修学旅行は明治時代からある学校行事で、勉強ばかりの学校生活の中で児童・生徒の最大の楽しみです。
最近は、北海道や沖縄、海外にも行く学校もあり、「修学」という言葉にはこだわっていないようで、東京ディズニーリゾートや大阪ユニバーサルスタジオが行程に入っている学校もあります。
[ 東京ディズニーランド(2016年):修学旅行の学生もいっぱい ]
一昔前、埼玉県内の公立学校であれば、小学校は日光へ一泊二日、中学校は京都・奈良へ二泊三日が定番の修学旅行コースでした。
さすがに高校となると旅行先のバリエーションは増えますが、京都・奈良方面に行く高校もあります。
私立の学校では、海外に修学旅行に行くケースもあるようです。
[ 清水寺(2016年):人気No1 ]
修学旅行で行くことが多い京都ですが、コースは金閣寺、清水寺、平安神宮など著名な寺院のほか、歴史の教科書に登場する京都御所や二条城がメジャーなところだと思います。
京都市が実施している「令和元年(2019年)京都市観光総合調査」によると、19歳以下の訪問先でもっとも多いのは8割近くが訪れている清水・祇園周辺で、まさに修学旅行のメッカと言っても差し支えありません。
ちなみに外国人の訪問地トップも清水寺、次に二条城、伏見稲荷大社、金閣寺と続きます。
いわゆる有名観光地を巡るだけでは「修学旅行」と言いながら、せっかく京都に行ってもツアー観光旅行と変わらず、思い出と言われてもアルバムに残っているクラス単位で撮った集合写真と質素?な食事の記憶くらいです。
[ 京都の観光客:京都市観光総合調査 ]
京都は1994(H6)年に世界文化遺産に登録されました。
翌年に阪神淡路大震災があったこともあり観光客数はすぐには増えず1999(H11)年までは3000万人台でした。
2000年以降はリーマンショック後の不況で一時的に落ち込むことはありましたが、全体として右肩上がりで伸び続け2015(H27)年は5684万人が訪れています。
このうち外国人宿泊客は316万人いるそうです。
これまで京都を訪れたのは、修学旅行と仕事の途中で立ち寄る程度でしたが、久々に”観光”する機会があり、新鮮な視線で京都を眺めることができました。
[ 産寧坂(2016年):とっても混雑しています ]
[ 京都駅(2017年):ハーフミラーに映る京都タワー ]
まず、京都駅です。
建築時は賛否両論があった建築物ですが、1997(H9)年の完成から20年以上が経過し、今では京都の玄関口として定着しつつあるようです。
コンコースに巨大な吹き抜けがあり外装にはハーフミラーが多用され、古都京都に馴染まない単なる商業ビルのようだというのが、主な反対意見だったようです。
なかなか難しい問題ですが、ハーフミラーに映る京都タワーはちょっと面白い絵になります。
キラキラの金閣寺が京都の観光名所上位になったのですから、時間の経過とともにさらに馴染むのかもしれません。
[ 京都駅(2022年):駅の内側 ]
駅に巨大な吹き抜けがある理由は良く分かりませんが、欧米の鉄道駅はいくつものホームを丸ごと取り囲む大屋根があるので、それをイメージしたようにも思えます。
吹き抜けの西側には中央コンコースから屋上まで続く大階段があります。
この階段を使って年に一度行われる「大階段駆け上がり大会」は、地元でテレビ放送もされおおいに盛り上がっているようです。
2017年で第20回を迎えた大会ですが連続出場の猛者も結構いるようでした
[ 大階段(2022年):駅の西側にある ]
[ 平安京:「都市史03 条坊制」より ]
京都は794年に開かれた平安京から発展したことは誰もが学校で習います。
平安京は唐の時代の長安にならった格子状の町割りで、碁盤の目のように道が走っていました。
羅城門と宮城を結ぶ朱雀大路を中心に四角い区画が東西に広がり、平安京の大きさは東西4.5㎞、南北5.2㎞に及ぶ規模です。
平安京の図だけを見ていると大きいように思えますが、東京23区で比べると、千代田区(11.66平方km)の2倍、ほぼ品川区(22.84平方km)と同じ大きさしかありません。
現在の東京の異常な大きさが分かります。
[ 東京23区と平安京:東西4.5km×南北5.2km ]
平安京の碁盤のような道のイメージが強烈なので、京都は平安時代の大路(幅8丈約24m以上)や小路(幅4丈約12m)がそのまま残り現在の京都市街地の道になった、と思い込んでいる人が少なからずいると思います。
かくいう自分も平安時代の大路が、現在の堀川通や烏丸通、○条通になったのだと思い込んでいました。
そのわりには、昔の一条大路から九条大路をつなぐ堀川通りは現在のメインストリートですが、所々で曲がっています。
また、九条通は東寺の前で少しづつ南に傾いていくのが、ずっと疑問でした。
さらに不思議だったのが、最も太い朱雀大通りや羅城門がどこに残っているのか、ガイドブックを見ても記載がないのです。
[ 四条通(2017年):明治以降にほぼ平安時代の幅まで拡幅された ]
歳を重ねるうちに知ったのは、平安時代の道がそのまま残っているところはない、ということです。
為政者の勢いが衰えると、広い道には庶民が住み始めたり田畑として耕作され、狭い通りを残すのみとなり、なかには姿を消してしまった道もあります。
逆に広すぎる宅地区画には、新たに道が通されたのです。
さらに、応仁の乱や秀吉による改造などで掘ったり盛られたりして形が変わってきたのです。
このため、京都は東西・南北の格子状に道は通っているのですが、平安時代の道がそのまま残っているところはほとんどないようです。
アッピア街道のように大きな石が敷き詰められた道であれば残っていたかもしれませんが、土の道では残っているほうが奇跡かもしれません。
[ 九条通(2016年):東寺付近で南に傾いていく ]
現在の京都市内を走る広い道は明治以降に拡げられた道で、位置も幅も平安京の大路とは違うものもあります。
東西方向に走る最大の幹線である五条通は、平安京の六条坊門小路という小路があったところに造られています。
堀川通は第二次大戦時に空襲による延焼を防ぐための建物疎開跡で拡げられた道路で、平安時代の大路ではありませんでした。
また、九条通はほとんどが明治以降に新たに造られた道です。
東寺のそばを通っているので、昔の道がそのまま現在の道路になったと思っていましたが大きな間違いでした。
[ 羅城門跡(2016年):住宅に囲まれた公園にある碑 ]
羅城門や朱雀大路はもっと悲惨な扱いを受けています。
朱雀大路の南端に建てられた羅城門は、幅35m、奥行き9m、高さ21mの巨大な門でしたが930年の暴風雨で倒壊したあとは再建されませんでした。
羅城門周辺の平安京の道はほとんどが耕作され残っていないので、羅城門跡は東寺の位置から推測し「羅城門遺址」の石碑が建てられいます。
周りを住宅に囲まれた小さな公園にぽつんと立っていて、芥川龍之介の小説「羅生門」の舞台にもなった有名な門なのに、観光客の姿はほとんどありません。
[ 山陰線(2017年):朱雀大路があった場所 ]
羅城門から北に延びていた朱雀大路は跡形すらありません。
現在はJR山陰線が通っている位置がほぼ朱雀大路の位置ですが、残っていた朱雀大路に鉄道ができたわけではなく、田畑を買収して鉄道が通ったのです。
朱雀大路は幅28丈約84mの広さがあったので、道から田畑に変わってしまったことは自然な流れだと思いますが、どこにあったのかは知りたいところです。
主要な交差点に、市街地図と平安京の町割りを重ねたマップがあれば、「修学」にもつながり普通の観光客とって有難いと思ったところです。
[ インクライン(2022年):船を運んでいた傾斜鉄道 ]
修学旅行で東山方面の銀閣寺、平安神宮などへ行くことはありますが、南禅寺境内にある琵琶湖疏水が流れる水路閣やインクライン(傾斜鉄道)まで見ることは少ないと思います。
琵琶湖疏水が造られた最初の目的は、船による物資の輸送にありました。
日本海側から運ばれる物資は、琵琶湖を船で渡り大津で積替えて陸送で京都に運ぶため、効率が悪かったのです。
そこで琵琶湖から京都の蹴上まで水路が切り開かれたのですが、水路と京都市街は36mの高低差があるため、船を斜路で運ぶ(インクライン)が造られたのです。
琵琶湖疎水は物資輸送のほかに、灌漑用水、飲用水、発電といった目的が追加され多目的な施設として造られましたが、第一の目的だった船による輸送は1948(S23)年に休止になっています。
[ 水路閣(2017年):煉瓦造りの水路橋 ]
南禅寺の境内を通る水路閣はレンガ造りの洋風水路橋ですが、完成から100年以上が経ち今では周囲の風景と違和感はありません。
が、完成当初はどうだったのでしょうか。
教会にレンガ造りは納得できますが、お寺にレンガ造りとは、昔の人は思い切った組合せをするものです。
水路閣は絵になる写真がとれるようで、若い人にはお寺や庭園より人気があり、水路閣だけの写真を撮るのは至難の業です。
水路閣を流れる水は、この先の「哲学の道」の脇を流れる疏水分線を流れます。
京都市内を流れる鴨川が北から南に向かって流れているので、「哲学の道」の脇にある疏水分線も北から南へな流れていると思ってしまいますが、南から北に流れているのです。
[ 哲学の道(2017年):水路との境に柵はない ]
哲学の道は、疏水分線に並行して熊野若王子神社から銀閣寺参道まで続く遊歩道です。
哲学者西田幾多郎氏が思索にふけったそうですが、遊歩道と水路の境に柵がないのであまり考え込んで歩いていると転落してしまいます。
いたずらに柵を設けて景観を台無しにしている観光地が多いなか、柵を造らないのはさすがに京都と称賛したいところです。
疏水分線は灌漑用に使われる水なので、道路の側溝などから汚れた水が入らないように、排水路が疏水の上を横断している箇所がいくつかあります。
このようなところを見れば、この水路が普通の川とは違うと気が付きます。
[ 疎水分線(2017年):疎水を跨ぐ排水路 ]
哲学の道に使われている敷石は、市電の路面に使われていた石を再利用したものです。
しかも、最初に市電を動かした電気は琵琶湖疏水を使って発電されたものです。
琵琶湖疏水→蹴上発電所→京都市電→哲学の道の敷石、と不思議なつながりがあります。
数十年ぶりの京都観光でしたが、修学旅行よりも得るところが多い一泊二日でした。
[ 蹴上発電所(2017年):市電の電気を発電していた ]
[ 西利の漬物寿司(2016年) ]
漬物のお店である西利がだしている握り寿司です。
小腹がすいたときにいただきました。
あっさりとしていて、単にお漬物として食べるのとは違ったおいしさが楽しめます。
あまり期待せずにいただいたのですが、値段も安くお気に入りの一品です。
<参考資料>