chapter-094 公団住宅2

[ 2016.06~ ]

■川口仲町市街地住宅・・・・・


団地名:川口仲町
   所在:川口市(西川口駅徒歩7分)
   規模:5階建て81戸
   入居:昭和37年12月~ 
   昭和39年家賃:[小世]5,350~7,300円、[世]7,700~11,000円



[1961(S36)年11月6日:中庭に公民館の施設が見える]
(国土地理院 航空写真 MKT613-C17-21から一部切取り)


川口仲町市街地住宅は仁志町市街地住宅の南東250mにあり、住宅周りの道路は広くても6,7m程度の市道で、戸建ての住宅地の中にある公団住宅といった感じでした。
近くには済生会川口総合病院という大きな病院があり、直線距離で100mほどの至近距離で、いざという時の安心感は高いものがあります。
今回訪ねた団地の中では最も新しいのですが、それでも1962(S37)年12月完成なので既に建てられてから半世紀以上も経過した物件でした。
建物の形は「ロ」の字型で低層階に入っている施設に特色がありました。



[ 川口仲町市街地住宅北側(2016年):公民館入口(右)と市営住宅(左) ]


まず、北側の棟は1,2階に川口市立西川口公民館が入り、公民館の施設は中庭に大きく張り出していました。
公民館には和室、ホール、調理実習室などの施設があり、地域のクラブやサークルが卓球、ダンス、音楽、料理などが楽しめ、訪れたときは「西川口メンズクッキング倶楽部」が腕を振るっている姿がありました。
公団住宅の北隣には5階建て、1973(S48)年建築の市営住宅があります。
入口に「川口市営北町耐火住宅」と、わざわざ『耐火』ということばが入っており、鉄筋コンクリートで火事に強い住宅であること強調しています。



[ 川口仲町住宅東側(2016年):保育所の上は住戸 ]


東側の棟は1階に保育所があり、広い園庭の周りを桜の木が取り囲んでいました。
保育所と住戸が同じ建物にあるのですが、入口は全く別になっているので利用者の動線が重なることはありません。
1~5歳児を対象とし定員120人の保育所は川口市では平均的な規模でした。
保育所の上にある住宅は園庭からの子供の声が気になったかもしれません。
子供の騒ぐ声や送迎の往来が、保育所を新しく建てる際に強硬な反対意見の原因になることが多いようで、途中で建設計画が中止になることもあります。



[ 川口仲町住宅西側(2016年):1階は店舗 ]


西側の棟は店舗が入っていました。
駅から少し離れた住宅地なので、夜よりも昼間の営業が中心で生活に必要なお弁当屋やクリーニング店などが入っています。
1階が店舗で2階を居住部分として使っているようです。
2階と3階の間にある庇は、日よけのための庇なのか外壁剥落の危険を軽減するための庇なのか、詳しいことはわかりませんが、これがあるおかげで町工場が集まった工場棟のような雰囲気になり、北側や西側と違う建物ではないか思えるくらいでした。
道の反対側は戸建て住宅が並んでいるので、道の両側でまったく雰囲気が異なります。



[ 川口仲町団地南側(2016年):保育所を除き住戸 ]


南側の棟は道路ではなく戸建て住宅に面していて、一階は保育所が回り込んで入っていますが、調理室の裏口があるだけで保育所への出入りはできません。
耐震補強の鉄骨だけが目立ち小中学校の校舎のようでした。
川口仲町市街地住宅は、1K~2DKの間取りで面積は27~53㎡と決して広くはありませんが、間取りのバリエーションは他の団地に比べれば多くありそうでした。



[ 川口仲町住宅内側(2016年):中庭に出っ張っていた公民館 ]


「ロ」の字型の建物に囲まれた内側は静かな空間になっていますが、公民館の施設が中庭に張り出し折角の空間を閉鎖的にしてました。
充実した中庭(公園)があれば住宅としての価値が上がり、家賃を高く設定できたかもしれません。
公団の市街地住宅建設方針では、敷地面積の10%以上の庭を確保することとされていましたが、川口仲町住宅に「庭」として残っているものはほとんどありませんでした。
2020年10月時点でもこの建物は現存していましたが、2022(R4)年度には借地期限を迎えて取り壊され、公民館と図書館に建て替わります。


■川口幸町市街地住宅・・・・・


団地名:川口幸町
   所在:川口市(川口駅徒歩7分)
   規模:5階建て33戸
   入居:昭和36年12月~
   昭和39年家賃:[小世]5,400~5,750円



[1961(S36)年11月6日:道路の南側にある薄い建物]
(国土地理院 航空写真 MKT613-C17-23から一部切取り)


京浜東北線をオーバーパスで越えてくる交通量の多い道路に面する住宅ですぐ南側には小学校があり、道路と小学校に挟まれた細長い敷地に建つ薄っぺらな建物でした。
川口駅から500mと鉄道利用には便利なところにありますが、一階に入っていた店舗で取り壊し前まで営業してたのは少数派でした。
駅前にはデパートや商店街があり、また近くのサッポロビール工場跡地にできたショッピングモールまでは200m位しか離れていません。
個人商店が太刀打ちするには、よほど個性的で特徴のある店舗でない限り厳しいものがあります。



[ 川口幸町市街地住宅(2016年):後ろのクレーンは小学校の建築用 ]


南側で建て替えが進んでいた幸町小学校は、7階建てになり川口栄町市街地住宅に併設されていた栄町公民館と児童福祉施設が同じ建物に同居しました。
川口市では小学校と公民館の併設は初めての試みだそうですが、地価の高い県南部ではこのような事例が増えそうです。
日本住宅公団が建設してきた市街地住宅の学校版のようにも思えます。
公団住宅と小学校との間隔はわずかしかなく十分な日照が得られませんでしたが、建替えにより学校のレイアウトが変わり、校舎は南側に建てられ公団住宅がある北側が校庭になりました。



[ 川口幸町市街地住宅(2016年):小学校とのわずかな隙間 ]


小学校の建替え後もこの公団住宅が残っていれば、日当たり良好なアパートになっていました。
ただし、今までは校舎が遮音壁となり校庭で遊ぶ子供たちの声を防いでいましたが、建替え後は少々騒がしく感じられたでしょう。



[ 幸町小学校のHPから:校庭の右にある細長い形が公団住宅 ]


川口幸町市街地住宅の階段は、踊り場を囲むコンクリート壁の下部に明かり採りが設けられ、薄暗くなりがちな踊り場の床面に陽が差し込み、足元が明るくなり歩き易くなっていました。
階段室はどこの公団住宅にもダストシューターがついていますが、この公団住宅でも使用されていませんでした。
ゴミの量が増え分別収集もしなければならないので、ダストシューターは現実向きではなかったようです。
生活スタイルの予測ができなかったばかりに、無駄な建築コストをかけてしまいました。



[ 川口幸町市街地住宅(2016年):足元が明るくなる ]


一階の店舗前には珍しいものがありました。
店舗内に洪水の浸入を防ぐため防水板を立てられるようになっていたのです。
地下鉄の入り口に設置されているのは珍しくありませんが、普通の店舗で見るのは初めてです。
一階部分のすべての店舗前につけられていました。
川口市のホームページによると、この一画は台風や大雨によって平成17年以降に道路冠水、床下浸水、床上浸水の被害発生が住民から通報されています。
管理者だったUR都市機構は、こんな装置までつけてくれる面倒見のいい大家でした。



[ 川口幸町市街地住宅(2016年):防水板が立てられるようになっていた ]


幸町市街地住宅は、借地期間終了の2020(R2)年9月までに取り壊され川口市に返還されました。
跡地は幸町小学校の校庭拡張に使われ、浸水被害軽減のため地下には雨水貯留施設が造られます。
小学校の建て替えが終わった後も住宅が残っていれば、日当たりが劇的に改善されるはずだったのに借地の期限切れでは止むを得ません。



[ 幸町小学校は完成し取壊しを待つのみ(2019年) ]


[ 幸町市街地住宅跡地と幸町小学校(2020年) ]


■川口栄町市街地住宅・・・・・


団地名:川口栄町  
   所在:川口市(川口駅徒歩4分)
   規模:4階建て30戸
   入居:昭和35年12月~ 
   昭和39年家賃:[小世]4,200~5,250円、[世]6,700~7,000円



[ [1961(S36)年11月6日:変形ロの字型]
(国土地理院 航空写真 MKT613-C17-23から一部切取り)


JR川口駅は都内の赤羽駅から荒川を越え3分で着き、川口栄町市街地住宅はその川口駅から歩いて4分の街中にありました。
これまで見た公団住宅はどれも5階建てですが、この住宅は4階建て、敷地の制約のためいびつな「ロ」の字型で一部は2階建てでした。
この公団住宅には市の施設である栄町公民館が併設されていましたが、活動団体も多く手狭な感じなので、建替えられる幸町小学校への移転も理解できます。



[ 川口栄町市街地住宅(2016年):2階建て部分は公民館 ]


川口栄町市街地住宅で特徴的なのは、都市計画で定められた「緑地」に接していることでした。
緑地と言っても木や芝生で覆われている訳ではありませんが、市街地では不足している建物のない空間が確保されています。
川口栄町市街地住宅が面していた「樹モール」は川口でも人通りの多い商店街ですが、この通りは都市計画図を見ると「緑地」になっています。
ところどことに街路樹がありますが、路面はブロックが敷き詰められ商店街でよく見かける道路です。
「樹モール」に面している一階の店舗は、店内に耐震補強の鋼材があっても取壊しまで営業を続けていました。



[ 川口栄町市街地住宅(2016年):樹モール側から見る ]


住宅の西側にあるまとまった空地(コミュニティプラザ)も一部が「緑地」で、広場のある公園のように整備されています。
児童公園のような遊具はなく、ベンチと噴水がある程度の簡素な造りで静かな空間なのですが、日差しを遮る樹木が少ないのが玉にきずでした。
コミュニティプラザ側から公団住宅を見ると、低層部は樹木の緑に覆われ、建物の適度な古さと相まってレトロな住宅の雰囲気があり、映画の撮影にでも使えそうな感じでした。



[ 川口栄町市街地住宅(2016年):西側は公園的な広場がある ]


公団住宅から見れば、東側は樹モール、南側は市道、北と西側は緑地に囲まれ、個人の敷地と隣接しない独立したベストポジションにありました。
これだけ立地に恵まれている公団住宅ですが、取壊しの運命から逃れることができず、栄町公民館は移転し取り壊されました。



[ 川口栄町住宅(2016年):南側の市道から見る ]


川口栄町市街地住宅は、公団住宅の悪評である「遠い・高い・狭い」のうち「遠い」にはまったく該当しません。
「狭い」も住む世帯の人数次第です。
家賃は築年数を考えれば相場以上に「高い」水準にはならないはずで、内外装がリフォームされていれば居住を希望する人は少なくなかったと思います。
跡地は川口市の美術館建設の候補地にされていましたが、「総合文化センター・リリア西側隣接地に美術館を建設します。」と基本計画が変更されました。



[ 川口栄町市街地住宅(2016年):公民館入口と住宅階段室への通路(右) ]


浦和にある市街地住宅が借地期間終了後も従前の姿で使われ続けるのに比べ、川口市内の市街地住宅は立地条件が良いのにもかかわらず、取り壊して更地返還が選択されています。
敷地が民有地か市有地という所有者の違いによって、建物の運命は左右されているようです。



[ 栄町市街地住宅跡地(2020年) ]


■耐用年数70年・・・・・


公団住宅の建設が始まった昭和30年代は、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が三種の神器として普及しましたが、古い公団住宅にはこれらを置くスペースさえないものもありました。
その後も電子レンジ、電気炊飯器などの家電製品がどんどん増え、狭い台所は物置のようになり人が動けるスペースは狭くなる一方です。
また、子供たちに個室を与えるようになると、部屋数の不足は火を見るよりも明らかです。
日本住宅公団が建てた賃貸住宅は、公営住宅にならって耐用年数70年で家賃を設定していました。
しかし住宅の規模や間取り、設備などが今日の水準に比べて劣っているため、すでに建て替えられた住宅も数多くあります。



[ コンフォール上野台(2011年):家賃65,200~138,900円 ]


昭和30年代の住宅の量を確保するという方針から、美しく安全で快適な住環境を提供する方針に変わっています。
さらに住宅の量が確保されると、公団の業務は民業圧迫とされました。
ここに紹介した公団住宅は「UR賃貸住宅ストック再生・再編方針(H19.12.26)」において、いずれも『土地所有者等への譲渡・返還等』の対応方針が定められいました。
その結果、土地所有者に返還され民間が管理しているものもあれば、取壊された市街地住宅もあります。



[ 表参道ヒルズ同潤館(2013年):同潤会アパートを再現 ]


公団住宅は、関東大震災のあとに造られた同潤会アパートほどの革新性・創造性はありませんが、市街地に低層木造住宅が広がっていた建設当時は、市街地住宅を含め新しいまちづくりの象徴のように見えたはずです。
UR都市機構が譲渡・返還する市街地住宅には取り壊されるものは少なくありません。
住宅公団時代に設定した耐用年数70年を迎えることができる建物はあるのでしょうか?
短いサイクルで住宅の取壊しと建設を繰り返していては、いつまでも高い家賃が続いてしまします。



■おまけ・・・・・


[ インド料理 ピアーズ(2016年) ]

川口幸町市街地住宅北側のマンション1階に入っているお店です。カレーは辛さを選ぶことができ、飲み物も数種類からチョイスできます。
カレーはボリュームがありナンも大きいので、おなか一杯になります。これで850円はリーズナブルなランチです。
このほかにも、2種類のカレーが選択できるランチなどもあります。





<参考資料>