガ調タイルを一定割合以上使用する場合は奨励金を出して、歴史的背景を踏まえた個性あるまちづくりを進めています。 店舗などでは最大200万円、専用住宅で最大30万円の補助金が出ます。
条例の効果があったのか、 駅周辺にはレンガ調タイルが使われたホテル、事務所、お店が目立ちます。



[ 深谷ネギ(2024年)]


名産の 深谷ネギの消費が促進されれば、市内農家の収益が上がり税収にも貢献があり、うまくいけば雇用の拡大につながるかもしれません。 一方、レンガのまちづくりは深谷市のイメージ創出には役立ちますが、どんなにたくさんレンガを使っても深谷市の税収や雇用は増えません。 日本煉瓦製造(株)が清算される以前に条例を定めレンガを使った建物を奨励していれば、イメージ創出のほかにレンガ製造という地場産業の活性化にもつながっていたかもしれません。
今となってはせめてレンガを使った街並みが有名になり、観光客でも増えればいいのですが。






<参考資料>