chapter-085 日高団地

[ 2015.09~ ]

■日高市誕生・・・・・



[ 巾着田の彼岸花(2006年):日高市の名所のひとつ ]


全国に「日高」という名称の自治体は、北海道日高町、埼玉県日高市、和歌山県日高町、高知県日高村の4つがあります。
埼玉県日高市の「日高」は昔からある地名ではなく町村合併の際に新たに作られた名称です。
1955(S30)年2月11日に高麗川村と高麗村が合併した際に、新町名の住民公募が行われ490の候補の中から「日高」選ばれました。
もともとは行政上のつながりが強い高麗川村、高麗村、高萩村の3村が「三高合併協議会」を立ち上げようとしていたのですが、高萩村の中に反対があり2村の合併が先行しました。
高萩村には飯能市との合併を望む声もあり、さらに狭山市から合併申入れがあるなど、村内で意向がまとまらず合併先を県に一任するとうい珍しい事態になったのです。
結局、翌年に高萩村は日高町に吸収合併されたのですが、もし3村が同時に合併していれば「日高町」ではなく「三高町」になっていたかもしれません。



[ 西武飯能日高団地の入口(2012年) ]


日高市は交通の便が良いわけではありません。市の中心部である高麗川駅までは池袋駅から最短でも1時間はかかります。
  ・池袋駅→<東武東上線orJR埼京線>→川越駅→<JR川越線>→高麗川駅
  ・池袋駅→<西武池袋線>→東飯能駅→<JR八高線>→高麗川駅
今でこそ埼京線があり川越線や八高線も電化され電車が走っていますが、1985年までは埼京線は存在せず、川越線はディーゼルカーが唸りを立てて走っていました。
日高町が誕生したころは、都内よりも隣接する飯能市や川越市に通勤・通学する人が多かったのですが、日高団地、西武飯能日高団地、東急武蔵台団地などの大規模な戸建て住宅地が開発され、人口が急増すると都内への通勤・通学者が大きく上回るようになりました。
おかげで1991(H3)年10月に日高町から日高市になることができました。


■日高団地・・・・・



[1967(S42)年空中写真:日高団地]
国土地理院空中写真KT678Y-C3-7から一部切取り


市制移行後、日高市の人口は5万人台を保っていますが、最も古い日高団地は開発から半世紀も経ち、居住者の高齢化が進み団地には寂しさが出ています。
都内への交通の便が良ければ、子供が同居したり転居後に新たな入居者が見つかりますが、る昨今では空き家が増える一方です。
団地内の道路は蓋のない側溝が開発時の姿をとどめていますが、戸建て住宅の中には表札もなく明らかに空き家となっている住宅も見受けられます。
平成25年の住宅・土地統計調査によると、賃貸用・売却用・別荘などに該当しない純粋な空き家は市内総住宅数24,7000戸のうち1,460戸、5.9%もあります。



[ 日高団地の中央通り(2015年)この先に環状交差点がある ]


日高団地は東西方向に幅12mの中央通りがあり、両側には商店が立ち並んでいるのですが閉店している店も多く、買い物をする人もまばらです。
団地住民の高齢化や若年層の流出のほかに、近隣に郊外型の大型店舗が進出してきたことも影響しているようです。
最寄り駅である川越線武蔵高萩駅まで1~2kmほどですが、東京までの通勤・通学は少々しんどいものがあります。
地価が下落した現在では、緑豊かな郊外の割に一区画の敷地面積が小さめなことが、子世帯との同居や居住者の入れ替わりにつながらない理由のひとつなのでしょうか。


■環状交差点・・・・・



[ 環状交差点(2015年):路線バスも楽に通行できる ]


日高団地には珍しい形の交差点があります。
中央通りの東寄りに近頃注目のラウンドアバウト(環状交差点)があるのです。
環状交差点は、2014(H26)年9月1日に改正道路交通法が施行され、環状交差点の定義、右回り通行、環状道路通行車優先、などが定められ、また、環状交差点を示す標識も新たに誕生しました。
環状交差点では交差点から出るときは左折ウインカーを出さなければならないのですが、交差点に入るときは左折ウインカーを出す必要はありません。



[ 昔の一方通行の標識が残る(2015年) ]


改正道路交通法の施行後、埼玉県内では2014(H26)年11月1日に入間市と毛呂山町の2か所で環状交差点が指定されました。
翌年の2015年7月1日に日高団地の交差点が県内で3番目の環状交差点に指定されたのです。
日高団地の環状交差点には、環状交差点の指定がされる以前に通行方法を示していた一方通行の錆びた標識が残っています。
錆びてほとんど見えない状態になってますが、団地の人は当たり前のように右回りをしていたようです。



[ 環状交差点の大きさ:外径は50mもある ]


日高団地の環状交差点は、県内で先に指定された2つの交差点に比べ規模の大きいことが特徴です。
外径は約50m、中央島の直径は約30mあり、車道と歩道の幅はそれぞれ8m、2mで住宅地の環状交差点にしては十分な幅があります。
環状交差点で有名な軽井沢六本辻交差点は直径30m程度しかありません。
日高団地はこのほかに環状交差点はないので、交通処理のためというよりは団地のシンボルとして造られたようです。
交差点の中央島はかつて噴水があったと思われますが、今は水が出ることもなく池の周りには柵が設置され人が立ち入れないようになっています。
それでも池の外側には電話ボックスやベンチが置いてあるので、中央島への立ち入りを拒んでいるわけではないようです。



[ [中央島(2015年):雑然とした様子 ]


環状交差点は信号がないため災害時にも強く、無駄な信号待ちを解消し交通の円滑化を図る目的で造られることが多いのですが、日高団地の交差点は団地のシンボル的な存在であり、中央島はどこからでも見えるので、少しは景観的な配慮があって欲しいものです。
欧米のように著名人の像や記念碑を建てるのは日本的でないので真似る必要はありませんが、地域を象徴するような演出が欲しいものです。
日高市を有名にした巾着田の曼珠沙華と日本人の大好きな桜を植えれば、春と秋に花を楽しめる中央島になるではないでしょうか。
曼珠沙華と数本の桜の木であれば見通しを遮ることもありません。



[ スペインの中央島(2015年):シンプルで手入れが行き届いている ]


中央島をきれいにしただけで日高団地に活気が戻るとは考えられませんが、折角団地のシンボルとして造られた交差点なのですから、もう少し地元が面倒を見ても良いのではないでしょうか。



■おまけ・・・・・


[ 加藤牧場のソフトクリーム(2015年) ]

日高団地の西側の旭ヶ丘にある加藤牧場では、いろいろなアイスクリームを作っています。
写真は搾りたてミルクを使ったソフトクリームです。
あっさりとした味でしつこくないので甘味の苦手な方にもお勧めできます。
ここはなめらかプリンが有名なようですが、暑かったのでソフトクリームの選択になりました。
旭ヶ丘は陸軍飛行場の跡地を分譲した開拓地です。





<参考資料>