chapter-109  路地・横丁

[2019.05]

■路地・・・・・



[文京区菊坂下(2013年):子供の遊び場でもある]


「路地」とは屋根がない建物と建物の間の細長い通路のことを指します。
「露地」とも書くそうですが、露地は屋根のない土地や茶室に付随する庭園の意味で使われることが多いようです。
露地野菜と書けば、陽光がさんさんと降り注ぐ自然豊かな所で栽培されたみずみずしい野菜のイメージですが、路地野菜となると日の当らない狭い所で栽培された感じになってしまいます。
同じ「ろじ」でも漢字が異なると受ける印象が大きく違ってしまいます。



[北千住(2012年):植木も置かれている]


路地は全国どこにでもありますが、誕生した時期、原因、長さや幅、公有地か私有地か、曲がり具合などまちまちです。
限られた地域に多くの人が住むために狭い道沿いに建物が建てられてできたもの、大区画の土地を小さな区画に分割して使うために造られたもの、など生い立ちも様々です。
どのような道を路地と言うのか特段の決まりはありませんが、両側の建物の高さと道幅の適度なバランスがあり、車の進入が少ない(入れない)ことが最低の条件ではないでしょうか。
これらの条件が満たされていても、幅が10mも20mもある通りは路地とは言い難いので、広くても数mが限度のようです。


■横丁・・・・・



[渋谷 のんべい横丁(2013年)]


このほかに「横丁」という言葉も良く使われます。
本来はの意味は、表通りから横へ入った通りのことです。
江戸の街は、表通りや裏通りをつなぐ通りが横丁と言われ、これらの通りから私有地内へ入る通路が路地(路次)とされていました。
表通り、裏通り、横丁は町の街区をつくりだす公道、路地は街区内の各戸をつなぐ通路で、機能面の違いがありました。
現在の横丁は、このような使い分けに基づくものではなく、両側に飲食店や同業種の店舗が並んだ街並みを指して、横丁と呼ぶことが多いようです。
アメヤ横丁、法善寺横丁、思い出横丁、菓子屋横丁など地名を冠したもの、業種・業態を冠したものなど多彩なネーミングがつけられています。



[新宿ゴールデン街(2017年):夜は賑やか]


[新宿ゴールデン街(2016年):昼間は静か]


横丁という言葉には、昭和時代のほのぼのとした温もりのある賑わいを感じさせるものがあります。
再開発が進められ高層ビルが増殖している市街地で、横丁はサラリーマンの心安らぐ数少ない空間です。
地上の横丁が再開発などで取り壊されると、街並みは整然となるものの寒々しく感じるのか、地下街やビルの飲食店街に□□横丁のようなネーミングを付けているところもあります。



[菓子屋横丁(2017年):観光地として復活]


路地・横丁は両側に建物があって成り立つ通りですが、建物がお尻を向けて建っていたり、所々で歯が抜けたように建物が取り壊されていると連続性が欠けてしまいます。
寂れゆく街では、建物の更新が進まず空き家が発生したり、取壊した跡が空地のままになり、路地・横丁も少しづつ廃れていきます。
路地・横丁の存在はその地域の勢いを示すバロメーターでもあります。


■小路・・・・・



[石塀小路(2016年):道幅3mほど]


路地と似たような意味で使われる言葉に「小路」があります。古くは平安京を構成する街路に大路(約24m以上)と小路(約12m)があり、いまだに京都の通りには○○大路通、△△小路通のように使われています。
さらに、大路と小路は大正~昭和にかけて存在していた街路構造令にも使われ、一等小路は4間(約7.2m)以上、二等小路は1間半(約2.7m)以上とされていました。
小路は路地に比べると幅の広い通りもあり、沿道に建物がなくても存在できますが、建物が存在することを前提にしている道です。



[花見小路通(2016年):路地・横丁というには広い]


京都市内の小路は、路地と同じ意味で使われることも多いようですが、路地・横丁に比べ落ち着いた上品な風情の佇まいが目に浮かんできます。
京都の小路は石塀小路のように狭い通りもありますが、花見小路通のように幅が6~7mほどあり車が通行できる通りもあります。
長い歴史がある京都は、建築基準法の前身である市街地建築物法施行のはるか以前から建てこんだ市街地が広がり、個性的な狭い通りがたくさんあり多くの観光客を国内外から呼び寄せています。


■建物の密度・・・・・



[浦和区(2017年):路地とは言えない狭い道]


狭い道の両側に建物が建っていても、多くの空間を残してスカスカに建っているようでは、路地や横丁とは言い難い状況です。
建築基準法が求める最低限の4m道路に面して住宅が建ち並ぶ場合でも、郊外は都心部よりも敷地が広く道路に面して庭もあり、建物の間から空が見えるような状況です。
これでは路地や横丁とは言えません。
路地と横丁は建物と建物は隙間なく並び、道路から建物までの間隔もほとんどないように建ち並んでいなければなりません。



[法善寺横丁(2017年):昔の道幅2.7mで再建]


都市部で建物を建てる場合は、敷地が幅4m以上の道路に接していなければならないので、すれ違うのがやっとというような狭い道は建替えに合わせて少しずつ拡げられていきます。
例外的なのが大阪の法善寺横丁です。小説「夫婦善哉」に登場する法善寺の界隈にある横丁ですが、2002(H14)年9月の火災のため横丁を形成する建物が焼失してしまいました。
通常の規制に従って建替えに併せて4mに拡げられると、法善寺横丁の雰囲気が台無しになってしまうので、「連担建築物設計制度」という手法を使って再建されました。
再建にあたって道幅は2.7mでよいのですが、構造は耐火建築、高さは10m以内、3階部分には避難用の通路を設けるなど条件がありました。
これら安全を確保するための厳しい条件をクリアして、法善寺横丁は昔に近い姿に復元することができたのです。


■川越で・・・・・



[稲荷小路(2017年)]


蔵造りの街並みに建つ重要文化財大沢家住宅と金笛醤油の間ある路地で、稲荷小路と表示されています。
蔵造り側から見ると2m弱の幅しかありませんが、その先は少し広くなっています。
途中に駐車場があり建物の連続性が欠けているのが残念ですが、小ざっぱりとしたお店と建物のお尻を隠す板塀が、和風の落ち着いた雰囲気を醸し出しています。



[稲荷小路(2017):反対側から見ると結構広い]


また路地の中ほどには稲荷小路の由来となった小さなお稲荷さんがあり、楠の大木との組み合わせがポケットに入るような小さな空間を造り出し、いい感じです。
周辺には割烹などが多くありますが、多くの観光客でにぎわう蔵造りの通りに比べると、静かな空間となっています。
しかし川越が観光地として有名になるにつれて、この付近にもおばさま観光客がバスでどっと訪れるようになり、静けさもあっという間に破られてしまいます。
こんな団体に遭遇した時はちょっと我慢が必要かもしれません。



[門前横丁(2017年):突当りを右に行くと菓子屋横丁]


川越の観光スポットのひとつになっている菓子屋横丁の周辺は、狭い道に石畳が敷かれ観光地らしい雰囲気が出ていますが、両側の建物がびっしりと建て込んだ状況ではありません。
両側の建物に包み込まれているという感覚にならないので、路地・横丁という言葉は適当でないかもしれません。
観光客にとっては建物が創り出す雰囲気よりも、店先に並んでいる「おいしいもの」、「かわいいもの」が最大の関心事のようです。


■大宮で・・・・・



[さくら小路(2017年):昼は静か]


大宮駅東口を南北に走る中山道沿いは、街道特有の細長い敷地が多く、敷地の長辺に沿って路地・横丁があります。
駅周辺から中山道へ抜ける細い道の両側には飲食店が並び、アーケードのある通りもあります。
昼間も人通りは多いのですが、夕方になると仕事帰りのサラリーマンも加わり、さらに活気?づきます。
細い通りの入口には『すずらん通り』『さくら小路』『WEST SIDE st.』と看板が掲げられていますが、いずれの通りも車が通れない道で、人がすれ違うのが精いっぱいのところもあります。



[WEST SIDE st.(2013年):通りの中ほど]


昼間も営業しているお店はあるのですが、夜に比べると人通りは少なく、夜ほどの賑わいは感じられません。
物販店が少ないうえに夕方以降の営業が主体の飲食店が多いようです。
この界隈は、古くからの小さな飲食店が多かったのですが、近頃はチェーン店の飲食店、居酒屋が増えました。
中山道の反対側では再開発が進められており、路地・横丁は減りつつあります。



[すずらん通り(2017年)]


■浦和で・・・・・



[神社がある通り(2017年):突き当りは中山道]


浦和も大宮と同じく中山道沿いに細長い敷地が多くあり、中山道と直行する方向に路地があります。
浦和駅周辺は大宮のような飲食店を中心とした”盛り場”的なところは少なく、駅の近くにも戸建て住宅がマンションに挟まって頑張っているような地域です。
この道は駅から北に10分ほど歩いたところにある昔からの道で、中ほどには小さいながら三峰神社があります。道沿いには住宅に混じって事務所や飲食店もある静かな通りです。
一方通行の規制がかかっているのでほとんど車も通らず、道路に沿ってプランターや鉢植えがあるので、東京の下町の路地のような雰囲気もあります。



[路地になりそこなった通り(2017年)]


この通りは道なのかどこかの敷地の一部なのか分からない通りです。
中山道から入りビルの間を抜けると片側は駐車場になっていますが、敷地の境を示す縁石があり細い土地の形状を主張しています。
周りは駐車場のほかにマンション、商業ビルなので残念ながら路地とはいえないところです。
浦和駅周辺には同じような狭い道がありますが、歩いて通り抜けるのが申し訳ないようなところもあります。



[狭すぎる道(2017年):これでもさいたま市道]


さらに狭い道もあります。イトーヨーカ堂裏の駐輪場への近道ですが自転車がすれ違いできないほど狭い道です。
驚いたことに、この道はれっきとしたさいたま市道になっていした。


■狭さが創る賑わいもある・・・・・



[中野駅前(2015年):昼でも賑わう]


大都市圏には駅前広場がなく、駅からすぐに商店が連なる狭い通りにつながっていたり、駅前広場や駅前通りがあっても、近くに路地や横丁を見かけます。
幅は広くても5~6mくらいでしょうか。
バスや自家用車を使わないと駅に行けない郊外の駅と違い、駅へのアクセスが徒歩中心なのでヒューマンスケールの路地・横丁や商店街が存続できるのでしょう。



[下高井戸(2009年):日大前]


路地・横丁は密集市街地の代名詞のように言われ、「緊急車両が入れるようにするため」「火災時の延焼を防ぐため」「通風・日照などの生活環境を改善するため」などを理由にいろいろなところで道路の拡幅が検討されます。
ただ単に道路だけを広げてしまうと、人と人がふれあうような雰囲気がなくなり賑わいも感じられなくなります。
歩車道が分離された広い道路が造られると、両側のお店を見るためには、車道を渡り道を往復しないと全部見ることができません。
市街地の道すべてが車の通れない路地・横丁ばかりではさすがに日常の生活にも支障をきたしますが、すべての道で車がすれ違えるようにする必要もありません。  



[竹下通り(2009年):人が人を呼ぶ]



■おまけ・・・・・


[ナカギンザ・セブン(2017年)]

屋根があるので路地・横丁とは言い難いのですが、浦和に中銀座という小さなアーケード街のような通りがあります。
正式には「ナカギンザ・セブン」というのですが、名前の由来は不明です。 
戦後の闇市から発展してビルになったそうで、衣料品から食料品、飲食店が並び人通りもそこそこあります。
以前はおじさんイメージの通りだったのですが、最近はスタンドバーもできて若者も多く来ています。
小ぶりな店が多いのですが、2,3階にもフロアを持つ店もある不思議なところです。
残念ながら、この建物は耐震性能が不足しているため、2019年3月に建替えの方針が決まり、2020年3月末で現在の店舗は営業を終えることとなりました。





<参考資料>