[ 伊藤博文 夏目漱石 野口英世 ]
夏目漱石の小説の中でも「親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている」の書き出しで始まる『坊っちゃん』は、親しみやすい内容でテレビでドラマになったこともあり、多くの人に知られています。
小説は愛媛県松山市を舞台にしていますが、主人公の「坊っちゃん」は江戸っ子で東京物理学校(東京理科大学の前身)の卒業生という設定です。
[ 坊ちゃんのモデル弘中氏の住居跡(2024年) ]
「坊っちゃん」は同志社出身の教師 弘中又一がモデルとも言われています。
弘中氏は旧制熊谷中学校(現・熊谷高校)で教えていたことがあり、1909(M42)年から1919(T8)年まで熊谷市に住んでいました。
熊谷簡易裁判所前の通りに住居だったことを示す案内板がありますが、住居はなく駐車場になっており、立ち止まる人は稀です。
『坊っちゃん』と埼玉県につながりがあったとは驚きです。
[ 理科大近代科学資料館(2016年) ]
「坊ちゃん」が卒業した東京物理学校の前身である東京理科大学は、新宿区神楽坂に本部を置く難関有名私立大学で約2万人の学生が学んでいます。
大学名に「東京」が入っていますが、神楽坂以外に千葉県野田市、葛飾区、北海道長万部にもキャンパスがあります。
このほか、2016(H28)年3月まで埼玉県久喜市にキャンパスがあり経営学部の学生が学んでいたのですが、同年4月に経営学部は神楽坂キャンパスに移転し、東京理科大学は久喜市から撤退してしまったのです。
[ 学芸大学駅(2017年):大学は小金井に移転 ]
久喜市に東京理科大学が進出したのは1993(H5)年4月です。経営学部の新設に伴うもので千葉県流山市との誘致合戦の末に実現しました。
大学の進出は、迎え入れる自治体にとって「文教都市」「学園都市」などとイメージアップになり、学生が増えることでまちの活性化にもつながるなど、いい事づくめと考えられていました。大学誘致に失敗したものの学園という言葉を残したままの「大泉学園」(西武池袋線)や、大学移転の後も周辺住民アンケートの結果とはいえ「学芸大学」「都立大学」(東急東横線)という駅名を使い続けていたりと、地元自治体の大学存在に対する思い入れを感じさせます。
最近では、東武鉄道が55年間使い続けた「松原団地」という駅名を2017年4月1日に「獨協大学前」に変更しました。「団地」より「大学」の方が歓迎されるようです。
[ 東京理科大学 久喜キャンパス(左2009年 右2019年) ]
(国土地理院空中写真 CKT20091-C16-53 CKT20192-C16-1から一部切り抜き)
このようなメリットがあるため、久喜市も最大限のサービスを掲げ誘致合戦を戦ってきました。
対抗馬とされた流山市の飴玉がどのようなものだったのかは知りませんが、久喜市は東京理科大学に対し、用地取得費用や校舎建設費用として30億円の補助金を出し、敷地周辺の道路整備などに10億円をかけたのです。久喜キャンパスは常時約1000人の学生が学び、久喜駅から大学正門までの約3kmを民間路線バスが上下線あわせて平日78本、市の循環バスが5本運行していました。
地元にとって大いに活性化が期待できる施設でした。
[ 理科大通り(2017年):この標識は撤去された ]
ところが開校から20年も経たない2011(H23)年に、東京理科大学から移転の意向が久喜市に伝えられました。
いったんは1年生を残すことで合意していたのですが、2014(H26)年7月に大学理事会で久喜市からの全面撤退が決定されると、市は「約束を一方的に破棄する行為」と撤回を求める決議文を提出しました。40億円もの税金を投入して迎え入れたのに、20年程度で移転されては投資効果もありません。
経営学部の移転先は、JR中央線・総武線飯田橋近くにある新宿区神楽坂キャンパスで、地下鉄も4路線が近くを通る便利なところです。
[ 理科大神楽坂キャンパス(2017年):飯田橋駅が近い ]
しかし最終的には、東京理科大学が跡地約13.5万㎡の4割(建物を含む)を久喜市に無償譲渡し、1億円を教育行政のために寄付することで決着しました。そほかの6割の土地は大学が売却することになるのですが、市の総合振興計画では「住居系ゾーン」とはいえ市街化調整区域内で駅から3kmも離れているので住宅には不便なところです。民間企業が購入し利活用できるようにするためには
「産業系ゾーン」への変更が必要です。
総合振興計画を変更する議案が上程された2015(H27)年11月の市議会では反対意見もありましたが、「校舎が利活用されずに長期間放置される」「跡地全面が第三者に売却される」などの状況を避けるため計画変更が可決され、東京理科大学跡地の「住居系」以外での利用が可能になったのです。
[ 理科大久喜キャンパス正門(2017年):物流施設の工事が始まる ]
久喜市に無償譲渡される4割の土地の上には、校舎として使われていた延べ床面積13,500㎡の建物がそのまま残されています。
跡地利用計画は二転三転しました。
平成28年12月時点は、建物をほぼ残してほぼ残して「子育て教育センター」「生涯学習センター」として使い、さらに供給能力12,000食/日の給食センターを新設する計画でしたが、多額の改修費用と期間が必要なため実施に至らず。
平成30年11月時点は、市民レストランやインキュベーションセンターなどの民間活力を取り入れた新たな活用案を策定しましたが、積極的な参画意向を示す事業者がないため断念。
最終的には、令和5年3月31日に「さいたま看護専門学校」の移転先用地として跡地を無償譲渡することで決着しました。
箱モノを造ると、建設費に加え維持管理費など市の財政負担が多いため、このような結果になったようです。
[ 理科大久喜キャンパス正門跡(2024年):看護専門学校の工事中 ]
一方、東京理科大学が売却した6割の土地約8.2万㎡は、グラウンドやテニスコートが広がるほぼ更地状態の土地です。この土地は外資系の物流不動産投資会社(悪意を持っていえばハゲタカファンド)が購入し、4階建て延床面積15.6万㎡、トラックバースが162台分もある大型物流施設が造られました。
跡地は東北道久喜ICまで直線で2㎞と近く、久喜ICから圏央道のJCTまでは目と鼻の先なので、首都圏の広域高速道路網の利用が容易です。しかも久喜市は人口15万人と労働力確保の面でも有利だそうです。
東京理科大学の2016(H28)年度の資金収支決算書を見ると、久喜キャンパスの売却により「施設売却収入」として30億円の収入がありました。
[ グラウンドにできた物流施設(2024年):でかい ]
圏央道は2017(H29)年2月に茨城県内が全線開通し、東名道、中央道、関越道、東北道、常磐道、東関道を結ぶ便利な環状道路になり、IC周辺は物流施設や工場の適地になっています。また、ネットショッピングが広まり物流需要が増大し、埼玉県のいたるところに巨大な物流施設ができています。住宅地でもちょっと大きな道路があれば物流施設が進出し、大型トラックが我が物顔で走ってます。
[ 上尾市(2023年):旧・中山道沿いに立地 ]
[ 中央大学多摩キャンパス(2017年):法学部などが都心へ移転 ]
一度は郊外に出た大学が23区内に戻る傾向は、ほかの大学でも起きています。
埼玉県内の事例を取り上げてみても、熊谷市の立正大学、入間市の大妻女子大学、狭山市の東京家政大学、朝霞市の東洋大学など一部の学部が都心回帰した大学もあれば、全てが移転し完全に閉校したキャンパスもあります。
せっかく誘致した大学が完全撤退となると、地元自治体が誘致のために投資した税金が無駄になり、周辺に悪影響を及ぼさないような跡地の利活用も考えなければなりません。
また、「撤退」「移転」に伴うイメージダウンも大きなものがあります。
[ 一都三県の学生数の推移:文部科学省 学校基礎調査より ]
文部科学省が行っている学校基本調査によると、2024(R6)年の大学生数は大学院生を含め295万人で、ここ20年ほどは学生数に大きな変化はありません。しかし、進学率の頭打ち、少子化による高校生の減少などにより、短期大学を含めると大学生は減少傾向に入っています。
全国の大学生数は頭打ちですが、一都三県(東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県)を細かくみると、東京23区内は1970年代後半から1990年代はじめにかけて学生数が減少しましたが、その後は増加傾向に転じています。一方、23区以外の地域と3県は2005年頃から減少を始め現在も続いています。
ここでも都心回帰が明確になり、都心部の一人勝ちが顕著です。
[ 法政大学ボアソナード・タワー(2017年):地上27階地下4階 ]
都内、特に23区内では新たなビルを建て受入能力の拡充を図っている大学が目につきます。「大学のキャンパス」という言葉からは、ゆとりある敷地に高くても4,5階建ての建物が点在し、並木がつくりだす木陰のベンチで談笑する学生や読書に耽る学生がいる風景を想像しますが、最近の大学は十数階建て、数十階建ての高層ビルが当たり前のようです。
[ お茶の水駅周辺(1947年):空いてる土地はない ]
(国土地理院空中写真
USA-M449-184一部切抜き)
東京23区内の学生数が減少している時期は「首都圏の既成市街地における工業等の制限に関する法律(昭和34年4月1日施行)」(略称:工業等制限法)の影響が考えられます。
この法律は、首都圏のなかでも人口集中の著しい地域で、人口増加の要因となる施設の新設・増設を制限し、産業や人口の過度な集中の防止を目的としていました。新設・増設が制限されるのは、首都圏整備法で「既成市街地」として定められた地域内で、東京23区及び武蔵野市のすべて、三鷹市の大部分、横浜市及び川崎市の約半分、川口市の一部、合計で約959平方キロメートルが対象でした。
[ 新幹線本庄早稲田駅(2024年):大学は来なかった ]
これらの制限区域では、500㎡以上の工場の作業場、1500㎡以上の大学の教室の新設・増設が原則として制限されました。
法律が制定された1959(S34)年以降も学生数は大幅に増加を続ける状況だったので、企業としての経営も考えなければならない私立大学は、受入能力を拡大し学生数を増やすために制限区域外に大学または学部の移転をはじめたのです。
近畿圏でもほぼ同じ内容の「近畿圏の既成都市区域における工場等の制限に関する法律」が1965(S39)年に制定されています。
[ 多摩モノレール(2017年) ]
制限区域外の広い土地が確保できる市町村に大学が移転したことで、東京23区内の学生数は減少傾向に転じ工業等制限法の効果が出始めたのです。このおかげで、八王子市内には2017年時点で21の大学・短期大学・高専があり、約100,000人の学生が学んでいました。
ところが、日本の産業構造が製造業からサービス業へシフトするとともに、製造業は安い人件費を求め海外移転が進みました。
また、既成市街地の人口は伸びが鈍化し、少子化により学生数の増加も落ち着きつつあります。
このような社会経済情勢の変化を背景に、制限区域を抱える東京都、大阪府さらに経済界でも工業等制限法の見直しを求める声が上がり、2002(H14)年7月12日に工業等制限法は廃止されたのです。
[ 2023年の人口ピラミッド ]
工業等制限法が廃止されても、地価・人件費の高い制限区域内に製造業が回帰することはありませんが、大学は少子化が進むなか学生数の確保に有利な都心部へ、勝ち残りを目指し戻り始めたのです。
大学にとって都心部は、教職員の確保、学生の就職活動、産学連携などの本業に有利なことのほか、昨今の学生にとっては四年間の大学生活をどれだけエンジョイできるかが、大学選びの大きなポイントなので郊外より魅力を感じるはずです。
土地の確保が難しいところでは総合設計制度など様々な建築手法を活用して、受入能力の拡充を図る大学もあります。
[ 渋谷駅前交差点(2024年):都会の喧騒も魅力の一つ ]
首都圏では多くの人が都内へ通勤・通学で集まるため、首都圏でも都心部以外は夜間人口に比べ昼間人口が少ない自治体がほとんどで、昼間の駅前であっても活気が感じられません。さらに大学までが都心回帰してしまうと、寂しさは一層増します。
地方から都会に出て四年間も過ごすと、大都会の魅力にどっぷり浸かってしまい、たとえ地方に勤め口があったとしても、商店のシャッターが下りた街に帰りたいと思う若者は奇特な存在です。
1975(S50)年に発売された太田裕美のヒット曲「木綿のハンカチーフ」の歌詞ではありませんが、
「都会の絵の具に♪ 染まらないで♪ 帰って♪」と叫んでも
「恋人よ♪ 君を忘れて♪ 変わってく♪ ぼくを許して♪
毎日愉快に♪ 過ごす街角♪ ぼくは♪ ぼくは帰れない♪」
となってしまうのです。
[ 東京国際大学(2023年):池袋の造幣局跡地に進出 ]
2016年5月24日にリリースされた「2017年卒マイナビ大学生Uターン・地元就職に関する調査」によると、地元就職の希望率は地元進学生が75.7%、地元外進学生は37.8%と倍の差があります。大学進学時に「地元に残るか、離れるか」の選択が、卒業後の就職地に大きく影響しています。
日本中で「ヒト」「モノ」「カネ」「情報」の大都会への集中、特に東京への集中が止まりません。急速な情報化、国際化、少子高齢化等の社会経済情勢の変化に対応できる都市機能の高度化と、都市の居住環境の向上を目的とした都市再生の名のもと、大都市には様々な施設・機能が集積しつつあります。
さらに大学まで都心回帰が進めば、地方はどうなってしまうのでしょうか。
[ 東洋大学白山キャンパス(2015年):6号館の学生食堂 ]
都心回帰する大学は学生集めのため、快適なキャンパス生活を送れるように、お金をかけて様々な工夫をしています。
昨今の学生は、学費を出している親よりもきれいなところで、おいしいランチを食べているようです。
家賃など生活費が高い23区内の大学に、地方から進学できるのはお金持ちのご子息だけです。まして学費の高い私立大学ともなると、超セレブ階級のご子息に限られてしまいます。
お金持ちが学びお金持ちが住む都心では、社会経済の好循環が続いています。
<参考資料>