chapter-098 猿橋

[ 2016.12~ ]

■猿橋に行く・・・・・



[ 錦帯橋(2010年):岩国城へ向かう道にある ]


日本三奇橋とされているのは、山口県岩国市にある錦帯橋、山梨県大月市にある猿橋、もう一つは徳島県三好市のかずら橋とも言われています。
この三橋は構造や材料が珍しい橋で、中でも錦帯橋は山口県のみならず全国的にも著名な観光地に数えられ、多くの観光客が訪れています。
橋を渡るのに入橋料として300円(2010年当時)とられますが、管理している岩国市には「錦帯橋管理特別会計」があり架け替えや修理に使われています。
ちなみに新型コロナ流向前の2019年(R1)年は62万人が渡りました。



[ 猿橋駅前通り(2016年):突当りが国道20号 ]


一方、猿橋はJR中央線に「猿橋」という駅があり新宿駅から1時間半で行くことができますが、錦帯橋のような観光地とは程遠い感じです。
猿橋駅前の通りは100mほど歩くと国道20号にぶつかる真直ぐな道ですが、両側は閑散としたもので営業しているのか閉店したのか判らないお店が住宅にまじって並んでいます。
明らかに営業しているとわかるのは信用金庫くらいです。



[ 猿橋入口(2016年):左は新猿橋、右が猿橋への道 ]


猿橋駅入り口から国道20号を東京方面へ1.3㎞、歩いて20分くらいで猿橋西という交差点に着きます。
交差点を左に曲がると『歓迎 名勝 猿橋』のゲートが見え少しは観光地らしい雰囲気が出てきます。
しかしゲートの周りには、観光客が期待するお土産屋、飲食店は数えるほどしかなく賑わいに欠けます。


■猿橋を見る・・・・・



[ 猿橋(2016年):思ったより小さい橋 ]


ゲートをくぐり少し行くと、橋のたもとの食堂が並べたベンチがあり、ここまでくると猿橋の全体が見えてきます。
猿橋は思っていたより小さな橋です。
錦帯橋が長さ193m、幅5.5mあるのに対し猿橋は長さ31m、幅3.3mと小ぶりです。
1900(M33)年の架け替えでは車がすれ違える幅に拡げられましたが、隣に鋼製アーチ橋の新猿橋が架けられてから車は通らなくなったので、1984(S59)年の架け替えでは江戸時代末1851年の架け替え時の姿に再現され幅も狭くなりました。
現在の猿橋は歩行者のみが通る橋で地元中学生も通学に使っています。



[ 猿橋(2016年):今は歩行者しか通れません ]


猿橋が奇橋と言われるのは、錦帯橋と同様に珍しい構造にあります。
橋が架かる場所は、笹子川が刻んだ深い谷なので途中に橋脚を建てることができず、対岸まで一跨ぎで渡らなければなりません。
しかしこの川幅を一本の材木で跨ぐことはできないので、両岸に差し込んだ4層の桔木(はねぎ)によって中央の梁部分を支える構造になっています。



[ [猿橋の構造(2016年):桔木の様子がよくわかる ]


また、桔木などの木材が雨によって痛まないように、小さな屋根がついている姿も珍しさを増す要因になっています。
猿橋の特徴である4層の桔木がよく見えるように、5~6m下に降りられる通路がありここまで来ると橋を仰ぎ見るようになり桔木の太さも実感できます。
桔木構造の橋は昔の日本には各地にあったそうですが、海外の橋梁技術が導入されると長い橋が架けられようになり姿を消していきました。



[ 猿橋の部材(2016年):鉄骨とヒノキのハイブリッド 大月市郷土資料館 ]


猿橋は15世紀末からほぼ28年ごとに架け替えられたそうです。
現在の猿橋は昭和59年に架け替えられた橋で、見た目は純粋な木造に見えますが、木材の芯には鉄骨が入っています。
架け替えのたびに必要になる巨木の入手が困難でしたが、鉄骨入りの部材で架け替えた後はその心配もなくなり、すでに30年以上経過しましたが痛みは見られません。
見た目は木造ですが、一皮むけば頑丈な鉄橋です。


■隣の橋をみる・・・・・



[ 新猿橋(2016年):アーチの付け根をじっくり見ることができる ]


上流側の新猿橋は「新」がついていますが、1934(S9)年の架橋なのですでに90歳近い高齢橋です。
隅田川にかかる関東大震災の復興事業で造られた橋と同じくらいの歴史がある鉄骨のアーチ橋です。
猿橋の見学通路を上流に進むと新猿橋の下をくぐるところがあり、ここでは鉄骨アーチの支承部分を手で触ることもできます。
普段は遠くから見ることしかできない部分を、手が届く近さでじっくり見られる希少な場所です。



[ 第1号水路橋(2016年):現役の発電施設の一部 ]


猿橋や新猿橋に負けず劣らず珍しいのが、猿橋の下流側に架かる水が流れる橋です。
水力発電に使う水を送る水路が笹子川を横断するところに造られた橋で、トンネルを通ってきた水はすぐに笹子川を渡り、その先はまたトンネルに入ります。
この橋は、1912(M45)年に東京電力の前身である東京電灯(株)が建設した八ツ沢発電施設の第1号水路橋で、鉄筋コンクリート製のアーチ橋です。



[ 第1号水路橋(2016年):トンネル~橋~トンネル ]


猿橋よりも低い位置にあり上から眺めることしかでないので、残念ながらアーチ部のすべてを見ることはできません。
橋の上を流れるのも下を流れるのも水という珍しい橋です。
この橋を含む八ツ沢発電施設はすでに100歳を超える超高齢ですが、現在でも電力を供給する施設で、2005(H17)年に発電施設全体が国の重要文化財に指定されました。
ろくな建設機械のない明治時代に、険しいこの地にトンネルや橋を連続して造るのは並大抵の工事でなかったはずです。
福島第一原発の廃炉処理をかかえ経営が危ぶまれる東京電力の施設ですが、長く大事に使ってほしいものです。


■埼玉では・・・・・



[ 初代秩父橋:絵葉書の写真です ](土木学会付属図書館からダウンロード)


埼玉県内にも荒川、利根川、中川などの川が流れているので、橋も数多くあります。
しかし、人が多く住む平地部にある橋は、交通量の増大や河川の拡幅に伴って架け替えが進んだので、古い橋はあまり残っていません。
古い橋が比較的残っているのは秩父地域で、山間部の荒川は十分な幅と深さがあるので川が拡げるられることがなく、昔の橋が結構残っています。
その中でも鉄筋コンクリートアーチ橋の秩父橋や皆野橋は見ごたえがあります。
特に秩父橋は、初代の橋の橋脚、2代目の鉄筋コンクリートアーチ橋、3代目の斜張橋をまとめて見ることができます。



[ 初代の橋脚と二代目秩父橋(2106年):現在は歩行者用の橋 ]


秩父橋はアニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」の舞台にもなり、いわゆる『聖地巡礼』に訪れるファンも多いようです。
2016年の大ヒット映画「君の名は。」は舞台となった背景の精緻な描写が話題となりましたが、「あの花…」も負けず劣らずの背景描写です。
最近のアニメは地方の観光振興にも大いに貢献しています。
この映画のヒットや秩父祭りのユネスコ無形文化遺産登録などで、秩父はちょっとは名が知られるようになりました。



[ 三代目秩父橋(2016年):車も人も通れる橋 ]


初代秩父橋:1885(M18)年 木鉄混交トラス橋 工事費約2万円
  ↓(46年後)
二代目秩父橋:1931(S6)年 鉄筋コンクリートアーチ橋 工事費約10万円
  ↓(54年後)
三代目秩父橋:1985(S60)年 鋼床版箱桁マルチ型ケーブル斜張橋 工事費約10億円
  ↓(65年後?)
四代目秩父橋:2050年?

初代、二代目の寿命や技術の向上から三代目の寿命は65年位と想定すると、四代目の登場は2050年ごろになります。
これまでの3代は違う構造で橋が造られましたが、さて四代目の秩父橋はどのような姿になるのでしょうか。
秩父橋は猿橋のように珍しい形式で造られた奇橋ではありませんが、3代の姿が一望できることではとても稀な橋で、稀橋(奇橋ではなく)といっても差し支えないでしょう。



[ 秩父橋3代(2016年):3代を一望できるのは稀 ]


秩父橋の下流にある皆野橋は、2代目秩父橋と同じ3径間のアーチ橋です。
車の通行もできる現役の橋ですが、歩道はなく大型車がギリギリすれ違える幅しかありません。
2代目秩父橋も皆野橋も橋の主要部分は昔の姿ですが、皆野橋はコンクリート製の高欄が鋼製のものに取り換えれています。
一方、2代目秩父橋の高欄はもともと鋼製で、戦時中に軍に供出しましたが、歩行者用の橋になった際に建造時の姿に復元されました。



[ 皆野橋(2017年):1935(S10)年完成 今も車が通る現役の橋 ]



■おまけ・・・・・


[ きんぴらうどん(2016年) ]

大月駅のそばにある吉田屋のきんぴらうどんです。
大月駅は北口がないので駅からここまでは10分くらいかかります。
きんぴらうどん650円、いなり寿司100円でした。
半分くらい食べた後は一味とラー油の調味油をたらすとまた一味違ったうどんになります。





<参考資料>