chapter-086 坂道

[ 2015.11~ ]

■東京の坂道   



[ 首相官邸脇の坂道(2015年) ]


山の中を延々と続くような坂道はありませんが、東京にはたくさんの坂道があります。
東京に坂が多いことは、坂道に詳しい芸人タモリがテレビなどで取り上げていることもあり、よく知られています。
石神井川、神田川、目黒川などの河川が武蔵野台地を浸食し、谷地が樹枝状に刻み込まれたため、東京には多くの坂道ができました。
港区や千代田区のように坂道の多いところは、区のホームページで坂道を紹介しています。



[ 田端駅付近(2012年):京浜東北線を境に地形が変わる ]


東京の中でも京浜東北線の東側は、荒川や旧利根川(現・中川)によって運ばれた土砂による沖積地や東京湾を埋立た土地なので、起伏のない低地が広がっています。
浅草や神田などが下町と呼ばれているのは、武家屋敷の広がっていた台地から見るとまさに”下にある町”です。



[ 道玄坂(2013年):雑踏の名所 ]


再開発の進む渋谷駅周辺は、渋谷川によって浸食された谷底のようなところにありますが、ビルが立て込んでいるので駅前に降り立っても谷底にいるという感じはありません。
しかし渋谷駅の周りにある宮益坂、金王坂、道玄坂などは、駅から向かって行くとすべて上り坂になり、谷底にいることがわかります。
現在の渋谷川は渋谷駅前の地下を流れ玉川通りの南側で地表に出てきますが、コンクリートで囲まれた味気ない様相です。
進行中の再開発によって水辺空間を創出するそうですが、昔あった春の小川とは程遠い風景になりそうです。


 
[ 宮下橋の親柱(2013年)  参道橋の親柱(2013年) ]


渋谷駅よりも上流側の渋谷川は、地下を流れているので地表からはどこを流れているのか見当が付きませんが、橋があったところには親柱が残されています。
明治通り沿いにある宮下公園の反対側に「みやしたはし」親柱があり、表面にはいかにも若者の街といった感じの落書きがされています。
また、表参道沿いにある神宮前交番の横には、渋谷川に架かっていた参道橋の親柱がモニュメントのように残されています。
残念ながらこの道を歩く人にとって興味ある存在ではないようです。


■さいたまの坂道・・・・・



[ 大戸貝塚(2015年):海のないさいたま市に貝塚がある ]


埼玉県は秩父山地の東側に台地・丘陵地が広がり、その裾野を流れる荒川の周りは低平地になっていますが、荒川の東側には大宮台地といわれる島状の台地があります。
大宮台地は現在の荒川と昔の荒川(現・元荒川)に挟まれ、海面が高かった縄文時代は台地の南部に海岸線がありました。
その証として、さいたま市中央区大戸には貝塚が残っています。大戸貝塚は淡水産のシジミや海水産のハマグリが認められており、埼玉県にも海があったことを物語っています。



[ 別所坂下(2015年):大宮台地南端を下ったところ ]


江戸時代の中山道は大宮台地を通り、浦和宿や大宮宿の街はこの台地の上に形成されました。
台地の下の低地は明治期の地形図を見ると一面の水田でした。
中山道のバイパスとして造られた国道17号を県庁前交差点から東京方面に南下していくと、「別所坂上」という小さな交差点があり、さらに南下すると「別所坂下」交差点に至ります。
2つの交差点間は約8mの高低差がありますが、道路は車が走りやすいように切土や盛土によって緩い勾配になっています。
この「別所坂上」~「別所坂下」が大宮台地南端の斜面です。



[ 武蔵浦和駅に向かう道(2015年):自転車で上るのは大変 ]


住宅が張り付いている斜面はひな壇状に家屋が建ち、その宅地に接続する道路はかなりの急勾配になっています。
武蔵浦和駅に向かうときは下り坂なので苦痛は少ないのですが、駅から帰ってくるときは厳しい上り坂が待ち構えています。
台地の上は大正から昭和初期にかけて、耕地整理事業より宅地に整えられましたが、台地の下に市街地が広がるのは昭和40年代以降です。
特に埼京線開通と同時に武蔵浦和駅が開設された1985(S60)年以降は急激に開発が進み、高層ビルやマンションの建築が進んでいます。
武蔵浦和駅周辺は、埼京線を使えば新宿駅まで約30分で行くことができ、東西方向には武蔵野線が使えるのでとても便利なところになりました。



[ 昭和44年地形図:市街地になっているところは台地の上 ]



■急勾配あり 20% 21% 22%・・・・・



[ 中央道(2017年):下り2%でも速度落せの標識 ]


雪や雨の日の坂道は滑りやすいので、路面の勾配を注意喚起する黄色い標識が建てられていることがあります。
高速道路では上り坂の速度低下による渋滞、下り坂の速度超過による事故のおそれがあるので、数%の勾配でも「急勾配あり」の標識が立っています。
どれくらいの勾配になれば「急勾配あり」の標識を付けるのかは、車の速度や周辺の状況によるので一定の決まりはないようです。
20%を越える勾配になるとさすがに「急勾配あり」の標識は必須のようです。



[ 江戸見坂(2015年):20%の上り勾配 ]


この標識があるのは港区のホテルオークラ東京の近くの坂道で、標識を見るまでもなく厳しい勾配であることが分かります。
港区のホームページによると、この坂から江戸市街の大半が見えたので「江戸見坂」と名付けられたそうです。
歩いて上るのは大変な坂ですが、高級ホテルや一流会社が集まる地域なので、車で通る人が多いんでしょう。



[ 勾配20% ]


20%の勾配とは、100mで20m上る勾配ですが角度に直すと約11度しかありません。
三角定規の一番とんがっている角が30度なので、その1/3程度です。
今の車は20%の勾配でも楽に上れますが、道路を造る場合は安全の面から12%以下が勧められています。



[ 箱根湯本駅近くの坂道(2015年) ]


急勾配ありの標識に記されている数値は、いくつが最大なのか知りませんが箱根で21%の標識を見つけました。
ここまでくると山道の部類に入ってしまい、街中の坂道とは雰囲気が少々違います。
標識があるのは箱根湯本駅のそばですが、この道を歩いて散策している観光客はいません。
ここも車で上る坂道です。



[ 高輪二丁目の坂道(2020年) ]


こちらは赤穂浪士のお墓がある泉岳寺の南側、高輪二丁目にある坂道です。
台地から下る急勾配なうえに車1台通るのが精一杯の幅しかありません。
それでも「高輪」という地価の高いところなので坂道の両側には住宅やマンションや張り付いています。
都心の便利なところですが、歳をとってからこの坂道を上り下りするのはこたえそうです。



[ 地蔵橋(2016年):上りも10% 下り10% ]


坂道は上りも下りも同じ勾配なので、わざわざ上りと下りの2つの標識を出すことはありません。
ところが芝川に架かる地蔵橋には、上り下りそれぞれ10%の標識が同じ場所に付いています。
推測ですがこれは地蔵橋が太鼓橋なので、橋の中央部付近までは上り10%の勾配があり、その先は10%の下り勾配があることを示しているようです。
本来ならば橋の手前に上り10%、橋の中央部付近に下り10%の標識を建てるべきですが、コスト縮減のためか一本の柱に2つの標識が同居することになったようです。



■おまけ・・・・・


[ 大森貝塚(2014年) ]

教科書にも載っている有名な貝塚です。
1877(M10)年6月19日、日本に上陸したアメリカの学者エドワード.S.モースは、横浜から新橋へ向かう列車の車窓からこの貝塚を発見したのです。
縄文時代はこの辺がちょうど海岸線でした。
写真の線路は京浜東北線で、東側には坂道がたくさんあります(16%の標識はありました)。
勾配が厳しいところは階段になっています。





<参考資料>